第7’章 届かぬ想い(2)
あたしはおとなしくミネラウバの後ろに続いた。
なぜか西の外宮に彼女は入って行く。
確か……この建物は誰も入っていないはずだった。
そのせいか警備も手薄で、守衛もぼんやりと遠くを見つめていた。こちらに気づく様子も無い。
廊下を進むにつれ、なんだか嫌な気分になって来た。
理由は分からない。
ただ、なにか、とてつもなく嫌な事が待っているような、そんな気分。
奥に進むと、ふと妙な匂いを感じて、あたしは思わず立ち止まる。
これは――?
血の匂いだった。
ミネラウバは振り向くとその白い顔に美しい笑みを浮かべた。痛々しいくらいはかなげで、それでいて、奥に秘めたものを感じさせる笑み。あまりに彼女のイメージにそぐわなかった。
そして、突然のように彼女は口を開く。
「あなたは……幸せ者だわ」
「……しあわせもの?」
その言葉は、今のあたしにはあまりにも似つかわしくなかった。
「そうよ……愛するものに愛されて……その上、いろんな人に求められて」
あんな風に、心を全部否定されて体だけを愛されても、それは愛されてると言えるというの。
それでも……彼の役に立てて幸せだと、喜ばなければいけないの。
そんな想いから、彼女が『彼』に利用された事をふと思い出す。
「あなた……まだルティの事」
「あなた、特別な力を持っているのですってね」
突然振られたその言葉に驚く。
「心が読めるとか」
「……なんで知って……」
ミネラウバはあたしの問いを無視して続ける。
「なぜそれを有効に使おうとしないのかしら。皇子のために。……私だったら、愛する人のためなら、自分が持っている全てのものをその人のために使おうとするわ。たとえその想いが報われなくても。
…………あなたは、もう皇子のこと、愛するのは止めたのかしら?」
ミネラウバは意味ありげにあたしを見つめ、そう言うと、部屋の扉を開ける。
彼女の言葉はあたしの心を鈍く抉る。彼女は……少し前のあたしだった。
見返りも何もいらなかった、彼の傍に居られるだけでそれだけで良かった、あたし。
失うものがなかった、あの頃のあたし。
不快な鉄のような匂いが強まる。
彼女はそのまま、あたしを誘うように微笑むと、部屋の中へと消えた。
――見てはいけない、ついていってはいけない!
心の中で何かが叫ぶ。それでも足は進んでしまっていた。何かに引き寄せられるような気がしていた。
それは、ミネラウバから感じる、もう戻る事の出来ない過去の自分への憧れだったのかもしれない。
なんだか足元がひどく悪かったが、暗くてその原因が分からない。
「……あなたにとっても、都合が良いのではないかしら? これで……皇子から逃れられるわ」
扉をくぐると、後ろからそう声がした。
目の前には誰もいないし、想像していたような、特に変わったものは見当たらない。
なのに匂いだけは他の感覚を妨げるくらいに強くなっていた。
どうしようもなく気分が悪く、酸っぱいものが上がってきて、口の中が粘ついた。吐き気を押さえつつ後ろを振り向く。
「ど、どういうこと……?」
「予定外に…………完璧な仕上がりになりそうね」
その口調には妙な達成感を感じ取れた。あたしは嬉しそうに微笑むミネラウバの顔を見て、そして彼女の視線の先を見た。彼女は足元をじっと見つめていた。
「起きた時には…………きっと皇子から逃れられているわ」
ミネラウバの言葉は、あたしが『それ』に気がつくのと同時に放たれた。
――それが何かに気がついた時には、もう意識が薄れるのを感じていた。