第7’章 届かぬ想い(1)
あたしは人目を避けるため、渡り廊下を通らずに中庭に降りた。あえて自分の部屋がある建物とは反対側の西側の垣根沿いに歩くと、建物の影に座り込む。
部屋に戻れば……きっとシュルマに何があったのか問いただされるだろう。
それくらいあたしはボロボロだった。服には皺がより、髪の毛もぐしゃぐしゃ。いつも着せてもらっていたドレスだから後ろのリボンなど自分では結べないし、きっと歪んでいるはず。
何か聞かれても、今は……まだ誰にも何も話したくなかった。
それに、話したとしても誰にもどうにも出来ない。シュルマを悩ませるだけで。
あたしは所詮平民の娘。この国の皇太子であるシリウスがそのあたしに何をしようと、……だれも咎める事はない。拒むなんて選択肢があたしには無いのだから。
大体この力の事なんて、……誰も知らないのだ。心を読む事さえしなかったら……さっきのことなんて痴話喧嘩で済む話だろう。
なんで……力を使わないなんて言っちゃったんだろう。
言わなければ、きっとこんな思いをする事は無かったのに。
……誓った通りに読まなければ良かった。読まなければ……エリダヌスの事だって知らずにすんで……そして、シリウスのあんな気持ちを知る事もなかった。
あたしは、本当は彼のすべてが知りたかった。心の底から愛されてるってそう思いたかった。自分でも気がつかなかったけれど、ずっと彼の心を読む事を我慢していたのだ。
あたしを大事に思う気持ちは彼の中にちゃんとあったのかもしれない。だって、あんな風に将来を誓ったのはついこの間の事なのだ。あれが全部嘘なんて……とても考えられない。
冷静に力を使えば、その気持ちを見つける事も出来たのだろう。でも、さっきのシリウスを見てしまった今は、そう信じることはとても出来なかった。
あたしは枝が見えるくらいになるまで垣根の若葉をむしりながら、ひたすら泣き咽んでいた。
どれくらいそうしていたのだろう。
もうむしるだけの葉も無くなり、枯れ木のようになったその垣根を見ていると、まるで今のぼろぼろの自分を遠くから見つめているようで、ようやく少しだけ頭が働いて来た。
――明日。
城を出よう。父さんに頼んで、誰にも告げずに、こっそりと。……今ならまだ傷も浅い。これ以上傷つく前にシリウスから逃げよう。そしてもう、彼を忘れてしまおう。
もう、あんなこと、耐えられなかった。
いくらシリウスが好きでも、いや……好きだからこそ無理だった。
ふとそう思い、あたしは自分に呆れた。
……馬鹿みたい。
あんな風に裏切られても、まだ好きなんて。嫌いになれないなんて。
ほんとに…………馬鹿みたいだ。
あたしは膝に力を入れると立ち上がる。そして自室へと向かおうとのろのろと足を進めた。
「…………スピカ様?」
聞き慣れない声が廊下から聞こえた。
もう夜半をずいぶん過ぎているはずだった。こんな時間に声がかかるとは思わなかった。
――あれは
「ミネラウバ?」
その髪が、月明かりに照らされ冷たい色に輝いている。そこだけ空気が違うように感じた。
ミルザ姫の、侍女で……あたしの誘拐に手を貸した人。当然印象はよく無い。
……勤めから戻る途中なのだろうか。
「どこにいらしたのです? お探ししてましたわ」
「……探すって……あたしを?」
――シリウスかしら。
なんだかんだで聡いのだ。冷静になれば気づくかもしれない、あたしが記憶を読んだ事。
そうであれば……今頃必死で謝ろうとしているのは目に見えていた。
「あたし……今誰とも会いたくないの。だから、放っておいてもらえると嬉しいんだけど」
「そうだとしても……そのお姿は少々ひどいですわね。こちらで直しましょう」
ミネラウバはそのはかなげな姿とは裏腹に強引だった。
何か企んでいるのではないか、いつものあたしならそう思っただろう。
でも、その時は、あたしはその甘い言葉についすがりたくなっていた。
確かに、今のままでは人目につきすぎる。
万が一父に見つかったりしたら…………ひょっとしたら城に火がつくかもしれない。少なくともシリウスは無事ではないはずだった。そうなると、当然……父の命もなかった。
そんなことになったら、目も当てられない。……なるべく心配はさせたくなかった。