終章
厳粛な空気の中、つつがなく立太子の儀が執り行われた。
夜の闇のような僕の隣に、真昼の光のようなスピカが並ぶ様は、なぜかとても人の心を打つものだったらしい。父も叔母もレグルスも、さらには驚くべき事にイェッドまでが涙ぐんでいた。
僕は『シリウス』という名を披露し、正式にジョイア国皇太子となった。
そして隣に立つスピカは正式に僕の妃となった。
各国の代表がそれぞれに祝辞を述べる中、もっとも警戒したアウストラリスの代表は僕の知らない人物で、当たり障りの無い祝辞を述べただけだった。国としてどうするのか――そこからはまだ何も汲み取れなかった。
その後中庭に面した広間に会場を移して披露宴が開かれ、僕たちは各国の賓客を接待する。
付け焼き刃の知識だったが、僕とスピカはなんとか失礼のないよう、彼らをもてなした。
日が暮れ、宴が終わると、ようやく僕とスピカはその仰々しい服と肩書きを外して元の僕らに戻ることが出来た。
僕は部屋に次から次へとやってくる、挨拶と称して新しく娘を紹介しようとする貴族にうんざりして、闇にまぎれてこっそりとスピカの部屋に忍んできていた。
今夜こそは、誰にも邪魔されずに過ごしたかった。
スピカは僕の贈った艶やかな若草色のドレスに着替えていた。下ろしたままの金色の髪が余計に華やいで見える。春のツクルトゥルスに咲く黄色い花のようだ、僕はそう思った。
「はい、これ」
スピカが一通の手紙を僕に差し出した。
「なに?」
僕は怪訝に思いながらもその便箋を開く。――それは父の手紙だった。
『
スピカ殿
シリウスの行動について、まず、謝らせてくれ。あの子が何をしたかは詳しく知らないが、あなたをひどく傷つけてしまったようだ。
しかし、あの子を追い込んだのは全て私の指示なのだ。私は、あの子の覚悟を試す必要があった。立太子が迫っているのに、まったく危機感を持たない、あのままではいつかつぶれてしまうと思ったからだ。
同時にあなたも試させてもらった。妃として披露されてしまえば、この先どれだけ辛くても、逃げられない。逃げるなら今のうちだと分かってもらうために、セフォネをはじめとする侍従や侍女にも少々辛く当たらせてしまった。
ただ、今回の事はあまりにも荷が重かっただろう。私も不測の事態に驚いているところだ。
そのことについては深く謝りたい。
私は、あなたがやったとは思っていない。まだ調査は始めたばかりだが、すぐに犯人が見つかると思う。
おそらくあなたには犯人は既に分かっているはずだし、協力をしてもらえば解決も早いだろう。
しかし、このことはシリウスに危機感を感じてもらうためには、いい材料となりそうなのだ。
そこで頼みがある。
しばしの間、黙って罪を被っては貰えないか。
シリウスはあなたのためなら、必死になるだろう。色々なものをその目で見ようとうするだろう。この機会を逃したくないのだ。
もし、シリウスの事をまだ見捨てずにいてくれるのなら、シリウスのために、この国のために、もうしばらく我慢してくれないだろうか。
勝手な願いだとは承知している。シリウスを見放したのなら、断ってもらって構わない。その時は、すぐに解放させるよう手はずを整える。
添えた手紙はシリウスが書いたものだ。これを読んで、あなたがシリウスに心を戻してくれる事を願いたい。
』
読み終えて、いくつかの謎が解ける。
「父上……」
今回どうしても何か見えない手に阻まれているような……そんな気分になったのは、このせいだったのか。
……過去の事もあって今まで僕に遠慮して甘かった分を一気に取り戻そうとしているのかもしれない。
そんな風に思う。
おかげで、目が覚めたこともあったけれど。
「厳しいけれど、……いいお父様よね。……うちのとは大違い」
スピカがそう呟く。
「いや……レグルスをそんな風に言っちゃ駄目だ」
『皇子も頑張りましたけれど、後一歩でしたね』
レグルスが宴の合間、僕にそう言ったとき、分かった。僕がメサルチムの言葉に動揺して、彼にスピカの警護を頼んだとき……既にレグルスは入れ替わりまで計画したのだろう。万が一のことを考えて、手の使えないスピカの代わりを、あの見かけ以上に腕の立つ侍女に任せて。
だから、彼女が連行されるとき、あんな風に気の毒そうに僕を見たのだ。
……その機転のおかげで……今回は助かったのだが。
後一歩と言えば……イェッドの宿題にしてもそうだ。
さっさと終わらせていれば……。
彼に貰った宿題の最後のページに一言書いてあったのだ。
『人と人のつながりは血縁だけではありません。交友関係も疑いなさい』と。
――あの後貰った調書によると、グラフィアスは、以前からルティとかなり親しくしていたらしい。
本人に確認したところ、あの誘拐事件後も接触していたと言う。そして、今回の件に協力した。うまくいけば、そのままアウストラリスに職が用意されていたそうだ。
道理で、彼は知るはずの無い情報を知っていた。
情報をまったく伏せてあるはずの誘拐事件だったのに、『成人の儀の翌日二人で逃げた』と。
実際は違うが、その辺はルティから聞いたのだろう。
だから微妙にずれた情報が伝わっていたのだ。噂が二種類あったのも……そのせいなのだろう。
――僕の周りの大人たちは……いつもどこかでそっと手を差し伸べてくれていた。
「ねえ、シリウス。……あのね……えっと」
「……どうした?」
スピカは聞くのを躊躇っているようだった。
「他の妃候補たちは……」
「ああ……」
僕は一気に憂鬱になる。
僕は結果として……スピカ以外のすべての妃候補を失った。
もちろん、それ自体は喜ばしい事だ。
だけど……
「シェリアは、親の収賄容疑のあおりを受けて、結局辞退したよ。あと、本物のエリダヌスは……事件にショックを受けてガレへと帰った。あと……タニアは知っての通りだし」
結局ミネラウバは容疑を認めたものの、はっきりとした動機を口にする事は無かった。彼女の口からルティの名前が出る事も無かった。
それがルティを庇っての事なのか……真実は未だ謎のままだ。
また、エリダヌスの身代わりの少女の身元も、未だ分からない。シトゥラとどう関わりがあるのかさえ、まったく掴めないままだった。
「あと……アリエス王女には」
なんだか納得いかないのはそこだった。
「振られた」
それまで神妙な顔をして話を聞いていたスピカだったが、それを聞いて吹き出した。
「あたし……あの夜、王女に出くわしちゃったのよね……」
そうなのだ。
王女はどうも……僕の事を誤解したまま国に帰ってしまった。
いや……誤解じゃないのか。
事件におびえたわけでも、容疑におびえたわけでもなく……単純に僕におびえて帰ってしまったのだ。
12歳の少女には、衝撃が強過ぎたらしい。
テュフォンから妃候補がやってくる事はもうないだろう。
スピカは僕に背を向けてくすくすと笑い続ける。余りに長く笑い続けるので、僕が少し気を悪くすると、彼女はそれを察したのか、振り向いて顔を上げた。
「ごめんなさい、……喜んじゃいけないのかもしれない。……でもなんだか嬉しいの」
彼女は目の端に溜まった涙を指で拭いながら、そう言う。
その泣き笑いの表情が胸に刺さり、思わず彼女を引き寄せる。
「……これからも、僕が君以外に妃を娶る事は無いから」
――君が僕の最初で最後の妃だ。
僕は彼女を抱きしめると、その耳元で念を押すようにそう言った。
そういえば……。
僕はあることを思い出す。
「ねえ、君にあげた手紙、……あれ、返して欲しいんだけど」
「だめよ。一生とっておくんだから」
「……! や、やめてくれよ――!!」
書いたことを思い出すと顔から火が出そうになる。
「『君が隣にいない世界は僕にとって意味は無いんだ――』」
一体何度読んだんだろうか、スピカが嬉しそうに暗唱しだしたので、僕は慌ててその口を塞ぐ。
――ああ、もう敵わないな
そう思いつつ、ようやくそういう雰囲気になったことに僕はホッとする。腕の中のスピカは黙って僕の胸に背を預けていた。
スピカが気の済むまで話を聞こうと決めていたのだが、このまま朝になったらどうしようとも思っていた。
「……そろそろ、話をやめてもいいかな」
僕がそう言って見つめると、スピカは真っ赤になって頷いた。
窓から見える月は満月。闇を溶かしてしまいそうなその優しい光に祝福される中、僕たちは心を込めて愛し合う。
――この幸せがずっと続く事を願いながら。
-推理編 fin -
第1部からお読みいただいた方、第2部からお読みいただいた方、最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。
今回も読んで頂いた方々のおかげで無事に完結させることが出来ました。
第1部とは少し趣きが変わり、戸惑われた方もいらっしゃると思います。
今回は色々な意味で挑戦させて頂きました。
ジャンルを変えて推理要素を加えた事などです。
実はミステリーを読むのが大好きなので、一度挑戦してみようと思っていました。
書いていてとても楽しかったので、また挑戦できるといいなあと思っています。
また今回、主人公たちを中盤まで虐め抜いたので、その分最後甘やかしてしまった感じがあります……。
今回説明不足だった部分の番外編を考えています。時間の都合上、書けるかどうかは分かりませんが。
もし続編を書く事があれば、またお付き合いいただけると嬉しいです。
また感想を頂けると大変嬉しいです。分かりにくいところなど指摘いただけると特にありがたいです。よろしくお願いします。
碧檎
9/17 上記していました、番外編を始めました。
番外というよりは、途中からシリウス視点でしかお話を展開しませんでしたので、その部分をスピカ視点で展開させるつもりです。
第6章 裏切り(4)をスピカ視点で書いたところから分岐させています。
シリウスの行動の裏でスピカがどうしていたかなど、書いています。終章で少し出て来ました手紙の内容なども書いています。
サイトの方でしか掲載いたしませんが、ご興味があれば覗いてみて下さい。
(携帯の方も別途用意しています)
http://www.h6.dion.ne.jp/~macaroni/blackprince/index.html
12/27 追記
上記番外編ですが、番外とは言えないほどの長さ(約8万字)となりまして、その上、第3部に続く伏線が少々入りましたので、こちらへも掲載する事にしました。
サイトの方で掲載済みのものを加筆修正しながら掲載します。約40話となります。
よろしくお願いします。