第13章 明かされる陰謀(4)
ばさりと帽子が頭にかぶせられる。帽子の鍔を上げると、雨に濡れる少女が見えた。
「とりあえず、宮へ戻りましょう」
スピカは曖昧に微笑むと、僕を馬に乗るよう促した。
大粒の雨がその金色の髪をつたい、彼女の体へ落ちて行くのを見て、僕はその提案をすぐに呑む。
僕は馬に乗るとスピカをそのまま馬上へと引っ張り上げた。
そして帽子を脱ぐと再び彼女の頭に被せる。
僕の胸にスピカのその小さな背中が当たる。全身が冷えきっていたのに、触れたところだけがひどく熱を持った。
そのまま抱きしめてしまいたい衝動に駆られたが、わずかに残る理性が僕を押しとどめた。
――なにより、拒まれるのが怖かったのだ。
目の端ではグラフィアスが近衛隊の隊員によって拘束されていた。彼は憔悴しきっていた。
……あとで彼にも話を聞かなければならないな。
レグルスに促され、先に宮へと出発する。
馬の上では、僕もスピカも無言だった。
あんなに話がしたかったのに、いざ彼女を目の前にすると言葉が出て来なかった。
いろいろと聞きたいことはあった。
――今までどこにいたのか。なぜこんなところに、こんな風に現れたのか。
でも、今それら話を聞いたとしても、僕はもう疲れきっていて、状況を整理するだけの気力が残っていなかった。
僕は――何よりも……僕の事を許してくれるのか。それが聞きたかった。
*
宮に着く頃には雨はもうほとんど上がっていて、西の空では薄い雲の切れ間から光が注いでいた。木々の若葉についた水滴にそれらが反射して宝石のようだった。
宮の門が見えたところで、馬を止める。
このまま何も言わずに宮に連れて行く事も出来たけれど……それでは昨日したばかりの約束を無かった事にしてしまうことになる。門をくぐる前に、話をしなければいけなかった。
「君が……無事で良かった」
ため息と同時にそう言葉が溢れる。
「ごめんなさい」
スピカは前を向き俯いたまま呟いた。
「……君が謝る事は何も無い。……全部僕が悪い」
腕が、スピカを抱きしめたがっていた。それを押さえつけるようにして言葉を選ぶ。
「僕は君に謝らないといけないことがたくさんあって」
「……もう、聞いたわ」
「何を? どうして?」
スピカがどこまで僕の言葉を聞いているのか、知りたかった。情けない事に、いつ入れ替わったかも分からなかったのだ。
僕はどうやらひたすらシュルマに向かってあの恥ずかしい告白をしていたらしいし……。……ああ、そうか。シュルマに聞いたのかもしれない。
そう思っていたが、まったく予想外の答えが返って来た。
「……あなたが言った事は全部知ってるわ。だって……あの場所にいたんだもの」
「え?」
「ミアーの隣に居たでしょ?」
「ああ………あれ、スピカだったのか!?」
暗いし会話をしなかったからまったく気がつかなかった。
……ってことは、あのとき見た夢って……。
僕は混乱しつつも続けて尋ねる。
「でも……最初の日しか居なかった」
「そうね。だけど」
そう言いながら、胸のポケットから例の手袋を少しだけ出すと僕に見せる。
「これ、ありがとう。……嬉しかった、すごく」
それを見て、納得した。
ああ、――『見た』のか。
スピカは微笑みながら、すぐにそれを仕舞った。雨に濡れるのを嫌がったようだった。
僕はその笑顔に少しだけ励まされて、おそるおそる尋ねる。返ってくる答えを想像すると、不安で胸がつぶれそうだった。
「……宮に一緒に帰ってくれる?」
「今、帰ってるじゃない」
素っ気なくスピカはそう言った。
「……そう言う意味じゃなくて!」
「じゃあ、どういう意味なの?」
スピカは、どうも、分かってるようだった。その目が優しく僕を睨んでいた。
ああ、もう、これで何度目だ……。いくら言っても伝わらない気がするのはなんでなんだろう。
「一緒に宮に戻って欲しい。……ずっと傍にいて欲しいんだ」
「…………」
スピカは黙って前を向いた。返事は無い。
僕は焦れて思わずスピカを引き寄せる。そして、こちらを振り向かせるとその緑灰色の瞳を覗き込んだ。
我慢の限界で、口づけしようと顔を寄せると、スピカはそれを避けて僕をするどく睨む。
「もっと、ちゃんと言って」
凛としたその瞳に射すくめられる。そんな顔をしたスピカを久々に見て、僕は驚く。
……これ以上無いくらいちゃんと言ったつもりなのに。
「どうしたんだよ」
「あたし、もう少しだけ欲張りになろうと思ったの」
ぷいと顔を背けるスピカに途方にくれる。スピカはまるで子供のころに戻ったかのようだった。
「どうすればいいんだ」
「……あの時言ってくれたのはうそだったの?」
急にスピカが何を求めてるのかが分かった。
けど、あれは――。
「僕が言うにはまだ早い気がするんだ……。あの時は、その、勢いで」
「……」
スピカは僕の腕の中で唇を少し尖らせて拗ねていた。
焦れて喉がからからに渇いていた。これ以上我慢できなかった。
「――あいしてる」
やっとのことでそう絞り出した次の瞬間、僕はスピカにキスをされていた。
体が痺れる。
僕は渇きに耐えられず、彼女を抱きしめ深く口づけた。
「…………いつまでそうしてるんですか!!」
聞き慣れた怒りのこもった低い声に僕はようやく我に返る。
声の方向をおそるおそる見ると、……予想通りに、そこにはレグルスがすごい形相で佇んでいた。
その後ろには近衛隊が勢揃いして、一様に苦笑いを浮かべている。ふと見ると、僕たちの乗った馬が道をしっかり塞いでいた。
「……シリウス、面倒だから逃げましょう?」
スピカが呆れたようにレグルスを見てそう言ったので、僕は迷わずそうすることにした。
「……行き先は?」
念のために尋ねる。
スピカは花が咲いたように微笑むと、僕の耳元で小さく囁いた。
*
宮に戻ると、スピカの手を引いて一目散に自室に戻る。落ち着こうにも無理だった。
びしょぬれの僕らに仰天するセフォネを追い出し、部屋に鍵をかけ、窓を閉じ、夜を作る。
本物の夜が来るまで待っていられなかったのだ。