第12章 最後の日(3)
僕は急いで部屋を出る。そして先ほど通った渡り廊下に出ると、その小窓から一気に飛び降りた。
垣根の小枝が腕に刺さり、小さな傷を作るが、もう気にしていられない。
建物の影から飛び出し、本宮に向かおうとしたその時、後ろから声がかかる。
「皇子! まさか、現場に入られたのですか!?」
見回りをしていたのだろう、先ほどの近衛隊の兵だった。
僕はそれを無視すると、勢い良く走り出す。
捕まってる暇なんかもう無い。
息を切らして部屋まで突っ走ると、鍵をかけ、机の上に放置していた書類を開く。
それは――ジョイア国貴族の家系図だった。
僕はある名前を探して、必死でその厚い束をめくって行く。
――ない、ない!
頁が進むにつれ焦りが募る。
「絶対にあるはずなんだ、あの名前が」
エリダヌスとどう関わりがあるかは分からない。でも――
「あ、………あった!!」
分厚い書類の中程。僕は、ようやく目当ての名前を探し当てた。
「……え、でも、そ、そうなのか……? 嘘だろう……」
その名前がある家系図をしみじみと眺め、酷く納得いかない気持ちになった。しかし今はそんな場合でもない。
「……これなら、十分な動機になる。『姿を見られなかった』というのも、納得できる」
――スピカ。僕は犯人を見つけた。……これで、君を助けられる!
僕は立ち上がると、中程までは頭に入れたその書類を閉じる。
外を見ると、まだ日は高かった。
――時間は十分だ。きっと何とかなる。
僕はここ2、3日で初めて、少しだけ心に余裕を感じた。
その時、扉が叩かれる音がして、僕ははっとする。
――近衛兵か? さっきのことで?
そう警戒したが、扉を少し開けると、そこにはイェッドが立っていた。
「なんだ、イェッドか」
「……」
むっつりと頭を下げると、イェッドは部屋に入ってくる。
「なんだか外が騒ぎになっていましたよ、あの……」
彼が続けて何か言おうとするのを僕は遮った。
「ああ……。それより、犯人が分かったんだ!!」
興奮を抑えられずに、イェッドに訴える。
しかし、彼は特に感動を見せずに、いつもどおり冷静に答えた。
「……ああ、ということは、やっと宿題を済ませたんですね」
「やっぱり知ってたな」
「……いいえ? ただ、ヒントはあの中にあるだろうということだけは、なんとなく」
「……聞かないのか? 犯人」
――なんだ、この緊張感の無さは。そんな些細なことじゃないはずなのに……
僕は怪訝に思い、尋ねた。
「いえ。あとでどうせ分かりますし。……それより、宿題、全部終わったのでしょうね?」
しつこい。
相変わらず、こいつは何を言ってるんだ。
「……それどころじゃないから、後でやる」
イェッドはなぜか嫌そうな顔をする。
「間に合うんですか?」
「半分はやってあるし」
「……半分、ね」
不機嫌そうに、イェッドはため息をつく。
「そうですか。……まあ、いいでしょう」
「なんだよ、その言い方。……はっきり言ってくれよ」
なんだか腹が立って来た。
スピカを救えるっていう、あの気持ちがどんどん萎んで行く気がする。
「やらなければならないことは、ご自分で分かっていらっしゃるのでしょう? 私が口出しすることでもないので」
確かにそれはそうだ。
イェッドは……自分の仕事をしようとしているだけなのかもしれない。
この一連の事件は……僕の事件だ。彼のものではないのだから。
僕は、無意識に、イェッドがやって当たり前だと思っていたのかもしれない。
助けてもらっていることを忘れてはいけなかった。
「あ、そうだ。イェッド。頼みがあるんだった」
僕は気を取り直すと、彼に、エリダヌスの致命傷となった傷について尋ねた。
「……そうですよ」
彼は淡々と頷いた。
「じゃあ、そっちの方から、近衛隊に進言しておいてくれないかな。
……僕は……犯人に会ってくるから」
「私は丁度そちらに用事もありますし、いいですけど、……皇子は、お一人で、ですか? 近衛隊にお任せになっては?」
「うん……でも少し確かめたいことがあって。……まあ、一人にはならないだろうし……でも、そうだな。レグルスに一言言っておいてもらってもいいか?」
イェッドは頷くと、部屋を出て行った。
僕はその背中を見送ると、続いて部屋を出る。
――なんだか、つい最近、こんな気持ちになったことがあったな。
あれは……そうか。后妃に罪を問いに行った時だった。
あの時僕は、そう、今みたいに自信満々で、これで全て終わると思っていた。
でも結局は、影でルティに出し抜かれていて、スピカを自分の記憶ごと失うところだった。
――今度は……間違ってないよな?
急激に不安が押し寄せる。
さっきのイェッドの態度もやはり少し引っかかっていた。
でも、あの密室の仕掛けと犯人は間違っていないはずだ。それだけは確信があった。
――大丈夫だ。今度はきっと。
僕は自分にそう言い聞かせると、ある部屋に向かって歩き出した。