第11章 過ぎ行く時(5)
差し入れの手続きを済ませた僕は、手袋を握って牢の扉を叩く。
「スピカ……やっぱり君はやってないよ。僕は……明日それを証明してみせる」
相変わらず返事は無い。
でも僕は語り続けた。
「君を必ずここから出してみせる。……でも心配しないでくれ」
僕は扉に向かって必死で笑顔を作る。そうしないと次の言葉が出て来ないような気がした。
「出た後のことは……君に任せるから」
身がちぎれるようだった。
――駄目だ、そんなことを言っては。たとえ無理やりにでも、手に入れるんだ――
もう一人の弱い自分が、必死で口をふさごうとする。
信じなければならない。
彼女は、きっと、彼女の意志で僕の隣に立ってくれる。僕が無理に傍に置くのでは意味がないんだ。
「……儀式に出たくないのなら、無理強いはしない。僕の名のことも忘れていい。……でも、僕は待ってるから。ずっと隣を空けて待ってるから」
思い出していた。成人の儀の時のことを。
あの時、僕は同じようなことをスピカに伝えた。だけど、待つことなく手に入れた。
今度は……人生が終わるまで待たなければいけないのかもしれない。それだけ待ったとしても手に入らないのかもしれない。
「もし……待つなと言うのなら、君の言葉で、そう言って欲しい。僕を納得させて欲しい。でないと、僕は一生君を待つことになってしまうから」
どんな言葉でもいい。スピカの声が聞きたかった。
夜も更け静まり返った廊下に、蝋燭の芯が縮む微かな音だけが響いた。
いくら待っても、返事は無かった。
――もう、駄目なのかな。
信じられなかった。心を通わせた日々はつい最近のことだった。あと1日で、すべて僕のものになるはずだったのに。
手袋を窓枠にかけると、長椅子に座り込んだ。
――諦められないものを諦めなければいけないとき……皆どうしているんだろうな。
脳裏にレグルスの顔が浮かんだ。
冷たい石の壁に背中を預けながら、僕は深いため息をついた。
*
ふと気がつくと、僕はイェッドの宿題を枕に、長椅子の上で眠っていた。
最初数頁までは目を通した覚えがあったのだが。
――さすがに二日続けて眠ってしまうというのは……
ふと原因に思い当たる。
「ミアー。君が昨日持って来た飲み物、何か入っていなかった?」
僕は出口に向かいながら、前を歩く彼女の背中に尋ねる。
あの甘い香りのする暖かい飲み物。飲んだ後に妙に気分が楽になったのを覚えている。
「……いいえ?」
さらりと否定される。
「本当に?」
「……何かって、何でしょう?」
少し棘のある口調でミアーが逆に尋ねる。
「睡眠薬とか」
「そんなことをしてわたくしに何の得があるというのです?」
ミアーは振り返ると僕を少し睨む。
……まあ、確かに。
僕が勝手に入り込んで、仕事の邪魔をしているというのに、さらにいろいろ言われれば腹を立てるのも当然かもしれない。
僕はたじろぎ、口をつぐむ。
何も無かったのだし……眠ってしまったのは自分の落ち度だった。確信も無いのに疑ってはいけない、か。
僕は彼女の機嫌を取るように少し微笑むと、言った。
「……じゃあ、今日も頼むよ」
朝日が柔らかく道の両側の木々を照りつける中、脇道を抜けると、宮への道、城下町への道が目の前で分かれていた。
――もし無事に迎えに来ることが出来ても……歩き出す方向が違うかもしれない。
それでもやり遂げなければいけない。
自分のためではなく、スピカのために。