第10章 尋問(8)
僕が眠っているうちに雨が降ったらしい。牢から出る時には止んでいたが、宮に戻るまでの道が所々ぬかるんでいた。
部屋に戻ると、セフォネは僕が戻らなかったことで何か言いたげにしていたが、あの事件以来、妙に気を使われているようで、結局小言は無しだった。
アリエス王女のところに行くため、身支度をする。
昨晩あの牢で過ごしたのと、先ほどぬかるんだ道を歩いたので、服も何もかもドロドロだった。そんな格好ではさすがに王女に失礼だった。
用意されていた朝食を無理矢理詰め込みながら、ふと思いついて2通の手紙を書き、封をしてセフォネに託す。
そして、食べ終わると持って帰って来たパンを手に、まずは父のところへと向かった。
「申し訳ありません、帝はただ今会議中です」
部屋の前の兵にそう言われ、行く手を遮られる。
朝の会議か。
僕は仕方なく、そのパンを父に渡してもらうようその兵に頼む。
「父の予定は?」
兵は懐から紙を取り出して確認する。そうして少し申し訳なさそうに言う。
「……本日は予定がいっぱいでして」
「じゃあ、明日少しでいいから会う時間が欲しいと伝えておいてくれる?」
「……かしこまりました」
兵は不思議そうな顔をしたが、結局はそう頷いた。
その足でミルザのところへ向かう。
こちらから訪ねるというのに、さすがにイェッドを連れて行くわけにはいかなかった。さすがに何事かと思われる。だから代わりにミルザを同席させようと思ったのだ。
部屋に入ると、ミネラウバがはっとしたような顔で僕を見る。
……そうだった、ここには彼女がいるのだった。
叔母に過去のことだと言われたが、分かってはいても未だにどうしてもいい印象は抱けない。
彼女も後ろめたいのだろう、すぐに顔を伏せて黙り込む。気まずかった。
ミルザが奥から現れて、ようやく場が和む。
「お兄さま? どうなさったの、こんな朝から」
「……おはよう、ミルザ。……あのさ、アリエス王女に話が聞きたいんだ。……それで」
「分かりましたわ。ついていけばいいのですね?」
ミルザはにっこりと笑うとすぐに頷いた。
しかし、すぐに顔を曇らせて僕の顔を覗き込む。
「お兄さま……大丈夫ですの? 顔色が悪いですわ」
「あ、ああ」
あまり眠れていないし、食欲だってそんなに無い。本調子とはとても言いがたかった。
「あんなことになってしまったから、仕方ないですわね……。でも私、スピカには出来ないと信じてます。
彼女は……お兄さまが悲しむようなことはしないはずですもの」
ミルザは力強くそう言った。
「……そうだな、スピカはやってない」
力なく微笑むと、ミルザはその綺麗な弓状の眉を少し上げて僕を睨んだ。
「もし……この程度で壊れるような関係でしたら、私、認めてませんわよ。お兄さま。しっかりなさって」
まっすぐ僕を見つめるその青い瞳に、不覚にも泣きそうになる。
このまだ幼なさの残る妹に心配されるなんて、相当情けない顔をしているのだろう。
「ありがとう、ミルザ」
僕はやっとそれだけ言うと、気力を振り絞って微笑んだ。
アリエス王女の部屋は本宮の一番南西にあるミルザの部屋と並びにあって、ちょうど反対側の一番南東の部屋だった。そして、スピカが勉強をしていた部屋の2つ隣にあった。
明るい廊下の上を僕とミルザの靴音が響いていく。
「ミルザは、あの夜、もう寝てたのか?」
ふと思いついて聞いてみる。
「事件のあった夜ですか? さすがにもう寝ていましたわ」
それはそうか。まだ13なのだ。そんな遅くまで起きているわけは無い。だとしたら、同じ年頃のアリエス王女に何を聞いてもおそらく無駄だろう。寝ていたに決まっている。
無駄足に終わるかもしれない、か……。
しかし穴を残しておくわけにはいかない、僕はそう思い直す。
僕は目撃者を捜していた。
僕がスピカを置いてあの部屋を出た後、ひょっとしたら、スピカを見ている人間がいるのではないか、そう思っていたのだ。
というより、スピカを誰も見かけていないという方が不自然だった。
本宮の出入口も外宮の出入口も、兵が見張っているのだ。
どうやってスピカが誰にも見られずに部屋に戻れるというのだろう。
シェリアが、姿を見られずに移動は出来ないとそう言っていたが、それはスピカについても同じなのだ。彼女の発言を思い返して、そう気がついた。
夜半とはいえ、まだ侍女たちは完全に下がってしまってはいなかったし、夜中に起きた人間が見かけたかもしれない。
その小さな可能性に賭けていた。
イェッドには兵からの、叔母には侍女からの目撃情報をそれぞれ集めてもらうよう、今朝、手紙を書いて頼んでいた。
そして僕は、それ以外の人間を当たるつもりだった。
――どこかにきっと、綻びがあるはずだ。