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第10章 尋問(6)

 当然、スピカのいる牢にも食事は差し入れられた。

 皿が空になっているのを見て、僕はひとまずホッとする。

 僕の目の前で慌ただしく片付けが行われ、あっという間に就寝の時間がやって来た。

 

 ……とにかく謝らないと。


 僕は何から謝ればいいのか分からなかった。スピカが何に傷ついたのか、あまりにもたくさん心当たりがありすぎて言葉を選べなかった。

 思い当たること全てに対して謝っても、それでも足りないかもしれない。


 僕は扉に額を付け、寄りかかるようすると、大きく息を吸い込む。


「スピカ……ごめん。僕、君を傷つけてばかりで。君を守るって言ったのに、こんなことになってしまった」


 声が廊下の壁に反射して、遠くまで響いていく気がしたが、もう構っていられなかった。


「僕は……自信がなかったんだ。僕は君が好きでたまらないけど、君の方はどうなんだろうって。本当に僕でいいのかって。……君が無理をしてるんじゃないかって」


 気持ちを疑われること。僕だったら、それが一番嫌だ。そう思ったから、僕は最初にそう言った。

 言葉を切ると、とたんに沈黙が広がる。息が出来ないくらい胸が痛かった。


「僕は君を幸せにしたい。でも、本当に僕の隣にいることが君の幸せなのかって。……君の口から聞きたかった。確かめたかったんだ」


 何の反応もない。

 押し殺したような沈黙が続く。

 聞こえているのだろうか? もしかしたら、もう眠ってしまったのか。


「僕は、このひと月ずっと君が欲しくって、でも、……怖かったんだ。君が僕以外のヤツのモノだったらって考えるのが死ぬほど怖かった……怖過ぎて聞けなかったんだ。……でもこんなことになるくらいなら聞くべきだったって、今は思うよ。

 たとえその答えが何であろうと……僕の気持ちは、変わらないんだから。僕には君しかいない。……何があっても君のこと、諦められないのなんて、……僕には分かってるんだ」


 言葉が廊下の床をただ滑っていく。何に引っかかることもなく。

 そしてまた、何事も無かったかのように沈黙が広がった。


 ……伝わらないのか。僕の気持ちは、もう。


 あまりの反応のなさにそれ以上何を言っていいか分からず、僕はヨロヨロと後ずさると、椅子にしゃがみ込んだ。


 辛かった。

 子供のように泣きわめけたらどれほどいいか。

 

 皇子であれば手に入らないものなんて、無いはずなのに。

 彼女の心はなんで、こんなに得難いのだろう。


 僕は膝の上で手を組むと、その上に顔を伏せる。

 そしてゆっくりと息をした。

 息を吐ききると、鼻の奥がツンと痛み、目がじわりと潤んでくる。

 慌てて息を止め、そうして大きく深呼吸をした。


 僕はもう子供ではない。こんなところで泣いては駄目だ。

 諦めない。そう決めたはずだった。

 まだ時間はある。


 ――きっと、取り戻してみせる。




 僕はそのまま長椅子に横になっていた。

 例の女性兵士がやって来て、飲み物と毛布を差し出す。


「お休みにはならないのですか?」 


 僕は飲み物だけを受け取ると、首を横に振る。

 徹夜で見張るつもりだった。


 暖かいカップの中から少し変わった甘い香りが漂う。その香りを嗅ぐと、妙に心が休まった。




 ふと気がつくと、僕の目の前にスピカが立っていた。

 彼女は黄色いドレスでは無く、また囚人服でもなく、このシープシャンクスで最初に出会った時に着ていたような軍服を着ていた。その姿は少年のようだった。

 それを見て、一瞬でこれが夢だと分かる。

 ――やり直したい。そういう願いが見せる、甘い夢。


 眠ってしまったのか、僕は。

 そう思ったが、目の前の甘い幻想から抜け出すことは今の僕には無理だった。



『シリウス』


 彼女は僕の手を握ると、僕の名を呼んだ。そして続けて囁くように言う。


『……ごめんね』


 ……なんで君が謝るんだよ?


 口が開かず、僕が目で問うと、スピカは困ったように口ごもる。

 そして耳元に顔を寄せるとひっそりと呟く。


『……あたしも、あなたのこと、愛してるの。きっとあなたよりもたくさん』


 ……僕の方がたくさんだ。


 ――なんて都合がいい夢なんだろう、そう思いつつも僕は目で訴える。


 スピカは少し微笑むと、僕の額の髪の毛をその白い手で払い、そこに口づける。

 僕は彼女の頭に手を回すと、その唇に唇を寄せた。


 相変わらず、その唇は蜜のように甘かった。

 ――そして、涙の苦い味がした。


 僕は、夢が覚めなければいい、そう思った。


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