第10章 尋問(3)
それにしても。
タニアはなぜ姿を見せない?
いくら何でもおかしかった。会ったことも無いのだ。嫌うにも嫌えないはずなのに。
僕にとってはありがたいが、今の状況でこうだと、変に勘ぐってしまうのは避けられない。
僕が事件のことを調べているから……ということも考えられる。
「タニア嬢、怪しいと言えば怪しいですね」
イェッドがお茶をすすりながら呟く。
「近衛隊の人間に確かめてみましょうか? 私でしたら供述書を見せてもらえるかもしれません」
妙に積極的に彼は言う。
……どうやら、自分が興味があることは率先してやるらしい。
他はてんで駄目だけど。
レグルスが苦手とするのは……何となく分かる。
強烈に使い辛いのだ。
「……頼む。出来れば妃候補全員分」
僕は結局は頼むことにした。
使えるところだけでも使わないと。
「僕は……叔母のところに行ってくるから、……後はよろしく」
「お待ちください」
イェッドががさごそと自分の荷物をあさりながら声を上げた。
そして分厚い書類の束を渡す。
「はい。これを」
「何?」
「何じゃありませんよ? 約束でしょう。宿題です」
「……」
僕は渋々その書類を受け取る。ずっしりと重い。100枚以上はありそうだった。
パラパラとめくるとびっしりと文字が並んでいる。
「3日分です。明後日までで良いですから、目を通して全部覚えて下さいね」
思わず目を剥いた。
「これ……全部?」
「はい。必要ですから」
イェッドは頷くと淡々とそう言った。
*
……僕に寝るなって言うのか。
僕は憂鬱になりながら書類の束を机に放り投げると、叔母のところへ向かう。
廊下からはもう日の光は消え、夜の訪れを蝋燭に照らされた暗闇が告げていた。
気が重かった。
きっとあの夜の事を聞かれるに決まっていた。
スピカの態度についても。
正直に言う必要はない。
でも……誰かに聞いて欲しい気もしていた。
薄暗い廊下をくぐり抜け、叔母の部屋の前で立ち止まると、深呼吸をする。いくら息を吐いても重苦しい気持ちは消えなかった。
「叔母様」
思い切って扉を開けると、叔母は一人、窓際で佇んでいた。
すでに人払いをしていたらしい。
「待っていたわ」
絨毯を靴で擦る音が部屋に響き、叔母が近づいてくる。その白い顔が部屋の中央の燭台に照らされ、ぼんやりと浮かびあがる。そこにいつもの優しげな表情は浮かんでいなかった。
叔母は僕に椅子を勧めると、自分も目の前の椅子に腰掛ける。
テーブルの上の茶器で茶を注ぐと僕の前にそっと置いた。
「……何の話かは分かってるわよね?」
僕は頷く。
「いったい何があったの」
「……」
僕は黙って少し冷めた茶を飲む。
そしてカップをテーブルに置くと、自分の顔がそこに浮かび上がった。僕の心が現れるかのように水面がゆらゆらと揺れる。
――まだ迷っていた。
「当ててみましょうか」
冷たい声に顔を上げると、背筋をピンと伸ばした叔母が無表情に僕を見下ろしていた。
僕と同じ色のその瞳が色を濃くする。
「他の候補を抱いたのね?」
言葉が胸を抉った。反射的に否定の言葉が飛び出す。
「抱いてない! ……でも、……スピカはそう思ったかもしれない」
一度口を開くと、止まらなくなった。
気がついた時には、洗いざらい話してしまっていた。
叔母は静かにそれを聞いていた。
その顔が険しく強張っていく。話し終わる頃には目が赤く充血していた。ひょっとしたら泣いているのかもしれなかった。
重たい沈黙の後、彼女はその沈黙を飲み込むように大きく息をつくと言った。
「……なんで男ってこんなに勝手なのかしら……。いやね。一度手に入れたら自分の所有物みたいに思っちゃって。しかも自分のことは棚に上げて一方的に責めるなんて。……サイテーね」
「分かってる」
僕はぎゅっと目を閉じる。
もう僕はひとりぼっちで戦わなければならないと覚悟していた。
それでも次の言葉を聞くのが怖かった。
「そう言う事情なら、……スピカの気持ち、取り戻すのは至難の業よ」
叔母は相変わらず強張った顔をしていたが、意外にも掛けられた声は柔らかかった。
もっとののしられてもおかしくないのに、そう不思議に思いながら答える。
「……それも、分かってる」
「何か手はあるの?」
「……無いよ。……ただ謝るしかないと思う」
小細工は通用しないと思っていた。
叔母は頷くと言った。
「今から面会に行こうと思っていたのよ。……一緒に行く?」