第10章 尋問(2)
イェッドと二人になり、僕は大きく息をついた。
一気に気が緩む。
そしてムカムカと腹が立って来た。
「なんで助けてくれないんだよ」
僕がそう言うと、イェッドはようやく資料から目を上げた。
「ああ。お困りでしたか? 気づきませんでした」
「嘘つくなよ」
僕がそう言うと、イェッドはふっと唇を綻ばせる。
「あのくらいあしらえないから、こういう事態になるんでしょう? まあ……あの娘の方が一枚も二枚も上手な感じはしましたが。いや……なかなか楽しかったです」
「面白がるな」
「……私は別に、あなたの恋路の応援をしてるわけではないので」
げんなりした僕を鼻で笑うと、イェッドはまたもや資料に目を通し出す。
その態度に僕は追求を諦め、彼の後ろから覗き込む。
「さっきから何を読んでるんだ?」
「ええ。ヴェガ様から頂いた侍女たちの証言です」
――おい。
「それって、僕宛だろう? なんで勝手に一人で読んでるんだよ……」
僕は怒るのを通り越して呆れる。
「暇でしたので」
「……」
……だめだ。この人にモラルを求めてはいけないのかもしれない。
一見常識がありそうなのに。
僕は深いため息をつくと差し出された資料を受け取る。
「ああ、そうそう。ついでにヴェガ様から伝言を預かっています」
「何?」
「……『スピカのことで話がある』だそうです」
……ついに来たか。
頬が強張るのが分かった。
「分かった」
叔母のことだ。レグルスよりも核心に近い情報を掴んでいる気がする。
逃げてばかりもいられないし、いっそのこと軽蔑されるのを覚悟して相談した方が良いのかもしれなかった。
「タニアの話を聞いた後に行くよ」
僕は、表にいた侍従に伝言を言付ける。
「……それにしても、遅いな」
――タニア。
まだ一度も顔を見ていない。というか、この宮に本当に居るのかどうかも怪しい気がして来た。
「メサルチムの娘ですか。……あまり外見に期待は出来ませんね」
イェッドが僕の心を見透かすようにそう言った。
やはり口は悪い。
まあ、父親に似ていたら、……確かにとは思う。
母親は知らないが、おそらく父親に似るよりは遥かにマシなはずだ。
「……彼女には情報を貰うこと以外何も期待していない」
僕は素っ気なくそう言う。
いくら美しかろうが、心を動かされることはない。
「あなたのそういうところは、陛下によく似ておられる」
イェッドはそう言って、椅子から立ち上がった。
「好きな女性のこととなると変に頑で、熱くなりやすい。……不思議なものです」
彼は昔を懐かしむような顔をしていた。その茶色の瞳が切なそうに瞬く。
僕は昔の父の話に興味を抱きかけたが、その時、扉が音を立て、びくりとしてそちらを振り向く。
顔をのぞかせたのは……メサルチムだった。
「……なんでお前が来るんだ」
僕はいろんな意味で落胆する。この間のことがある。こんなヤツの話なんてもう聞きたくなかった。
「……申し訳ありません。娘が……どうしても嫌がりまして」
彼は冷や汗を額にびっしり浮かべていた。
さすがに、これだけ断ると言うのは、いろいろと問題があった。
もう本人に妃になる意志がないと見て良い。そう思われても仕方がない。
メサルチムもさすがにまずいと思ったのだろう。だから侍女任せにせず、直々に来たというわけか。
「僕は、そういうつもりで呼んだのではないんだけど」
一応断っておく。
「そう伝えたのですが……どうしても具合が悪いと……」
「……仮病じゃないのか?」
「……」
メサルチムは顔を一気に青くして口ごもった。
そして突然堰を切ったように一気にまくしたて出した。その目が血走っている。
「昔はっ、昔は『わたし、お妃になる』と自分からいうような娘だったのです!! だから私もそういうつもりでっ」
……よく言うよ。義母に取り入ってたくせに。
僕は呆れる。
「とにかく、妃とかそういうのは関係ないんだ。ただ、事件があった時にどうしていたかが知りたいだけで」
「……どういうことです……? まさか、私の娘をお疑いなのですか?」
青かった顔が急激に赤くなっていく。
「……娘がそんなことをするわけがないじゃないですか!! 皇子はっ、あの娘を救いたいがために、無実の者を犯人に仕立て上げようと言うのですか!? 大体っ、近衛隊にそういうのは任せておけば良いのです。素人が首を突っ込むことではないでしょう!!」
つばを飛ばしながらすごい剣幕でメサルチムは詰め寄って来た。上目遣いのその目がギラギラと光っている。
娘のこととなると熱くなるのはレグルスに限ったことではないらしい。
「落ち着けよっ」
僕は焦って横目でイェッドに助けを求めるが、彼は知らん顔で窓際に立ったまま外を見ていた。
なんて、役に立たないんだ……。
「もういい。お前に話はない。彼女にはまた別の機会に話を聞く。……帰ってくれ」
僕は熱くなってまだ何かブツブツと呟くメサルチムを無理矢理扉から押し出すと、扉に寄りかかって大きく息をついた。
ふとイェッドを見ると、いつの間にかテーブルに戻り、今の間に煎れたであろうお茶をのんびりとすすっていた。
僕がじっと睨むと、彼は顔を上げて、にこりと、彼にしては珍しい笑顔を見せる。
「何か?」
ぐっと拳を握ると傷跡がギリリと痛む。
――頼れるのは彼しかいない。分かってはいるんだけれど……。
僕はイェッドに手伝ってもらうことを早くも後悔し始めていた。