第1章 ひとときの平和(2)
――それから。
「皇子、スピカは私が預かります」
そう言う声と共に、毛布がめくられて、僕に凭れ掛かっていたスピカの頭が離れる。
「このままでいいのに……」
僕が恨みがましい目で睨むその相手は、……レグルスだ。
スピカを抱え、前の座席に移動すると、隣に横にならせる。
確かに座席は広かったが、僕は、肩にかかる彼女の重みが心地よかったのだ。それに、二人で毛布を被っていたので、とても暖かかった。
少し動けば触れそうな場所に、その果実のような唇があって、僕はそれに見とれながら考え事をしていたのだった。
「……なんでこんな時間にスピカは居眠りをしてるんでしょうね」
冷たい声が響き、ぎくりとしたが、僕は素知らぬ振りをする。
「さあ」
実は、僕も特殊な力を持っていて、それはスピカの力と相反する闇の力なのだ。これが厄介な力で、なんというか、人のこころをひどく惑わすらしい。
普段は、鏡を使って自分に暗示をかけて力を抑えるのだが、……鏡を宮に忘れて来たせいで、このところ、その力が暴走気味だった。
兵士が変な色目を使うな……と思っていたら、それが原因だった。
そのため、僕は宮に戻る前にと、急遽裏技を使った。
僕の力は、スピカの力で中和できる。
彼女の力は光の力。僕の力が何もかもを引き込む力だとすると、彼女の力は、周囲に向かって発散する力だった。彼女の力を自分に取り込むことで、僕の状態が安定するのだ。
ただ、僕が力を貰いすぎると……スピカは力を使いすぎて、急激に眠くなるらしい。
力の移動は、触れ合うことで行う。先ほど僕は、彼女にくちづけをしていたのだった。
でも、そのことで文句を言われる筋合いはもう無いはずだった。
スピカは、僕の妃だ。
「いい加減に諦めなさいよ……いい大人なんだから、もう子離れしないと」
しっとりと落ち着いた声が、後ろから聞こえる。
馬車の座席は横3列に座席が備え付けてあり、前からレグルス、僕とスピカ、そして僕の叔母のヴェガの順に座っていた。
「そうはいきません。まだお披露目もしていないんですから。白昼堂々、手を出されたら親として立場が無いでしょう」
……どうやら、見られていたらしい……。
恐るべし、娘への想い。
「でもねえ……実質もう――」
「叔母さま」
僕は慌てて後ろを振り返って叔母を睨み、その言葉を遮る。
火に油を注ぐような発言は止めて欲しい。
叔母は、あきらかに面白がっている。目が笑っていた。
そう。最後にして最大の難関は、このレグルスかもしれなかった。
彼は、僕のことをまだ完全には認めていない。
それも仕方が無いことだと思う。スピカが誘拐されたり、怪我をしたのは、僕のせいなのだから。
僕は、スピカを妃にしたその日、彼女に関する全ての記憶を失った。
スピカの力、それは記憶を読むと同時に、その記憶を消す作用があったのだ。
僕は、その力を甘く見すぎていた。まさか本当に忘れてしまうとは、誰も思っていなかったと思う。
それだけ、彼女の力は強力だった。
いろいろあって、僕は記憶を取り戻し、彼女も力を制御できるようになり、彼女は、記憶を壊さずにすむようになった。
記憶を失ったことで、かなり無神経な発言をしたし、そういう態度もとった。恋敵だったルティに拐されたと知っても、冷静でいられたくらいに。
今の僕だと、下手したら兵を挙げていた。あの時の僕を思い返すと、自分で自分を殴りたくなるくらいだ。
僕がそう思うくらいなのだ。スピカを目の中に入れても痛くないくらいに可愛がっているレグルスが、僕にどういう感情を抱いているかくらい、いくら僕が鈍くても、分かる。
僕がスピカを幸せに出来ないと、今度彼がそう思ったら最後だ。
僕は……二度とそんな風に、彼に思われたくない。
――僕たちのことを、皆に祝福してもらいたかった。