第9章 一縷の望み(4)
僕たちは部屋に戻ることにした。
春の暖かい日差しが斜めに差し込むその渡り廊下を音も無く進む。
面会手続きのために本宮に行くレグルスも後ろをついて来ていた。
「ところで。……お聞きしても良いですか?」
レグルスが唐突に言う。
「……何?」
僕は足を止めると、振り向いて、彼を見上げた。
「スピカはなぜ自供したんでしょう?」
彼の顔からは先ほどの気の毒そうな表情は見間違いだったかのように消えていた。感情を押し殺すようなその声に僕は思わず身構える。
「やっていないというのに、やったと言うには、何か理由があるはずでしょう? しかもグラフィアスの言葉……『諦めない』とあなたが言ったことが原因って、どういうことです?」
「分からないよ、僕だって……」
とても言えなかった。
言えばすべて終わる気がした。
僕はそのまっすぐな視線に耐えられずに俯く。
「……」
レグルスは僕の様子を伺っていたが、僕が何も答えないと分かると、大きく息をついた。
「喧嘩でもしたんですか。……妃候補のことで」
言葉に棘がないことに安心して、僕は少し顔を上げる。
「あいつに言ったんです。『皇子に直接確かめて、それで駄目なら俺が逃がしてやる』って。
事件の夜、会ったということは話はされたんでしょう?
……あいつがやってもいない罪を被ってでも逃げようとするってことは、……あなたは他の妃を選んだと言うことでしょうか」
一番触れられたくない部分だった。特にレグルスには。
僕は再び俯くと足元をじっと見つめながら、絞り出すように言う。
「……僕が他の妃なんて欲しがるわけない。分かってくれてると思ってた」
「……言葉で伝えなかったということですか……」
妙に声色が柔らかくて、僕は意外に思って彼の顔を見る。
「実は……私も、よくやったんですが」
レグルスは頭を掻きながら、少し気まずそうだった。
「読まれることに慣れると、伝えるのをさぼるようになります。元々、気持ちを伝えるのが苦手なのもあったのですが。スピカにもラナにも怒られていましたよ。
ちゃんと言葉で伝えて欲しいのにって」
意外だった。
そんなこと思ってるなんて、考えもしなかった。
「意外でしょう? 包隠さない気持ちを読むことが出来るのに、そんなことを言うなんて。
ラナは言っていました。
『心を読んでいると、どれが本当の気持ちなのか分からなくなる。だから、あなたが、どの言葉を選ぶのかが重要なの』と。
人の気持ちなんてすぐに変わります。だから……大事なことは言葉にして欲しいと。
……結局、普通の人間と同じなんです。言わないと伝わらない」
レグルスはそこまで言うと、気持ちを切り替えるかのように大きく息をつき、僕の目をしっかりと見つめる。
急に鋭くなった眼光に僕は少したじろいだ。
そこには確固たる覚悟が浮かんでいた。
「スピカは……あなたのことを忘れるなんて出来ないと言っていました。だから、私も連れ出すのを待ったのですが……あいつがあなたを忘れる気になったというのなら、私も身の振り方を考える必要があります。
知っていらっしゃると思いますが、あえてもう一度言わせて頂きます。
私は……あいつが幸せそうにしているのなら、それが誰の隣であってもいいのですよ」
息が詰まった。
レグルスは……おそらく気がついたのだ。
僕とスピカの喧嘩が、ただの喧嘩ではなかったことを。
「どちらにせよ、無実の罪を被ることもありません。皇子にはしっかりとぬれぎぬを晴らしてもらいたいと思っています。今のところ、頼りになるのはあなただけですし。
ただ……式に出るかどうかは、スピカの意志を尊重して頂けますね?」
有無を言わせない迫力だった。
僕は頷くしかなかった。
――あと3日。何もかも死にものぐるいでやるしかなかった。