第9章 一縷の望み(1)
結局、強引に部屋まで連れて行かれ、見張りまで付けられてしまった。部屋を抜け出すつもりだっただが、行動パターンは読まれているらしかった。
翌朝、僕はセフォネに大目玉を食らう。
「まだ、体調が完全ではないというのに……。儀式に出られなかったらどうするおつもりです」
……いざとなったら、僕も姿をくらませようか。
僕は半ばセフォネを無視するように部屋を出る。
とにかくイェッドと話をつけなければいけなかった。
「お断りします」
何も言わないうちから断られた。
「……何も言ってないんだけど」
僕は憮然とする。
「顔を見れば分かります。……分かってらっしゃいます? 式までもうあと実質3日しかないんですよ?
恥をかくのはあなただけではないのです。ひいてはジョイアそのものの恥となるのですよ」
「分かってるから頼んでいるんだ。授業をさぼるつもりもない。今まで以上に取り組むつもりだ。
……ただ、この先、隣にスピカがいないんじゃ、意味がないんだよ」
イェッドはため息をついて言う。
「あなたは……なぜ彼女を妃にしたいんですか」
「え?」
今更何を言うのだろうと思った。
「ただ、欲しいから?
身の丈に合わない身分など、彼女を苦しめるだけでしょう。あなたは、彼女のためにも諦めるべきだ。
……あなたの母が良い例です」
「母上……」
「彼女は愛され、求められてここにやって来ました。帝も、彼女をとても大切にしていました。
しかし、やはりシャヒーニ妃と比べると、全てにおいて苦労して……。その上、あんなことに。
……彼女の心にはずっとレグルスがいたはずです。レグルスは絶対認めませんけどね。それはラナとスピカに対する裏切りだと彼は思っているのでしょう。
私と出会った頃、レグルスは彼女に見合った身分を手に入れるためだけに、必死になっていました。危険な任務をこなして、ついには騎士団の副隊長にまで上り詰めて。その矢先ですよ、彼女が帝に会ったのは……」
初めて聞く話だった。
でも……どこか、そんな気はしていた。
彼が僕を見る目に、すごく懐かしそうな光がちらつくことがあったのだ。
レグルスがイェッドを苦手そうにしていたのは、イェッドが彼の過去を知っているから、か。
妙に納得していた。
僕には……知られたくなかったのだろう。
「レグルスの気持ち、あなたに分かりますか? 大切な人を権力で奪われて、その上、その人は幸せになるどころか、死んでしまって。……やっと忘れた頃に、またその息子に自分の大切な一人娘を奪われる。……しかも、そいつは、娘を少しも大事にしない。あいつは……馬鹿みたいに寛大だと思います」
僕は何も答えられなかった。
「あなたには、その身分に相応しい妃候補がたくさんおられるのです。スピカは諦めなさい。彼女が不幸になるだけです。
彼女にはもっと相応しい人物がたくさんいるはずですよ。……もともと隣国では何の問題なく王妃にだって納まることのできる血筋に生まれているのですし。どちらが幸せかなんて、考えなくても分かるのではないですか」
「……知っているのか、スピカの素性」
驚いて顔を上げる。
知っている人間は限られているはずだった。
「レグルスと長い付き合いなのです。ラナのことも知っていますよ。当然でしょう」
僕はイェッドが言う、スピカに相応しいという人物に想いを馳せる。
そして首を振り、低く呟いた。
「スピカが好きなのは……僕だ」
それが過去形になろうとも、相手はルティではない。
イェッドは呆れたようにその茶色の目を丸くする。
「びっくりしますね、その台詞。あれだけ手酷く振られたくせに……どこから出てくるんですか、その自信は」
「自信なんかない。……でも、信じたいんだ」
――あのときの約束を。
色々あって忘れそうになっていた。
でも、ほんの一週間前じゃないか。僕たちはあの思い出の場所で、誓ったはずだ。
彼女は確かに頷いてくれた。
あの笑顔が作りものなんて思えない。
あの時の幸せな気持ちを取り戻せないなんて、信じたくない。
「たとえ、あなたがそうやって彼女を救ったとしても……彼女の心はもう手に入らないかもしれませんよ?
それでもやるんですか?」
「やる」
僕は即答してイェッドを見つめた。
何を言われようと、僕は諦めるつもりはなかった。
僕を止めることが出来るとすれば、それはスピカだけだ。
部屋に沈黙が落ちる。
イェッドは僕から目を逸らすと、不機嫌そうに手元の分厚い資料をめくる。
その内容は式に集まる各国の主要人物とその家系についてだった。
イェッドは突然鋭い声で僕に問いかけた。
「……テュフォンの現皇位継承者第3位の人物は? あとその母方の貴族はどちらの出身でしょうか」
「……キファ王女。アリエス王女の姉で、その母はボレリアス家から嫁いでいる。継承権第1位の王子と同腹だ。たしか……ボレリアス家は煙草でかなりの財を得ているとか」
イェッドは目を細めて、資料をめくる。
「……アウストラリスの第2王子は? その強みとは」
「…… アステリオン王子。アウストラリスの最大の貴族プリオル家出身の母を持つ。プリオル家は岩塩の鉱山を持っていて、それで財を得ているらしいけど。……本人の手腕はいまいちだが、家の経済力は無視できないらしく、継承権争いに最後まで食い込んだ。……最後は手腕と将来性を買われて、末の王子ルティリクスがその地位に就いたけど」
こちらをちらりと見ながら、彼は驚きを隠せない表情をしている。
「あなた……出来ないふりしてたんですか?」
「昨日、今までに貰った資料に全部目を通しておいたんだ」
閉じ込められて、かなりやけくそで。
「……宿題は出しますよ」
「分かった……じゃあ!」
イェッドは渋々のように資料を閉じると、その上で手を組んで、こちらをじっと見つめた。
「記憶力はやはり良いようですね。……現場を思い出してみますか?」