第8章 背水の陣(2)
燭台の縮んだ蝋燭がふいに明るさを失い、3人の影の大きさを変える。
皆それぞれの思惑に沈み込み、部屋には重たい沈黙が漂っていた。
「スピカは……嵌められのではないかと思うのです」
やがてレグルスが髭を軽くさすりながら、静かに口を開く。
「どういうこと?」
「……スピカとエリダヌス様が同時に邪魔だと思うのであれば……今回の件はうってつけでしょう?
スピカに関しては、とにかく式に出られなくすればそれで済む話ですし……」
つまり彼が疑っているのは……
「他の妃候補が怪しいと?」
シェリア、タニア、アリエス王女……
会ったことのないタニア以外の2人の顔を思い浮かべる。
……とてもそんなことが出来るようには見えなかった。
「その家族も怪しいでしょう?」
叔母が手に持った扇をぱちんと閉じると口を挟んだ。
「もともと、南部の人間と北部の人間は仲が悪いし、あのメサルチムもこのごろ拠り所をなくして切羽詰まっているから……やりかねないわ。……テュフォン国としても、一介の平民に妃の座を奪われるのは面白くないでしょうし……」
スピカとエリダヌスが邪魔な人間、か。それだけでもかなりの人間が当てはまりそうだった。
「本当にそれだけかな……」
しかし僕は、なんとなく先ほどのグラフィアスの話が心に引っかかっていた。
「……スピカは危害を加えられなかった……。それに意味がないかな? ……被害者がスピカでエリダヌスが加害者という結果もあり得たと思わない?」
そんな結果は想像するのも嫌だけれど。
「何を言われたいのです?」
怪訝そうにレグルスが僕を見つめた。
「レグルスは、知ってた? スピカが近衛隊のグラフィアスに好意を寄せられてたこと」
さっきのことを思い出して、不愉快になりつつも尋ねる。
「ああ……あいつですか。
……こんなこと皇子の前で言うのもなんですが……近衛隊のやつは、大抵がスピカのこと狙ってましたよ。私が父親とも知らずに、目の前でよく話してましたから。……手を出そうとするヤツは闇討ちしてましたけどね」
「……」
少し誇らしげに言うレグルスに、僕と叔母は目を見合わせてため息をつく。
……僕は相当に幸運なのかもしれない。
「グラフィアスが言ってた。……今回のこと、スピカに好意を寄せてるヤツにとっては凄いチャンスなんだと」
「あいつがそんなことを。……確かにアイツは他のヤツより熱心だったかもしれませんね。浮ついた感じではありませんでした。
……そうですね。皇子の立場では、犯罪者は側に置けませんし……ヤツらにとっては、一番安全にスピカを手に入れる方法かもしれません。もしそうだとすると、何が何でもスピカの刑を確定させようと躍起になるでしょう。……面倒ですね」
迷惑そうに顔をしかめるとレグルスは言う。
「スピカが邪魔な人間か、それともスピカが欲しい人間か……」
そう呟いて、僕は、ふとあることを思い出す。
スピカを欲しがっている人間……。
心当たりがありすぎる人間がいた。
「ねえ、今この宮にいる人間の身元は、しっかりと調べられてるよね?」
レグルスは僕が何を言いたいのか察したらしい。一瞬で表情を厳しく引き締める。
「……すべて一応審査されているはずです。……前回のことがありますから」
「……そうか。……念のため、もう一度洗い直すことって出来るかな?」
もし、アイツが絡んでいるとしたら……
「時間がかかりますが、やってみます。あと警備の強化も出来る限り。
……私は今回表立って協力は出来そうにないので」
苦しそうに息を吐くと、レグルスはそう言った。
近衛隊長としてなら、捜査に加わることも出来るのだろうが……今回は、彼の行動はかなり制限されていた。
「私は、侍女の方から出来る限り探ってみるから」
叔母が悲しそうに言う。
叔母としてもこの宮でそんなに力を持っているわけではない。
やれることは限られていた。
僕が動くしかなかった。
「皇子は、イェッドに協力を頼んで下さい。あいつは……使えるはずです。ただ……性格に難がありますが……」
「どういう知り合いなんだ?」
不思議だった。今までに一度も話に出て来たことがなかったのだ。
レグルスは頭を掻きながら言いにくそうに口を開く。
「アイツは……私が駆け出しの頃、同じ騎士団にいたんです。専属の軍医として。昔からあんな感じで……悪いヤツではないんですけど」
彼にとって身分なんて関係ない。あんな風に思ったことをそのまま口に出してしまうのであれば……敵も多かっただろう。
それにしても、レグルスがこんなに苦手そうにするのも珍しかった。
それだけくせ者ということか……。
気が重いが、協力者が少ない今、選んでなんかいられない。
ただでさえ時間がないのだ。使えるものは何でも使うつもりだった。
「明日、声をかけてみる」