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第7章 届かぬ想い(1)

 体が鉛のように重かった。

 朦朧とする意識の中、それでも殆ど眠れずに夜を過ごした。

 ひたすらスピカに対する謝罪の言葉を考え続けたが、夜が白々と明けようとしても、まだ言うべき言葉は見つからなかった。

 謝らなければいけないことがあまりにも多過ぎた。

 エリダヌスのこと。話を聞かなかったこと。彼女を疑ったこと。彼女の意志を無視して抱いたこと。

 僕は……それがどれだけ辛く屈辱的かを知っていた。それなのに。

 何度も夢を見て、あのときのスピカと、忘れていたはずの昔の僕が重なり、その度にうなされて飛び起きる。


 いくら言いつくろっても、僕は……権力と言う名の暴力の下に、妃としての務めを強要した。その事実は消えなかった。

 あれだけ対等でいたいと思っていたのに。

 結局はそれは無理なのだろうか。


 ついこの間やっと手に入れたはずだったのに、最悪の形で終わってしまうのかもしれない。

 もう、戻ってきてくれなくてもおかしくなかった。彼女のあの瞳はそういう色をしていた。

 僕が壊したのだ。すべて。


 どうやって修復すればいいんだろう。

 許してくれなんて、言えなかった。

 いくら悩んでも答えは出ない。

 でも、謝るしかなかった。このまま逃げて何も言わずにいる訳にはいかなかった。



 ふと目を開けるとセフォネが長椅子で居眠りをしていた。僕の看病で付き添ってくれていたらしい。

 僕は音を立てないように寝台を抜け出し、夜着を着替えると、外宮に足を向けた。

 熱は少し引いたみたいだったが、まだ頭がぼうっとしている。

 しかしスピカを探しに行かずにはいられなかった。



 夜明け前の空気は冷たく、吐く息が白く曇る。

 徐々に侍従たちが起き出して来ていて、よく見かける顔もちらほらとあった。

 外宮の北側は彼らの住処となっていて、外宮の渡り廊下をおのおのの主人の元へと急いでいた。

 僕を見ると一様にぎょっとして身を屈める。


 僕が渡り廊下を越え、近衛隊の詰め所を横切り、スピカの部屋へと急いでいると、東側の通路から、たしかシュルマと言ったか、スピカの侍女と、ミルザの侍女ミネラウバが並んで出仕してきていた。


「……皇子殿下……!?」


 シュルマがひどく驚いた顔をする。そして、言いにくそうにたずねた。


「あ、あの……お一人ですか? スピカ様は……ご一緒ではないのでしょうか」

「え?」


 なぜこの侍女がそんなことを尋ねるのだろう。

 ひどく嫌な予感がする。

 シュルマは顔を赤らめながら、さらに続ける。


「昨晩は、ご一緒されたものと思ったのですが」

「あ、のあと……まさか、スピカは戻らなかったの?」


 セフォネは探させたのではなかったのか。スピカの侍女が知らないなんて……。

 シュルマは困惑した様子で首を振る。


「探すように言われなかった?」

「……ええ、何も」


 おかしい。


「とにかく、部屋に案内してくれ」


 シュルマは、僕の様子に慌てて、近衛の詰め所方向へと走り出す。


「え、そっち? この奥じゃないのか」

「何を言われてるんです。こちらはシド様の妃のお館です」

「は?」

「皇子のお妃のお館は西側ですわ!」


 それを聞いて僕の胸の内を燻っていた謎が一気に氷解した。


 ……そういうことか!


 母の部屋の話が出たときに気づくべきだった。セフォネの勘違いに。

 普通に考えて父の妃と僕の妃が同じ館に部屋を構えるわけがない。混乱の元だ。

 道理でスピカが居ないはずだ。今はその部屋は空き部屋なのだから……。

 僕は避けられてはいなかった。彼女は、僕を待っていた。たぶん、僕と同じ気持ちで居たはずだった。


 ……今更気づいても遅い。

 僕はもっと早くきちんと調べるべきだったのに……それをしなかった。タイミングを間違えたのだ。


 シュルマの後を必死で走る。

 走ると振動で頭が割れそうに痛い。でも、それよりも胸の痛みの方が強かった。

 



「こちらです」


 シュルマが焦ったように扉を内側に押し開ける。

 部屋の中には誰もいない。

 整った寝台を見ても、昨晩スピカがここに戻らなかったことが分かる。

 ふと風に煽られ、窓辺に飾ってあった花瓶から、赤い花びらがポトリと落ちる。その萎びた花びらの赤が目に焼き付く。


『わたくし、聞きましたの。彼女が父親と……ここを出る計画を話しているのを』


 突然シェリアの言葉が耳に蘇った。

 ……まさか。


「皇子!」


 僕は身を翻してもと来た道を戻り、近衛隊の詰め所へと向かう。


「レグルス!!!」


 僕が詰め所に駆け込み叫ぶと、レグルスが部屋から出て来て不思議そうに僕を見る。


「どうされました、こんな朝っぱらから……」


 その本当に不可解そうな顔に、僕は一瞬ホッとする。

 しかし、他の可能性に思い当たって青ざめた。


「……スピカが、部屋に戻っていない」

「……何ですって? そんな話は聞いていませんよ?」


 レグルスも一瞬で顔を引き締めた。

 なぜ近衛隊長であるレグルスに、スピカの不在が伝わっていないのか。

 彼には一番にその情報が伝わるはずだった。

 何もかも、おかしかった。


「すぐに探してくれ!」


 僕がそう言って、スピカの部屋の方へと戻ろうとしたその時。

 微かだが――絹を引き裂くような女の悲鳴が聞こえた。

 驚いて声の方向を見る。

 父の館からだ。

 レグルスが止めるのも振り切り、僕は再び走り出す。

 必死だった。


 スピカが、そんなことをするとは思えない。

 でも……僕がしたことを考えると……可能性がないとは言えなかったのだ。


 もつれる足を叱咤しながら、薄暗い父の館の中に入ると、一瞬鉄のような臭いが漂った気がした。

 嫌な予感を振り切るように廊下を駆け抜けると、僕が以前スピカの部屋だと間違えていたその部屋の前で、悲鳴の主と思われるミネラウバが腰を抜かしてしゃがみ込んでいた。悲鳴のせいだろう、背中から人が集まる気配が伝わってくる。

 頭の中は何か鐘のようなものがガンガンと騒がしく鳴っていて、他の物音が聞こえないくらいだった。

 彼女は僕を見ると、はっとした様子で、短く叫ぶ。


「お、皇子! こちらに来てはなりません!!」

「何があった!?」


 ミネラウバは、その青ざめた美しい頬に緊張の色を張り付かせながら、僕を目で制する。


「床を」


 見ると、そこには赤黒い染みが広がっている。塗料の取れた部分には既にそれが染み込み、変色していた。……扉の下の隙間から流れ出ていたようだった。

 一気に血の気が引く。

 呆然とする僕を見て、ミネラウバは、覚悟を決めたようにその染みにそっと足を踏み入れると、木で出来たその扉を押す。

 どうやら鍵はかかっていないようだが、なぜか力を入れないと開かないようだった。

 僕はその様子を見て我に返り、手伝う。乾いた血痕に足元が捕らわれて、力が入らない。なぜかひどく扉が重かった。

 やがて扉はゆっくりと開かれる。



 扉の隙間から覗くその光景を見て……僕は自分を殺したくなった。



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