第6章 裏切り(2)
午後になると、貴族の娘たちが華やかな衣装を身に付け、僕の部屋を訪ねてきた。
……あれ? 二人?
僕が首を傾げると、彼女たちを連れてきた侍女がこっそりと言う。
「タニア様は具合が悪いということで、今日はご遠慮したいとのことです」
今日はって……最初からずっとだけど。……まあ、いいか。そっちの方が気楽で。
「今日は、庭を案内しましょう」
午後だけの予定だったので、今日は遠出はなしだった。
本宮の裏には、大きな池があり、そこで飼っている魚や、集まってくる鳥を見せるつもりだった。
本宮を出ると、外宮へ続く渡り廊下から外に降り、外宮沿いに裏に回る。外宮沿いにはずっと植え込みがあり、新芽が顔を出してほんのりと赤く花のように色づいていた。
池の周りを散歩しながら、おそらく女の子にはつまらないような類の話をわざわざ選んで口にする。
僕はひたすら弓の話をした。弓を引くときにどれだけ精神を集中させるのかとか、意外に足の力が要るのだとか、呼吸法がどれだけ大切なのかとか……ハッキリ言ってこの際どうでもよい話題だった。スピカならきっと喜んで聞いてくれるだろうけど。
しかし。
退屈したエリダヌスは突然僕の腕に抱きつくようにもたれかかり、その胸を押し付けてきた。
微かに花の甘い香りが漂い、僕は頭がくらくらした。思わずその感触を比べそうになってしまい、慌てて頭を振る。
「皇子は今夜の予定はどうされるのです?」
「そうですわ。……そろそろ、わたくしたちもご一緒に過ごさせていただけないでしょうか」
ストレートだった。
彼女たちもそれなりに覚悟を持ってこの地に臨んでいるのだ。当然といえば当然だった。
「……僕は、今の妃だけで十分なんだ。……君たちが背負うものも分かるけれど、こればっかりは受け入れられない」
「皇子、そんなことおっしゃらないで」
エリダヌスが余計に体を寄せてくる。
それを止めるかのようにシェリアが彼女をちらりと睨む。
「……彼女、本当にお披露目までここにいるとお思いです?」
「どういう、意味だ?」
「彼女にはほかに恋仲の男性がいらっしゃるのでしょう? 今日わたくし、聞きましたの。彼女が父親と……ここを出る計画を話しているのを」
……なんだって!?
レグルスと……。
恋仲の男性……ってのは、単なる噂だと思うけれど、レグルスが動くとなると……それはスピカが相当参っているということだ。
……手紙を出さずにいたことが悔やまれる。昨日怒っていてもセフォネに頼むべきだったのかもしれない。
「イェッド先生にも泣きついていらして。お可哀想だと思いましたわ」
……そんな話は一言も聞いていなかった。様子がおかしければ言ってくれと頼んでおいたのに。
スピカが他の男の前であの泣き顔を見せていると思うだけで、ものすごい不安が湧いてくる。
あんな顔されたら、抱きしめずにいられない。たぶん男なら誰でも。
――噂が頭の中に蘇る。
僕にスピカのことを何も言わないのは……やましいことがあるからじゃ……。
次第にいても立ってもいられない気分になってきた。
たしか……授業は昼間にあの中央の部屋であっているはずだ。決して二人っきりにはさせないよう、出入りの多いあの部屋を選んで。でも、人払いをすればいくらでも二人きりになれるのだ。
気になって仕方がなくなり、僕は二人を半ば無視して、さっさと本宮の南側へと足を運ぶ。
部屋についているテラスから窓越しに人影が見え、僕は思わず木の陰に隠れる。
じっと覗き込むと、スピカとイェッドがテーブル越しに向かい合って熱心に授業をしているようだった。
ホッとした。――普通に授業をしているだけだ。
しかし次の瞬間、スピカがイェッドに向かって花のように微笑んだ。
その妙に晴れやかな笑顔が目に焼きついて……僕はなぜかものすごく気分が悪くなった。
……平気そうじゃないか。
スピカが嬉しそうなのは、僕だって嬉しい。そのはずなのに……。
なんだかひどくもやもやした。だって、まだ手紙は届いていない。僕の妃候補の話は当然聞いているはずだ。
……僕が誰と寝ようと、傷ついてないっていうことか? 嫉妬のひとつもしないってこと? あんなふうに笑えるほど些細なことなのか?
――もしかしたら、スピカは……僕が彼女を想うほどには……僕を好きじゃないのかもしれない。
彼女の気持ちを疑ったことなんか、なかったけど。
僕が必死で求めて、それに応えるようにして彼女は頷いてくれた。最初の告白の時も、よく考えたらそうだった。
僕が……断れないようにしたからか? だから……
「あら……楽しそうですわね……?」
追いついて来たシェリアがのんびりとした声で不思議そうに言う。
「先生に慰めて頂いたのかしら……」
その聞こえるか聞こえないかのつぶやきが気に障る。
ふと見ると、――部屋の中には二人しか居なかった。