第5章 父の覚悟(1)
「スピカ様」
うきうきと弾んだ声に振り返ると、シュルマがニコニコして立っていた。
「どうしたの?」
このところ暗い話題ばかりだったので、なんだか救われるような笑顔だった。
釣られて頬が緩む。
「今日の午後、ドレスの採寸をしましょう」
「え? ……でも」
そんなことしても新しく服を作る余裕なんてない。父は貯金をつぎ込んで今の服を用意してくれたのだ。
あたしの不安げな表情を見てシュルマが慌てて言う。その顔は興奮して上気していた。
「皇子が! スピカ様のために作って下さるんですって!」
「え……シ、いえ、皇子が?」
びっくりした。
あのシリウスがそんなこと。
彼は……正直そういうのって無頓着だから。そこがまたいいところなんだけれど。
……ヴェガ様の差し金かしら。それなら分かるかも。
あたしがそんなことを考えてると、シュルマが不審そうにあたしを見つめる。
「嬉しくないんですかぁ?」
「いえっ、嬉しいわ!!」
嬉しいより先にびっくりしてしまっただけだ。改めて考えると、すごく嬉しい。
今までにシリウスに貰ったものは……彼の名前だけだった。
それが一番の宝物で、それ以上の贈り物なんて考えられないけれど。
……でも、嬉しい。
あたしのこと、ちゃんと考えてくれてるってことだから。
多分、彼なりに一生懸命考えたんだろう。その様子を思い浮かべるだけで、心が温かくなる。
自然と頬が緩み、それを見ていたシュルマは安心したようだった。
昨日の夜はやっぱり会えなくてがっかりしていたし、今朝の朝食の席では、誰にも会わずほっとした反面、侍女たちのうわさ話を聞いて心が沈んでいた。
『あの方、覚えてる? ……ルティリクス様って。……そうそう、あのすごく素敵な。剣術大会のこと覚えてるでしょう? あのとき、優勝して所望されてたじゃない。ってことは、そういう仲だったってことなのよ、きっと。その上に皇子までたぶらかすなんて……いい根性してるわよね』
わざわざ聞こえるように言ってるのだ。
誰が流してるのかは知らないけど、そういう噂が流れるのは……覚悟していた。
あれは目立ちすぎた。
ルティは、決してあたしのことが好きだったわけじゃない。単にこの力が欲しかっただけだ。力を持たないあたしには用がなかった。
力のことは……宮では伏せられている。利用されるのを防ぐために、シリウスに言われてそうしている。
なんにも取り柄のない平民の娘がそんな風にあちこちから求められたりすれば……やっかみを受けるのは当然だ。
だから、いくら傷ついても……これは受け入れるしかないと思っていた。シリウスの隣に居るためには我慢しなければいけないことだった。
そう思ってはいたけれど……今の状態では……厳しかった。
理由は分かっていても、嫌がらせを受けるのはやはり堪える。
エリダヌスもシェリアも館の廊下ですれ違う度に、あたしのドレスについてこそこそ笑ったり、立ち振る舞いが下品だとか、そういう陰口をわざわざ聞こえるように侍女と話していた。
そんなこと、分かってる。なんとか出来る事は必死でやろうと思っていた。
でも……どうしようもない事はある。服なんて、もう父さんに頼んだりは出来ないんだもの。
だから、シリウスから、そんな風にプレゼント、しかもあたしが欲しかったものをもらうなどと聞けば、当然舞い上がってしまう。
これで、また我慢できそうだ、そう思った。
*
「採寸のとき……少しだけ嫌なことがあるんですけれど」
シュルマが言いにくそうに切り出した。
「何?」
「セフォネが同席したいそうです」
それは………嫌だ。
あたしは思わず眉を寄せる。色々思い出すと胃がキリキリと痛くなりそうだった。
「……あの人少し苦手なの」
あたしがおそるおそる言うと、シュルマも鼻にしわを寄せて言う。
「……私もです。融通が利かないっていうか」
昨日の夜も、課題がもう少しで終わるから待って欲しいと言ったのに、「今すぐでなければ!」と急かしたあげく、最後は「あと10数えるまでに!」などと、数を数え出したのだ。
唖然としている間に、彼女は数を数え終わり、何も言わずに去って行った。
あのあと、シリウスに何と言ったのだろうと思う。
そのまま伝えたのだったら、彼はきっと怒るに決まっている。彼だけじゃない、誰でも怒るだろう。
なんたって、宮仕えも長いのだ。たぶん悪い人ではないと思うけれど……行き過ぎている。
「……なんのつもりなのかしら」
「ドレスの要望を皇子から預かっているとか……本当はどうだか知りませんけど」
嫌な予感がしていた。でも断るともっと面倒な気もしたので、あたしは渋々、その要望を飲むことにした。
*
採寸はいつもあたしが勉強をしている部屋で行われた。
この部屋は、好きだった。
硝子窓から差し込む光が綺麗で、見ているだけで気分が明るくなる。
「お待ちしておりました」
セフォネが恭しく頭を下げる。
この態度が……くせ者だった。
絶対蔑んでるはずなのに、その目に浮かぶ光に敬意などかけらもないのに、必要以上に丁寧なのだ。
ここまでやられると不愉快だった。
部屋の中央のテーブルには、若草色の絹の織物が置いてあった。
光に照らされ、ところどころ艶やかに輝いて、とても綺麗だ。
あたしが見とれていると、セフォネは慇懃に微笑みながら言う。
「皇子が、この色が似合うだろうと言われまして」
あたしはただ……感激していた。
……この色は、あたしの好きな色だった。
春のツクルトゥルスの色。
白い色が徐々に消え、大地にこの色が芽吹く季節があたしは一番好きで……この色が本当に好きだった。
シリウスのことだ。何も計算せずにやったんだろうけど……あたしはすごく嬉しかった。
時が、10年前に戻ったような気がした。
しばし、その感激に浸っていたあたしだったが、セフォネの淡々とした言葉に、その喜びは脆くも崩れ去った。
「……この度、皇子のもとに新しく4人の妃が来られます。その歓迎の宴が開かれますので、そのときに今から作るドレスを着て頂きたく存じます」
あたしは……耳を疑った。今、セフォネは「妃」とはっきり言った。候補ではなく。しかも「歓迎」の宴だと。……今から作るドレスは……そのためのものだと。
「それは……決定なの」
震える声にセフォネの冷たい言葉が被る。
「皇子にお断りする理由がございませんでしょう。もちろん、最初の妃としてお披露目されるのはスピカ様ですので、妃として失礼の無いよう、よろしくお願いいたしますね。皆様と仲良くして頂かないと」