第4章 たどり着けない部屋(2)
その日僕は、アリエス王女の相手をすることとなっていた。
王女なので、さすがに他の娘と同格に扱うわけにはいかない。
そのあてがわれた部屋も、他の妃候補と分けられていて、本宮の来賓用だった。
本宮は、大きく分けて、北側が皇室、つまり僕や叔母(叔母は僕の母親代わり)など帝の親族の住処となり、南側が主に来賓用となっていた。
南側の外宮に近い部分には、中庭を望める広い部屋があり、そこは多目的に使用されていた。
今は、……スピカがそこで授業を受けているはずだった。
僕の場合のようにイェッドがスピカの部屋で授業をするわけにはいかないからだ。二人きりなど、他の誰が許しても、僕が許さない。
いっそのことイェッドと変わりたい。僕よりも長い時間、スピカと一緒に居るのだから。
僕はそれを想像して、ため息をつく。
アリエス王女を訪ねる前に、ミルザの部屋を訪ねることにしていた。
彼女は、あの騒動で前にも増して不安定になっていたのだが、僕とスピカが無事に戻ったことで少しだけ落ち着きを取り戻したらしい。彼女は叔母と意外に相性がいいらしく、僕がアウストラリスへと行っていた間は、話し相手をよくしてもらっていた。
そんなこともあり、離宮から叔母の部屋に近い本宮へと戻って来ていた。
北側の部屋は暗いため、昼間部屋で過ごすことが多い彼女には不向きだった。そのため、南側の明るい一角に彼女は居住を構えていた。
ミルザを訪ねた理由。ひとえに、王女と二人きりにはなりたくなかったからだった。そんなこと噂にされたくない。隙を見せるわけにはいかなかった。
あくまで彼女たちは「遊学」に来ているだけだ。
僕は彼女たちとそれ以上の関係になるわけにはいかなかった。
「ミルザ、居るかい?」
部屋に入ると、そこは僕の部屋とは違いかなり明るかった。南側の部屋というのもあるが、作り自体が違う。窓の大きさと、窓にはめ込まれている硝子のせいだった。
ジョイアでは硝子が生産されていない。隣国アウストラリスからの輸入に全て頼っている状態だった。そのため、硝子は非常に貴重な品だ。本宮でわずかに使用されているだけで、外宮の窓は木か、それか、油を塗った紙や厚い布で塞がれて出来ていた。
僕が日の光にきらきらと輝くそれに見とれていると、ミルザが微笑んで僕を迎える。
「お兄様。お元気そうで何よりですわ」
……よかった。ずいぶん落ち着いている。
以前見た時よりも、頬がふっくらともとの柔らかさを取り戻しているように感じた。
僕は頷いて、早速用件を切り出した。
「今日、一緒にアリエス王女の相手をして欲しいんだけど」
ミルザは、おとなしく頷くとにっこり笑って僕を見つめた。
「わたくし、着替えて参ります」
僕はミルザの頭を撫でると、顔を上げた。
見ると窓の近くのテーブルには叔母が座っていた。
ちょうど良い。
叔母に話を聞いて欲しかった。そう思って僕は叔母の方へ近づいた。
「……シリウス。話があるのだけれど」
逆光になっているせいで叔母の表情が読めないが……あきらかに声色が怒っている。
……なんで怒られるんだ……?
「そこに座りなさい」
僕は叔母の目の前の椅子に腰掛ける。
顔を上げ、その顔を見るなり、恐怖で体が強張った。
目が吊り上がって、額に青筋がたっていた。
「あなたねえ、帰ってくるなり早速スピカを裏切ったのね」
「え?」
「侍女の間でもうすごい噂になってるわ」
「何のことだよ」
僕は話が見えずに戸惑う。
……裏切ってない、まだ。崖っぷちではあるけれど、踏みとどまってるはずだ。
「昨日もその前の日も……外宮で過ごしたとか。スピカ以外と」
「ええ!? ……そんなことしてない!!」
なんだよ、その悪質な噂は。
「ただでさえ……ひどい噂が流れているというのに。あなたまでそんな……」
「だから、僕は潔白だ。……ひどい噂って何だよ……」
叔母は大きくため息をつくと、隣に居た侍女に聞く。
「ミネラウバ。あなたが聞いた噂を教えてちょうだい」
ミネラウバ。……これがあの。
ミルザ付きの侍女なので……はじめて見る顔ではなかったが名は知らなかった。……改めて見ると、かなり美しい侍女だった。
綺麗な卵形の輪郭に、バランス良く大きくも小さくもないパーツが並んでいる。瞳はミルザよりも少し濃いくらいの青。髪は色身の薄い金色。人形のようだった。ミルザと並ぶと、まるで姉妹のようにも見える。
彼女は……ルティと繋がってスピカの誘拐に関わっていた。
一瞬、思い出したくもないあの光景が頭に浮かび、カッとなる。
僕の鋭い目線に戸惑ったように彼女は目を伏せる。
「ほら、シリウス。そんな顔しないの。……過ぎたことでしょう。彼女も騙されていたのよ」
ミネラウバは気まずそうに俯いたまま、微かに頷いた。
……そうは分かっても、気持ちはついて行かなかった。
しかし、今は他の問題が優先だ。
彼女は僕をちらりと見ると、恐る恐る口を開く。
「……あの。スピカ様についてですけれど……。皇子の前にその側近と関係があったとか……まだ続いてるとか……、イェッド先生と抱き合っているのを見たとか、近衛兵の部屋に入って行くのを見たとか……そういう類いのものです……」
僕の顔色が変わるのを見て、語尾がどんどん小さくなった。おそらくそれでもほんの一部なのだろう。
「誰がそんなこと」
「分かればすぐに捕まえてるわよ。……スピカに妃になって欲しくない人間なんて……あまりに居すぎて、噂の出所なんて……。とにかく。悪質過ぎて気分が悪いの。……それなのにあなたときたら」
まだまだ続きそうな僕への叱責をとりあえず遮り、僕は尋ねた。
「スピカは……知っているのか、その噂」
「さすがに面と向かっては言わないでしょうけど……耳に入るのも時間の問題ね。……もともとが侍女だったし、その上なぜか身分もバレてしまっているようだから、風当たりが強いの。……妃として認めない雰囲気が漂ってる」
「『妃』として?」
正妃どころじゃないということか。
「このままだと……お披露目までに妨害が入る可能性は大きいわ……というか、すでにもう妨害されてる可能性はあるけれど」
心当たりは十分にあった。
僕は叔母の目を見て訴える。
「……スピカに会えないんだ。……その上に妃候補が4人も」
「会わせないつもりなんでしょうね。私だったらそうするもの。恋人同士を引き裂くのに一番効果的だから」
叔母はイライラしたように、テーブルの端を持っていた扇でバシバシ叩いている。
「問題は黒幕候補が居すぎることね……みんな怪しいのだもの」
「叔母さまは……スピカに会える?」
叔母は悲しそうに首を振る。
「私もレグルスも……あなたと同じ。スピカ自身が忙しいのもあるんだけど、会う時間を取ってもらえない」
「……どうすれば」
叔母はしばらく窓の方を見て考え込む。
「……そうね。手紙なんてどうかしら」
「手紙?」
叔母はその美しい顔を歪めるとにやりと笑う。
「伝えたいことがあるのでしょう?」
そうか。その手があるか。
「……贈り物も忘れずにね」
「贈り物?」
僕がきょとんとすると、叔母は心底呆れたように息をつく。
「……スピカ、綺麗な服も、綺麗な宝石も何も持っていないでしょう? 今だって、レグルスが必死で揃えた1着のドレスを大事に毎日着てるんだから……。……少しは気持ちを考えてあげて。
彼女は決してあなたにそんなものねだらないだろうけれど、肩身が狭い想いをしているのは絶対なんだから。……陛下はその辺しっかりされていたわよ」
「スピカも、そんなもの欲しがるんだ……」
意外だった。
というか、彼女がどんな格好をしていても、僕は全く気にならなかった。
騎士見習いの時の粗末な服、侍女の時の制服姿。
どんな格好でも彼女は可愛かったから。
「まったく……あなたスピカをなんだと思ってるの……。普通の16歳の女の子よ。女心を何にも分かってないんだから。
ただでさえこちらから言わないと何も望まないような子よ。……それはよく分かってるんでしょう?」
そうだ。
スピカは何も望まない。
僕の幸せのためなら、その気持ちでさえ……諦めてしまうような、そんなところがある。
『あたしは……あなたの側にいられること、それだけで喜ばなきゃいけなかったの』
スピカの言葉を思い出す。
いくら言い聞かせても、未だに分かってもらえない気がする。
僕が……彼女の幸せを心から願っていることを。
その幸せは、僕の手で与えたいと思っていることを。
「ありがとう、叔母さま」
……夜にでも、手紙を書こう。
少しでも気持ちが伝わるように。