第3章 守られぬ約束(1)
「うわあ、スピカったら、……きれい」
あたしは、そう言われて、はにかむ。恥ずかしかったけれど、嬉しかった。
今は、儀式の衣装を合わせている最中で、あたしは純白の絹のドレスを着て、サイズの微調整を行っていた。
新しく作ることはしなくて、代々伝わるそのドレスを少しずつ直してから着ることになっている。
「あ、もう……私ったら、スピカ様よね」
慌てて侍女のシュルマが口を抑える。
彼女は、あたしが以前この城で成人の儀までの間をヴェガの侍女として過ごした時に、良くしてくれた先輩侍女。その時の癖がなかなか抜けない。
あたしの侍女が決まらない中、快く引き受けてくれたらしい。
すごくありがたかった。
聞くと彼女は、貴族は貴族なのだが、侍女も侍従も身分の差無く仲良くしているような家庭で育ったため、あたしの侍女という立場もなんら気にならないらしい。
彼女にあたしが妃候補として、改めて紹介をされたのはつい先ほど。
いろいろと積もる話があって、サイズを合わせながらも彼女のおしゃべりは全く止まらなかった。
相変わらずで、懐かしかった。
シュルマは、ほうとため息をついてドレスを撫でる。
「びっくりしたのよ、成人の儀のときの皇子のあの態度……」
彼女が言うのは、あたしが成人の儀の剣術大会で賞品のように扱われた時のことだ。
「もうなんていうか、『僕のものに手を出すな』というオーラがみなぎってたもの」
そう言われて、あたしは赤くなる。
本人にそういうつもりがあったのか分からないけれど、たしかにあのやり方は目立ちすぎて。
成人の儀の夜、シリウスは初めての妃を娶ることになっていたのだけれど、その相手はあたしだと言ってるようにしか見えなかったようだ。
普通は、最初の妃は皇太子の立太子まで隠されていて、そのお披露目の場ではじめて披露されることになっている。
でも、その件もあって、もう宮の中ではあたしの存在を知らないものはいなかった。
「皇子って、他人と壁を作るタイプでしょう。なのに、あなたのことであんなに熱くなられるんですもの。一目瞭然だったわ。
……でも、意外と見る目があるんだなって、感心したのよね……。あなた本当に皇子のこと好きなんでしょう?」
あたしは余計に赤くなりつつも、頷いた。
10年前から、ずっと好きだった。
だから、こうしてここにいることが嘘みたいで、幸せでたまらない。
「道理で、他の男にまったく靡かなかったわけだ……」
ふふふとシュルマは笑う。
「あのルティリクス様にも靡かなかったくらいだもの。どんな男があなたを落とすんだろうって思ってたら……なるほどねえ」
そう言われて、あたしは顔が曇るのを止められなかった。
ルティのことは、公にはされていない。彼は、シリウスの側近という立場を解かれ、元の騎士団に戻ったということになっていた。本当の事情を知っているのは、帝、シリウス、父、ヴェガ、あとミルザ姫とその侍女ミネラウバくらいだろう。
ルティ、……ルティリクスというのは、……隣国アウストラリスの王子だ。
その身分を隠して、シリウスの側近を勤めていた。
そして、あたしは彼によってアウストラリスに誘拐された。……彼はあたしを妃にしようとしていた。
シリウスが助けに来てくれて、あたしは助かったけれど……
その事件は、あたしとシリウスの間に、小さな溝を作ってしまったような気がする。
彼は、気にしている。
あたしとルティの間に何があったのか。
断じて何も無かった……とは言えないのだ。
シリウスの目の前で、ルティはあたしにキスをした。あんなの、暴力と一緒で、不可抗力だった。
彼は、そのことについて一言も触れない。
でも、それと同時に、あれ以来彼はあたしに触れなくなった。
たぶん、それ以上のことがあったんじゃないかって、疑っているのだ。
なにしろ、ルティの手の早さは、誰もが知っていたし……。
……違うって言いたい。
いっそのこと聞いてくれたらいいのにって思う。
そうしたら、あれ以上のことは何も無かったって、言えるのに。
それでも、ルティといろいろあったことは……否定できない。
何度もキスされたし、体も触られた。
それだけでも、きっと彼は裏切りに近いものを感じるのではないか……あたしはそれが怖い。
言わなければいいんだけれど。
でもその秘密を抱えてるのが……とても辛かった。
「そういえば、昨日は皇子が渡って来られたって聞いたんだけど……早速そうだったの?」
シュルマの目が三日月のようになっている。
……すごく嬉しそうだ。
「……」
あたしは答えられない。
……シリウスがあたしの部屋で待ってると聞いて、授業が終わった後急いで部屋に戻ったのだけれど……部屋には誰もいなかった。
遅くなったから、戻ってしまったのかなと、……残念だった。
でも……朝聞いた話によると、シリウスは、どうやら外宮で夜を過ごしたらしい。
侍女たちがあたしの目を気にしながらもそう騒いでいた。
それは、どういうことなのか。
彼は部屋に来なかった。
でも、彼はここで夜を過ごしたらしい。
この場所の役割を考えると当然一人でとは思えない……。そもそも空いている部屋は無いと聞いた。
……そんなこと信じられなかった。
彼が、あたしに言ってくれた言葉を思い出す。
『僕は、君以外と、こんなこと、したくない』
あたしは彼の腕の中で、最高に幸せな気分でその言葉を聞いた。
彼は口先だけでそんなことを言うような人じゃない。
……きっと噂だけが先走ってるんだ。
あたしは、シリウスを信じようと思った。
そんな風に考え込んでいると、シュルマはあたしが照れているのかと勘違いしたようだった。
「いいなあ」
なんだか、シュルマはまだ色々話を聞きたそうにしていたが、何を言っていいのか分からず、あたしは曖昧に微笑んでごまかした。