第2話「憧れと居候さん(3)」
「へぇー。じゃあ奈穂ちゃんはほとんど家事とかやったことないんだ?」
「えへへ、お恥ずかしながら………」
「いやいや、最近の若者はみんな家事とかやんないみたいだからねー。これもお嫁さん修行の一環だと思って、がんばろ!」
朝食を摂り終えた私達は、2人並んで台所に立って皿洗いをしていた。こうして並ぶと、本当に姉妹になったようで顔がニヤついてしまう。
ともあれ、家で皿洗いばかりやってきた私は、難なく使ったお皿をキュキュっと綺麗にしていき、みくちゃんの手ほどきを受けながら、どのお皿をどこにしまうかとかを教わりながら、それを片付け終える。
「お皿洗い上手なんだね。手際も良いみたいだし、これなら他のもぱぱーって覚えちゃえるよたぶん!」
「えへへ、そうだといいけど」
「そんじゃあ次はお洗濯やっちゃおっか」
「うん」
台所を離れて脱衣所内にある洗濯機の元へと向かい、ふと気づく。
昨日入浴した際は、この家の人が気を使ってくれたのか、洗濯カゴの上を覆うようにタオルが被せてあり、中の様子は見えないようになっていた。現在もそのタオルは被せられたままだ。
しかし、これから洗濯をするとなると、陸やおじさんの下着を見なければいけないということになる。家で父の下着姿はよく目にしていたから、少しばかり躊躇いはあるものの、おじさんの分はたぶんなんとかなる。だが、いくら居候しているとはいえ、同級生の下着を見ても良いものなのだろうか……。
そんな一抹の不安を抱えながら、さながら何かを覗き見るような気持ちで、ぺらりと洗濯カゴのタオルを恐る恐る手に取る。
あぁ、もしかして私はイケナイコトをしているのではないかという気分に浸りながら、心の底ではちょっとだけウキウキしながらタオルを捲る。ちょっとだけですよ。本当にちょっとだけ。
「奈穂ちゃん?」
「ひぅんっ!!………な、なにかな、みくちゃん……?」
「いやさ、よかったらわたしがやろっかなって。さすがにいきなりお父さんとお兄ちゃんのパンツとか見せちゃうのもアレだし。わたしがやってるの見ながらでも一通りの流れは説明できるし」
「………あっ、うん!そうだね!そっちの方が嬉しいかも!」
もしや下心的なのを見透かされたのかと思ってしまった。いや、下心なんてなかった。いや本当に。
そんなこんなで、みくちゃんは慣れた手際で洗濯カゴの中の衣類を分けて、洗濯機の中に放り込んでいく。みくちゃんが着ていたであろう下着はネットに入れられ、同じように洗濯機の中に放り込まれる。どうやらみくちゃんは、父親と一緒に洗濯するのを気にしないタイプのようだ。
20分くらいが経って、最初に放り込んだタオルやら下着やらワイシャツやらの洗濯が終わった。洗濯が終わった衣類を再度洗濯カゴに入れ直し、残った色落ちしそうなものを洗濯機に入れスイッチオン。洗濯カゴを持って脱衣所を出る。
「んー、今日は天気いいから外に干そっか」と言い、みくちゃんがリビングから庭へと繋がる大きな窓を開ける。
よく手入れされているのか、陸の家の庭はとても整っていて、目立つ雑草などは見られなかった。雪解けのすぐ後ということもあるのだろうが。
洗濯カゴから洗濯物を取り出しては、物干し竿に引っ掛けたり、スーパーの生活用品コーナーで売ってるような洗濯バサミがいっぱいついたものに引っ掛けたりして、瞬く間に洗濯カゴの中は空になってしまった。
「まぁこんな感じで、色落ちしそうなのとしないのと、適当に分けてそれぞれ洗濯って感じ。あ、もしアレだったら、奈穂ちゃんの分は分けて洗濯してもいいからね」
「あぁ私は大丈夫だよ。そうゆうのはあんまり気になんないから」
「そう?ならいいけど」
庭からリビングへと再び舞い戻ったところで、みくちゃんが「そういえばさ」と言葉を切り出した。
「今更だけど、奈穂ちゃんてパンツを見るのと見られるの、どっちが好きな人?」
「…………………………………………へ?」
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「……な、なーんだぁー!お洗濯の話かー!てっきりなんかその、そうゆう性癖の話かと思った………」
「ちょっち聞き方悪かったかな?んまぁ平たく言えば、自分で洗濯するのと他の誰かに洗濯してもらうのどっちがいいって話」
よかった。危うく「どちらかと言うと見られ……」なんて口走るところだった、本当によかった。
「お洗濯するのめんどっちーって言うなら今まで通りわたしとお兄ちゃんでやることになるけど」
「私がやります」
前言撤回。見られるよりも見る方が何倍もマシである。
そんなこんなで残りの洗濯が終わり、時刻は朝の9時過ぎ。昨日見ていた『はじコイ』の続きを見ることになった。
『はじコイ』はどちらかというと少女漫画寄りな構成だ。
なにかと才覚に恵まれた同級生の男の子に憧れていた平々凡々な少女が、色々な苦難を乗り越えながら最終的には結ばれるという話だ。
笑いあり、涙あり、時にはライバルとぶつかりあったりしながらも、少女が真剣に恋に向かう姿に、中学生だったころの私は心底憧れた。そんな少女の境遇が、なんとなく私に似てるなんて思ったりして、色々と考え込んだものだ。
色々と持ち合わせている男の子に憧れているというのも、なんとなく似通っている。陸は勉強も運動も、なんでもそつなくこなすことが出来るほど器用だ。おまけに家事上手ときた。本当に、少女漫画のヒーローのような男の子である。
ともあれ、だ。
私は陸の、そう言った外面の良い所は知っているが、人前では見せない特技などはめっきり知らない。
「ねぇ、みくちゃん。陸って、なんかすごい所とかある?」
「すごいとこ?」
不意に聞いてみた質問に、みくちゃんは頭を悩ませる。
「すごい……すごいかー、んー、んー?ルービックキューブが解ける……のはちょっと違うかな?んー、あー、まぁすごいっちゃすごいとこはあるかも」
「例えば?」
「例えばときましたか……。なんだろ、ずっとお兄ちゃんと過ごしてたから、いざ聞かれるとわかんないなー。他の人にとってお兄ちゃんのすごいー!ってことも、わたしにとってはずっと当たり前だったから」
家族特有の感覚麻痺とでも言えばよいのだろうか、陸はきっとすごいところは沢山あるのだろうが、生まれた頃から一緒に居たみくちゃんにとってはすごく当たり前のことで、当然のことで。
「だからまぁアレだね。お兄ちゃんの全部がすごい」
そんな結論に、私は思わず微笑んでしまったのだった。
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「そいえば奈穂ちゃん、なんでこのアニメ好きになったの?」
ふと、みくちゃんがそんな質問を投げかけてきた。
「えーっと、元々その頃色んなアニメを見てた時期で、見てみたいなーって思ったのが、ちょうど本放送が始まる時期でね。あっ、あと。武神監督のアニメが好きだったってのもあるかも。って言っても、監督が同じだって気づいたの、ずいぶん後なんだけどね」
4年ほど前の、自分の記憶を掘り返す。
「その頃、ネットで好きな絵描きさんがいたんだけど、その人が『はじコイ』の応援イラストを描いててね。その絵がすっごい綺麗で、それで見始めて、見るほどに好きになってったって感じかな」
「んへぇー。それで、その絵描きさんってだれだれ?」
「今はもう立派なイラトレーターさんやってるみたいなんだけどね。名前は─────」
ガチャコン、と。無造作に居間の扉が開かれた。
時刻は午前11時過ぎ。スマートフォンを弄りながら、陸が眠そうな様子で起きてきたようだ。
「なんだ、起きてきちゃったんだ」とみくちゃん。
「なんだとはなんだ可愛い妹め」と陸。
なぜか少し妹バカ気味な言葉が聞こえた気がするが、たぶん気のせいだろう。たぶん。
「お兄ちゃん起きてこなかったらアルのとこにご飯食べに行こうと思ってたのにー。ぶー」
「あん?あー、そうだ忘れてた忘れてた。親父から金もらってたんだったな」
「んえ?どゆこと?」
「どこぞの新入りに、一応挨拶しに行かせろってことでさ。昼にでもアルんとこ食いに行かせろって、昨日親父から金もらってたんだよ」
「え?そんじゃ行っていいの?」
「どーぞどーぞ」
そんなおざなりな返答をすると、みくちゃんがソファの上でばふんばふん跳ねて喜んだ。可愛い。
「やったよ奈穂ちゃん!塩ダレザンギ丼特盛500円だよ!」
「え、えーと。あまり飲み込めてないんだけど、どゆこと?」とみくちゃんよろしくな感じで陸に問いかける。
「アルバート・ロジャースっつってな。まぁ手短に言えば、お前の前任者だよ」
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あれやこれやと準備してるうちに、時刻は午後12時。
昼時とならば多少なりとも混んでると思って、あと居候初日でお昼をご馳走になるというのもなんだかしのびなかったのだが、陸曰く「まぁどうせ店は暇だろうしさっさと行け」とのこと。ちなみに陸はついてきてない。
「よかったのかな、陸置いてきて」
「いいのいいの、お兄ちゃんのことだから適当にカップ麺でも食べてるよ。お兄ちゃんああ見えて結構ジャンキーだから」
ジャンクフードだからジャンキー、という合ってるんだか合ってないんだかよくわからない用法を使うみくちゃん。
アルバートという人は、元はイギリスで生まれた人らしい。陸とみくちゃんの父である弦太郎さんとアルバートさんの父親が知り合いで、その伝手で陸の家に居候に来たのだとか。
彼が居候に来たのは中学に入学する12歳の頃。陸が6歳、みくちゃんが4歳の時らしい。それから、みくちゃんが小学校を卒業するまでの間、およそ8年程一緒に住んでいたようだ。
それ故に、陸にとっても、みくちゃんにとっても、ひとりの兄のような存在だと、ふたりは言っていた。
「んで。短大卒業して、料理修行をパパッと終わらせて、今はお店開いてるってわけ」
「えっと家を出たのが20歳の頃だから……22歳くらいの時かな。それから修行して、今はお店……すごいね!?」
「あー違くて違くて。元々高校…3年くらい?の頃から修行みたいなことはしてたみたいなんだよね。バイト先で。それから大学卒業して、もう1年2年修行して、色々準備して、だからお店開いたのは去年くらいなんだよ」
そんな流れるような経歴を聞かされる。実質料理修行をしてたのは4年ほどだろうか。それでも十分早いが。いや、料理修行の実情を知っているわけではないけれど、なんとなく早いという感じがした。
「そんで短大卒業する時なんかは、わたしも小学校卒業する時だったからさー。一緒に家で卒業式なんかやったりして。アルの握ったお寿司は美味しかったなぁ………」
「……っていうことは、今はお寿司屋さんなの……?」
「んーにゃ」とやんわりと首を横に振り、その視線を上の方に向ける。そこには、如何にも和風なテイストの看板が。
「ただの和食メインの小料理屋さん」
お店の名前は『いぎりす亭』。
なんとも、まぁ、わかりやすい名前である。
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「いらっしゃい……ってみくか」
「いぇーい!おはよーハルさん!」
和食小料理屋『いぎりす亭』。
外観はなんだか京都あたりにありそうな老舗っぽい雰囲気のまさに和という感じだったが、内装も同じように、所狭しと和風な要素が散りばめられていて、店主のこだわりなのか、テーブル席とは別に畳に座れる席も用意されていた。そして、なぜか見覚えのある富士山のペナント。
「ん?そっちのは?友達か?」
入口を開けてすぐ出迎えてくれたのは、どこかクールで、キリッとした雰囲気を持つ女の子だった。
茶焦げた長い髪をポニーテールにし、その上からバンダナを巻いて、腰元にはエプロンを着けている様子を見ると、おそらくこのお店のバイトの娘なのだろう。
「紹介するね。こちらは有沢奈穂ちゃん。昨日から……ん?今日から?まぁいいや。うちに居候することになった人。お兄ちゃんの中学の頃の同級生」
「居候……?」
「んで、こっちが志島晴季さん。このお店のバイトさんで、お兄ちゃんと同じ高校のクラスメイト」
「クラスメイト……?」
「まぁ平たく言えば、ふたりとも同い年?」
「同い年か。志島晴季だ。よろしく」
「あ、有沢奈穂です。どうぞよろしく」
見た目通り、というのは少し失礼かもしれないが、やはりサバサバしたような口調で話すところはなんとなくカッコいい雰囲気があった。
それぞれ挨拶を済ませた頃、お店の奥から少し背の高い青年が顔を出してきた。
「やぁ、いらっしゃいミク。そっちの娘は初めてだね、いらっしゃい」
「き、きんぱつ………!」
イギリス出身というのは聞いていたものの、実際に見てみるとその風貌に圧倒される。
晴季さんと同じようにバンダナを巻いているが、その先から垣間見えるのは目も覚めるような輝く金色の髪。そして瞳の色は青空のように透き通った青。目鼻立ちは物凄く整っていて、テレビや雑誌に出ててもおかしくないくらいのイケメンだった。
「金髪、そんなに珍しいかい?」
「はぅ!あ、すいません!つい……」
「まぁ確かに、この辺じゃああまり見ないからね。本州とかに行けば、すごく沢山居るんだけど。それで、ミク。この娘はお友達?」
「うん、友達!んで、うちの新しい居候さん。アルの後玉?だよ!」
「……後釜な?」
「おや、またそうゆう事業を始めたのかい?ボクの代で終わりと聞いていたけれど」
「んまぁ止むに止まれぬ事情があってね。ほら、お父さんお人好しだし」
なるほどね、と。金髪の青年、アルバートさんは納得したように言った。
「ボクはアルバート・ロジャース。見ての通り、海外出身でね。それとこのお店の店主をやってるんだ。一応キミの前任者ってことになるかな」
「わ、私は有沢奈穂です。どうぞ、よろしく…」
おずおずと、差し出された手を握って握手をする。
「それで、挨拶にきたってだけじゃないんだろうミク」
「うんご飯食べに来たお腹空いた」
「そうか。それじゃあ今日はちょっと開店を遅れさせて貸切にしちゃおうか。どうせお客さんも来ないだろうしね」
「ゴールデンウィークなのに暇なのぉ?」
「ゴールデンウィークだから暇なんだよ。ほら、常連さんはみんなお孫さんの相手で忙しいからね。そうゆうわけだから、ハルキも一緒にご飯食べようか。積もる話もあるだろうしね」
「ん。じゃあお言葉に甘えて」
晴季さんが外のお店の表札を裏返す。所謂、プチ貸し切り状態になってしまった。出がけに陸の言っていた通りお店の中は客がいない。私たち以外には人っ子ひとりいなかった。
「それじゃあ、適当に掛けて待っていて。あぁ、ハル。注文だけよろしく」
そう言って、アルバートさんはお店の奥に姿を消してしまった。
みくちゃんのお気に入りなのか、畳席に飛び込んで行ったのに続いて、靴を脱いで同じように席に入る。畳の感触もずいぶん懐かしい感じだ。
「んで、なに食べる?」
「塩ダレザンギ丼特盛500円!」
「塩ダレザンギ丼特盛な。お前いっつも同じの食ってんな。アンタは?」
「あー、えっと………」
テーブルに置いてあったメニューを眺める。想像以上にバリエーションが豊富だ。丼もの、定食、ラーメンやそば、うどん、カレーにオムライスまで。もはや小料理屋というレベルではない。なぜかスパゲティやフィッシュアンドチップスまで。和食メインとはなんだったのか。
少しばかり悩んで、ひとつの結論を導き出す。
「……オススメってあります?」
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「お待たせ、こっちが塩ダレザンギ丼特盛」
「わはーい!」
「こっちがハルキの頼んだカルボナーラ。わざわざ在庫が多いのを選ばなくてもよかったのに」
「食べたかっただけだよ」
「そして、こっちが本日のオススメ。スペシャルいぎりす定食です」
みくちゃん、晴季さん、私こと奈穂の前にそれぞれ頼んだ料理が出されていく。
みくちゃんの頼んだザンギ丼は特盛、なのだが。普通の丼の1.5倍くらい大きな器に山々とザンギが盛られている。みくちゃんが大食らいなのは聞いていたが、実際目の当たりにすると凄い。
晴季さんの頼んだカルボナーラは、今まで見たどんなカルボナーラよりもカルボナーラしているカルボナーラだった。小さく刻まれたベーコンと艶やかなスパゲティの上に、煌びやかに輝くソースがかけられ、その中心には温泉卵。まさにカルボナーラだ。
そして、私の眼の前にあるのはスペシャルいぎりす定食なるもの。
メインを張っているのは魚のムニエル。ブリだろうか。適度にのった油が光り、その上にドライパセリが散らばって、なんともオシャレな様相だ。横合にはサラダがあり、小鉢には漬物。お椀に入ったお米はキラキラと輝いていかにも美味しそうだ。そして、別皿にはすこし赤っぽいソースと、程よい厚みで輪切りにされたコロッケのようなものが。
「コロッケにしては分厚いような……?」
「よっしそんなわけでいただきぁうん美味い!」
3人で手を合わせていただきます。そしてマッハで丼をかっ喰らうみくちゃん。見てるこっちも清々しくなる。
私も箸を持ち、何を先に食べるか悩んだ結果、気になっていたコロッケのようなものを、赤みがかったソースをつけて口に運んだ。
「ん、あ!卵!」
「それはスコッチエッグって言ってね。イギリスでは軽食としてよく食べられているものなんだ」
スコッチエッグなるものは、中心にはゆで卵が入っており、その外側をひき肉で覆い、それを衣をつけて揚げたようなものだった。簡単に言えば、中にゆで卵の入ったコロッケといったところか。
食べごろな熱さでありながら、中のゆで卵はほんのり半熟で、口の中でひき肉と絡み合って絶妙な美味しさをつくりだしている。
「お。ほ、ほいひー!」
「ふふ、ゆっくり食べて構わないよ。さて、ボクもご飯にしようかな」
スコッチエッグで文字通り味を占め、次々と他の料理を口に運んでいく。食べるたびに美味しさが体を突き抜けるような感覚が心地よい。
久しく外食などしていなかったというのもあったし、今まで食べたことのない味付けでありながら、どこか懐かしみもある不思議な味付けのおかげで、新鮮な気持ちで楽しみながら、瞬く間に食べ終えてしまったのであった。