第1話ー3
有沢奈穂。
彼女と初めて話したのは、たしか中学一年くらいの頃だ。
彼女とはそれほど仲が良いわけではなかった。仲が悪いわけでもなかった。友達の友達で、なんとなく話すようになったというだけで、廊下ですれ違ったら挨拶するくらいの仲だった。
頻繁にメールのやり取りをするわけでもなく、たまに暇つぶしの相手をさせられるくらいで、こちらからメールを送るというのもほとんどなかった。
「ほとんど」というのは、中学二年の半ば頃、生徒会選挙だなんだと騒ぐ中で、先生に頼みこまれて生徒会に入ったからである。
有沢奈穂もその生徒会に所属していた。役職は議長。こっちは庶務。およそ半年後に入った妹のみくは会計。業務の連絡をするために連絡することがあり、そこから世間話に移されてしまうというのがよくあった。家のことを話したのも、たしかその時だったと思う。
しかし、その程度の関係でしかなかった。
中学の三年間で、有沢と同じクラスになったことはなかったし、休日に遊びに行ったりとかも一切なかった。中学を卒業した後も、有沢は自分とは違う高校に進学して、卒業後に連絡が来たことは一切なかった。
だからこそ不思議なのだ。彼女が家に来たことが。
有沢はいつだってみんなの中心に居た。
みんなに頼りにされる心強さがあって、みんなに慕われるような優しさを持っていた。だから、学年問わずに友人が沢山いたのをよく知っている。
そんな彼女が、特別仲が良かったわけでもない自分のところに来たというのが解せない……というよりも、納得がいかないという感じだ。他にも当てがあったはずなのに、なぜウチだったのか。考えれば考えるほど、頭の中で複雑な考えが渦巻いていく。
「(………………………めんどくせぇ)」
目の前の光景を見て、色々考えて、ため息を吐く。
本州とは海を隔てた場所なために、ダメ元とは思っていたものの、やはり今日が発売日のコミックスは置いていなかった。街中まで行けば売ってるかもしれないが、そこまで行くのはなおさら面倒だ。
漫画を買いに来たのが無駄足に終わってしまったことと、有沢奈穂のこと。色々ひっくるめて、やっぱりめんどくさいと再び息を吐く。どの道、みくが有沢のことを認めてしまった以上、もう避けようのないことなのだろうが。
『彼女は"俺の家"ではなく"みくの家"に泊まりに来た』
そうゆうことにして、コミックスを諦め、晩御飯の買い出しへと足を進めていった。
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「ここが奈穂ちゃんの部屋ね。アルの…前に住んでた人の物とか置いてあったりするけど、まぁ自由に使って!」
「…………広い」
伏見家、2階奥。
案内されたのは、十畳くらいある広い部屋だった。
学習机に、ひとりで寝るには大きすぎるベッド。リビングで使えるくらい大きなテレビや、ブルーレイ・DVDプレイヤー。そして本棚と大きなクローゼットと、他にも色々。まるで一人暮らしの部屋のように、十分すぎるほど設備が整っていた。
「えっと…こんな良い部屋、使っちゃっていいの?」
「いいのいいの!元々居候の人向けにあった部屋なんだから。あっ、ちゃんと掃除はしてるからね、たぶん」
ぐるりと部屋を見回してみると、前の住人の趣味なのか、壁に富士山が描かれたペナントが飾ってあったり、テレビ台の上には、シロクマの小さなぬいぐるみや、小さな時計台が置いてある。
「んじゃ、荷物片したら下に降りてきてね。ウチのこと、色々説明するから」
そう言って、みくちゃんは下に降りて行った。
「…………ふぅ」
ぼふん、と。大きなベッドに倒れ込む。
少し落ち着いてから、体を起こして大きめのキャリーバッグを開く。中に入ってあるいくつかの真空パックの中からひとつ抜き取ってその中身を取り出すと、ひしゃげていたクッションが元の形を取り戻していく。
「………はぁ、落ち着く」
クッションを抱き抱えて言葉を零しながら、今一度大きな息を吐いてベッドに倒れ込む。
「……はぁ」
頭の中では色々な考えが思い浮かぶ。この家の人がどう思うか、とか。うまくやっていけるか、とか。色々。
なにより、陸がどう思っているかが気になってしまう。同級生とはいえ、無理矢理押しかけてしまったのだ。疎ましく思われても仕方ないだろう。
しかし……
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『な、奈穂!?なんだよ急に来るなんて!びっくりするだろ!』
『ウチに住みたいって…いくらなんでも急だぞ……まぁ、別にいいけど……』
『べ、別に、お前のことが気になるとか、そうゆうのが理由じゃないからな!仕方なくだよ、仕方なく!!』
『……まぁ、その。これからは家族になるわけだから……よろしくな、奈穂』
「…………って、なると思ったんだけどなぁ……」
ぎゅーっと亀クッションを抱きしめながら、無残に砕け散った妄想を振り払うようにゴロゴロと転がる。現実は甘くないのである。
もしかしたら陸に嫌われたかもしれないとか、みくちゃんにも迷惑をかけたかもしれないとか。そんな被害妄想ばかり膨らんでしまうが、それを亀クッションと共に放り投げて身体を叩き起こす。
今はできることをするしかない。
世の中の厳しさを改めて痛感しながら、決意を新たに、広い部屋を出て階段を降りていくのであった。
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ガララ。
「ここが洗面所。洗濯機もここね」
ガチャリ。
「ここがお風呂」
ガチャン。
「でもってこっちがトイレ。んで、あっちが父さんの部屋で寝室。あっちが母さんの部屋ね」
階段を下りた後、家の中の部屋を一通り案内された。
「あとこっちがリビング。さっき来たけど」
「……なんか、全体的に広いね…」
「そう?他の家と比べたこととかないから、あんまわかんないや」
「そうだ!」となにかを思い出したかのように、みくちゃんが笑顔でこちらに向きなおる。
「お昼ご飯どうしよっか!どうせならどっか食べにいく?」
「あぁ、そういえばもうそんな時間」
リビングにある時計は12時過ぎを指している。この家に着いてから、もう1時間以上過ぎていたのかと、ふわふわした時間感覚にまどろんでしまう。
「お兄ちゃん帰ってきたらご飯つくるかもだけど、せっかくだから、なんか食べに行きたくない?」
「いいよいいよ、私なんかにそんな贅沢……って、陸、料理できるの?」
「まあ、今じゃほとんど私とお兄ちゃんの二人暮らしみたいなもんだからね。お父さんは帰ってくるの遅いし、お母さんは内地の方で仕事してるし。お兄ちゃんと私で買い物して、料理もちゃんとしてきてたんだよ?」
そんな感じの話は、陸に聞いていた気がする。うろ覚えだけど。父も母も忙しい人で、特に母親は昔からよく家を空けていて、小さい頃からそれが日常だったとかなんとか。
居候の人が来てからも、土日祝日以外は居候の人と陸、そしてみくちゃんの三人で居ることが多かったと言っていた。そうなれば、やはり寂しい気持ちは大きいのかと、みくちゃんのことが心配になってしまう。
だが、当人はそんなこともないような様子で、かわいい笑顔を見せながら、自慢げに言葉を紡ぐ。
「んへへ。あのね、お兄ちゃんのつくるオムライス美味しいんだ。今度奈穂ちゃんにも食べさせたげたい!」
「……うん。私も食べてみたいな」
中学の頃も、陸はみくちゃんのことをいつも気にかけていた。それはやはり、小さい頃からふたりで居ることが多かったのが原因で。シスコンというよりも、親心のようなものなのだろう。
「(……やっぱり、優しいんだな、陸って)」
「ただいま」
そんなことを考えていた時に、唐突に陸の声が響いて、思わず肩が跳ね上がってしまう。
「おっかえりーお兄ちゃん!ねぇねぇ、お昼ご飯さ、奈穂ちゃんと三人で────────」
「却下」
「まだ全部言ってないんだけどー!」
「どうせそのうち食いに行くんだから外食はナシだ。卵がやたらあったはずだから、オムライスでもつくるよ」
「………そのうち?」
「やったね奈穂ちゃん!お兄ちゃんオムライスつくってくれるってさ!噂をすればなんとやらだね!」
腕をつかんでぴょんぴょん跳ねる姿がまた可愛らしいみくちゃん。天使かな?
陸はというと、せっせと買ってきたものを冷蔵庫にしまって、卵やケチャップなど、使いそうなものを中から取り出していく。
「お前、なんか食えないものとかあんの?アレルギーとか、なんかそうゆうの」
「いや、何もないよ、大丈夫!」
「ん」
卵が6つ入ったパックを片手に、残った手で器用にケチャップを空中で舞わせながら、陸は台所へと向かう。
華麗な鍋捌きで黄金に煌くオムライスを拵えて、やがて私の目の前に出てきたお皿の上の黄金に、思わず子供ながらに目を輝かせてしまう。
「いっただっきまーす!」
「い、いただきます!」
みくちゃんに合わせて声を上げ、いざゆかんとスプーンいっぱいに掬った卵とケチャップライスを頬張る。
『人の心を掴むならまず胃袋から掴め』みたいな言葉がありますが、どうやら掴まれたのは私の方だったみたいです。