第八話 「疾刀の型」
ブオンッ!
男の振るうブロードソードは的確に俺の首を狙いを付け、左から右に目の前を通る。俺はすり足で僅かに後退することで、薄皮一枚でそれを躱す。
空振り、低い風音を出すが、俺はそれに躊躇う素振りも見せず懐に踏み込む。俺が見つけたのは脇差。太刀に比べると、断然リーチが短いためある程度踏み込まなければ間合いに入れない。
「シッ!」
右の手刀で男の左肘の内側を叩くと同時に、背中を密着させ脇差の鞘尻で鳩尾を強く突く。
「ガッ……!」
腹を押され、自然と突き出された顎にアッパーを決めようとしたが、膝裏を膝で押され、所謂、足カックン状態になりアッパーは空ぶってしまう。男は距離を離すために俺の背中を押し出すようにして蹴る。その勢いに逆らわずに何回か前転し悠々と立ち上がる。
「……どうした?俺を殺すんだろう?」
両手を軽く広げ肩を竦めて見せた。こんな分かりきった挑発に男は目を滾らせ顔を紅潮させる。
「ぬぁあああ!!」
鳩尾を突かれた激痛に耐えながら突進してくる姿勢は隙だらけだった。
「沸点の低い奴だな」
男の突きを伴った突進をひらりと危なげなくかわし、すれ違い様に鞘で後頭部を打突する。
「誰が低いって?」
が、男はそれを掴み届かなかった。鞘を掴んだまま男はぐるりと向きを変え、その遠心力を腕に回して脇差ごと俺を投げ飛ばす。
「……」
空中で姿勢を整え、足から地面に着地し男を仰ぎ見ると魔法の詠唱に入っていた。
(中断……は間に合わないか)
「『フレアカッター』!」
中断をあきらめると同時に男の詠唱が終わり、厚みのほとんどない赤い円盤状のものが飛んでくる。『フレアカッター』は火の魔力を薄く引き伸ばし熱で対象の表面を溶かしながら切断する
若干の追尾性能があるそれをぎりぎりまで引き付けてから、スライディングで下に潜り込みよける。と、今度は地を這うような低い軌道で飛んでくるが、それは飛んで躱す。
「宙に浮いたな?」
躱した円盤を警戒していた俺が視線を少し上げると、着地地点で男がにやりと笑っていた。どうやら、俺を空中に浮かせるのが目的だったらしい。
「だから?」
俺は冷めた目で男を見下ろし、男の迎撃に警戒する。
男は腕を引きながら深く腰を沈めると、縮めた膝のバネを使ってアッパーを放つ。だが、そのアッパーは俺が間合いに入る前に放たれた。
「?……っ!?」
不審に思った俺が目を細めると、開いた男の拳からバッと大量に小さな物体が顔めがけて飛んでくる。
それは砂利だった。たまたま目を細めていたため、眼に多大な被害は及んでいないが、どうしても強く目をつむってしまう。相手は真剣を持っている以上何もしないわけにはいかない。俺は勘で脇差を振るう。
ガキッ!
勘は外れなかったようで、刀身から固い手ごたえを感じる。一旦距離を開けるためにバックステップをしながら、脇差を納刀する。
「よくわからん武器だな。何故納刀する必要がある?」
男は追撃はしてこず、ブロードソードを構えなおしている。
俺は男の問いに腕で目を乱暴にぬぐいながら嗤う。
「戦闘中に敵の口からヒントを貰えるとでも?」
「減らず口を……。その余裕、すぐになくしてやろう。『……炎神の腕よ、その剛腕を振るうは我に仇なす者に……』」
男は再び詠唱に入る。詠唱を必要とするからには、それ相応の威力の魔法を放つはずだ。魔法に関する知識がまだ疎い俺には、男がなにを唱えようとしているのか分からないが、かなりの魔力が奴の体から溢れ出ていることだけは感じられる。
それをご丁寧に待つ必要はない。
「流連流鏡華水月の型、其の一『影身』!」
脇差の間合いの少し外まで一息に接近し、地面の土を蹴り上げる。さっきのお返しだ。
男は俺が影身をした時点で詠唱を中断し、俺が蹴り上げた土を一歩後ろに下がることで避ける。蹴り上げた足が着地、すると同時にその足を軸足として後ろ回し蹴りを男の脇腹に抉りこむ。
男は避けずに受け止め、足を抱え込む。今度は抱え込まれた左足を軸として右足で回し蹴りを男の頭部に放つ。
と、見せかけて勢いを付けた左手で腰に差した脇差を抜く。
「ぬっ!?」
足を抱えていない方の手でプラフの回し蹴りを防御しようとしていた男は意表を突かれ、俺の脚を離しながら身を屈める。ヒュオっ、と男の髪を掠めた脇差の、左から右への勢いを利用して右手で屈んだ男に向けての裏拳に変える。
「……っ!?」
男は呻き声も出す暇を惜しみ、肩を突き出すことで頭部を裏拳から守る。
ドッ、ズシャシャー!
魔力によって身体強化している拳は、男を軽々と吹き飛ばす。壁に激突するほどではなかったが、地面で一度バウンドをしながら滑っていった。
「どうしたんだ?まさか、クマにやられた傷のせいで動きが鈍くなっているなんて言わないよな?」
数回転がってから体勢を立て直した男を冷たく睥睨する。
「……貴様こそ、身体強化ばかりでなく魔法を使ったらどうだ?ガキが大人相手に身体強化だけで勝てると思っているのか?」
「ハッ!まさか、普通勝てるわけがないだろ。今の所、お前に魔法を使うまでもないだけだ。要するに、俺にとってお前は大人じゃないってことだ」
楽しげな表情も嘲る様な表情もせず、ただ冷めた瞳と表情で男を見下ろす。そこには油断も驕りもない。純粋な事実として俺は言っている。
そのことに男は気づいているのか、冷や汗を額から伝わせながら警戒心を最大にして俺を睨み上げる。
「なら、能力を使うまでだ」
男は立ち上がりそう宣言した。自らが持てる全ての力を使って俺を殺そうとしている、その決意が伝わってくる。
だが、俺はその宣言に、何ら反応を見せなかった。
(異能系でもない限り俺との差は縮まらないと思うんだがな……)
俺と男の実力差は決定的だ。
俺は無属性で、相手は四代属性の火属性。確かに、属性でのハンデは存在する。だが、そのハンデを埋めることができるように体術の訓練を”強制的に”叩き込まれた俺にはあってないようなもの。例え、相手が上級魔法を唱えて来ようが防ぐ手立てはある。異能系でもない限り、男は俺に勝てる確率はほぼ、ない。
「その瞳が憎い……!全てを達観し、全てを事実としてしか映さないその瞳が!」
「御託は良い。さっさと能力を使ってみろ」
男の言葉は、今の俺の心には響かない。僅かな振動を伝える隙間もないほどの密度を持った闇で。
もはや、俺は男を死体としてしか見ていない。男の死は、俺にとって必然だ。
「くぅ……!『魔を拒絶せし肉体』!」
唇を血が滲むほど食いしばりながら憎悪の炎に耐えている男は、能力を発動した。
その能力は『間を拒絶せし肉体』、サポート系の能力だ。効果はシンプルで、自身の外から受ける魔力に対して強い耐性を持つというもの。
(……俺には関係ないな)
『間を拒絶せし肉体』は使用者を魔法に耐えることができるように肉体を強化するのが一般的だが、俺は魔法を使えない。一見して、俺には意味のない魔法だ。
だが、それだけではない。
「これで、貴様の身体強化は無効化され、本当にただの餓鬼となる……!」
男が言ったように、身体強化にもその効果は及ぶ。もし俺が身体強化した状態で男を殴っても、身体強化は無効化されただの子どもの腕力だけとなる。そうなると、俺の攻撃のすべては攻撃力を持たなくなる。
そういう意味では、俺にも効果がある。
”だが”、俺には関係ない。
「もう良いか?さっさと終わらせるぞ」
一瞬で男の目の前に現れ、そう言い放つ。
「……っ!そ、それはこちらのセリフだぁ!!」
男は、俺の本気の影身の速度を目で追えず、一瞬たじろいだがすぐに吠えながらブロードソードを薙ぐ。この距離で振るわれては脇差での防御は間に合わない。
パキィ……ン。
かに思われた。
「な、な、な……」
男は己の手元を見て戦慄く。刀身が半ばから折られているブロードソードを見て。
「……流連流疾刀の型、其の一『一刀』」
ヒュルンヒュルン……ザク!
折れた先は男の鼻先を通り過ぎて地面に刺さる。
「ばか、な……!!」
鞘を持つ左手。振りぬかれた脇差を持つ右手。
俺が刀を振るった回数は一回。ただの一振りで、脇差よりも二倍以上太いブロードソードを折った。いや、切断面を見れば明白だが、折ったのではない。”切断した”。
流連流疾刀の型。それは、刀専用の居合の型。この型は他の型の奥義に近い威力を秘めている型が多い。世界最強と謳われた男の得意技であった居合。その男の子孫が繰り出す技を、粗悪な剣で受け止め切れるはずがない。
「……死ね」
振りぬいたままだった右手を返し、そのまま男の首を断ち切る。
ズシャ……、ゴトッ。
戦いの終幕は、あまりにもあっさりしたものだった。
○ ○ ○
ピシャ……シュ、チン!
刀身を下に向けて振るい、血糊を払ってから鞘に納める。同時に、頭の中のスイッチも切りかえる。
(……いつの間にか切り替わってしまっていたな)
まだ少しだけ口調が影響を受けているが、思考回路はいつもの通りだ。
視線を脇差から前に戻すと、赤い水たまりを広げる胴体と首が分かれた男が死んでいる。
俺が、殺した。
罪悪感も、忌避感も、嫌悪感も、嘔吐感も、何もない。ただ殺したという事実を認識しているだけ。
いつもこうだ。”仕事の”スイッチが入っているときの殺人は俺になんの傷跡も残さない。
屋敷に居た頃、仕方なく蛇を殺した時はまだチクリとくるものがあったと思う。だが、スイッチが入っている時は何も感じない。氷のように、俺の心を滑って落ちていく。溶けて流れ落ちていく。
俺の心は動かない。
俺は形だけでも男に黙祷を捧げると、縛られているミリカに振り向く。
「ミリカ、目を閉じるんだ」
すべてを見ていたミリカは、青ざめた顔で男の眼を見ている。俺はその視線を遮るように立ち、ミリカに見ないように指示する。
ミリカは膝に顔を埋めるようにして現実から、死から眼を閉じる。幼子に近親の者でもない死を見せておかせるほどの非情さは、今の俺にはない。
「ケガは、ないな。待ってろ、今鎖を切るから」
ミリカの足には鎖が繋げられている。繋げられている先は大きな扉だ。
扉には随分と大きな金属製のリング、巨大な鎖をつなげるためのものだろう、があり、そこにミリカの足を拘束している革製のバンドが繋がっていた。
(なんだ、この扉……?)
扉の大きさもさることながら、この扉を封印している魔力量が尋常ではない。この奥に何が隠されているのか、情報が全くないせいでわからないがひどく嫌な予感がする。
「……お、おにぃ……?」
「あ、あぁ、すまん。……ほら」
目を瞑ったまま俺を向くミリカは不安げな声と表情で、慌てて鎖を脇差でパキン、と断ち切ってやる。
一応、男が見えないような位置に移動してからミリカの手を取って立ち上がらせる。
「もう、目を開けても大丈夫だ。まぁ、不安なら目を閉じたままでも教会までちゃんと連れて帰るよ」
ミリカは俺の服を強く握りながら首を横に振る。
「ううん、大丈夫。……助けてくれてありがとう、おにぃ」
「どういたしまして」
ミリカのお礼に間髪入れず返して、安心させるように頭を撫でてやる。気持ちよさそうに目を細めて頬を緩めるミリカはどこぞの垂れ目幼馴染にとても似ていた。ついでにいえば、身長少ししか変わらない気がする。
「……帰るか」
扉の封印は解けていないが、嫌な予感はする。このままここにいては危険だと俺の本能が警告している。
「……うん」
それはミリカもなのか、俺と一緒に扉を見上げながら小さく呟く。
最後に男の死体を見て、俺はミリカの手を引いて廃坑を脱出した。
その道中、俺はミリカにあの大きな扉のことだけは黙っておくことを約束させた。あの扉は秘密にしておかなければいけないものだと、尋常ではない量の魔力が物語っている。
(……後で調査を、するのも止した方が良さそうだな。少なくとも、今は)
森を抜けるまで、俺の表情は硬いままだった。
○ ○ ○
「ミリカ!!」
「お姉ちゃん……!!」
森と教会を区切る塀をミリカを背負って超えると、ミリアがすぐに俺たちを発見した。
ミリカを背中から降ろしてやると、すぐさま姉のところに駆けていく。姉であるミリアも、同様だ。
「元気だな、子どもは」
さっきまで死体を見て青ざめていたとは思えないような速度で抱きつきに行ったミリカに苦笑を漏らす。とりあえず、俺もゆっくりではあるが二人に近づく。
「ミリカ……!!駄目じゃない、森に入っちゃ!」
「ごめんなさい、ごめんなさい……!!」
二人は強く抱擁し合い、涙していた。家出をした唯一の肉親である妹が無事に帰ってきた。体感時間としては四時間ぐらいしか家出をしていないが、とても感動的な場面である。
「今回のことで、あまりミリカを強く攻めるなよ、ミリア。ミリカも初めての辛い体験だったんだから」
ぎゅうう……!と音がしそうなほど強くミリカを締め上げながら叱るミリアに、俺は話しかける。と、思わぬ流れ弾が飛んできた。
「カキス!!」
「のわっ!?」
姉妹のあまりにも感動的な再開に油断していた俺は、ミリアに容易く捕まり抱きしめられてしまった。
「あんたも、つい最近死にかけたばかりでしょうが!!それなのに、それなのに……私に何も言わずに行っちゃって……!!」
「わ、悪かったって。だから、もう少し力を緩めてくれ……!?俺の首に腕が思いっきり食い込んでるから……!窒息しそうだから……!!」
ミリカは感動と、ちょうど首の少し下のあたりに腕があるので大丈夫そうだが、俺は思いっきり頸動脈どころか喉全体を潰されそうなぐらい締め付けられている。
男と戦っているときより明確に死を感じる!?
しかも、
「あんたこれくらいでちょうど良いの!これくらいがちょうどいい罰にもなるでしょうが!!」
(いや、死にかけるレベルの罪ではないだろう!?どこに心配をかけて重罪判決を言い渡す裁判官がいる!?)
と、ミリアはまったく緩めてくれる気配はない。それどころか、さらに強くなっているような気がする。まとめて抱かれているので、ミリカと触れている部分があるのだが、そこから笑いをこらえているミリカの震えが伝わってくるのは気のせいだと思いたい。
どうにか脱出できないかと身をよじったりすると、ある部分に手が侵入してしまった。
「まったく……!まった……はぷ!?」
そう、ミリアの口の中だ。それはもう、生温かくて柔らかくて最高の感触に指がつつまれる。
こんなときにラッキースケベなんて起きても楽しめないわ!!そう思いながらも、ミリアの口内を蹂躙していくのは本能に近いものだと思う。
「ちょ、あむ……、カキ、はぷちゅ……やめ、んんう……!」
ほっぺの内側をなぞったり、下の形を確かめるように触っていくと、ミリアの腕の力が弱まる。
(今だ!)
その隙を逃さず、首絞め抱擁|(偶然の産物)から抜け出して距離を取る。その動作は先の戦闘よりも洗礼された動きだった。
油断のない目でミリアを睨み、ミリアの様子がおかしいのに気づく。
「も、もぉ……、いきなり、口にの中に指入れないでよぉ……」
妙に瞳が色っぽく濡れているのだ。その表情は、まさにあの夜の再現。完全に堕ちているとは言えないが、スイッチが入りかけているような気がする。
「お、お姉ちゃん?」
さすがにミリカも、そんな姉の様子が気になったのか、頬をツンツンとつつく。
はっ!?と目を覚ましたミリアは顔を真っ赤にして俺を睨んでくる。
「カ、カキスぅ~……!!」
顔の赤みは妹に痴態を見せてしまった故の羞恥によるものだろうが、瞳には確かな怒りの炎が見て取れる。
「待て待て、お前が俺を殺しかけるから必死になってもがいたら口の中に指が入ってしまっただけだ。不幸な事故だ」
内心では冷や汗だらだらで、表面上は何食わぬ顔でミリアをなだめる。
「最初は不幸な事故だったとしてなんですぐに指を抜かなかったのよ!!」
「いや、お前が俺の指に吸い付いてきたんだろ?」
俺がすぐに指を抜かなかった事実を指摘すると、ミリアはボン!とさらに赤い範囲を広げていく。
「そ、そそそんなわけないでしょ!!わ、私が無意識に喜んで指をしゃぶったとでも言う気なの!!?」
(いや、本当なんだが)
俺だってミリカがいるようなところであんなことを継続するつもりはない。だが、あの時、俺が指を抜こうとしたら唇をすぼめて指に舌を絡めてきたのはミリア自身だ。
「でもお姉ちゃん、さっき、『カキ、はぷちゅ……』って、舐めてるような音立ててた」
ミリカのこの世で最も鋭い無邪気という刃がミリアを襲う。
ミリカはミリアの声真似をして、わざわざ擬音のところも再現している。この子、将来魔性の女になるのではないだろうか?
「~っ!!?き、気のせい!気のせいだからそんな声出しちゃダメです!!」
「ミリカはミリアの真似がうまいな。まるでさっきの再現のようだ」
「蒸し返すなぁ~!!」
ビシビシとローキックが繰り出されるが、身体強化で痛くもかゆくもない。
「そんなことより、他の子たちはどうなった?」
「誤魔化さないで!!」
せっかく話題を変えてやったというのにミリアはまだこの話を続けたいらしい。羞恥プレイを求められているのだろうか?……ゆりじゃあるまいし、そんなわけがないか。
俺が半眼でミリアを見ると、自分がチャンスを逃しかけていることに気づいたらしく、数回咳払いをすると俺の質問に答えてくれる。
「ゴ、ゴホンッ!……皆は食堂でお食事中よ。食べ終わっても出ないように言いつけてあるから、話があるならそこに行けば?」
ご機嫌斜めではあるが、ご丁寧に皆を纏めておいてくれたようだ。
「ん、わかった。ありがとうな、ミリア」
ミリカの手を引いて食堂に向かう。ミリカは抵抗せずに、だが強く俺の手を握って、無言で歩く。
「……ミリカ、ちゃんと仲直りしなさい。それで、仲間に入れてあげるのよ?」
「……うん。わかってるよ、お姉ちゃん」
「?……仲間って?」
ミリアは喧嘩の内容を知っているのか、母親がわが子を見守るような表情でミリカを見ながら気になることを言う。
「行けばわかるわよ、カキス」
どこか引っかかる返答に首をかしげながらも食堂の扉を開ける。
皆は食べ終わった後らしく、お行儀よく座っている子、寝ている子、友達と床に座って何かして遊んでいる子、そして、隅で顔を俯けてテーブルを見ている数人の子ども。
(あの子達か……)
ぎゅっと握られた右手を握り返して、足を進める。皆は俺達が帰ってきたことに気づいた様子もない。ラナイルが真っ先に気づいて駆け寄ろうとしたが、目で制する。
俯いている子ども達の所に行き、対面の席に座る。
ギシ……、と椅子が軋む音にすらビクッ!と過剰に反応したのは眼前の一人以外だった。
「…………色々と、言ってやりたいことはあるが、まずは昨日何があったのか聞かせてもらおうか?」
残念ながら俺は熱血キャラではないため、いきなりボロクソに子ども達を叱るようなことをしない。きちんと状況を説明してもらい、その上で間違いをピンポイントに指摘する。
唯一、過剰な反応をしなかった正面の男の子は深く顔を俯けたまま口を開く。
「何も」
「何も、ねぇ……。何もなかった割には随分とおかしい空気じゃなかったか?」
あの空気を何もないと言う、お粗末な誤魔化しに俺は自然を目を細める。
「もし、あの空気が異常だと感じられないというのなら、お前らは相当異常だぞ?」
「……異常なのは、……だろ…………」
ボソボソとした呟きは俺の耳には届かなかったが、周りの子には聞こえたらしく緊張感を露わにする。読唇術はできるが、そもそも唇が見えないのに読み解くのは無理だ。
「そんなにボソボソ喋られたら聞こえないんだが?もう一度言ってくれ」
俺はわざと大仰に息をついて、背もたれに体重を任せる。こういう時の相手は大抵キレやすくなっている。冷静さを見せつけるような挑発でも簡単に乗ってくる。
「異常なのはお前の方だろ!!」
こんな風に。
「そんなことは自覚してる。十一歳の子どもが一人で旅をしたり、こんな口調で喋るわけないだろ?」
自分が異常なのは自覚しきっている。どうせあの一族として生まれて時点でまともになれるとは思っていない。生まれた家の血が濃いほど、まともでなんていられない。
そんなことを今更言われたところで俺の心には何一つ響かない。
「それで、異常な俺でも分かったあの空気の原因はなんだったんだ?」
呟きが聞こえればそれで十分だったが、つい挑発を継続させてしまう。
「……お前だよ」
「……俺?」
何かひどい責任転嫁を受けたような気がしないでもない。
「昨日!お前のことでミリカ達とケンカしたんだよ!!」
バン!
両手を机に叩き付け大きな音を出す。その音にさっきまで楽しげに遊んでいた子ども達の視線が集まる。
「お前がきてからいつもミリア姉ちゃんが忙しそうなんだよ!しかも、こっちはよくわかんないことをやらされるし……!そのことをこいつらと一緒に言ってたんだよ!」
視線が集まっていることに気づいているのかいないのか、やけくその様に叫び続ける。
「そしたら、ミリカが文句を言ってきたからそれで少し言い争っただけだ!!」
俺はこっちに視線を向けてきた子ども達に手を払って視線を外させながら、頭の中で状況を整理する。
(……それにしては妙に静かだったな。言い争ったといっても、単に嫌味をぐちぐち言い合ってただけとかか?)
ミリカは大人しい性格なのでそこまで大きな声で争わないだろうし、夜だったのであまりうるさくするとシスターにばれてしまいかねないからだろう。
そんなことを冷静に考えながら、本当に意外そうな顔を作ってみる。
「お前、本人の前でよく堂々と言えるな。その度胸は褒めてやる」
「おにぃ、感想がずれてるずれてる」
ミリカは俺の脇腹をツンツンと突きながらあきれた表情をしている。
「いや、そもそも俺が一部から嫌われているのはわかってたことだぞ?……まぁ、それでミリカが家出みたいなことをしたのはびっくりだったが」
一部の子ども達は俺に懐いてくれているが、それはあくまでも一部であって、ほとんどの子達は急にやってきた外の人ぐらいにしか思えないはずだ。それでも最近は恥ずかしそうに挨拶をして逃げていく子どもの姿もあった。
ミリカは割と最初から俺に親しくしてくれていた。
「ううん、家出じゃないよ?前におにぃが教えてくれた薬草を皆に見せようとしただけだよ」
「薬草?」
ミリカは家出ではなく薬草を取ってくるという目標があったようだ。
「うん。その薬草で前に私の怪我を治療してくれたことがあったから……。だからおにぃは悪い人じゃないって、私達の家族だって言ったの」
「……そしたら、こいつらが実際に見せてみろとか言って森に行ったのか?」
「うん。本当に持ってきたら認めてやるって」
何か頭痛がしてきた。まさか、こんなオチだったとは……。
俺が悪いのか?いや、今回の件は確かに俺が悪いのだが、もっと大事だと思っていた非日常に浸りすぎていた俺が悪いのか?
「はぁ~~、良いか、ミリカ。俺はあくまでも旅をするいたいけな少年であって、この教会に一生暮らすわけじゃないんだ。それどころか、この街を離れてからは会うことなんて滅多にないと思うぞ?だから……」
「そんなの関係ない。本当の家族だっとしても、出稼ぎにでる人だっている。だから、いずれおにぃがこの街から出て行ってしまうとしても私の家族には変わりないんだよ?」
その言葉に俺は何も言葉を発することができなかった。
その言葉に感動したとか、あまりに予想外すぎたとか……は、あることはあるが、そうではない。
俺は、理解ができなかったのだ。その感覚に。俺自身に向けられる家族への愛情。俺以外が、俺に向けて、愛情を向ける。そのことを俺は受け止められないのだ。
俺にできることは、表情を消さないこと。動揺したように見せかけることでミリカにショックを与えないこと。
「……そう思われてたなんて心外だな。妙になついてくるとは思っていたが」
「いや?」
幸い、ミリカは俺の演技に気づかず、可愛く首を傾ける。
「いやというか、予想外というか。ミリアは……、いや、あれはそういう意味だったのか」
ミリアがミリカに意味深な言葉を残したのは、あいつもということか。
「じゃあ、俺が悪いのか?」
「そうだよ!!」
「だよなぁ~……」
「おにぃは悪くないってさっきから言ってるでしょ……!」
俺といじめっ子グループの考えが一致したが、ミリカは相変わらず他の子ども達に睨みを利かせている。
(これが今までまともにコミュニケーションを取ろうとしなかったツケなのか……)
俺は目を閉じて天井を仰ぐ。今顔を下げるとキッズファイトに巻き込まれそうなので、例え明日首に激痛が走ろうとも、俺はのど仏を上に向けたままの体制を保つことを心に強く決め他のだった。
○ ○ ○
「それにしても、まさかここまで人が集まるとはね」
「俺の言ったとおりだったろ?」
俺とミリアの前方には、普段なら絶対にあり得ない数の人が教会前の広場を埋め尽くしている。
今日はバザー当日。広場の外周を沿うように店、というか商品を広げているのは孤児の皆。いままで接することのなかった住民達に怯えながらも、自分達が作った商品が売れていくのを嬉しそうに見ている。
「ま、売れて当然なんだけどな……」
今回のバザーは初回ということで大特価セールにしている。
普通の店で売っている商品の値段の四割ほどで売っている。しかも、商品の質は悪くない。これが子ども達だけならば品質は低いものになっただろうが、俺が最後に手直しをしたので全て悪いはずがない。
「ていうか、あのお守り効果あるの? いや、本当にそういう言い伝えがあるのは聞いてるんだけど」
「ああ……、大丈夫だろう。”本当に”お守りになるようにしたし」
「は?」
「実はあれ、魔力を込めてるから多少なりお守りになるぞ。そうでなくても、パワーストーンみたいな効果ぐらいはあるだろうな」
この街に伝わっている伝承は間違いではない。ただ、昔はそこまで魔力に関する研究が進んでいなかったため、儀式という形式をとって知らずの内に魔力を込める結果となった。
魔力を込めたといっても少量なのでそこまで効果はないが、次にバザーを開く頃までは持つだろう。問題は、次のバザーまで俺がこの街に滞在しているかだが、まぁ、それは誰かに方法を教えればいいだろう。
「……ねぇ、あんたの計算ではどのくらいの利益が出せると思うの?」
「具体的な数字で言ったら、そうだな……、この教会を修繕して二か月以上は生活をしていけるだろうな。ただ、修繕費自体は俺が修繕を手伝ったうえでだな。それに、維持費はもっとかかるだろうな」
「そ、そんなに……」
「一応言っておくが、この売り上げがまた次回でも得られるとは思わないほうがいいだろうな」
俺はぼぅっとミリカが微かに口元を緩めているのを見ながら続ける。
「今回は俺が品質を確認し、一定基準以下の物は俺が修正したから問題なかったが、次からは俺は何もしない。もちろん、俺も商品を作ることには協力するが、最後の確認はしない」
「なんでよ? あなたがやれば確実なんだから」
ミリアは俺の隣に座ると顔を覗き込んでくるが、俺は体を起こして距離をとる。
「あのなぁ……。俺はいつこの街から分からないんだぞ? これは一時凌ぎのための作戦じゃないんだ。お前達が生活できるようにするための作戦だ。俺無しでもあの品質を保ってもらはないと困る」
「そっか……、いつか出て行っちゃうんだよね……」
「そうだ。だから、あまり俺に子ども達を近づけない方がいいだろうな。何かの間違いで懐かれたとき、あの子たちが辛いだろうからな」
俺は立ち上がると、ミリアを置いて宿舎に歩いていく。
一人残されたミリアはカキスが消えて行った方を目で追いながら、誰に聞かせるでもなく小さく呟く。
「……そんなこと言われたって、私が一番あなたに懐いちゃってるのに言い聞かせることなんてできるわけないじゃない……」
カキスの背中に向ける視線には確かな熱が込められていた。その熱は家族愛ではない何かだった。
「お姉ちゃん……」
「んひゃあう!?」
突然かけられた声に変な声を上げるミリア。声をかけたのは妹のミリカだった。
「これ、お姉ちゃんに」
そういって、口数の少ない妹から渡されたのは小さな箱だった。
「どうしたの? これ」
「私たちからお姉ちゃんに、日頃のお返し」
開けてみて、という目で見られたので何の飾り気もない小さな箱を開けると、とても小さなリースが入っていた。それはこの街では魔除けに効果があるとして売っていた商品を小さくしたものだった。
ミリアは良く意味が理解できずに顔を上げると、ミリカいつもは見せない笑顔を浮かべていた。
「嬉しい?」
「う、うん」
「おにぃがね、言ってたんだ。そのお守りには色んな言い伝えがあるって。その中に一つが、『最愛の家族への感謝』っていうのがあるんだって」
そのリースを箱から取り出してみると、藁のほかにも小さな札を編んでいる。その一つ一つにはぐにゃぐにゃにまがった字やなんて書いてあるのかわからないような字で、ただ一言
――ありがとう
「……う、うぅ……っ!」
「ほんとは皆で一つずつ作ろうって話にもなったけど、おにぃがそうした方が喜ぶんじゃないかって」
「うんうん……! す、すごく、ひっ、嬉しいよ……! ありがとう、ありがとうミリカ、皆ぁ……………!!」
そうして、初のバザーは成功を収めた。この上ないハッピーエンドで全てが終わった。
―――――――――――――カキスを除いて―――――――――――――
○ ● ●
「……結局、あの扉に関する書物はない、か……」
俺はとある貴族の家の書庫に侵入している。警備の人間は今頃久しぶりの熟睡を満喫していることだろう。
「あれは確実に何かを封印するための扉だった。それも、かなり厄介な物を。せめて、それが生物なのか、固形物なのか、それだけでも分かれば多少対策ができるんだが」
一センチ以上埃が積もっているのも気にも留めず、手当たり次第に棚から引っ張り出してぱらぱらとページを捲っては、十秒足らずで元の位置に戻す。それを繰り返しているが、いまだに目的の物は見つからない。
(これだけ探しても見つからないとなると、貴族連中は知らないのかもしれないな……)
昔からこの街は貴族と庶民以下が別れて暮らしている。もしかしたら、こちらでは何が起こっていたのか知らないだけの可能性もある。それにしても妙に情報がないのは気になるが。
「……欲しい情報は増えないのに、いやな予感だけは増えていくな」
俺はローブを翻して書斎を後にする。
扉を押し開けた先に広がっている廊下の壁には、いくつも血痕が付着しており、ここで戦闘が行われたことが分かる。ただ、どこにも死体がないのが異常だった。
「あぁ……。このままにしておくのはまずいか……」
俺はローブの端を破ってタオルぐらいの大きさの布を作る。そして、近くにあった花瓶の中にある水をそれにかけて濡らすと、雑に血を拭き取る。
元々時間がたっていなかったせいもあり、垂れていた液体は更に水分が増えたせいで、色は薄まったものの余計に広がってしまった。だが、少年は満足そうにうなずく。
「よし、こんなものか」
何故なら、壁に張り付いている鮮血の形をあやふやにするのが目的だからだ。どうやって暗殺したか。その手がかりを少し誤魔化すだけでも事実が判明しにくくなる。とはいえ、その必要があるような人物が訪れるとは、少年は思っていない。
ローブの切り端をそこらへんに投げ捨てると、角を曲がる。一つ角を曲がるだけで荘厳な廊下が広がっていた。逆に、角を覗けば狂気が広がっている。
死体も何もない廊下の壁が真っ赤に染まる。それも、一晩で。さぞ混乱することだろう。
「さて、次はどこを探りに行くか……」
少年は表情だけでなく、瞳すらも感情がなかった。
将来の夢は、人里離れた山奥でニートをしながら小説を書くことなんだ。
嘘です。かきすです。
更新が遅れて本当にすみません。本当は九月中旬ぐらいに書き終えて、再テキスト化も終わらせていたのですが、”それを忘れて”また家のメモ帳に書いていました。そのせいで、この有様です。
内容は、強引に感じるかもしれませんがバザー終了まででした。が、たぶん、「盗賊的な奴との戦闘があっさりしすぎだろ!」とか、「バザーの終わり方、雑!」とか、「結局意味わからんは最後の最後!」とかとか、いろんなことが言いたくなったかもしれません。
そういう方は、どうぞ、感想欄に。(さりげなく感想を引き出そうとする)
とりあえず、作者的にはこれで一年目の本筋の三分の一が終了しました。次回からは数回ぐらい短いものの、短編的な日常が続きます。これは前回にも書きましたが、それで日数を経過させます。
え? それはまとめて後から投稿してさっさと話しを進めろ? ……ネタが定まらないんだよ!!(逆ギレ)
そろそろテンションがおかしくなってきたので今回はもう終わろうと思います。
ついでに、本編はもう少ししたら二話分ぐらい一気に投稿したいな~、と思ってます。
それでは、また次回。