プロローグ
ある少年の話をしよう。
少年は自分を嫌っていた。
少年は自分の体を流れる血を嫌っていた。
少年は自分の体を流れる血にある歴史を嫌っていた。
ある少女の話をしよう。
少女は自分を嫌っていた。
少女は無力な自分を嫌っていた。
少女は少年を支えられない無力な自分を嫌っていた。
ある少年少女の話をしよう。
少年は自らの血の因縁により少女の体を傷つけた。
少女は自らの無力さにより少年の心を傷つけた。
少年と少女。はたしてどちらの傷が深いのだろうか。
ただ、どちらの傷が癒えるのが先か、それはすぐに解ることだろう。
2000年9月5日。
四季がある大和的にはまだ夏(正確には秋)だが、今ここは春の日のように暖かい。
ここは、四季による変化がほとんどない。
「おい、あんなところにガキがいるぞ」
ついでに言えば、今は夜なので昼に比べれば寒い。
「本当だ。ミルクでもチューチュー吸ってんだろ」
俺は暑いのよりは寒いほうが好きだ。なので夏は嫌いだ。
「ママのミルクだと思ってな。チューチューってな。ハハハハハハハハッ!」
「ハハハハハハハハハッ!」
店内の客は大人が二人と子供が一人。大人二人は完全に酔っぱらい、子供はコップに入っている琥珀色の液体をちびちび飲んでいる。
二人と一人はカウンターの右端と左端に座っている。
子供は二人が来る前から居座っており、二人はこの店に来る前から呑んでいたのか、席に着いた時点で顔が赤かった。
「マスター、おかわり」
「…はいよ」
子供は少年で、かなり幼い。酒場の空気もあり、ひどく異様だ。
おかわりをもらっても少年は相変わらず、ちびちび呑んでいる。
「おいおいマスター、ミルクじゃないのか?」
「おいもういいだろ。帰ろうぜ」
一人が無理やりもう一人の腕を掴み、二人分のお代を置いて店を出る。
「……………………」
「……………………」
カランッ。
氷が澄んだ音を出すと、先ほどまでの緊張した空気はなくなり、心なしか、マスターと子供の表情が和らぐ。
「ふぅ、酔っぱらいは嫌いだな、俺は」
「…好きな奴はそうそういないだろう」
「酒場のマスターが言うと、説得力が違うね」
少年の言動は大人っぽいが、笑った顔は年相応の幼い笑顔だった。
「…人一倍酔っ払いと接しているからな……」
そんな少年に違和感を抱く様子もなく、馴れた様子で会話をするマスター。
会話の内容だけ聞くと、とても十一歳と四十歳の会話とは思えないだろう。
「俺もそろそろ出るかな……」
少年はぐぃっとコップを煽ると、数枚の銀貨をカウンターに置いて立ち上がる。
「…まいど。…明日も来るのか?」
「その日の気分、かな」
いつもの言葉を残し、店を出る。
酒場『ダンディー』から南に歩くこと数分、街の協会に着く。
その協会は、とても古いのが外壁から見て取れる。実際、古くからこの町にあるらしい。だが、外壁だけではなく、中の壁もボロボロだ。
協会というのは宗教的なシンボルともいえる。宗教は民主の心の支えになる。そのシンボルがここまでボロボロということがこの街の荒廃さが解る。
「カキスですか?」
「げっ」
明かりがついていた部屋の窓が開かれ、中から四十代ぐらいの女性が顔を出す。
「こんな夜更けに何処へ?」
その女性は修道着を着ていて、穏やかに聞いてくる。
「……今帰ってきたとこだよ、シスター・アマリー」
名前は「アマリー・トーン」。ここ、ヴェルド大陸の北西にある街「テートン」の協会でシスターをしている。シスターはこの教会で育ったらしく、先代のシスターから受け継いだ。
テートンは治安が悪く、孤児が街にあふれている。それを、布教に来た初代シスターがここに教会を建て、孤児の面倒を見始めたのが最初だ。
テートンには二週間前から滞在しているが、シスター、というかこの協会はこの街の良心だと思う。協会の子供たちは純粋なのは、ひとえに、協会があってこそだろう。
「カキス?今何時なのか分かっていますか?残念ながらこの街は治安がよろしくないのです。何かあったらと思うと……」
「大丈夫だよ、シスター。俺は旅人なんだから多少なりと武術の心得があるから。それに、もし俺に何かあってもシスターが気にすることじゃない」
俺の言葉に、シスターは悲しそうな顔をする。
「そんな淋しいことを言わないで、カキス。……確かにあなたはこの国、この街に生まれたわけではありませんが、この教会で生活している以上、他の子たちと同じ……」
「家族として扱う、だろ?」
シスターの言葉を遮るように被せる。
「ふぅ……、分かった。俺が悪かったよ、シスター」
俺は今、協会に泊まらせてもらっているのだ。なので、シスターにとっては俺も『家族』の一員。
(家出をしたはずなのに『家族』の一員とはこれいかに?)
「わかってくれればいいのです。……おやすみなさい、カキス」
「おやすみ、シスタ・アマリー」
キィッ、と蝶番の軋む音を立ててシスターが窓を閉める。
「………………『家族』、ねぇ……………」
一人残された幼い少年のどこか嘲笑うような呟きは、誰に聞かれることもなく、ただ夜の闇に消えるのだった。