夜:あいかわらずなのね…
ユキと賀川。
「お帰りなさい、賀川さん」
「ただいま雪姫。かわりはない?」
「はい……今日も剣の修行ですか? 余り無茶をしないで。だって昨年の今頃は……」
「うん、わかったから。心配しない、で」
「んっ、っ、玄関先で……す……賀……っ……ア、キさ、ん」
色々言われるのを口止めにキスを交わして、だいぶ慣れたとは言えユキの顔が赤くなる。
「仲がいいのはイイけれど、玄関先はヤメテって言ってるはずよ。賀川君」
笑いながらも台所からチラリと睨む葉子の気配。どちらかと言うと奥にいるタカや香取が発する無言の威圧が、何倍も賀川にとって怖いのだが。
「ん、……じゃ、着替えてくる」
「あの……」
「え? 押し倒されたいならおいで?」
そう言うとユキがもっと顔を赤くして逃げるように行くその背を見送って、二階に上がって服を着替える。そしてじっと手を見る。初めは自分の技であるラッシュを放つ時に集中する為の行いだった。今は気持ちは揺らがないと確認するための、既に癖になった行為。
稽古に稽古を重ね、抜刀と振り抜きで藁束くらいなら太刀筋鋭く両断できるようになった。義兄の魚沼にすれば児戯に等しい技術だが、コレがラッシュの中に込められたら大きな技になってくれるだろうと思いながらも、実戦で刀を振るうような事はないように祈る日々だ。ラッシュや刀を振るうという事はユキに何かあるという事に他ならない。
巫女の力、人柱と成れる力は月経が無くなるまでは確実の彼女の中にある。まだ三十年以上は守り切らねばならない。一つ一つ危険を断ち切っていくには、圧倒的な力が必要である。だが普通にしていても『力』は手に入る物ではなく、守る作業は子を成し代を重ねていく以上、三十年とは言わず、半永久的に続く。
昔、刀守が宵乃宮という大きな力を持つ者に従属し、ただ養育するだけの刀森となって行った理由はそういう所にあるのだろう。
「このまま平穏だとイイな」
一年前のこの頃は……この家は穏やかに見えていろいろガタガタだった。だが少しずつ平穏の日々が積み重なっている。
現在、子馬や香取などが裏で立ち回ってくれているおかげだろう。今日も暗い影が彼女に伸びていない事に安堵していた。彼女の知らない裏で生きる苦痛に耐え続けるとしても、今は指先が奏でる旋律が彼を真っ直ぐに支えていた。
賀川は下階に降りると食事と風呂を済ませる。部屋へ戻る途中、縁側でユキが夜の空を眺めていた。いつも彼女の側に飛び回る蝶が、今日もひらひらと飛び寄って来ていた。
「賀川さん……」
彼が近寄って来ていたのに気付いたユキが赤い瞳をゆらりと向けて、ゆっくり笑う。
賀川は足元に蟻などの虫がいないか確認してから側に腰を下ろす。冬の頃は余りいなかったが、これからは虫の活動が盛んになる。嫌いと言いながら虫から好かれる彼女といる上の配慮だ。
「どうしたの?」
何か言いたげにしている気がして賀川が尋ねると、ユキは夜空に目を向けた。
「今日、夢を見ました」
「どんな夢?」
「たぶん……未来の夢」
彼女は前にも増していろんなモノを見ているようだ。だから特に驚きもしない。『過去』を見られたとわかった時には慌てもしたが、それも昔の事で、賀川は『夢』は『夢』と思う様にしている。
たまに『飛行機が落ちた』『地震があった』など彼女が夢を語って、そうしないうちに現実でそれが起こることもあるが、それとて賀川に取っては偶然の一致にしか思えなかった。ユキと『繋がっている』からか自分自身でそういう体験をする事も増えたが、神や超常現象を信じない彼にとってはやはり偶然、なのである。
だが普通にそう思える人間はなかなかいない。
過去や未来を垣間見る事、そして色々を捻じ曲げる人柱、そして宵乃宮が彼女を一番欲した理由……それが本当にあるのだから、提供しろという者や、我が物にしようとする者は後を絶たない。表面上は何もない穏やかな日も、水面下でいつ彼女はさらわれてもおかしくない現状。彼女の命や行動一つで状況は変わる……皆の、大義の為に何故その力を使わないか、と吠えたてる。
だが彼女が身を賭して、巫女として奉仕した所で、その力も祈りも予言も都合のいいようにしか使われない。それがこの国の現状。彼女の命は一つなのだから。
だから神は彼女をこのうろなという小さな場所で生かせるように仕向けていた。タカという親に、守り人の賀川と他に色々を結びつけて。
「又、怖い夢を見たの?」
賀川は大好きな彼女からこの力がなくなる事を望んでいる。いろいろを感じ、見た所で、何も変わらない恐ろしい未来を見続けるのは辛いだろう。でも彼女は彼女だから無くなる事はない、ならば隣にいて聞いてやる事だけが、有事のない時の賀川の姿勢だった。
賀川の心配する気持ちを感じ取ったのか、ブンブンと首を振って、ニッコリ笑う。
「心配ないの。今日は楽しい夢だったのです」
「聞いてもいいのかな?」
「はい。あのですね、私に似た白髪で赤い瞳の女の子がいて、『パパと結婚する』って言ってたのです」
「ぱぱ、と?」
「そ、パパ」
ユキが照れながら賀川を指差した。
彼女は今年が十九の年。今日はまだ四月で、本当に十九になる十二月であるし、まだ結婚は早いと思っている。でも彼女が少しでも早く家族が欲しいのも知らない訳ではなかった。ただ緩い彼女でも子供を生めば同時に巫女か巫子を増やす事になり、それは守る者へ負担が増えるという事はわかっている。
だけど賀川が『ぱぱ』と呼ばれる様がどうしても印象に残って、告げたくなってしまったという感じであった。
「パパと結婚するなんて言われるなんて、本当に賀川さんは良いパパしてるんだなって思って、目が覚めたのです」
賀川が親になる自信が無いと常に考えていて、それでもユキが望むのは家族であるから、それに対して努力しようとしていた。もし未来があるのなら『良いパパ』ならどんなにイイかと思う。
「でも俺が結婚するのは雪姫だよ」
賀川にとっては本当は戸籍なんてどうでもいいのだが。そして口にしているその言葉はプロポーズにしか聞こえないのであるが、彼は意識していない。ユキは視線を泳がせてから、頬を染めて、
「とにかく今日は全部がエイプリルフールじゃないと良いと思ってます」
「そうだね、その夢は誠になると俺も嬉しいな。けど本当に娘にそう言われたら困るね? たぶん」
想像できなくて、それでも『家族』が居るのはきっと『くすぐったい』のだろうと思いながら、出来ない想像を一生懸命巡らせる賀川。
「そう言えばもう一つ、話したい事があるのですが……」
「なに?」
「あの、この頃、葉子さん調子が悪そうなのです」
「それは知ってるけど。今日も朝の用意したら休んでたよね。更年期かしらなんて笑っていたけど、あれ、辛いらしいし心配だよ」
「更年……いえ……もしかしたら、なんですけど……ああ、いいんです。もう少ししたらハッキリすると思うので」
歯切れの悪いユキの台詞に賀川は首を傾げる。彼女はその視線を避ける様に、空を見上げる。
「森で見る空とはまた違うのですが、やはり今日もうろなの空は……変わらず綺麗です」
「森に帰りたい?」
「……たまには。でも一人にはもう帰りたくないです。……アキさんと、皆と一緒に居たいです」
「そうだね」
彼女の肩でゆっくり羽を休めていた蝶が飛び立つ。どこからかもう一匹の蝶が飛び寄って。二匹は絡むように空高く飛んで行く。その姿を見送りながらユキを抱きしめ、賀川はその唇に約束を乗せた。
さぁ帰ろうかなぁ~♪