夕:その名をよぶのはいつのコト
冴の夢の中
「ねぇ、かーさん。これ落ちる?」
相場の数字を眺めて私は一笑する。
「そうですわねぇ、コレ、明日にはガクンと来ますわ。売るなら今日ですけれども。買うなら下がり切った所で。でも相当、次は時間が……貴方にもわかるのですわねぇ」
「数字は面白いよ、いろんな流れみたいなの、見えるし。今は金やプラチナも面白いよ。あ、こないだの株の方は、さっき売って利益がこのくらい……あ、これで蒼華姉ちゃんも儲けてるみたいだけど、そろそろ手放すんだって。どう思う?」
笑えばカワイイ顔だけど、笑いかけて不機嫌そうに顔を歪めてる。
「そう……ねぇ、細かく市場に張り付けないのなら大雑把にココ数日は売り時ですわね。でも本当に小さい頃から、絵本より株式の方が面白いって顔して。さぁ売り終わったなら、今日はおしまいにして下さいませ」
少年の座る前に置いたタブレットの電源を落とす。少年はとても小さく愛くるしい顔をしていた。椅子に掛けられたジャンバーに付いた名札には三年生とあるけれど、どう見ても小学生にギリギリ見えるくらい。名前は……
「かぁさん、とーさんは?」
「夕方には裁判所から戻って稽古場に入るはずですわ。そうそう今度、久しぶりに勝也師範が来ますわよ」
「桜也、絆創膏が何枚いるかな……確認しといてやろ~」
「あら、二人でかかって来てもイイって言ってましたわ?」
「誰がヘタレ桜也の補佐なんかするか~こないだなんか散々だったし」
側に置いた底瓶眼鏡をかける。父親と同じく、見えすぎる物から視界を遮る為のモノ。可愛らしい顔がそれで隠され、ぎょろりとして、不機嫌そうに閉じた口が強調されて私の大切なカッパ二世の出来上がり。
「叔父さんはまた今年も海外演奏に出る?」
「この春は運送の仕事が休めないらしいけれど、家族全員で夏休みに一週間くらいは行くはずよ。今年はウィーンでしたかしら?」
「そのまま住んじゃう事はないよね?」
「玲ちゃんとユキちゃん……貴方の叔父さんも叔母さんも、うろなが好きだから。大丈夫ですわ。弓姫ちゃんが心配?」
「アイツは俺が守るから。離れると……」
そこで小さな子供の泣き声が響く。
「あ、巴恵が泣いてるよ。昼寝から起きたんじゃ……俺はとーさん戻る前に、叔父さん所にピアノ習いに行ってくる~」
「気を付けて下さいましね。葉子お母さまとユキさんに今度お茶しに行きますって言っておいて」
ピアノは才能がゼロなのに叔父である玲に張りあって……その小さな背を見送った所で、ハッとして……
「冴? 起きたか?」
「て……鉄太様……」
「珍しいな。冴が仕事しながら眠るなんて……昨夜仕事が終わるのが遅くだったのに……」
「だって昨夜は排卵日でしたし……」
「無理しなくていい、子供はできたら嬉しいが、冴が苦しいのは嫌なのだ」
「苦しくなんて。無理はしていませんわ。冴は鉄太様と……その、夜を過ごすのは……嬉しゅうございます」
「さ、冴。そんな顔を……」
「大好きですわ」
真実を告げて、唇を重ねると鉄太様は真っ赤になられて、それでも回してくれる腕が小さいのに逞しい事に嬉しくなりますわ。
結婚したのが2013年11月11日。今は2015年4月1日。結婚した当初から鉄太様には早くに子供が抱いて欲しくて。妹の巴様が亡くなって悲しい想いをした人だから。新しい家族を早く作って差し上げたくて。 私は長く精神的に波がありましたが、結婚してから半年で『発作』は無くなって。薬もなく安定してきたのですけれども。子供には恵まれなくて。うまく行かぬものです。
「そう、そうですわ。今、夢を見ていましたの」
「ふ、ふむ、どんな?」
「夢の中で息子がいましたの。パソコンの隅に出ていた日付は2027年4月1日で、三年生の名札がありましたの。きっともうすぐ四年生になるのですわね。後、もう一人、赤ん坊の泣き声もいたしましたわ……」
おっぱいを欲しがる赤ちゃんの泣き声に胸がきゅんとした感覚。まだ味わった事のない母親のそれをそれとわかった不思議な夢。
「えらくリアルな感じだな。しかし27年度に四年生に上がると言うなら、逆算すれば俺が60になっての年の子ではあるまいか。更にそれより幼子と言うと……完全に父親と言うより、おじいちゃんだな」
うぬ、っと、考え込む鉄太様。だけれど時計を眺めて、
「まぁ後、十二年後の事を考えるより、今日の稽古を付けるのが優先だな」
背広を脱いで、道場に向かうその姿に声をかけますわ。
「あきらちゃんが仕事の後で稽古を付けて欲しいと連絡がありましたわ」
「うぬ」
下階には先日より開いた『魚沼剣道場』がありますの。もう改装したのは一年以上前。
鉄太様はお強いですが、記録がないですし、弁護士の仕事もあります故。今年の頭くらいから基本は外部より師範や師範代を講師としてお呼びし、道場を開いております。
そう言えば講師にはこの町の中学教師、清水 司様のお父様で、鉄太様の幼き頃より親友の梅原 勝也様も来て下さいました。その一番弟子である河中様にも結構な頻度で来ていただき助かっております。
「そう言えば……」
下まで降りて行きかけた鉄太様が戻って来て、
「その夢で坊主の名札を見たと言っていたが、名前は見たのか?」
「……いえ」
持てぬかもしれない息子の名前。口にすれば詮無い気がして。
「……銀之助」
「え?」
「俺も今日、夢で。息子にそう呼びかけていたのを思い出してな」
「そ……」
「べんごしせんせ~来たよ~」
私の声を遮る様に下階から剣道を習いに来た少年の声が響いて。会話はそこで終わったのですけれど。小さな夫の背を見送りながらカレンダーを眺めるのですわ。
「エイプリルフールですわね……?」
私が夢で見た『息子』の名札にも、確かに『魚沼 銀之助』と書かれていたのですけれど。今まで子供が欲しいと言う話はしても、出来てもない子供の名前の話などした事がなかったのに。
これは何かの悪戯?
窓の外にフワリと夕風に舞った蝶の姿に、春の訪れを感じながら、この悪戯がいつか本当に私達の前に舞い降りたならば……などと考えて、何げなく微笑んだのですわ。
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うろな第三世代!(YL様)
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清水 桜也君
"うろな町の教育を考える会" 業務日誌 (YL様)
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清水(梅原) 司先生 梅原勝也さん 河中さん
次は21時~♪