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第26章:死神

一夜限りの落語とサックスによるセッション。

全てが初めての主人公なるかは、その独特な世界観に引き込まれていく。

会場が静まった一瞬の隙をみて、彼は静かにサックスを吹き始めた。

その旋律は日本的でもあり、西洋的でもある。古いようでいて、どこか新しくもある。とてつもない違和感の中、足音も立てず『清成亭(きよなりてい) 小小(こししょう)』さんは現れた。

それはまさに場所から場所へ並行移動する、この世のものとは思えない出立であった。

着座し、彼は辺りをぐるっと見渡し、鼻で深く息を吸い込んでから両手を揃えて、一礼した。

「えー、お忙しいなかお運び頂きまして、ありがとうございます。清成亭 小小でございます。」


彼の小君の良いイントネーションは、まさに音楽なのではないかと、私は落語の世界に引き寄せられていった。


「えー、見たことある顔ぶれの方も、またそうでない方も大勢いらして下さいまして、本当に嬉しい限りでございますな!」

「私の事初めて見たよーって方は、、、あん、、あー、あんまりいないんでございますよ!!笑 という事は私が覚えてないんでございますな!笑」

どんどん会場は彼の繰り出す話の渦に巻き込まれていく。

「まぁね?皆さんは芸人ではありませんから。顔覚えられなくても良いわけですがね?あたしはそうはいかんのですわ!初めて来られた方は顔と名前だけでも覚えて帰ってやって下さい。こしょうって名前です。、、、覚えやすいでしょ?」

笑いの渦は徐々に大きくなる。

「んでもって、、こんな顔です。、、、ねぇ?男前でしょ?ねぇ!知ってるんです!自分の事だから!」

「あらら、奥の方、そんな甚だ疑問みたいな顔しないでもらって!あのね!男前に見えてなかったらきっと視力落ちてますから!ね!眼科!良い眼科知ってますから!ね!」

「いやぁー、ね、まぁ冗談は顔だけにして笑」

笑いの音量が大きくなる。

「しかしあれですな!目に見えるものというのは然程怖くないんですよ!クルマが凄い勢いで走ってきたって、見えてりゃ怖くねぇ!やっぱりね!あたしゃ、見えないものってのが一番こぇぇんじゃねぇかなって思うんですよ!」

彼はゆっくりと羽織の紐を解き始めた。

「例えば!人の感情、考えなんてのは目に見えねぇ!表じゃいいこと言ってても、裏じゃ何考えてっかわからねぇ!これは怖いですな!あとはね?バケモンや神様!これも目に見えねぇけど、何か力を感じますな!況してや、その神様なんてのが死神なんてったらもっとこえぇ!」


気がつくと今回の本題である『死神』という演目に滑り込んでいた。


「やだやだ、、、やっちまったなぁ、、、仕事はねぇし、銭はねぇし、、借金まみれでもって、にっちもさっちも行かなくなっちまった、、、」

「またかかぁがやいのやいのうるせぇからなぁ、、、、いっそ死んじまおうかなぁ、、、」

「それがいい、、、死のう、、」

まるで画面の中に入り込んだ様な感覚だった。

「死のうたってなぁ、、、おらぁ、初めて死ぬんだからなぁ、、死に方がわからねぇけど。どうやったら死ねるのかなぁ?」


会場からはくすくすと笑い声が響く


「おせぇーてやろうか、、、」

その声はまるで別の人格だった。


「?!なんでぇー!おめぇは!!」

「、、、、死神だよ、、、、」

「、、、死神?!!」


「死神」という不気味な気配が舞台の空気を一変させたその瞬間、待ってましたとばかりに、あの人のサックスが底冷えするような低音で、息を潜めるように静かに動き出した。


「死神」というその演目は、人生のどん詰まりで首をくくることしか頭になくなったどうしようもない男の前に、ある日ふらりと不気味な死神が舞い降りるところから始まる。

人間の命なんてものは、そう簡単に自分の都合でプツリと断ち切れるもんじゃない。寿命が尽きない限りは、地獄の沙汰でも門前払いを食らうのさ――死神は冷ややかに、しかしどこか面倒見のいい口調でそう言い捨て、男に「医者になれ」と奇妙な生業を勧める。

ルールは単純だった。患者の枕元に死神が座っていれば、それはもう寿命だからどんな名医が束になっても手の施しようがない。絶対に触ってはいけない。けれど、死神が足元にちょこんと陣取っているだけの病気なら話は別だ。そのときはすかさず、こう唱える。

――「あじゃらかもくれん、てけれっつのぱあ」

そう呪文を呟きながら、軽く二回手を叩くだけで、死神は消え失せ、どんな重病もたちどころに完治する。そのチートじみた力を手に入れた男は、瞬く間に町一番の、というより神がかった名医として持て囃されるようになった。

男のもとには富豪も貧乏人も関係なく次々と患者が押し寄せ、男は次々に足元の死神を追い払って病を治していく。そんなある日、町で一番の権勢を誇る大屋敷の主人から、重い病に倒れた主人を救ってほしいという破格の依頼が舞い込む。

駆けつけた男が寝室を覗き込むと、主人の枕元には、よりによってあの、絶対に触れてはならない死神がどっしりと腰を据えていた。

「こいつはもう寿命だ。私にもどうすることもできねえよ」

そう突っぱねようとした男の耳に、目が眩むような大金の匂いと、家族たちの必死すぎる泣きつきが届く。どれだけ金を積んでも構わないから何とかしてくれ、その懇願の重さに耐えかねて、男は頭を抱え、薄暗い部屋の片隅で苦い思案に暮れた。

……待てよ。死神が居眠りでもこいている隙を見計らって、布団ごと、ぐるりと逆さにひっくり返してしまえばいいんじゃないか? 足元と枕元を強制的に入れ替えて、あの呪文をぶちかませば、ひょっとしていけるんじゃないのか?

悪魔的なひらめきに脳を焼かれた男は、自分のなかの理性を一瞬でかなぐり捨て、その禁断のギャンブルを実行に移した。

――あじゃらかもくれん、てけれっつのぱぁ。

男の手拍子が乾いた音を立て、見事に死神は押し出され、主人の病は嘘のように消え去った。やった、大成功だ。大金の山だ。

しかし、その次の瞬間。 世界がぐんにゃりと歪み、男が立っていたのは、足元から冷気が這い上がるような真っ暗闇の洞窟の入口だった。冷や汗を流す男の背後から、恐ろしいほど静かな声で、死神が容赦ないお叱りを落とす。

死神に促されるまま、冷え切った洞窟の奥へと足を進めると、そこには目を疑うような光景が広がっていた。数え切れないほどの、無数の蝋燭。細く、頼りなく、それぞれが異なる長さで、ただ静かに赤い炎を灯している。あれが人間の「寿命」なのだと、言葉を交わさなくても直感で理解できた。

そして、死神が冷ややかに指し示した一本の短い蝋燭。 今にも消えかけ、芯の黒い炭だけを残してフツフツと泡を立てているそれこそが、先ほど命を救ったはずのあの主人のものであり……そのすぐ隣で、同じように、いや、それ以上に儚く消えかかっているもう一本の蝋燭が、ほかならぬ「自分」の命の残り香なのだと知る。

ルールを破った代償。さっきの浅はかな裏工作のせいで、助けたはずの主人の寿命と、自分の残された寿命が、ごっそり入れ替わってしまっていたのだ。

「……うそ、だろ」

今にもプツリと途絶えそうになる自分の蝋燭の火を目の前にして、男の背筋にぞっと総毛立つような恐怖が走る。消える。このままじゃ、私の人生が、あんなちっぽけなロウの塊の消耗とともに消えてしまう。

男はガタガタと震える両手を必死で自分の胸元に押し付け、何とかその震えを抑え込みながら、隣のまだ長い蝋燭から、自分の消えかかった芯へとその火を移し替えようと、必死の形相で手を伸ばした――。


「ほら、、、そんな手ぇ震えてっと、、火がけぇーるよ、、、」


なんとも薄気味悪い口調で静かに捲し立てる死神の言葉に、先生のサックスの旋律が拍車を掛ける。


「ほら、、、けぇーるぞ、、、もたもたしてっと、けぇーちまうよ、、、、」


鮮明な映像となって私の脳裏に音と共に飛び込んでくる。


「けぇーるよぉ、、、けぇーる、、けぇーる、、、」

「、、、、あ、、、、けぇーた、、、」


そのセルフと共に先生のサックスの音もピタッと止まり、男は大きくうつ伏せに倒れた、照明が完全に消えた。


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