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つづきを、ください

作者: 週休七日
掲載日:2026/09/20

 俺は、まだ死んでいなかった。


 おんなのこは、くらいおへやに、とじこめられてしまいました。とびらをおしても、ひいても、あきません。


 私は何度も扉を叩いた。握りこぶしの痛みが、手首のあたりまで広がってきた。それでもやめなかった。叩くのをやめてしまえば、世界は私がここにいることを忘れてしまう気がした。


 返事はない。


 男は、背後を振り返った。


 おじいさんは、ゆかのうえで、ねむっていました。


 眠っているだけならよかった。肩を揺すれば目を開けて、うるさいな、と笑ってくれればよかった。


 ぼくは、おじいさんのてをにぎりました。


 あたたかい。


 俺は、あいつを死なせない。


 女は顔を上げた。


 壁の高いところに、小さな窓があった。私は腕を伸ばした。指先は、何にも触れなかった。


 ぼくは、かいだんをつくることにしました。


 ひとつ、のせます。

 もうひとつ、のせます。

 まだ、たりません。


 少年は靴を脱いだ。そろそろと足をのせ、壁に手をつきながら立ち上がった。


 やっと、まどにとどきました。

 でも、おんなのこは、そとへでられませんでした。


 その穴は、腕を通すのがやっとだった。


 私は手を伸ばした。外の空気は冷たかった。冷たいというだけで、これほど欲しいものになるとは知らなかった。


 そこから、くつがみえました。

 くろいくつ。しろいくつ。はやあしでいってしまう、おおきなくつ。


 男は声を張り上げた。


 また、車の音がした。


 ねえ。

 ここだよ。


 ほんの少し下を見てくれればよかった。その人たちの行く先ではなく、足もとを。


 私は喉を押さえた。口を開いても、もう、息しか出てこなかった。


 ぼくは、かいだんをおりました。

 おじいさんは、まだ、ねむっていました。


 女は床に膝をついた。横たわる男の頬に手を添え、もう一度、その名を呼んだ。


 何も起こらなかった。


 返事のないことに、慣れそうになっている自分が恐ろしかった。


 ぼくは、おうちにかえりたくなりました。

 でも、ひとりでは、いやでした。


 私はあの人の手を取り、自分の頬に押し当てた。

 大丈夫、と言ってほしかった。

 嘘でもかまわなかった。


 おんなのこは、なくのをやめました。

 まだ、できることがあるかもしれません。


 俺は、残っている力を使い切るつもりだった。


 私はここにいます。


 だれか、たすけてください。

 おじいさんを、おこしてください。


 このおはなしのつづきを、かいてください。



     *



 新聞配達の小林は、そこで顔を上げた。


 手の中の紙は、大きな裏紙を二枚、糊でつないだものだった。

 最初の一行は、黄ばんだ文庫本。その次は、大きなひらがなの並ぶ絵本。細い活字も、太い活字もあった。行の長さは揃っておらず、隣の文章を切り損ねたらしい文字の端が、ところどころにくっついていた。


 一字ずつではなかった。

 何行かの文章が、そのままのかたまりで切り取られ、貼りつけてあった。


 それが、丸い銀縁の眼鏡を包んでいた。


 小林は、その眼鏡を知っていた。目の前の古書店の店主が、新聞を読むとき、いつもかけているものだった。

 歩道に不格好な紙の包みが落ちていて、破れ目から銀色のつるが出ていた。踏まれたら危ないと思って、自転車を止めたのだ。


 古書店のシャッターは、まだ閉まっている。

 小林は包みを拾った場所へ戻った。壁の根元に、細長い換気窓があった。小さなガラス戸が、開いていた。


 しゃがみ込んだ。


「いますか」


 返事はなかった。


 携帯電話を取り出しながら、もう一度呼んだ。


「読んだよ」


 今度は、音がした。


 窓枠が、こつ、と鳴った。

 それから、もう一度。


 小林は歩道に膝をつき、顔を近づけた。


「読んだ。全部読んだ。今、助けを呼ぶから」


 暗い隙間から、小さな指が出てきた。

 指には、乾いた糊が、白い皮のようについていた。



     *



 地下の書庫では、倒れた本棚が、内開きの扉を押さえ込んでいた。

 店主は棚を避けようとして転倒し、頭を打っていた。意識のない祖父と、ひとりでは棚を動かせない孫娘が、中に取り残されていたのだった。


 救助隊が入口を開けたとき、八歳の女の子は、祖父の服の裾を握っていた。


「いっしょに」


 声はほとんど出ていなかった。


「うん。一緒に出よう」


 その言葉を聞いてから、ようやく手を離した。


 天井では、古い電球が一つ灯っていた。

 換気窓の下には、厚い本を組み合わせた階段があった。いちばん上の本には、小さな裸足の跡が二つついていた。


 床には、穴だらけになった絵本と小説が散らばっていた。

 どれも、祖父が以前に読み聞かせた本だった。孫娘は泊まりに来るたびに、その棚から一冊選んでは、上へ持ってきてもらっていた。


 その日は、店を閉めたあと、二人で本を選びに下りていた。

 店主の携帯電話は、階上の帳場に置かれたままだった。


 床に開いた修繕道具の箱には、鋏と糊があった。

 箱のそばには、インクの出ない油性ペンと、何度もなぞられた、かすかな「た」の字。

 その隣の紙には、小さく切り抜いた文字が、二つ、糊に埋もれていた。一つは裏返しだった。


 最後に見つかったのは、古い作文練習帳だった。


 短い物語のあとに、何行もの空欄が並んでいる。

 そのすぐ上だけが、細長く切り取られていた。



     *



 一週間後、礼を言いたいと招かれ、小林は店主の病室を訪ねた。


 店主はベッドの背を起こしていた。鼻には、あの銀縁の眼鏡があった。

 女の子は脇の椅子に座り、足をぶらぶらさせていたが、母親が例の紙を広げると、両足をぴたりと揃えた。


「いっぱい、切っちゃった」


 祖父は紙を見た。


「うん」


「字、書けなくて。ペン、出なくて」


「うん」


「ちっちゃく切ったら、くっついちゃって。だから、おじいちゃんが読んでくれたところ、探したの」


 女の子は、膝の上で指をこすった。


「起きないのも、外に出られないのも、ちゃんとわかってほしくて」


 祖父は頷き、ゆっくりと読み始めた。

 女の子は、その横から一か所を指した。


「ここ、おんなのこじゃなくて、男の人になっちゃった」


 少し下を指した。


「こっちも。ほんとは、わたしなのに」


 祖父は読んでいた。

 女の子は、もう指を出さなかった。そのかわり、祖父の顔ばかり見ていた。


「変なお話で、ごめんなさい」


 祖父は最後の行まで読んでから、紙を胸の上に置いた。


「わかったよ」


「なにが?」


「おまえが、どれだけ頑張ったか」


 女の子の口が、少し開いた。


 祖父は手を伸ばした。女の子が近づくと、膝の上でこすっていた指を、自分の手の中に包んだ。


「どこを読んでも、おまえだった」


 女の子は、ベッドの端に額をつけた。

 しばらく、そのままでいた。


 やがて顔を上げたとき、小林はポケットからハンカチを出した。

 女の子は受け取り、小さく頭を下げた。


「眼鏡を包んでくれたから、気がついたよ」


 小林が言うと、女の子は祖父を見た。


「これ、ないと、本、読めないから」


 鼻をすすって、続けた。


「落ちてたら、だれか、返しに来てくれると思ったの」


 祖父は眼鏡を外した。

 レンズを拭こうとして、手元に布がないことに気づいた。


 女の子が、ハンカチのまだ使っていない角を差し出した。



     *



 古書店が再び開いた朝、小林は、新聞受けの上に置かれた封筒を見つけた。


 中には、あの切り貼りだらけの紙のコピーが入っていた。

 最後に、一枚だけ、新しい紙が足されていた。


 文字は鉛筆で書かれていた。大きさは少し不揃いだったけれど、はじめから終わりまで、同じ筆跡だった。


 小林は自転車を止めたまま、続きを読んだ。


 きのう、わたしは、おじいちゃんと、いえにかえりました。


 おじいちゃんが、おかえりといいました。


 わたしも、おかえりといいました。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


先日友人に「視点がぶれています」と直されました。

推敲する側からすれば、なかなか骨の折れる仕事だったと思います。


ただ、その違和感を取り除くのではなく、違和感があること自体を、物語にできないだろうか。


それが、このお話でやってみたかったことです。


今回は、そこを思いきり不揃いにしてみました。


読み始めたときには、ばらばらな誰かの声に聞こえていたものが、読み終えたときには、ひとりの声として聞こえる。

文章は変わっていないのに、その言葉を選んだ理由がわかるだけで、伝わり方が変わる。


地の文の面白いところです。


最初は「この文章、直したほうがいいのでは」と思った方にも、最後には「この言葉でよかったんだな」と思っていただけていたら、うれしいです。

本当に誤字だったら、ご指摘ください笑

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