第八話:断罪の夜、父王の最期(後編)
フレアが一歩踏み出した。その瞬間——空気が変わった。
深紅の鎧の隙間から、灼熱の光が溢れ出す。首筋から頬にかけて赤黒い鱗が浮かび上がり、右腕が人間の形を保ったまま倍近くに膨張した。握った炎の剣が業火を纏って白熱する。蒼い瞳が竜の金色に変わり、瞳孔が縦に裂けた。
半竜人化。人と竜の力を同時に行使する、選ばれた騎士だけが到達できる領域。
「——退け。警告は一度だ」
声が変わっていた。喉の奥から地鳴りのような共鳴が混じり、間道の空気が震える。
カザルが歯を食いしばって斬りかかった。達人の太刀筋——だがフレアの炎剣がそれに触れる前に弾き飛ばし、返す刃でカザルの鎧を両断した。一合。たった一合だった。
ヴォルスが横合いから突きを放つ。フレアは身を捻って躱し、竜化した右腕の裏拳でヴォルスの胴を打った。鎧が陥没し、身体が5メートル先の壁に叩きつけられる。
3人目の貴族は剣を取り落とし、後ずさった。フレアはそれ以上追わなかった。背後の帝国兵たちも、半竜人の威圧に足が竦んで動けない。
「姫様、今です。走って!」
レヴィアはフレアの背中を見た。鎧の裂け目から覗く鱗。人でも竜でもない姿。だがその背中が言っていた。——ここから先は、俺が守る。
レヴィアは走った。フレアが殿を務め、追いすがる兵を薙ぎ払いながら続く。
間道を抜けた先の広場。かつての王都の賑わいの残骸があった。商店は倒され、花壇は踏み荒らされ、動かなくなった人々が折り重なっている。教団の騎士たちが笑いながら歩いていた。略奪品を抱え、酒瓶を片手に。
臣民の悲鳴。泣き叫ぶ子供の声。それを嘲笑う勝者の哄笑。
レヴィアは歯を食いしばった。——今は、走れ。
広場の隅、崩れかけた壁の影に、小さな人影がうずくまっていた。
13歳のルーナだった。光の竜族の血を引く淡い金髪が煤にまみれ、年齢の割に小柄で、おどおどしており、どこか幼い雰囲気を纏った少女だった。薄い寝間着のまま膝を抱えて震えている。大きな目は恐怖で見開かれ、焦点が合っていなかった。
「ルーナ!」
レヴィアが駆け寄り、妹の肩を掴んだ。
「レヴィ、ア……お姉様……?」
「大丈夫よ、我がいるわ。立てる?」
ルーナは小さく頷いた。レヴィアはルーナの手を取り、左手で握った。右腕には紅い布。左手には妹の手。
「フレア! ルーナを見つけたわ!」
フレアが追いつき、2人の姫を背に庇った。半竜人化は維持されているが、出血が増えている。
「……姫様。地下水路へ向かいます。他の方々も——」
その言葉を裏付けるように、地下水路の入り口から水の魔力の気配が流れてきた。
「レヴィア!」
水路の格子を内側から蹴り破り、アクアが姿を現した。水色の長髪が泥水に汚れ、銀の鎧に無数の傷がついている。背後からシエルが地図と魔導灯を手に続いた。
「アクアお姉様! シエル!」
「無事だったのね……! ルーナも。よかった……」
アクアはルーナを抱き寄せ、震える妹の背を撫でた。シエルは眼鏡を押し上げ、素早く周囲を確認する。
「合流できたのは幸い。——フレア副団長、他の王族の情報は?」
「エレクト様は王都陥落前に土の領地へ戻られた。テラ姫と護衛のガイア殿と共に防衛線を構築中のはずです。ミラ様は……王宮深部へ向かわれた。ヴァルキリア様とシェイド様を探しに……」
シエルの碧眼が僅かに揺れた。王宮深部。今や王弟軍の只中だ。
「……脱出を優先します。まずは姫様たちの安全が第一です。この水路を南へ——」
「待って!!」
レヴィアが言った。全員の目が集まる。
「お母様は。フランメリア様は、どこにいるの」
沈黙が落ちた。
「……王妃様は、おそらくまだ王宮内です」
フレアが苦しげに言った。
「ですが姫様、今戻れば——」
「分かっているわ!」
レヴィアは俯いた。右手の紅い布を握り締め、左手でルーナの手を握った。2つの温もり。失いたくないもの。守らなければならないもの。
「……行くわ。今は、生き延びる」
夜明け前。
王宮の最上層——かつて父王が国を見渡した露台に、王弟が立った。
背後にグランツェリア帝国の旗が掲げられる。竜の紋章と帝国の鷲が並ぶその旗は、この国がもはや独立国ではないことを宣告していた。六征竜の将たちが左右に控え、その最後尾に——金髪を靡かせた一人の女性が加わっていた。白と金の華麗な衣装、腰のベルトに鑑定の道具類。黄金の鑑定士ギルティア。王弟に見出された、新体制の官僚長。
「我が同胞よ!」
王弟の声が、魔導で増幅されて王都全域に響いた。
「今宵、永きにわたる衰退の時代は終わりを告げた。先王の弱腰が招いた屈辱の日々は、二度と繰り返されない。我こそが——この国の新たな王である!」
兵士たちが剣を掲げ歓声を上げる。だがその歓声は、まだ燻る炎と瓦礫の下の呻き声に混じり、不気味な不協和音と化していた。
——王都の外縁、地下水路の出口。
水路を抜けたレヴィアたちは、城壁の影から王宮を見上げた。露台に翻る帝国の旗。増幅された王弟の宣言が、朝の空気を震わせている。
レヴィアはあの露台を覚えている。幼い頃、父王に肩車をしてもらった場所。「見てごらん、レヴィア。あれが全部、お父様が守っている国だよ」。大きな手のひら。温かい声。優しい微笑み。
黒い狼煙の意味を、もう否定はできなかった。
「お父様……」
声が震えた。隣でルーナが、レヴィアの手をぎゅっと握り返した。アクアが唇を噛み、シエルが静かに目を伏せた。
その時——王宮の中心に聳えていた「竜の柱」が、轟音と共に崩れ落ちた。黄金時代の象徴が粉塵となって夜明けの空に舞い上がる。
右腕の紅い布が、強く発光した。とくん。とくん。とくん。これまでにない強さの脈動。遠い人間界で、ヒカルがレヴィアの痛みに呼応している。
レヴィアは布を胸に当てた。涙が頬を伝い、紅い布に染みていく。
フレアが半竜人化を解き、片膝をついて項垂れた。拳が地面を叩いた。
やがて、レヴィアが顔を上げた。
涙の跡が頬に残っている。けれどその黄金の瞳には、もう迷子の少女の色はなかった。
「……行きましょう」
レヴィアは右手の紅い布を握り、左手でルーナの手を引いた。
「生きるのよ。全員で」
崩れかけた城壁の向こうへ、歩き出す。振り返らなかった。
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