第七話:断罪の夜、父王の最期(前編)
王宮の奥殿。
結界が消えた直後、父王は寝所ではなく執務室にいた。深夜にもかかわらず書簡に目を通していたのは、南方の戦況が気がかりだったからだ。
傍らの長椅子では、土の王妃ガイアリスが浅い眠りについていた。褐色の肌に、大地を思わせる深い茶の髪。がっしりとした体躯は、土の竜族の女傑として知られた彼女の矜持そのものだった。夫が眠らぬ夜は自分も眠らない——それが彼女の流儀だった。
扉が砕ける音で、二人の夜は終わった。
「兄上。こんな夜更けに書類仕事とは、相変わらず勤勉なことだ」
王弟が足を踏み入れた。右手の漆黒の魔剣が、毒々しい紫の光脈を刻んでいる。その背後に、2つの影が従っていた。
一つは、燃え盛る赤髪の巨漢。全身に炎の紋様が浮かび上がり、手にした大剣から陽炎が立ち昇っている。狂炎の破壊者——バーン・ブレイカー。
もう一つは、翠緑の髪を靡かせた細身の影。軽装鎧に双剣を帯び、足音が一切しない。疾風の追跡者——ゲイル・チェイサー。
父王は書簡を置き、静かに立ち上がった。
「……やはり、お前か」
「やはり、と来たか。気づいていたなら、なぜ手を打たなかった」
「……お前を信じたかったからだ」
王弟の足が一瞬止まった。だがすぐに、嘲るように口元を歪める。
「信じる。ハハハハハ——その甘さが、この国を腐らせたのだ! 人間どもに領土を削られ、民は不安に怯え、それでも兄上は『対話』だの『共存』だのと繰り返した!!」
「力だけで国は守れん」
「だから力以外のものも用意した。帝国の技術、教団の兵、そして——」
「黙りなさい!!!」
低い、しかし地鳴りのような声が、王弟の言葉を遮った。
ガイアリスが長椅子から身を起こしていた。褐色の瞳が王弟を射抜く。その視線には、王妃としての威厳と、母としての怒りが同時に燃えていた。
「お前は今、何をしようとしている。分かっているのか!?」
「ガイアリス義姉上。これは兄弟の問題だ。口を挟まないでいただき——」
「兄弟の問題?」
ガイアリスは一歩踏み出した。床が僅かに軋む。土の魔力が、彼女の足元から放射状に広がり始めている。
「お前が手にしているのは帝国の毒剣だ。お前の背後に立つのは、お前が飼い慣らした戦犬だ。——これが兄弟の語らいに見えるとでも?」
王弟の目が細まった。ガイアリスは構わず続ける。
「私はお前を幼い頃から知っている。聡い子だった。誰よりもこの国を愛していた。——それが、帝国の犬に成り下がるとは」
「犬……?」
王弟の声から、初めて感情が滲んだ。嘲笑ではない。怒りだった。
「この国を犬にしたのは兄上だ。人間に媚びへつらい、領土を差し出し、誇りを捨てた。——俺はそれを取り戻す」
「取り戻す? 帝国に魂を売って? 笑わせるでない!」
ガイアリスの声が、一段高くなった。
「この国の子供たちの顔を思い出しなさい。テラを。ルーナを。セフィラを。あの子たちはお前を叔父上と慕っていた。——お前がこの剣を振るった先に、あの子たちの未来がありますか!? 愚か者め、目を覚ましなさい!」
王弟の表情が、一瞬だけ揺れた。
だがそれは、ほんの一瞬だった。
「……邪魔だ」
それだけだった。
バーン・ブレイカーが動いた。巨体に似合わぬ速さで踏み込み、炎を纏った大剣を薙ぎ払う。ガイアリスは咄嗟に両腕を交差させ、土の魔力で即席の壁を生成した。大剣が壁に激突し、轟音と土埃が吹き上がる。
「竜化させるな」
王弟の冷たい指示。
壁が砕ける前に——ゲイル・チェイサーが動いていた。足音のない跳躍。ガイアリスの背後に回り込むまでに、瞬きひとつ分の時間もなかった。
ガイアリスの肌に鱗紋が浮かび上がる。褐色の皮膚が岩のような硬質に変わり始め、身体が膨張していく——竜化の兆候。土の女傑が本来の姿を取り戻そうとしていた。
だが、その首筋に風の刃が走った。
音もなく。慈悲もなく。竜化の波動が、ぷつりと途絶えた。
「——あ」
鱗紋が皮膚の上で痙攣し、色を失っていく。中途半端に隆起した腕が力なく垂れ下がった。ガイアリスの膝が折れ、床に崩れ落ちる。首筋から流れる血が、石の床に暗い染みを広げていった。
「ガイアリス!」
父王が叫んだ。妻に駆け寄ろうとした——その胸を、漆黒の刃が貫いた。
王弟は剣を押し込みながら、兄の耳元で囁いた。
「安心しろ。子供たちは——使い道がある」
父王は床に倒れ込んだ。薄れゆく視界の端に、横たわるガイアリスの姿が映った。手を伸ばす。指先が、妻の指先に——辛うじて、届いた。
その手が動かなくなるまで、数秒もかからなかった。
王弟は剣の血を払い、護衛に命じた。
「全域に布告せよ。王は崩御した。——そして、速やかに確実に王族狩りを開始しろ」
王宮の尖塔から、黒い狼煙が上がった。
王宮の離れ。
レヴィアとフレアは回廊を抜け、裏庭へ出た。夜空に黒い狼煙が昇っている。フレアの顔が強張った。
「……あれは?」
「フレア。あの煙は何なの!?」
フレアは答えなかった。レヴィアの手を引く力だけが、一段強くなった。
裏庭を横切り、城壁沿いの間道へ。ここを抜ければ王都の外縁に出られる。だが——間道の先に松明の灯りが揺れていた。
「やはり来たか、フレア」
甲冑を纏った貴族が3人、背後に兵を従えて道を塞いでいる。つい先日まで王家の宴に列席し、忠誠を誓っていた者たちだ。
「カザル卿。ヴォルス卿。……お前たちも、か!?」
「時流を読めぬ者はここで終わりだ。姫を渡せ」
カザルが剣を抜いた。ヴォルスも続く。二人とも騎士団で名を馳せた達人だ。並の騎士なら束になっても敵わない。
だがフレアは、並の騎士ではなかった。
「姫様。耳を塞いで、目を閉じてください」
「フレア——」
「前だけを見てください。後ろは私が死んでも通しません」
フレアがその一歩踏み出した。
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