第十話:四つの残火、最後の共鳴
王宮地下4層。魔力抽出装置が脈動する薄暗い大部屋に、4人の女性が繋がれていた。
手首から伸びる魔導管が天井の巨大な集積炉へ吸い上げられ、王妃たちの魔力を王弟の軍事力へと変換し続けている。もう何日になるか分からない。
フランメリアが最初に目を開けた。
葡萄酒色の長髪は汚れ、翡翠の瞳は窪んでいる。しかしその奥に、まだ消えていない火がある。隣の装置に繋がれた光の王妃、その向こうに水の王妃、最も遠い位置に風の王妃。全員が衰弱し、意識も朦朧としていた。
「……聞こえますか?」
フランメリアの声は掠れていた。だが確かに、魔力の残滓を声に乗せた。
「私たちから吸い上げた魔力が、この装置を通じてあの男の軍を動かしている。……なら、この管を逆に使えばいい」
光の王妃の指先が微かに動いた。
「抽出の流れを反転させるの。4属性を同時に。この集積炉の許容量を超えれば——」
「……臨界」
水の王妃が薄い唇を動かした。
「理論上は可能。でも逆流の負荷に、私たちの身体が耐えられるかどうか」
「耐える必要はないわ」
フランメリアの声に、3人が黙った。
長い沈黙だった。抽出装置の低い駆動音だけが部屋を満たしている。
風の王妃が掠れた笑いを漏らした。
「……あなたらしい。いつも一番無茶なことを涼しい顔で言う」
「ふふ、褒め言葉として受け取っておくわ」
フランメリアは目を閉じた。装置から伸びる管に、ほんの微かな炎の魔力を逆流させる。集積炉の計器が一つ、揺れた。
「ルーナに……精霊の加護を……」
光の王妃が呟いた。
「アクアは大丈夫。あの子はきっと、誰より冷静に生き延びる」
水の王妃が自分に言い聞かせるように。
風の王妃は何も言わなかった。ただ目を閉じ、小さく息を吐いた。——その吐息が、セフィラという音の形をしていた。
「——始めましょう」
フランメリアの炎が管を遡る。光が続き、水が続き、風が最後に合流した。4つの属性が集積炉の中で渦を巻き、計器が次々と振り切れていく。術師たちが異常に気づき、階段を駆け下りてくる足音が遠くに響いた。
だが、もう止められない。
4人の母の魔力は絡み合い、共鳴し、一つの巨大なうねりとなって炉心を圧迫し始めた。ユニゾン。かつて戦場で竜たちが命を重ねた最終奥義と同じ原理。ただしこれは、敵を焼くためではない。
子供たちを、生かすための炎。
地下水路を南へ進むレヴィアたちの足元が、唐突に震えた。
「地震?」
アクアが壁に手をつく。
「違う」
シエルが眼鏡の奥を細めた。
「魔力振動です。……王宮の地下から」
レヴィアは立ち止まっていた。右腕の赤い布が、これまで感じたことのない熱を帯びている。だがそれだけではない。布の下、肌に直接触れる部分から、もう一つの鼓動が伝わってくる。ヒカルの鼓動ではない。もっと深く、もっと古い、馴染みのある熱。
「……お母様」
声が震えた。
フレアがレヴィアの肩に手を置こうとして、やめた。今この少女に触れてはいけないと、騎士の直感が告げていた。
水路の天井から細かい石片がぱらぱらと落ちる。振動は徐々に大きくなり、水面が不規則に波立ち始めた。遠く、王宮の方角の地面の底から、淡い光が滲んでいるように見えた。赤、白、青、緑——4つの色が混じり合い、脈打っている。
13歳のルーナがレヴィアの服の裾を掴んだ。小さな手が震えている。レヴィアはその手をそっと握り返した。
「大丈夫。……お母様たちが、何かしてくれている」
その言葉が真実であることを、レヴィアは右腕の熱で知っていた。そしてその熱の意味——母たちが何を代償にしようとしているのかも、14歳の少女は薄々感じ取っていた。
だから、振り返らなかった。
水路が二手に分岐する広間で、一行は足を止めた。
天井の亀裂から差し込む月明かりが、濁った水面に細い筋を落としている。フレアが片膝をつき、広げた地図を魔力の灯火で照らした。左腕は肩から吊っている。動かない。それでも右手の指先は正確に地図を辿った。
「左は南方街道に出る。右は東の丘陵地帯を抜けて、聖域教会群に至る」
シエルが眼鏡を押し上げ、地図を覗き込んだ。
「生存確率を上げるため、戦力を分散させるべきです。姫たちが生き残っていれば、この国は再建できるはずよ……」
フレアが顔を上げた。シエルは淡々と続ける。
「王弟の追手はすでに主要街道を封鎖しているはずです。全員が同じ経路を取れば、発見された時点で全滅する。2組に分かれて別方向へ逃げた方が、少なくともどちらか一方が生き延びる確率は格段に上がる」
「……分かっている」
フレアは低く唸った。認めたくないが、正しい判断だった。
レヴィアが口を開いた。
「具体的には、どう分けるの?」
シエルが答える前に、アクアが静かに言った。
「私とシエルが一組。レヴィとフレアがもう一組。——そうでしょう?」
17歳の次女の声は平坦だったが、その目は姉をまっすぐ見ていた。レヴィアは一瞬だけ目を伏せ、それから頷いた。
「ルーナは?」
全員の視線が、レヴィアの隣に立つ白銀の髪の少女に集まった。ルーナは何も言わず、ただレヴィアの裾を握ったままだった。
シエルが地図の一点を指した。
「東の丘陵を越えた先に、光の神殿教会があります。そこに光の大神官アウラがいるはずだ。王弟派に与していない聖職者の中では最も高位で、光属性の庇護に関しては王宮以上の結界を持つ」
フレアが眉を寄せた。
「アウラか。……面識はないが、先代光の将軍の弟子だったと聞く。信用できるのか」
「王弟が即位を宣言した以上、旧王派の聖職者は全員が粛清対象です。アウラも例外ではない。つまり、利害が一致する。それに——」
シエルは一瞬だけ言葉を切り、ルーナを見た。
「光の王妃の娘を預かるという意味を、あの人なら理解するはずです」
レヴィアはルーナの前にしゃがみ込んだ。月明かりの中、10歳の妹の顔は青白く、けれど目だけは不思議なほど澄んでいた。
「ルーナ。少しの間だけ、離れるわ」
「……姉様は?」
「私は、やることがある。でも必ず迎えに行く。——約束する」
ルーナの唇が震えた。泣きそうな顔を、けれど泣かずに引き結んだ。年齢にそぐわない強さだった。あるいは、もう泣く余裕すら残っていなかったのかもしれない。
「……わかった」
レヴィアはルーナの額にそっと自分の額を合わせた。それから立ち上がり、フレアを見た。
「ルーナを教会まで送るのは——」
「俺が引き受けます」
フレアが即答した。
「アウラに預けた後、すぐに姫様と合流する。その間、シエル、アクア王女の護衛は頼んだぞ」
シエルは小さく頷いた。
「我々は、南方の氷の隠れ里を目指します。アクア様の水の魔力であれば、里の結界と共鳴できる。追手が来ても時間は稼げるはずです」
アクアがレヴィアに歩み寄った。姉妹は一瞬だけ見つめ合い、アクアが微かに口元を緩めた。
「死なないでね、姉様」
「あなたこそ」
それだけだった。それだけで十分だった。
フレアがルーナの手を取り、右の水路へ向かう。レヴィアはその背中を見送った。ルーナが一度だけ振り返り、小さく手を振った。レヴィアは右腕の赤い布で、それに応えた。
シエルとアクアが左の水路へ踏み出す。レヴィアは最後に一人、分岐点に立ち、地下から伝わる振動に耳を澄ませた。4つの色の光はまだ脈打っている。母たちの祈りは、まだ続いている。
「……待っていて、お母様。全部終わったら、必ず——」
言葉は最後まで紡がれなかった。レヴィアは唇を噛み、踵を返してフレアの後を追った。
地下水路の闇の中、それぞれの道へ散っていく足音が、やがて水の流れに溶けて消えた。
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