8話 ゲームじゃないよ
拳と刃が交差する。
先に届いたのは、ハリーの拳だった。
打撃Lv1。
踏み込み。腰の回転。最短軌道で、最大出力を。
鈍い衝撃。
――――
【ゴブリンリーダー HP63 → 28】
「おー!結構いいの入ったな」
〈削ったああああ!!〉
〈ワンチャンある!!》〉
〈いけるいける!!〉
〈主人公補正!!〉
――――
だが短剣も止まらない。
刃はハリーの肩口を浅く掠め、衝撃だけを残して通り過ぎた。
HP1 → 1
ギリギリ、致命には至らない。
奇跡ではない。
根性スキルが発現したことで、肉体の挙動がわずかに変わっていた。
“死ぬ動き”を無意識に避けている。
ハリー自身は、それに気づいていない。
ただ、立っている。
まだ立っている。
――――
観測ウィンドウの前で、ゼルが机を叩いた。
「おい、今の見たか!?」
ミロは静かに頷く。
「根性Lv1。発現直後は、致死回避の挙動補正が入ることがある。確率は低いけどね」
「バグみたいなもんか?」
「仕様だよ」
〈解説たすかる〉
〈補正あるのかよ〉
〈主人公補正きたこれ〉
〈HP1で粘るの熱すぎる〉
――――
ゴブリンリーダーが距離を取る。
その目に、明確な警戒が宿った。
格下のはずの人間が、倒れない。
理解できない存在への、本能的な拒絶。
ハリーの視界は揺れていた。
息は荒い。指先は震えている。
だが、思考は妙に澄んでいた。
(正面は、無理だ)
力では劣る。
耐久は論外。
勝ち筋は、一瞬。
一撃。カウンター。
それしかない。
――――
「お、考え始めたな」
ゼルがニヤリと笑う。
「正面打ち合いをやめた」
ミロが分析する。
「人間の学習速度は悪くない。追い詰められるほど伸びる」
――――
《逃げろって!》
《いやいけるぞこれ》
《カウンター狙いだ》
《ボスも慎重になってる》
ゴブリンリーダーの目が、細くなる。
殺意が、濃くなる。
リーダーが距離を取る。そして低く構えた。
今までで一番静かな動き。
予備動作がない。
消えたように見えた。
次の瞬間。
胸に衝撃。
短剣が深く突き刺さる。
《あ》
HP1 → 0
一瞬、音が消える。
ハリーの口がわずかに開く。
息が、漏れる。
膝が折れる。
――――
〈え〉
〈は?〉
〈ちょ〉
〈まって〉
〈0???〉
〈根性は???〉
――――
【HPが0になりました】
ウィンドウが、無機質に表示される。
ハリーは倒れる。
視界が傾き、地面が近づく。
手が、わずかに動く。
何かを掴もうとするように。
だが。
動きは止まった。
ゴブリンリーダーが短剣を引き抜く。血が、噴き出す。
ハリーの体は光に変わらない。
消えない。
ただ、動かない。
《おい》
《立ってよ》
《冗談だろ》
《演出だよな?》
《なあ》
――――
画面の端で、赤い表示。
【探索者死亡】
その文字が出た瞬間。
配信が、ブツッ、と切れた。
真っ暗。無音。
ゼルとミロが一瞬、目線を伏せた。
〈は?〉
〈え?〉
〈配信落ちた?〉
〈サーバー?〉
〈なあこれガチ?〉
〈おい運営説明しろ〉
コメントが、別のウィンドウに流れ続ける。
更新され続ける。止まらない。
ゼルはソファにもたれ、肩をすくめた。
「あーあ」
軽い声。
ミロは画面を見つめたまま、静かに言う。
「残念だね」
〈お前ら何冷静なんだよ〉
〈助けろよ〉
〈復活は?〉
〈観てただけかよ〉
〈なんとかしろよ!!〉
ゼルが鼻で笑う。
「復活?何言ってんの」
画面越しに、吐き捨てる。
「これ現実な」
ミロも頷く。
「ゲームじゃないよ」
その言葉に、コメント欄がさらに荒れる。
〈ふざけんな〉
〈人が死んだんだぞ〉
〈最低だなお前ら〉
〈でも最初に入ったのあいつだし〉
〈自己責任だろ〉
〈いや助けられただろ〉
〈どうやってだよ〉
ゼルは指でテーブルを叩く。
「最初の探索者。フロア2目前。レベル4のスキル2つ。悪くはなかったな」
ミロはデータを閉じる。
「でも足りなかった。それだけ」
真っ暗な配信画面。
コメントの流れは止まらない。
怒号。悲鳴。罵倒。擁護。
世界で最初のダンジョン挑戦者は、そこで終わった。
誰も助けない。
誰も救えない。
ただ、観察されていただけ。
ミロが最後に小さく呟く。
「次は、もう少し持つ個体だといいね」
「盛り上がるしな」
ゼルはそう言って笑う。
「んじゃ、今日はこの辺で終わるわ。じゃーな」
配信、終了。
――――
黒い画面には、まだコメントが流れている。
《なあこれ本当に死んだのか?》
《公式声明出せ》
《誰か確認しろ》
《なあ》
――――
答えはない。
画面は、ずっと黒いままだった。




