5話 初めての魔物退治
悠太視点です。
悲鳴が、やけに近くで聞こえた気がした。
スマホの画面から視線を上げる。
六畳一間の安アパート。薄い壁。くすんだ天井。
蛍光灯の白い光が、やけに冷たく感じる。
いつもの部屋だ。昨日と同じ、ついさっきまでと同じ。
非日常は、窓の外で起きているはずだった。
SNSでもニュースでも掲示板でも、散々騒がれている。
世界中に現れたという“ダンジョン”。
謎の黒い穴。
現れたモンスター。
そして――ステータスウィンドウ。
少なくとも、この安アパートの廊下で起きるような出来事じゃない。
なのに。
「た、助けてくれぇぇぇ!!」
ピンポン。
ピンポンピンポンピンポンピンポン!!
ドンッ!!
ドンドンドンドン!!
チャイムが、壊れたみたいに鳴り続ける。
それに混ざって、ドアを叩く音。
必死さが、音だけで伝わってくる。
……現実が、ドアを叩いている。
俺――佐藤悠太は、反射的に立ち上がった。
さっきまでベッドに寝転びながら掲示板を見ていた体が、急に重く感じる。
視界の端では、まだ半透明のステータスウィンドウが揺れている。
【名前】佐藤 悠太
【種族】人間
【レベル】1
【HP】102
【MP】34
【STR】9
【DEX】11
【VIT】10
【INT】10
【AGI】12
【LUK】27
【スキル】なし
【称号】なし
さっき表示されたばかりの謎の画面。
ゲームみたいな数字。
意味があるのかも、まだよく分からない。
掲示板では、今も悲鳴と報告が流れている。
『緑色のやつ見た』
『武器持ってる』
『公園の穴から出てきた』
『これゴブリンじゃね?』
ゴブリン。
その単語が、妙にリアルに響く。
窓の外。
このアパートのすぐ向かいにある小さな公園。
そこに、今朝突然現れた黒い穴。
まるで空間が削り取られたみたいな、奇妙な闇。
そして――ドアスコープを覗いた瞬間。
廊下の奥、非常階段の影に――いた。
緑色。
小柄な体。
ギョロリとした赤い目。
歪んだ口から、黄ばんだ牙がのぞいている。
錆びたナイフを握る、異形。
「……マジかよ」
思わず、声が漏れた。
その手前で、必死にドアを叩いているのは隣の田中のおっちゃんだ。
作業着姿の、五十代くらいの人。
いつも廊下で会えば「おう」と軽く手を上げてくる、あの人。
「佐藤くん!!後ろ!後ろにいるんだ!!」
おっちゃんの声は完全に裏返っていた。
ゴブリンが、ゆっくりと近づく。
ぺた。ぺた。
足音が、妙に湿っている。
俺のSTRは9。
DEXは11。
どう考えても、ヒーローじゃない。
筋トレもしてないし、格闘技経験もない。
コンビニバイトとゲームとネットが日常の、ただの大学生だ。
でも。
LUK27。
掲示板で見た限り、平均はだいたい5らしい。
つまり俺は――異常に運がいい。
「……信じるしかないだろ」
ドアノブを握る。
手汗で滑る。
心臓がうるさい。
耳の奥でドクドク鳴っている。
ガチャリ。
勢いよくドアを開けた。
「うわあああああ!!」
「おっちゃん!!!」
田中のおっちゃんの腕を掴み、思いきり引っ張る。
体が重い。
でも必死で、部屋の中へ引きずり込む。
その瞬間。
ゴブリンが飛びかかってきた。
ナイフが、光る。
「やば――」
キィンッ!!
甲高い金属音。
ナイフが、なぜかドアノブに弾かれた。
ありえない角度で。
さらに。
廊下の端に転がっていた“誰かのバナナの皮”。
ゴブリンの足が、そこに乗る。
つるり。
「ギャッ!?」
豪快にすっ転び、そのまま非常階段へ。
ゴンッ!!
ゴンッ、ゴンッ!!
ゴゴゴゴゴンッ!!!
鈍い音が続き――
静寂。
俺も田中のおっちゃんも、固まった。
数秒後。
ゴブリンの身体が、光る粒子になって崩れた。
【ゴブリンを倒しました】
【レベルアップ 1→2】
「……え?」
俺、触れてない。
ウィンドウが続けて光る。
【HP最大値】102 →108
【STR】9 →10
【INT】10 →11
【LUK】27 →28
なんでそこ上がるんだよ。
階段の踊り場に、小さな袋と、一粒の光る石が残る。
恐る恐る近づき、拾ってみる。
【初心者の短剣を入手しました】
俺は目を見開いた。
武器。
本物の。
手の中に、確かな重さがある。
震えが止まらない。
怖いのか、興奮なのか、自分でも分からない。
でも同時に、奇妙な確信が芽生える。
――これで戦える。
窓の外を見る。
公園の黒い穴から、ゴブリンやスライムが一匹、また一匹と溢れてくる。
誰かが逃げる。
誰かが倒れる。
ふざけるな。
さっきまで六畳一間でスレを眺めてた一般人だぞ、こっちは。
ステータスをもう一度開く。
【レベル】2
やっぱり上がっている。
田中のおっちゃんが震え声で言う。
「ど、どうするんだ……これから」
どうする?
決まってる。
逃げても、さっきみたいに、いずれこのアパートにもやって来る。
だったら。
「……ダンジョン、行きます」
「はぁ!?」
俺は短剣を握る。
手は震えている。
でも、不思議と絶望はない。
運がある。
異常なほど。
それなら、きっと。
「たぶん俺、簡単には死なないんで」
自信はない。
確信でもない。
あるのは、数字だけ。
LUK28。
平均の五倍以上。
突然始まった、地球ファンタジー化現象。
小説の向こう側だったはずの物語は、もう目の前にある。
短剣を強く、強く握りしめる。
ドアを開ける。
廊下の先、公園の穴が脈打ったように見えた。
そして俺はまだ知らない。
この“運”が、救いになるのか。
それとも――世界をさらに狂わせるのか。
とりあえず今は。目の前のゴブリンからだ。




