11話 来たな
【優先観測対象 JP-01234567 ダンジョン侵入を確認】
【自動配信 開始】
「お」
ゼルは手を止めた。
ミロがデータウィンドウから顔を上げる。
「来たね」
「来たな」
二人は同時にソファから身を乗り出した。
展望ラウンジの大きなガラス張りの向こうには、今日も青い星がゆっくりと回っている。
だがゼルとミロの視線はそこではなく、空中に展開した観測ウィンドウへ向いていた。
映し出されているのは、石造りの通路。
松明の揺れる橙色の光。
壁に躍る歪な影。
そして、壁に背をつけて息を殺している、一人の青年。
「……いい顔してるじゃん」
ゼルが口の端を上げる。
画面の中の男は、今にも心臓が口から飛び出しそうな顔をしていた。それでも足は震えていない。視線は暗がりを捉えて離さない。
「怖がってはいるけど、ちゃんと考えてるね」
ミロがステータスを展開する。
――――
【名前】佐藤 悠太
【種族】人間
【レベル】2
【HP】117
【MP】34
【STR】10
【DEX】11
【VIT】10
【INT】11
【AGI】12
【LUK】28
【スキル】なし
【称号】なし
――――
「レベル2か。ダンジョン入る前に少し狩ってきたっぽいな」
「うん。路地裏でスライムとゴブリンを一匹ずつ。どちらも際どい戦いだったけど」
「際どい、ね」
ゼルが画面を指で叩く。
「LUK28がちゃんと仕事してる。肩にあるあの怪我。ゴブリンの爪が、あと一センチずれてたら頸動脈だったぞ」
「そうだね。本人は気づいてないけど」
「そこがいいんだろ」
ゼルはにやりと笑って、コーラを創造した。
炭酸の泡が弾ける。一口飲む。
「しかしまあ、よく来たよな。LUKを根拠に」
「あの数字を信じて飛び込めるのは、ある意味才能だよ」
「楽観主義ってやつか?」
「違うと思う」
ミロは静かに画面を見つめる。
「怖いのに来てる。楽観じゃなくて、覚悟」
ゼルはそれには答えず、コーラをもう一口飲んだ。
――――
気配を感じて足を止めた瞬間、向こうも気づいた。
赤い目が、こちらを向く。
ゴブリン。
廊下で戦ったやつと同じ種類のはずなのに、ここで向き合うと全然違う重さがあった。逃げ場のない石造りの通路。松明の光が届かない影の中。
飛びかかってくる。
悠太は横に跳んだ。
爪が空を切る。
すかさず短剣を振り下ろす。一撃、二撃。
ゴブリンがよろめく。
追撃。三撃目。
光の粒が舞った。
【ゴブリンを倒しました】
【現在HP 101→90】
思ったより削られた。
爪が掠めた感覚はあったが、あれで十一も持っていかれるのか。
石を拾い、息を整える。
先を急ぐ。
次の曲がり角を曲がったとき、足元に何かが当たった。
ぷるり、という感触。
見下ろすと、青白い半透明の塊がそこにいた。
スライム。
ゴブリンより小さい。動きも遅い。
正直、少し安心した。
短剣を構える。スライムが体当たりしてくる。ぺちっ、という間の抜けた音がした。
【現在HP 91→89】
二しか削られなかった。
悠太は短剣を突き刺す。
スライムが光の粒になった。
【スライムを倒しました】
床に、二つのものが残された。
光る石と。
もう一つ、小さな瓶。
琥珀色の液体が入っている。
恐る恐る触れると、ウィンドウが浮かぶ。
【初級回復ポーションを入手しました】
『……ポーション』
呟いた声が、石の壁に吸い込まれる。
ゲームの中でしか見たことがなかったやつが、今、手の中にある。
飲むタイミングを考えながら、ポケットに入れた。
――――
「おっ、ポーション出たぞ」
ゼルが画面を指さす。
「スライムのレアドロップだね」
「LUKが仕事してるな」
「まあ確率二十パーセントだけどね」
「それをさらっと引くのがLUK28だろ」
《ポーション!》
《回復できるじゃん》
《早く飲んで》
《まだ取っておくのか》
「視聴者も気になってるな」
「飲み惜しんでるのが人間らしいよ」
ミロが微笑む。
「ゼル、次来るよ」
「ん?」
「曲がり角の先」
ゼルが画面を覗き込む。
通路の闇の中に、二つの赤い目。
並んでいる。
「あー、二匹組か」
「フロア1の後半だからね」
「こいつ、気づくかな」
――――
三匹目は、二匹でいた。
曲がり角を曲がった先に、並んで立っていた。
『……っ』
悠太は思わず息を呑む。
二匹同時。
片方に集中すれば、もう片方にやられる。逃げようとすれば、挟まれる。
どうする。
頭が急速に回転する。
二匹の間隔は、およそ一メートル。通路の幅は三メートル。両側の壁まで、それぞれ一メートルずつ。
右のゴブリンが、一歩前に出た。
つられて左も動く。
連携している。
まずい。
悠太は右の壁に向かって、一気に踏み込んだ。
右のゴブリンが反応する。だが俺は右ではなく、壁を蹴って左へ。
左のゴブリンの視界が、一瞬だけ右のゴブリンに遮られる。
その隙間に、首に短剣を差し込む。
【ゴブリンを倒しました】
左が崩れる。
すぐに右が飛びかかってくる。
避けられない。
爪が、脇腹を抉る。
『がっ……!』
【現在HP 89→64】
二十五削られた。
痛い。息が詰まる。
でも右手は離さない。
振り返りざまに、短剣を振る。
ゴブリンを斬る感触が、腕に伝わる。
次の瞬間、反射的に一歩後ろに下がった。目の前スレスレを鋭い爪が通り過ぎていった。今の当たってたら......
もう一度、短剣を繰り出す。今度は胸を正確に狙って。
ドス。
【ゴブリンを倒しました】
二匹目が光になった。
悠太は壁に手をつき、荒い呼吸を整えた。
HPを確認する。
【現在HP64/最大HP117】
『……笑えない』
呟いて、石を二つ拾った。
ポケットの中で、ポーションの瓶がかちりと鳴る。
飲むか。
いや、まだだ。
万が一の時のために残したい。根拠のない節約精神だが、なんとなくそう思った。
前を向く。
通路の奥に、まだ闇が続いている。
――――
ゼルが身を乗り出す。
「壁蹴りは想定外だったな」
「AGI12で、あの判断か。すごいね」
ミロは記録を更新する。
「さっきの目の前通り過ぎたゴブリンの攻撃、当たってたら致命傷だったな」
ゼルがポツリと呟く。
《うおおお》
《かっこいいんだが》
《脇腹やばくない?》
《HP64だぞ》
《ポーション飲めよ》
《名前!名前教えて!》
「視聴者が心配してる」
「まあ、心配する数値ではあるな」
ゼルは画面を眺める。
「でも止まらないだろ、こいつ」
「止まらないね」
ミロは静かに微笑んだ。
「ゼル、レベルアップまであと少しだよ」
「だな。どのステータスが上がるか」
「LUKはまた上がってほしいね」
「お前が設計したんだろ」
「ランダムだからね」
二人は画面を見つめる。
悠太は立ち上がり、また前へ進んでいた。
腕を押さえながら。
脇腹を押さえながら。
それでも前へ。
「なあミロ」
「なに」
「こいつ、死なないといいな」
ミロが目を細める。
「そうだね」
――――
スライムを倒したとき、ウィンドウが光った。
【レベルアップ 2→3】
【上昇ステータス】
AGI +1
LUK +1
DEX +1
【最大HP】117→133
現在HPは74のまま。
でも最大値が上がった。
少し、強くなれた。
それだけで、息が少し楽になった気がした。
『……LUK29か』
ウィンドウを眺める。
平均より、また遠ざかった。
嬉しいのか、怖いのか。よくわからない。
ただ、この数字が今の悠太の全部だ。
――――
ゼルがコーラを置く。
「レベルアップ。AGI、LUK、DEX上昇」
「運動系に偏ったね。今の戦い方に合ってる」
「できすぎだろ」
「ランダムだよ」
「ほんとか?」
「ほんとだよ」
ミロは涼しい顔で答えた。
《レベルアップ!》
《LUK29になった》
《AGIも上がってる》
《名前まだわからんのか》
《日本人っぽいよな》
「そろそろフロア1も終盤だね」
「ボスまで行くか、こいつ」
ゼルは画面を見つめる。
悠太はレベルアップのウィンドウを閉じ、また歩き始めていた。
現在HP74。最大133。
傷は癒えていない。
ポーションは、まだ使っていない。
それでも足は止まらない。
「行くな、これは」
ゼルがぽつりと言う。
「うん」
ミロが頷く。
「行くね」
視聴者数が十万を超えたのは、悠太が次のゴブリンと向き合った、その瞬間だった。




