9話 ニュースでも見てみるか
「……あー」
ゼルがソファの背もたれに沈み込む。
ミロはデータウィンドウを閉じながら、少しだけ首を傾げた。
「最初の探索者の称号の効果、被ダメージ10%カットにしとけばよかったかな」
軽い口調。
後悔というより、設計ミスを振り返るエンジニアの声のような。
ゼルは肩を竦める。
「まーしゃーない」
「そうだね」
一拍。
ゼルが空中に別のウィンドウを展開する。
「地球のニュースでも観てみるか?」
「良いかもね」
ミロは微笑んで答えた。
ゼルは地球の通信網に接続し、ダンジョン発生直前の録画データを引き出す。
画面を拡大。
二人は並んで覗き込んだ。
――――
映像は二人の“宣言”が途切れた直後から始まる。
スタジオの空気は凍りついていた。
数秒の無音。
それは機材トラブルによる沈黙ではない。
理解が追いつかない人間たちの沈黙だった。
やがて画面外から怒号が飛ぶ。
『回線復旧! スタジオ戻せ!』
放送局は日本放送協会。
予定されていた昼のニュース番組は中止。差し替えで緊急特番が始まったようだった。
メインキャスターの橘真一は、机の下で握りしめていた拳をゆっくり開き、カメラを見つめた。
『——ただいま、全世界で発生した通信ジャックについてお伝えします』
背後の巨大モニターには、先ほどまで全世界の画面を支配していたゼルとミロの肖像画が映っている。
テロップには無機質な文字。
【自称“魔人”】【ダンジョン実装宣言】【残り58分】
橘の声はわずかに上擦っている。
『ゼル、ミロと名乗る人物は、一時間後に“地球にダンジョンが出現する”と発言しました。現在、各国で空間の異常が報告されています』
スタジオには五人の専門家が並ぶ。
防衛研究所元分析官。
理論物理学教授。
宗教学者。
ITセキュリティ企業CEO。
臨床心理学者。
誰もが、現実と仮説の境界線を探している顔をしていた。
『お集まりいただき、ありがとうございます。早速ですが、これはテロなのでしょうか。皆さんのご意見をお聞かせください』
橘の問いに、元分析官が即座に答える。
『従来型のテロとは考えにくいですね。軍事衛星、金融決済網、電力制御AIまで同時に干渉されています。国家単位の能力を超えています』
『国家を超える?』
『ええ。“国家”という枠組みを前提にしない規模です』
IT企業のCEOが低く続ける。
『侵入ログが存在しません。ハッキング痕跡がない。例えるなら、家に侵入されたのではなく、家の設計図そのものを書き換えられたような』
スタジオが静まり返る。
理論物理学教授が眼鏡の位置を直した。
『空間歪曲の観測値が事実なら、これは物理法則の拡張です。荒唐無稽ですが、“上位階層からの干渉”という仮説を完全には否定できません』
橘は言葉を選ぶ。
『それは、神のような存在を意味しますか』
宗教学者が穏やかに答えた。
『“地球の神とコラボ”という表現が重要です。特定宗教ではない。概念化された存在。これは布教ではなく、“観測”あるいは“実験”の匂いがします』
臨床心理学者が小さく息を吐く。
『“残り一時間が最後の普通”という言い回し。強烈な不安誘導です。社会は今、臨界点に近づいています』
そのとき、速報が割り込んだ。
【東京駅上空に発光現象】
スタジオの誰かが小さく息を呑む。
カウントダウンは無慈悲に進んでいく。残りは30分だ。
スタジオの空気は徐々に重くなる。
元分析官が言う。
『都市部に出現すれば封鎖は困難です。地下鉄、地下街、インフラに重なれば国家機能は麻痺します』
教授が即座に反論する。
『“出現”と決めつけるのは危険です。物理構造とは限らない』
『では何ですか』
『位相変換された空間。重なり合う異層』
『非現実的だ』
教授は静かに返す。
『現実が非現実的になりつつあります』
空気が張り詰める。
『ここで政府官邸の会見が始まるようです。中継を繋ぎます』
橘がそう言うと、映像が切り替わる。
官邸の記者会見。
『現在、原因不明の現象について調査中です。異常が確認された地点には近づかないようお願いします』
カメラのフラッシュが焚かれ、記者の声が飛ぶ。
『ダンジョン出現の可能性は?』
『確認中です』
『軍事対応は?』
『状況を総合的に判断致します』
言葉は整っている。
だが確信はない。
スタジオに場面が戻ると、誰もそれを否定できなかった。
もう残り十秒だ。
カウントダウンが画面中央に表示される。
10。
誰も喋らない。
5。
橘は原稿を置いた。
3。
教授が眼鏡を外す。
2。
1。
ゼロ。
一瞬、世界が暗転した。
機材がノイズを吐き、スタジオの照明が揺れる。
そして復旧。
モニターに映るのは都内の公園。
地面が陥没し、黒い穴が開いている。
別の画面ではニューヨークの地下鉄駅に発光する門。
ロンドンでは地下に石造りの通路が露出している。
橘は呟く。
『……合成ではありません』
通路の奥から、小さな影が現れた。
緑色の皮膚。
粗末な刃物。
ゴブリン。
悲鳴。
銃声。
そして。
スタジオにいる全員の視界に、半透明の文字が浮かぶ。
【レベル】1
教授がかすれ声で言う。
『……ステータス表示』
IT CEOが震える声で続ける。
『ARではない。裸眼で見えている』
宗教学者が静かに言う。
『世界観が更新された』
橘はカメラを見つめる。
原稿はもう意味を持たない。
『本日午後一時。世界は――変わりました』
背後のモニターでは、空に残る光の紋様がゆっくりと消えていく。
――――
「これがダンジョン発生するときのニュースだな」
「なかなか議論が白熱してて面白かったね」
「はははっ、確かに」
「今の生のニュースも観てみる?」
今度はミロが画面を立ち上げる。
――――
黒い静止画面がキャスター背後の巨大モニターに映っている。
テロップ。
【最初の探索者、死亡確認か】
アナウンサーが慎重に言葉を選ぶ。
『本日未明、ダンジョン内部に侵入していたアメリカ人男性が、戦闘中に倒れ、その後映像が途絶えました。現在、現地への立ち入りは依然として危険とされ――』
映像が切り替わる。
空中の黒画面を見続ける人々。
『現在のSNSのトレンドはこのようなものとなっています』
#最初の探索者
#ダンジョンは現実
#HPは本物
『再度お伝えいたします。ゲート周辺にいる方は速やかに避難してください。繰り返します、ゲート周辺にいる方は速やかに避難し――』
――――
ブチっと映像をミロが切った。
「ダンジョン、入ってもらわないと困るんだけどね」
「そうだな」
ゼルが顎に手を当てる。
「次はどこが入ると思う?」
「国家単位で来るだろうね」
「軍か?」
「あるいは、もっと愚かで勇敢な個人」
ミロは微笑む。その視界の端で文字が浮かび上がった。
【優先観測対象がダンジョンに侵入しました】
これにて一区切り、第1章完結とさせていただきます。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
第2章は今日の夜から。毎日21:10ごろ、1日1話の投稿を予定してます。引き続きお楽しみください。
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