Logos
彼女は僕に愛情を示した。
たとえば卓上に置かれた僕の手の甲のうえに指尖を静かに添えたりとか、うつむいている僕の双眸をのぞき込んでは微笑をなして見せたりとかをするのである。
またいつかなどは俠子から別れようといいだし、僕は翳深く繁る街路樹と公園と犬の散歩との狭間に置き去りにされたこともあった。帰る気持ちになれなかった僕は古本や楽器や雑貨品などを廻り、見もせず眺め、スコールのような真夏の夕雨が降りだし、傘を買い、あきらめて帰る決心をし、アパートの近くまでたどり着き、うつむかせていた顔をふとあげ、土砂降りに傘を差さぬ彼女がずぶ濡れであのふち取られた強い眼差しのまま銀色に烟る周景を背にたっているのを見た。
そこには複数の理由が考えられるであろう。一つの気持ちのあらわれのように見えていても、それが一つの心的因子によって構築されていることはまずありえない。それは一般には一つの意考、一つの感情と考えられながら、実際には無際限に細分解析が可能な意欲の複合体である。
どうしてこんな考えが自然にわくのか。自分の思考の源泉などわかるはずがない。しかしまた僕の『自然』はただ楽しいもの、美的なものをも求める。
頭をあげて眺めた。最初に眼に入ったのは彼女の額や鎖骨上に垂れる毛尖に透けるやわらかな光だった。
彼女の髪には美しさがある。ボッティチェリの画いた『ヴィーナスの誕生』や『春』を想わせる、流れるような半透明の髪は染めたり、脱色したりした結果でしかないのだが反ってそういう揶揄を視点に混入させることにより不協和音的に存在が特出し、まばゆさの硬度が数倍に増して観ぜられる。僕はそのように感じてしまう。どうやらそれを欲するからだ。だがなぜそれを美と判じ、どうしてそれを欲し、またこの欲する気持ちはいずこからやって来るのか。ただわかったふうの気分があるだけである。
それはいわば草木を靡かせる風、白波をたてる潮のようなものだ。自然の現象と同じだ。主体性としての僕はどこにもない。『了解』とか、『納得』とかいう現象が他者のようにやって来ているだけである。
好んでしている(らしい)このような考え方は、けして元気爽快な気分にさせてくれるものではない。
この手の懐疑的な思惟が泛ぶと、(僕は)どうして元気のない気持ちになるのか。いや、破壊の悦びが附随しないこともないのだが、解放されたかのような快さは一瞬のみで、閉じられた空間のなかにいるような感じがし、じきに焦燥を覚えはじめてしまうのだ。
いずれにせよ、自動的で法則性、必然性を帯び、機械の仕組みのようなもので僕の自由な意志による選択ではない。このことが非人間的なものとして感じられ、異逆に対する乖離の情が自然にわき起こしてしまうことをどうにもできない。
自分の主体性への懐疑、自分の自由が本物ではないという懐疑、たしかにそれらは意欲を奪う。なぜか。わからない。ただこの装置はそういうふうに仕組まれているとしか思えない。僕の意向に関係なく自動的に、法則のように必然的に働く働きのままに僕は感じ、欲し、考えている。
自由を感じられてこそ生命が躍動するのだと措定すれば、意気消沈もあたりまえである。しかし僕らが今日到達した常識に従えば、生命活動の一切は法則的必然性の塊としてしか捉えられない。しかしそうであって欲しくないと僕らは感じる。根拠は知らないが自分らが自由であることに生きているという実感があるからだ。僕らの認識の発達は僕らの要請と矛盾するために造られたかのように見える。
もしそうでないとするならば、なぜ僕らには自由への意欲とそれに背くようなかたちに映える物事の捉え方とがともに与えられているのか。
彼女は僕にいった。
「あなたは、このままじゃわるい方にいくわ」
そのとおりだ。すべてが虚しいという想いから離れられない。すべては人間の造りもの、人間の世界でしか通用しない架空、脆弱なただの約束事、現実じゃない。ひとたびなにかがあれば儚くすべてが喪われてしまう。そんな想いは瀝青のように胸郭の内壁にこびり附いて増殖している。
彼女は心配しているのだ。だがすべての同情はその起源を遡れば自分のための同情でしかないことが解析されるであろう。そんな僕の想いにかかわりなく彼女の眼はまっすぐに僕の眼を見ている。眸が活き活きとし、滑らか、虹彩の色調はそれ独自で生命を持つかのように表情があり、比喩をゆるさない。放射状の文様が立体的な深みを湛え、微細なグラデーションをなしている。白眼の部分は純白で、毛細血管の赤い筋はほとんど見られない。まつ毛が晰らかでそのあざやかさを強調している。
その双眸が宿すちからには家族や恋人や友人への真摯な思いやりなどさまざまな動機が潜伏するものだが、突きつめれば種の保存の本能に遡れる。僕のためではない。
「ねえ、早蕨くん。どうしてわたしに話してくれないの」
話せば僕らは人生の終わりを、死をまぬがれるのだろうか。だれしもただ種の存続という命題に従って生きているだけなのに。なにをしてもなんの足しにもならない。たとえ人間が考えるような意味での愛情が存在しているとしても、それがなんであろうか。死という個人的体験にはだれも入れない。いや、本来一切の個人的体験にはだれもたち入れない。しかし個人的でない体験は実在しない。少なくともそう直観されている。
僕らは大学に近い僕のアパートに二人でいた。炬燵に両足を入れて向かい合っている。俠子のまえには蜜柑の皮が開かれている。これらすべてが僕の個人的体験であり、僕の脳神経細胞内のインパルスが表面的な事象としては電気的現象にすぎなくとも、その働きの内部においては花や蝶や風や街や海であるように、それは俠子でもあるということだ。彼女の実在性とはまったく関係ない。僕は僕を超越してものを見ることができない。だから彼女の客観的実在性には触れることがない。哲学に脱自という言葉があるが僕はただ識別のための虚しい術語だと思う。どんなに超越しようとも、僕が僕の内部存在であることになんら変わりはない。
しかしそのこと自体もまた、僕が僕の外部にいない以上、客観的には実証できない。強いていえば思い込みであり、憶見であり、造りものであり、「我思うゆえに我あり」であり、そうだからそうなのだとしかいえない。
「俠子、君はなぜそう思うの。僕はなにも変わっていない」
説明することが物憂かったからそういった。どうでもよいことなのだ。理解は理解ではない。架空でしかない諸概念を架空でしかない別の諸概念に対応させてその飛躍のニュアンスを経験にすり合わせてなじませ、納得という心的現象を引き起こすことは同義反復以外のなに者でもない。空っぽな語を空っぽな語で換えてみても同じ一つの空語を反復することでしかないのは自明だ。そしてまたこういった概念批判の考え自体も概念においてしかなせない。ほかになにができるか。
「それならどうして書くのをやめたの」
「それは小説のことをいっているのか」
「決まっているわ」
「書いて読まれる。それがなんになる。人はそれぞれの自己を肯定する条件を周囲に巧みにならべるために他者を称讃し、批難する。どうしてその渦中にいくのか。美を求めてか。それとも真実をか。全部人間の架空、造りものじゃないか。真偽善悪美醜、どれもそうだ。ほんとうも嘘もない。零だ。あるのはただ零の現実だけ」
僕は自分の意向に関係なく、饒舌になっていた。
いたし方のないことだ。なぜなら意向は僕ではない。どこからかやってきて僕を動かすなにかだ。物的にいえば細胞がなにかを分泌しているのだろう。神経系に一定の昂奮が興り、僕が駈りたてられる。それが僕に行動を促す。だからそれは僕にとってなにかしらの意味があることになる。つまり価値観が造られるということだ。一切の価値に本質性が缼けているのはあたりまえのことなのだ。意味とは人をして駈るための便宜でしかないのだから、それ以上のものがあるわけがない。
もっともそのこと自体を客観的に検証できないのだから、やはりそれは最後の結論ではない。憶測でしかない。わかるのはただ、どこだかわからないここに、どういうふうにだかわからないが、こういうふうにしている、ということだけなのである。
自分の意識を客観的に観察できたならば、架空の便宜にすぎないという事実だけでも判明とすることができるようになるのであろうか。
たとえば人間の認識の場に小型カメラかなんかを持ち込むことができたとしたらなにかがわかるであろうか。
そんなことをしても意義などない。
なぜなら観察による実証は現実にはなんの実証にもならないからだ。
僕には実証科学の最大の問題が実験の観察者を証明できないことにあると思える。自分の正当性を自分で証明することはできない。その自分が未証明だからである。他の同じ構造を持つの観察者(他人)の観察を観察してそれを証明すればよいとしても、その事例と自分とが同じであることを自分がどう証明するのか、その観察をなす自分が未証明なことは前出の例と同じなのである。
たしかな足場を求めて現状を究明しようとしてもその手段は皆無であり、手を附ければ無限にさ迷わざるをえない。藁さえつかめずに溺れてしまうだろう。
「君はアンドレイ公爵の死の場面を憶えているか、そう、トルストイの『戦争と平和』だ。彼はナターシャへの愛も息子への愛も現実ではないことに気が附いたんだ。人間が大事にしている思いが、ただの根も葉もない架空で事実性がないことに気が附いたんだ。
また君はこの仏陀の説話を知っているか。仏陀の弟子に一人の沙門がいた。沙門とは出家者のことだ。彼は家族を捨てて仏陀の弟子となった。だから彼の家族はたちまち困窮した。妻は生まれて間もないこどもを連れ、彼を説得し、家庭に取り戻そうと計って来た。けれどどんなに懇願してもだめだった。妻はついに決心し、彼の眼のまえにこどもを置いて去ったふりをし、身を隠して様子を見た。
わが子が生まれたときはあれほど悦び、愛情を注いだ彼である。必ずや人の心を起こし、考えを変えるに違いないと思ったのだ。
だが沙門は置き去りにされたこどもに見向きもせずに修行を続けた。それを見た妻は驚くとともに、これほど彼を変えた仏陀の真理はさぞかし尊いものなのだろうと考えを改め、こどもともども出家した。この一部始終を見ていた仏陀は「彼は真の出家者である」と褒め称えたんだ。
一切の価値には本質性がない。家族への愛にもね。
そういうことさ」
急に饒舌の熱が冷めて喋りたくなくなった。だからやめた。俠子も沈黙した。たぶんあきれているのだろう。それがふつうの人だ。だが僕はそうじゃない。どちらかがわるいわけではない。世界は僕らが生まれたときには既にそうなっていた。僕らはそういうふうに創られてしまっている。
だが彼女は考えていたようだった。それもなるべく僕を説得しやすいように譲歩して僕の地平で闘おうとするようであった。大人だ。
「で、小説なんか書いてもしょうがないってことなの? あなたは虚しいと思ってやる気をなくしているってこと?」
「心情的にはそういうことだ」
「ねえ、わたしね、あなたが書きたくないなら、それはそれでいいと思うわ。小説なんかなくても生きていけるし、書かなくたってなんの問題もないわ。でも、そういうことじゃないのよ。あなたの考えはわるい」
「ふうん。どうところが?」
「ともかくいまは常識的なことはいわない。あなたの論理でいうわ。そうよ、あなたの考えは中途半端で情けないわ。あなたがいうようにもし、なにもかもが架空で、ほんとうはなんでもないって本気で思うなら、虚しさだって問題にはならないはずでしょう。虚しさだって架空で、虚しさなんかじゃない、なに者でもないことになるわけでしょう。違うかしら? アンドレイだって心の平和をえて死んだはずだったわ。虚しさを感じるのは本気でそう思ってないからよ。そうでしょう?」
「そのとおりだ。たしかにアンドレイは虚しさに襲われていなかった。彼は全世界の存在は愛であり、愛こそが生命そのものだと覚っている。死の扉が開いたことによってそれを覚った。だからアンドレイは死とは覚醒であるともいっている。だが実際そういう境涯になることは特殊なことだ。とても稀有なことだと思う。もしかしたら小説のなかだけなのかもしれない。
考えるまでもないだろう。どうやってか死を怖れないことができようか。
僕らは執著する。いや、気分だけは死を顧みず、命を捨てたような気分になれるかもしれない。だがそれはほんとうじゃない。絶対どこかに生存への執著の残滓があるはずだ。心底からぬぐい去るなんてことはできないんだ。そういうふうに創られている。なぜか。わからない。ただなすがままなんだ。自分の考え、主体性、自分らしさなんてありえない。僕らは諸細胞の活動でしかない。いや、僕らが細胞の活動にすぎないというのは喩だよ。本気じゃない。というのも、けして人道的な配慮からではない。
僕がいおうとしているのは、僕らが諸細胞の活動にすぎないという観察が正確かどうかを実証できない、だから、憶測や比喩の類でしかない、という意味さ。僕らが諸細胞の塊であることは、今日の科学的常識からいえば、当然のことと思われているかもしれないが、それは誤った考えだ。
実証するためには現象の観察(観測)を伴うが、僕らは観察という行為が実証のために有効な手段であることを否定することも肯定することもできない。
観察行為を観察してどのような観察結果がでたとしても、それに基づいて観察の妥当性を否定することは無意味だ。その観察結果も妥当性を缼くことになってしまうからだ。困惑以外のなに者でもないだろう。
また肯定すべき材料もえられはしない。(このことは先の否定に関してもいえるが)観察行為を観察する段階では、まだその観察行為の妥当性が証明されていない。すなわち観察によって観察を実証するためには、実証のまえに観察が実証されていなければならないという矛盾が起こる。
観察結果に基づいて観察行為自体を批判しようとすること自体が自家撞着以外のなに者でもない。
一切はただ原的に観ぜられているのみで、根拠を僕らは持っていない。僕らは事実を、ほんとうのところはどうであるかを糾そうとすれば、いき場を喪わざるをえない。
すべてはただ原的に直に観ぜられているだけであって、それ以外になにもない。なんの根拠もなく、実証のしようもない。ただそこに放り込まれているだけだ。どれ一つたしかさを僕に与えてくれない。
君はそうは思わないのか。
僕らが見ているものは正当な意味での観察の結果じゃない。僕らは観ているにすぎない。そうさ、自分らが見ようとしているものを観て、了解しているにすぎないんだ。
『野原』、『微風』、『歩く人』、『歌』、『観察』、『妥当』、『実証』、『真実』、そういった諸概念がどういうことであるかが、君にはわかっているかい? ほんとうにはわかっていない。むろんわかっているんだ。だがただわかっているだけで、なに一つわかっちゃいない。
僕らの了解はまったくのところ僕らの了解ではない。僕らの了解は僕らにとってまったくの他者だ。
僕らの観察の、存在に対する了解の一切、『~であるもの(として在る)』という了解の、その全部が僕らにとっての異物、理解の圏外にあるという意味での完全な他者でしかない。
経緯もなく唐突に、傍若無人に忽然とあらわれる、異他としての自然現象でしかない。まったくの非情であって、寄る辺とすべきたしかさをえられない。安住の地へと逝くことなど到底できない」
またも沈黙。
「よくわからないわ。でもね、あなたはそれで幸福なの? っていうか、それであなたはいいの」
僕は応えなかった。彼女は実存的な説得性を持つ主題によって論点をずらし、切り返しを計っている。生命がなんとかして自己肯定への道を模索しようとするもがきの一環だ。同じようにして生命は羽根を生やし、殻をそなえ、鰭を発達させてきた。幸福論はたしかに絶対論である。執著が生命自体に組み込まれている以上、それを超える論理はない。だがそれでは僕の問いへの答というより僕の問いへの殺戮行為にひとしい。
「幸福じゃないでしょう。だから虚しく感じるんでしょう。つまりほんとうは幸福になりたいって思っているのよ、ならなる方向に考えるべきじゃない」
「思うさ。だがなぜそう思うのか。そういうふうに創られているからだ。それが虚しい。どうにもならないのに、それを虚しく感じるように創られている。もうやめよう。これは体験の差異の問題でもある。
アンドレイ公爵もあえて愛するナターシャや妹のマリヤに説明しようとはしなかった」
「ねえ、アンドレイさん、いつの間にあなたがなにを体験したっていうのよ」
「いや、もう話を変えよう。現に僕はぶじだし、なんの問題もない。ショーペンハウエルだって長生きした。そもそも説明できるようなものは体験じゃない」
「わたし、いやよ」
唇を尖らせて悪戯っぽく僕を相変わらず見つめ続ける彼女のような人はアンドレイの経験よりもまれだと思う。まさしく小説だ。だが小説であっても不条理ではない。どちらにせよ、同じことなのだ。現実であれ、小説であれ、僕という現存在の場に現象している。違うのは切実さだけだ。つまり現実からは逃げられない。変更できず、永続的であるということだ。
「君は変わっているよ」
「ふつうだわ。
でもね、『ふつう』とかいう、類型化したものの見方なんて幻想だと思う。慣習の惰性だわ。
わたし、ふつうの人生はいらないの」
「ありふれた見解だね。けれど間違っているとはいわないよ。たしかにすべては空漠で曖昧な慣習のうえに成りたっている。が、それを否定する道はなまやさしくはない。人間が信じている人間の根本を否定してしまうからだ。
たとえば、僕が君を好きだという、その意味は単純じゃない。それは君も同じだ。
異性を求めることには、子孫の存続を求めることがベースとして考えられる。だがそれだけであるはずがない。人間関係、信頼関係の安心を求めることでもある。愛したいという欲求を満たす対象を求め、愛される資格があることを求めることでもある。自らの存在を肯定されることを求めるのだ。または刺激を求め、ぬくもりを求め、異性を征服できる自分という優位性を求め、楽しみを求め、愛情の獲得者という誇りを求めることをも意味する。
ひっくるめていえばすべて自己肯定による自己保存だ。
畢竟、生存を求める。子孫を残すために個体は肯定的に存続しようとする。種としての繁栄を求めるからだ。愛が時に個体としての生存をすら犠牲にするのは、原則的に種として存続しようとする意志の方がより根源的で強いからだ。
事象は常に複雑系的だが、究極的には人間行為の一切がそこに端を発しているとしか僕には思えない。まるでフロイトがすべてを性に結びつけたのと同じような発想だが、悲観論者とはそういうものなのだ。
だから僕はいうよ。種の保存が一切でそれは個体の保存を凌駕する、とね。
親が子のために死をも辞さず、恋する者がその恋人のために命を賭し、嫉妬に狂う者が身を滅ぼすことをもかまわずに矯激な行動に走るのも、その凄まじさの一端を物語っている」
「だったらなにも虚しくはないわ。それが人間なのよ。そう肯定して、そのように生きればいいんだわ」
「僕は、いやだ。
ねえ、たとえば人間から見たら蜜蜂の一生は機械も同然だ。だが、人間の自由な思考や意欲なるものもまったく同じことなんだ。
僕にはそれが辛い。しかしこの辛さ、虚しさもあたえられたシステムでしかない。必然の軌道のうえでしかない。蜜蜂だ。僕らはどこにも遁れられない。閉じられた球体のなかを反復するだけでしかない」
「あら、そんなふうにいったら、蜜蜂にわるいわ。
でしょ?
別によいじゃない、それが幸福なら。どっちにしても、ほかにいけないんだから」
「そうともいえる。けれど僕はこの問題から離れられない。人間は生まれたときからその人の命題を背負っているんだ。幸福を求めるがゆえの幸福からの乖離、ほかはない。
僕にとっては、いまの呻吟している状態があるべき通常の軌道なんだ」
「あなたの小説は絶対ベストセラーにはなりそうもないわ。説教っぽくって、だれも読みたがらないと思うわ」
「読まれることは大事だが、人生に無意味なら読まれても意味はない」
「そういう人の書きものって、反って無益なのよね。
自惚れ、賤別、なんかそういうふうに感じちゃうんだよなあ」
僕には返す言葉がなかった。たしかに直観的にはそう観ぜられる。後天的経験からくるのか、先天的なあるものなのか、ともかく王侯貴族の座右の銘になる作品を書こうと意欲されたような作品に対すると自然、そういう感情が胸中を領する。反感を覚える。自分が特別な存在であることを主張するそういった臭みのある作品はだれしも持つ自己肯定、存在の優越を脅かすからであろうか。それはつまり他者性という認知が自然に僕らにわきあがらせる敵対という感情だ。宿命的に人は他者と敵対せずば生きていけないのか。
また逆に考えれば、自己保存的な主観性を捨去し、他者への純粋なる客観の見地に立脚することができれば、つまり純粋な客観性とは自己保存を動機とする敵対感情の棄却であり、すべてをあるがままに受け容れることであり、全肯定ということだ。これが可能ならば敵対という問題は解消することとなる。
キリストは汝の敵を愛せよといった。だが当時の僕にはそれが重要な問題とは思えていなかった。
「ともかくどうにもならない。なにを考え、批判したって、いずれも諸概念なんだ。インパルスは物的で、本質論的にはなに者でもない。黴や地衣類と同じだ。萌えいずる芽に向かっておまえのそれはどういうことなんだと訊いてみても答は返ってこない。答え方のありようがない。ただ萌えいずる現象でしかない。無味乾燥な物的現象でしかない。それは意味や概念をなすわけじゃない。
現実は零、ただ現実でしかない」
「それがなんだっていうのよ。おかしいわ、そんなことを問題にするなんて。ただの現実、そのなかをみんな生きているのよ。それしかないならそれでいいじゃない。いまさら是非をいうのは変よ。
だいたいね、早蕨くん。零がどこにあるの? 零なんかないでしょう? ないから零っていうんじゃないの。ないことについて語るなかれ、ってパルメニデスがいっていた言葉じゃなかったかしら」
サンスクリット語でいう空は『零』の原語である。
彼女はいつも正解なのだ。
僕は駅構内からでたところすぐ傍にあるカフェに坐って考えていた。
ようやくキャンパスの近くまで来る気力がわいたのだ。これは瑞兆である。午前の透明な、黄金を帯びた陽射しに眼を細めた。仏文史学に関する講座がなにかあったはずだが、たしかなことは忘れていた。わずか二週間なのにである。僕は退屈を感じ、パソコンを開いた。しかし脳は別のことに関する活動に従事している。きのうの彼女の言葉を反芻し、それに絡む『自分』の思考を傍観者のように閲覧しているのだ。たとえば、
『僕は現実とはなんであるかという虚しい問題を打破できずに同じところをなんどもめぐって疲弊し、日々を鬱悶としている。なぜこの問題が虚しいかといえば、僕らは既にいまここにこうして現に生きているのに改めてそのことを遡って蒸し返すように問う必然性があるかどうか非常に疑問だからだ。
必然性などあるとは思えない。
それなのに、その愚問が嫉妬のように僕を焦燥させているんだ。
わかっているんだ、永遠の堂々めぐりであることは。
自分のいま、ここ、これがなんであるかを糾し、論拠を求めようとすれば、論理的に誠実であるどあいに応じて困惑に陥らざるをえない。
結局は突きつめるだけ論を突きつめても、思考自体が物的現象にすぎないだとか、観察は実証できないんだとか、そんなふうにいいだしてしまえば、それはもう論議以前の話になってしまうからだ。
現実が実際、無空であることをわずらうのは俠子のいうとおり矛盾するのかもしれない。ただ厳密にいえば、悩みの対象となりえるような事象は無なんかじゃない、という断定はおかしい。悩む対象にならないものもまた無ではない、無はなに者でもない、なに者でもないですらない。
いいや、そうじゃないんだ。そんなことじゃない、そういう問題じゃないよ。
やめだ、やめだ。つまりは論理のお遊びでしかないではないか。
実際、俠子のいうとおりなのだ。
それ以外の状態がありえないのならばそれは批判しえないといえる。比較すべき異他がなければ、当然そういうことになる。
定義上、なに者でもないとされるのならば既に批判のしようがない。なに者でないという以上、比較すべき異他がありえないからだ』
すなわちこれは眼のまえにあるコーヒーカップということである。たぶんスポード窯製なのだ。ランカスタークリムゾンに染められている。それがなにを表明するのか。しない。無味乾燥である。だがそれゆえに無限の豊穣だ。言葉から離脱したぶん、無際限な細分解析の結果が現出し、捉えられなさで僕を焦燥させる。実はこの緊張こそ本来の生なのであろう。
人間であることを中断し、ただ現という場であるところの『存在』になる瞬間だ。
諸概念が剥奪され、裸体となった瞬間、生身の人間なら一瞬も息することができない、真の、真空の現実の瞬間だ。
まさにこの真空においては言葉が絶える。この尖はもうない。少なくとも人跡未踏だ。逝った者はいるかもしれない。だが還って来た者はいない。いく尖を示す道標がない。僕らがその尖を逝こうとすれば原的直観のままにいく以外がない。
しかしこのような思惟は有閑者独自のものではないだろうか。シエラレオネで誘拐され、少年兵にされたこどもたちにとってはこんな思考などなんのリアリティもないだろう。
彼らはまず小動物を殺すことから強要される。小動物が悲鳴をあげればその悲痛さに少年たちは怯え、パニックになる。もうやめたいといっても逆らうとそのたびに耳朶を少しずつ剃られる。やらざるをえない。肉体の苦痛と精神の苦痛との狭間に置かれ、精神に異常をきたす者もでてくるだろう。先進諸国政府は石油のある国には眼を向けてもアフリカを無視する。これが正義だ。そして同じ空の下にいながら僕ら庶民は飽食し、狭量な個人的欲望の問題に悩むのである。慣習的惰性による人間的な常識は罪である。善良な人々は同情しながらも本音では外国のことなど関係ないという『常識』的な感覚が常態である。訴えさわぐ者には眉をひそめる良識がのさばっている。
むろん僕もなにもしていない。毎月のアルバイト代から捻出してユニセフに募金しているくらいのものだ。まことに『良識』的だ。世界の悲惨を無視しているにひとしい。実に『常識』的である。
すべては無空、なに者でもない、哀れもない、だから無視してもよい、そんなふうに考えているわけではない。なに者でもない、だが右腕を焼かれて叫ばないことができるか。これはもっとも短絡的な実存的見解だがそれゆえに強い。彼女は僕を中途半端だといったが半端じゃないことなどだれにできるのか。ではなにも騒がない慣習的惰性が正しいのか。到底そうは直観できない。原的直観に従う以外はありえない。
パソコンを閉じた。
折しも二月である。鉛筆もノートも持たない僕は帰ろうとした。キャメル色のダッフルコートを右手に取る。マホガニー調のテーブルに置かれたガラスの灰皿がきらきらしていた。僕は愚かだ。無為に時間を過ごそうとしている。自分を叱咤してそう思い込もうとした。なんのリアリティもえられなかった。全部リアリティがない。
「僕もあなたも物的な、水分と諸細胞との塊です」といえばだれもが眉をひそめるだろう。それが今日どんなにか常識となっている科学的な現実であってでもである。たしかにその事実にはリアリティがない。自分の幸福に結びつかないからである。原的直観からすれば事実の解明はリアリティではないのである。そして僕らが原的に求めているのはリアリティのあることでしかない。
僕は片すみを給仕の指で切られた注文書きのうえに小銭を載せて席をたった。ヨーロッパふうだが彼の地ならこれにチップを上乗せする。僕はカフェ・カルチェ・ラタンをでた。
一昨年、ルーヴル美術館にいったことを無意識に回想している。そのせいでいま右手に持っているパソコンの購入が一年遅れたのだ。
あれは八月だった。なんのことはない、ルーヴル美術館の文化開発部門メセナ関係の部長室の写真を某誌で見たからであった。僕には(いまだに)メセナの正確な意味がわからなかったが、恐らくメセーヌ(アウグストゥス帝政時代のローマの政治家で詩人ウエルギリウスなどのパトロン)からきているのではないかと思った。なぜならその部長の仕事が寄附金集めだったからである。
しかし僕が興味を惹かれたのは企業からの寄附金集めの仕事ではなかった。部長室そのものであった。ルーヴルといえばスゴタンピール(第二帝政式)による新館のマンサード屋根やドーマー窓などのクラシカルなイメージが強いがその建物のなかに現代的でスマートなオフィスがある(しかも採光の感じから地下ではないらしかった)という、異の鮮烈を受けたのである。それだけではない。背後に見えた広告用ポスターにも惹かれた。
ポスター撮影されたのはドゥノン翼の二階、フランス絵画のギャラリーでカフェ・モリアンに近い方の廊だ。ジェリコーの『メデュース号の筏』をまえに紐のほどけたスニーカーが床に置かれ、構図の中心をなしている。当然ピントはそこに合わされていて、その高さから見上げるような感じで初期ロマン派の大作をぼやかした背景としているのだ。最初のセンテンスは『文化の12.4km』と読める。
僕は常々CMというものに烈しい敵愾心を持っていた。なぜなら半端な芸術作品よりかはよほどヴィヴィッドだからである。無差別に一般に公開される。常に市井の現場の空気が必要だ。感覚は固着するまえの最高の鮮度を要する。いまこの一瞬の現実のなかで呼吸できるものでなければその生命はない。卑しくも芸術にかかわる者ならばこれらいくつかの優れたインスピレーションに焦燥を覚えぬはずがない。
なにをしたいのか判然としないまま、僕はパスポートをにぎって成田空港に向かっていた。十二世紀末にセーヌ川を監視するために築かれた城砦にはじまるルーヴル宮はミュゼ・デュ・ルーヴルとして現在、絵画部門や彫刻部門などはもとよりイスラム部門、建築部門、コミュニケーション部門、教育文化部門、レストラン部門、監視部門、館内の空気環境などを維持する設備関係の技術部門などがあり、パリ市の消防署員が専属で配備され、ドゥノン翼には館長の公邸まである。多岐にわたる各セクションが高度に専門化された組織だ。そういった世界へのあこがれの狂熱の情をもふくめ、渾然とした衝動に僕は貫かれていた。
水曜日の午後にシャルル・ド・ゴール空港に着いた僕はプラス・デュ・ルーブルというホテルを宿とし、パリで三日を過すこととなる。最初はキッチン附きのアパート・ホテル(いわゆるレジデンス・ホテルという奴だ)を考えていたのだが僕の英語がよく通じなかったのか、当日の申し込みでは無理だったのか、よくわからないが、レジデンスはノン、なぜかそのホテルに泊まることとなったのである。
しかしこれは結果的によかった。一日あたりの料金がアパート・ホテルの一週間割引適用後の金額より安かったし、そのホテルのあるブロックの西側、通りを挟んだ向こうがもうルーヴル宮だったのである。古いワイン・カーヴを改装した朝食室がかつては宮殿の地下とつながっていたというのもうなずける。
翌朝、僕は食事もせずにセーヌ川沿いを散歩し、その後は精力的にルーヴル館内をめぐった。すべてを観覧するのに三日を要するのがふつうらしいが、基本的な構造を知っていたのでまずは半ば小走りで全部を一日でまわってみた。ともかくも片附けてしまわなければ気がすまない情態にあったのだ。途中、リシュリュー翼にあるカフェ・マルソーの回廊席でナポレオンの中庭(それとこの日の朝、僕が入館時に通ったガラスのピラミッドと)を眺めながら、木苺のミルフィーユとマリアージュ・フレール製の紅茶を喫しただけであった。ちなみにマリアージュ・フレールはフランスではじめて紅茶を輸入した老舗である。
閉館後、パレ・ロワイヤルを横目で見ながらぶらぶら歩き、白黒の大理石が市松模様状に敷設された古い屋根附き歩行専用道(建築は新古典様式のようだった)に入った。実はモリエールの泉にある彼の像を見てやろうとリシュリュー通りを進んでいたつもりが道を間違えていたらしく、偶然このギャルリー・ヴェロ・ドダというパサージュを発見したのである。静かで人は少なく、アンティーク人形の店やカフェなどがあり、僕はなかにあった、親しみ深げで落ち着きのあるレストランで鴨の腿肉を食べた。晩飯はしっかり摂ろうと決めていたのだ。空腹では眠れないし、眠れなければ鋭く見抜いたり、精力的に活動したりできない。昼間は空腹ぐらいがいい。食べない方が爽快だ。
その翌日も朝食を抜き、時間がくるまで散策した。シテ島のノートルダム寺院やサン・ジェルマン・ロークセロワ教会を眺める。ロマネスクやゴシックの様式が入り混じった教会は宿のすぐ近くにあり、なぜきのうは気が附かなかったのか不思議だった。聖バルテルミーの虐殺がこの教会の鐘を合図にはじまったと知るのは帰国後である。なんの情報も持っていなかったのだが思わず見入っていた。なにか歴史的な物語の風味を壁面やロマネスク様式の鐘楼やフランボワイヤン様式の石の装飾などに感じていたのであろう。
むろんこれが古い建築物だと察しが附くから感じるのである。歴史性というのは世界が過ぎ去ったのにそこの登場人物であった物体がいまもいまの存在として遺っていることに対して不思議のふうみを覚えることである。えてして存在というものは皆そんなものではないか。トルストイが人間は理性なくば見ることも聞くこともできないといったのはこれを指していうのである。なにかが存在するということは、存在するものをそれとして了解するという様式を必要としている。僕ら自身も存在了解という様式をして開示されたうちの一員として世界にある。
腕時計が九時十分前を示したので向かう。思えばなにも考えずに来たわりには滞在日が一日も休館日(火曜日)にあたらなかったことは幸運だった。逆に水曜日は九時四十五分まで開館しているのでもう一日早ければなおよかったが、そこまではいうまい。
その日、ルーヴルでの僕はグランド・ギャラリーをいったり来たりしたり、ルーベンスの大作のならぶ緑の壁のギャラリーで呆けていたり、ドラクロワなどロマン派の絵のある紅い壁のギャラリーの椅子に坐って本を読んだりして過した。途中の食事はやはり紅茶とミルフィーユだけだった。充実しているような気もしたし、ただ時を見送っているだけのような気もした。まったく日常的に過していたのである。
イタリアにいったドガが美術館以外どこにも赴かなかったように、僕はパリ滞在中、ルーヴルを観る以外、見物らしい見物をしなかった。熱中していたにもかかわらず、どこか静かで、しかし忙しく、なにをえたのかわからないまま、自分にしては思い切った行動をしたわりに、煮え切らぬ気持ちで帰国したものであった。
パリでの最終日(旅程としては往路に一日、復路に二日を要するので全体で五日を要したが、実質的滞在期間は三日しかなかった)、僕は新しく改装されたドゥノン翼の展示室でモナ・リザを再度鑑賞していた。
昔テレビで放映されていたレオナルド・ダ・ヴィンチの伝記ドラマのなかでラファエロがダ・ヴィンチからこれを見せてもらって涙を流すシーンがあったが、僕はならなかった。特に感動はない。ただその作品が持つ、時間をかけて作られた厚み、油絵の具の厚みなどではないそれが醸す雰囲気には自然が造作したもののようなふうあいがあって、樫や樅の繁る暗い森の奥深くにだれにも見られることのない、岩や蘖や太枝の股にかぶさって乾いた苔のような深みがあった。
この絵という存在とはなに者だろうか。チューブからでた絵の具か、デッサンの表す形態か、色彩の差異が奏でる刺激か、それらの綜合が僕の感受に与えるインパクトか。どれもそうではないように思えた。とはいえ、それらから離れては絵画がありえないというのも晰らかであった。
インパクトというのが一番正解に近いようにも思えたが、そうだとすれば絵の具の集積のみでは絵という存在ではないのか。僕らが指していう絵であることに変わりはないではないのか。その辺がもやもやして判明化し切れない。
カフェ・マルソーに坐って考えた。
陽射しはじゅうぶんだったが八月末のパリには少し秋のけはいがある。空はプッサンの描く空のようなあざやかな青だった。ちなみにルーヴルにはカフェがいくつかあるが、僕はここにしか入っていない。
ミルフィーユを注文すると給仕が笑ったような気がしたのは僕の錯覚であろう。いずれ、どちらでもよいことだ。人の眼なんて。他人が僕の人生の責任を負ってくれるのか。僕の死を替わりに死んでくれるのか。たとえ厚情があったとしても、だれにもなにもできやしない。
いや、そんなことはどうでもいいんだ、と独りごちすぐ散らばる思考を収集しようと努めた。しかしそのときの思考は拡散したがっていた。いろいろな考えが氾濫しつつあった。ストイックな生活のせいで体調がよかったのであろう。軽い躁状態だったのかもしれない。ともかくもあまりにもわがままなわが思考が自分のものと思えず、だれのものなのかという疑問が冗談のように起こってしまった。それがそのまま発展し、一つの考えとなって僕にたち現われたのである。すなわち究明への意向がわくことは僕が選択したのではないし、思考することがなにをなしたことになるかを僕が精確には知っていない、ということに気が附いてしまったのである。
いま思えばあれが運の尽きだった。それ以前にも似たようなことを考えたことはあったが、そのころはまだ下地がなく、感覚になじまなかったのだろう。リアリティを持って僕に存在していなかった。人間は感覚になじませて『納得』を起こす。論理的にものを理解するのではない。
僕はパリで嵌まってしまった。
思考は記憶を喪失させながらも増殖してゆく。僕の懐疑もじわじわと体内を浸蝕し、蔓延していった。それに拍車をかけたのが俠子の存在であった、といったら彼女にわるいだろうか。僕の優柔不断のせいもある。生まれつき優柔不断だったわけではない。中学時代は決然として勉強にもスポーツにも励んだし、バスケット部の主将もやったし、クラスのリーダー格として言動することもできた。人間、巧くいっているときはものが見えず、怖いもの知らずである。僕が強者を嘯く人間を容易に信じないのはそのためだ。どんな人間もその人に合った追い込み方で追い込まれれば絶対に萎縮する。人間の強さなどたかが知れたものだ。
歯車が狂いはじめたのは高校時代の失恋からであった。浜東さんという子と一年のときから附き合っていたのだが、二年生のときに同級の鏑木くんが転校(父親の仕事の都合でいく尖はマレーシアであった)することとなり、突然彼女が僕とは別れたいといいだしたのである。最初は浜東さんがなにをいっているのかわからなかったが、実は以前から鏑木くんが好きで告白できなかったけれどももう逢えないと思うと告白せずにいられないというのである。
僕はいままでの自分はなんだったのかとショックを受けた。いなくなってしまう彼よりも僕は価値がないのかという考えがレベルの低い考え方だとはわかっていたが、ひがみをぬぐい切ることができなかった。そんなにも奴が好きなのか、と。いまにして思えば大した苦悶ではなかったが、受験に失敗したのは晰らかにその影響の一つだった。苦しみから離れられなかったのである。いや、むしろ忘れようとすることを卑怯なことだと決めつけた。
鬱悶として過した一浪時代、そのころからどこか箍が外れはじめていた。
ようやくカフェをでたものの、足は大学に向かず、近くの古本屋に向く。授業が面倒になってきている。
路で俠子と遇ってしまった。
「早蕨くん、やっと授業にでる気になったのね。一緒にいこうよ」
うれしそうな声を聞くとうつむきたくなった。しかしそこまでするのも大袈裟だ。頭をかくことで妥協した。
「まあね。でもきょうのところは帰るよ」
「なによ。まさか、ここまで来ていかない気なの」
「まあ、ゆっくりならして」
「いいわ。でも話したいことがあるの。ねえ、どこかでコーヒーでも飲みましょう」
同じカフェに戻った。
席に着くなり、
「フィレンツェにいくわ」
「またいくんだ」
僕らは入学した年の十一月に二人でいったことがある。あのころは附き合いはじめで熱かったからもの凄くアルバイトして貯めたものだ。衝動的にパリへの渡航ができたのもパスポートを取得してあったからである。
「なにいってんの、人ごとみたいに。あなたもいくのよ、もちろん卒業したらね」
「来年の話か。いや、でも就職は」
「これ見て」
「なにこれ、『イタリア留学ガイド』? 留学するの?」
「当然よ。人生は一度しかないのよ」
「君は絵を画く。フィレンツェはいい。だがなんで僕がイタリアなんだ」
「わたし独りにいかせるの? ねえ、ヘミングウェイだって修行時代、パリで小説を書いたわ。彼、アメリカ人でしょう」
「でも就職しなくちゃ。僕は家にもどらなければならない」
「だって、お兄さんが二人もいるじゃない」
「二人とも東京に就職して首都圏に住んでいる。とても無理だ。一番うえの兄には妻子もあるし」
「そんなのずるいわ。どうして早蕨くんなの」
「しかたない。起こってしまったことさ」
「なにそれ。ねえ、どうして卒業してすぐ実家にもどるの。ご両親はまだ若いでしょう」
「知らないよ。親父がそういうんだ」
「だって、早蕨くんのところ、商売も耕作もしてないし、継がなければならない事業があるわけでもないでしょう。お父さんは定年退職してからなん年か経っているし、いまさら急がなくちゃいけないなにかがあるわけじゃないはずだわ」
「そういうんじゃないんだ。たぶん」
「ねえ、おかしくない。なにもかもが虚しいっていっておきながら。そうよ、ニヒリズムをいうのにそんなことにこだわっているなんて、変だわ。でも、そんなことはどうでもいいの。問題はあなたの人生よ。
ご両親のことを想うのはもっともだけれども、あなたの人生はどうなるの」
聞いているうちに大動脈に憤りが込みあげてきた。
自分自身の矛盾を刺されたことについてもそうだし、僕の心中に明確な納得を持たないままに両親のいいなりになっているところを指摘され、自己の肯定性が否定されてしまっているのに、公然たる反駁が見たらないので逆上しているのだ。猫が保身のために毛を逆だて興奮するのと全然変わらない。虚しい、といいながらそんなものか。そんなふうに自分を傍観している僕もいる。
「君にどうこういわれることじゃないさ」
「そんなことない。関係なくないわ。わかっていて、わざといっているのよ。
早蕨くん、あなたのご両親は、あなた自身のことはなにも考えてないの」
「どういう意味だ。うちの両親を批判するのか」
俠子は唇を噛んで黙った。
少し眼を伏せて「そうじゃないわ」といった。
僕はなにかいわなければと思いながらもなにをどういったらよいかわからない。彼女は顔をあげた。
「ごめんなさい、そんなつもりじゃないの、ただ」
再び唇を閉じ、床をにらんだ。
「俠子」
彼女が席をたつ。そのままいこうとする。してから一度僕をふり返った。
「ねえ、このことはまたゆっくり話し合うわ」
僕は応えなかった。二月の午前の陽射し、人のいない椅子が照らされている。人のまばらな静かなカフェで僕は独りになった。
再び同じ場所で瞑想に沈まざるをえなかった。世界は答のない問いにみちている。いま直面している問題は大したものではない。よく話し合うことでわかり合うことが可能であろう。しかしもし状況がもっと切実であったらどうであろうか。
二つの愛は必ず反発し合う。
個別的な愛情は必ずや解決不能の二律背反に陥るのである。
たとえば恋人への愛情はかけがいのない、両親への情愛もかけがいのないもの、どちらの定理も正しい。
二つの定理が衝突したときはどうすればよいのか。同類の問題は自分の息子と自分の娘、自分の子と他人の子(他人の子に対し、愛情を抱いて接することは義しい)、自分の国と他人の国(他人の国を敬愛することは義しい)、自分の家族と自分の国家とのいずれを優先すべきか、などなど特定の対象への愛すべてにかかわってくる。
なぜならわが子が大切であるというのは他人の子はわが子に比べれば大切ではないということにほかならないからだ。だがだれをも恋人のように愛せるだろうか。しかしこれがあらゆる諍いや憎悪の連鎖を生むのである。
かといってすべてを愛すればよいのだといってもそう簡単には実践できない。すべての条件を選択することができないし、またすべてを愛するということは逆にいえばなに者をも愛さないことにほかならないからだ。
ならば無理にも優先順位を附けるしかないのか。しかしそれも実際を鑑みれば到底選択などできるものではない。
人間のあたりまえな感情として他人の子より自分の子を優先する心情は原的にある。だが他人の子が虐殺されるのを眼のまえにして穏やかでいられるわけではない。いくら家族が大事としても安易に国家を裏切れようか。人間はさまざまなかたちでさまざまな角度から発する愛情への欲求を満たして自らの幸福の基礎とするがゆえによほど追い込まれない限りは逡巡せずにいられないのだ。
いったい自分の娘と息子とをならべられてどちらか望む方のみを生かしてやるといわれたらどうすればよいのか。
特定対象への愛は災厄を無限に連鎖させる原動力でしかないが、それが事実だとしても僕らにはどうすることもできない。
諸概念の一切の本質が空漠とすれば世に存在するすべての意味は特定のなにかではありえない。ゆえに特定の対象への肯定や愛情などというものは夢幻であるといえる。一切は同等であり、同時に肯定できるし、同時に愛せもする、ともいえる。しかしそのような解脱のような境涯など現実とは思えない。仏陀の弟子であったあの沙門の説話があったとしても了承できるものか。それにあの沙門にしたって状況がもっと切実であればその行為が正しかったといえたであろうか。
僕にはなにもわからない。
いったい地球上で僕みたいにこんなことに悩んでいる人間なんているのか。いや、意外にふつうにたくさんいるのかもしれない。それもいやな奴ばかり(自分を省みずこういわせてもらおう)に違いない。
勘定をして席をたった。彼女との会話を脳裏に反芻している。いずれ、こういうことが起こる気がしていた。だから彼女に両親の希望を話せないでいた。
人生がルーヴルのように理性的であればどれほどよいだろうか。
プラトンが真如の世界とでもいうべきイデアの世界を想定したのも人間生理的に当然の欲求と思えた。イデアの世界なら実家を継ぐだの、恋愛で両親の希望を裏切るだの、騒しい話もない。現実逃避か。そうであってなにがわるい、またはよいのか。だれにも決定権はない。あるのは現実だけだ。こうあればこうあり、ああなればああなるだけである。実践世界の問題集には回答編が附録されていない。
そうなんだ。
僕らは答が知りたい、つまりなんであるかを知りたい、知ることによって解消されるのは結局どうなるかという問題だ。なぜなに者でもない、捉えられないことが不安かは終局的に未来への不安につながるからではないのか。僕らが複雑なものを収斂し、特殊性から一般化への移行を計り、つかみうるものにし、自らに合致するものとして解釈してしまおうとするのはそういうことではないのか。
未来へ。といえば聞こえはよいが畢竟、わが身がどうなるかの配慮にすぎない。これは理に適っている。過去は終わり、既によくもわるくもそれ自体では脅威ではない。安定している。だが未来は可能性の状態であり、不安定である。関心が未来におかれるのは必然だ。
未来への配慮がなければ無は脅威ではない。一切の脅威はない。未来への配慮とはなにか。ぶじへの祈願であり、保身であり、生存への執著である。
なぜ執著するか。
なぜそのベクトルは存在するのか。
なぜ存続し続けなければならないのか。
なぜ宇宙が終わってわるいのか。
なぜ非存在ではなく、存在があるのか。
そして僕がこう問う行為自体がこれら存続のための執著の巨大な運動の一環なのである。つまり答があってはこの運動が終焉してしまうのだ。だから答がえられない構造なのか。存在維持のための無限運動か。
なぜ。
僕は無限運動を解消したいがためにそう問わずにいられない。しかしこの問いも無限旋律の遁走曲なのだ。ではなぜ解消したいのか。無限を奏でるためではないのか。問いには純粋な必然性などないのではないか。ただ維持のための方便、宇宙大爆発を継続させるためのメンテナンスでしかないではないか。答をあたえないための問いなのだからそれ自体は空疎なんだ。
埒が開かない。しかし避けて生きることもできない。イデアの世界に逝きたい。しかしそう思ってはいよいよ敵の思う壺なのだがかといって思うまいとすることもまたその動機を顧みれば罠のうち側ではないか。避けられないとはそういうことだ。外がないならそれ自体ないも同然じゃないか。それなのに確実に僕を圧迫する。それが存在の意味だ。
孫悟空の気分。閉じられた世界を閉じられた世界として感じるのは閉じられたくないからである。逝こうが逝くまいが同じ。つまり逝きたいし、幸福になりたい。誕生以来、駈られて拡大し続ける宇宙の構造がこれである。
僕が俠子と言葉を交わすようになったのは彼女がよくキャンパスでクロッキーをしていたからだ。いつも気が附かれないように絵を眺めていた。彼女はただ描くだけでなく野外で個展でも開くかのようにいくつもの作品を広げていたのである。デッサンや水彩などだった。だが作品よりも俠子に惹かれたのだ。同じ授業を受けている彼女だとは最初からわかっていた。
僕はマネの画集を持ってある日、彼女のわきで絵を眺めた。マネは線描の人ではない。俠子はデッサンに執心しているように見えた。だが僕には色彩やタッチで人物の表情や陰翳や空気までも僕らの生きる現実をヴィヴィッドに表現しようとしたかのマネの鮮烈と彼女の線描の感覚とが似ているように思えたのである。
意気地のない姑息な男がやりそうな手だてだったがそう思うと余計楽しかった。ハイハットをミュートぎみにして朴訥にたたく音触の快がある。そんな独りよがりに関係なく、戦略はあたった。
「どう思う。素敵な絵でしょう」
「うん。そう思うよ」
彼女はクロッキー・ブックに戻った。
「ねえ、あなた、マネに興味があるの?」
「まあね。絵を画くなら、なぜ美術校じゃないの?」
大学の系列に僕らが通っていた学校とは別の美術校があった。編入はできないので転校したければもう一度ふつうに入学試験を受けなければならない。
「小学生のころはなりたかったのよ、画家にね。でも忘れていた、ずっと。絵のこと忘れていたのよ。
ここに来て少し自由になって自分らしいことがいろいろできるようになってみたら、気がついちゃったんだ、なにかが違うなってね。そうしたら急にまた画きたくなっちゃったの」
「自分がほんとうはだれだったかを思い出すことは難しいんだ。僕も高校時代はスポーツやバンドをやっていたけれども、結局最近は物を書くことに熱中している。昔から本を読むのが好きだったのにね」
「どんなものを書くの?」
「人が読みたがらない内容で、絶対映画化できない奴」
「本気? 映画化されることを心配しているの?」
「夜も眠れないくらいね」
「ふうん。じゃ、わたしが読みたい、っていったら嫌がる?」
「逆だよ。人が読んで顔を顰めるのを鑑賞するのも目的の一つだ。まだだれにも一つも読まれたことがないけれどもね」
「そんなにたくさんあるの?」
「二つめを製作中」
「なんだ。でも、もし気に入らなかったら、わたし凄いよ」
「素敵だね」
理由以前に肌が合っていたのだろう。ちょうど互いにこころのどこかで求めていた温みや触感があったのだ。火が点いたようにすぐ恋人どうしになって毎日会わずにいられない数ヶ月があった。
なぜ僕が彼女を求め、なにを求めているかはわからない。あるいはただ必然があるのみでそのなかにはなにもないのかもしれない。雌雄の別とはウィルスに対抗するために遺伝子を交換し合うという、生存の工夫でしかない。
俠子が答を求め、僕が告白したその日、僕らはクリスマス・イヴでシャンパーニュを開け、既にいく杯かを重ねていた。僕のアパートで去年公開された映画『クウォ・ワデス』を観ながらだ。
「もちろん、いいわ。答は、イエスよ」
僕は受け容れられるとわかり切っていたから告白した(状況的にいって促されたも同然だったからだ)。それでも彼女の返事を待つ瞬間には心臓がドラミングしたし、彼女から受諾の言葉をもらったときには叫びだす寸前の幸福に襲撃されて有頂天になったし、自惚れが巻き起こったりもした。
「なんか、ほっとしたっていうか、こうなるような気がしていたし、でも凄く不思議な気分だ。
いま考えれば、教室ではじめて見たときから気になっていたんだと思う」
俠子がフリュート・グラス越しに僕を斜めに上目づかいで見る。黄金を帯びたシャンパーニュの色の音調が彼女の膚にメロディを寄せていた。俠子を耀かせる素晴らしい和音をなしている。
「運命なのよ」
彼女ははっきり断言した。いく重もの意味とふくみとが咲いて魅せる微笑、僕は魂の韜晦者という言葉を連想する。最高の気分だ。そう思えた。でもそうなってみるとちゃちゃの一つも差し込みたくなる。
「運命だって? 君は浪漫的だ。わるくいえば大袈裟さ」
「違うわ。
あなたは不思議っていったでしょう。それはあらゆる選択肢が存在していたけれど、結局いまみたいになった、どうしてだろう、ってそう思うからよ。
でもね、早蕨くん、それは違うと思う。
いまわたしたちが見ている世界すべてがこうなったのが奇蹟だと思えても、無数の選択肢があったかどうかはわたしたちにはわからないのよ。なかったかもしれない。
もうこれ以外のあり方は選べなかった、ありようがなかったかもしれないのよ。違うかしら。これ以外がなければ、これはこれじゃなくて、すべてなのよ。でも、そんな問いには、だれにも答えられない。わたしもね。
だから、素敵なんだわ。素敵だから運命なのよ。そう思いたいでしょう?」
僕の脳味噌は幸せとシャンパーニュとに酔っていてよく理解できなかった。
「そうかもしれない。たぶん、そうなんだ。僕が君を好きになった理由が段々わかってきたよ。これからきっと、もっと強く感じるようになる気がする。
生きているって、本来素敵なことなんだ。だから、生きているんだ。それが運命なんだ、ほんとうの生命なんだと思う。なんか、言葉がいくらでもでてくるな。いままではこんなことなかったよ。ほんとうのことはだれにもいえなかった。
君に会えてよかった。俠子、僕は君が凄く好きだ」
シャンパーニュを啣んだ。
ブレンドされている原料ワインの個性がぞんぶんに耀き、それでいてハルモニアをなし、雑音など皆無で芳醇な旋律を以て飲む者の五感を甦らせる。シャンパーニュに限らずワインの味わいには歴史や醸造人や気候などのすべてがふくまれるというが(到底そこまで判明できないが)、そんなことがあっても不思議はないように思えた。
どうして幸福は儚いのか。
でももし幸福が強靭不滅であったなら、だれも幸福などを求めはしないだろう。そこに幸福の儚さということの意味があるし、また幸福自体の意味もある。人間を無際限に駈るための罠、生存のための罠だ。僕らは生存の犠牲獣だ。生贄だ。生存、いまこれが僕の最大の敵である。
回想から現実に還った僕は既に駅を降りて歩いていた。まだ部屋に入りたくなかったので周辺を歩くことにした。
だれもいない公園のブランコに坐った。
それでもいつもの冬空がある。遠くて青い。
小鳥のさえずりが聞こえた。枝に留まっていたのは青緑っぽい濃い色で細い嘴が長く、カラスよりは小さいが、想定していたよりはずいぶん大きなものだった。
楽しそうになにを語らっているのだろうか。
彼らの言葉は美しいが僕ら人間にとっては、いや、(人間でもわかる人はいるかもしれないから)正確にいうならそれをわかる者以外にとっては無意味な、ただの物音という物的な現象にすぎない。彼らのうちだけで意味がある。
別に小鳥を蔑視するつもりではない。これは人間の言葉も同じだ。英語のわからない人間が英語を聞けばわけのわからないことをしゃべくっているだけにしか感じられないし、小鳥たちからみれば物音でしかない。
同じことばかりを反芻のように考えている。憑かれているんだ。まさしく徒労、無為の反芻だ。青空が僕を愚弄し、その全体が嘲笑であるかのように見える。自分をもっと酷使し、痛めつけて自虐的な憤りが起こった。だが常識人から見てこれほど愚かな、虚しい憤りはないであろう。おまえはだれに憤っているのかと糾されて僕が生存に憤っているといえばもうそれだけで正気じゃない。正気ではない。憑かれている。これが執著の本質である。自分を実験動物にし、解剖でもしている気分であった。やめたい。もう休みたい。
だから僕は思念するのである。だれしも自己への逆上的な残虐を持っているはずだ。僕もその例にすぎない。身を裂き砕いて引きちぎったその切れ切れを躍らせるように蒼穹にひるがえせばどんなにか解放されるだろう。
考える。もっと考えてやる。小鳥、そうさ、小鳥だ。
僕らの諸概念もさえずりと同じである。部外者から見ればなんのことやらわからない、ただ物的な、『思考』現象なのである。愛情や正義も、僕らが大切にしているすべても関係者どうしの空に架けられたもの、架空のものでしかない。実在ではない。
ではなにが実在なのか。大地か。空か。海か。塩か。岩か。草木か。
しかし樹木は人間にとって樹木だが小鳥にとっては留まることのできるなにか、巣を据え附けられるなにかでしかない。彼らの世界に入ればミミズはミミズではなく、じゅうじゅう音をたててよい匂いのする上等なステーキであり、生存する生き物ではない。
世界は諸概念であり、関係者間で架空されたものでしかない。真の現実とはただ空のみなのだ。
僕らの意識であるこの現存、すなわち全(物質か、精神かを問わない)世界は小鳥のさえずりのようにわけがわからないものであり、現に僕は自分という『現』の場に鬱勃と做される諸概念を零から検めようとすればただそうだからそうだとしかいえぬ、非情で乾燥した、物的無表情に直面せざるをえない。
それは透明という色であり、方角がないのである。
アパートに帰ると習慣的にコンピュータをたちあげ、コーヒーを淹れた。ビスケットをかじりながら俠子のEメールに気が附く。なぜなら生活が僕らのまえに置かれているからである。メールは開かずに携帯電話を手し、彼女の番号をプッシュする。
「俠子、なに」
「は? どうしたの。なんなのよ。メールは見た?」
「まだだよ。話せば済む」
「それは、そうだけれど」
「で?」
「読んで欲しいわ」
「僕には言葉がわからない」
「ふざけないでよ」
「じゃあ、君にはなにがわかっているの」
「ねえ、そういうの、おかしいよ。常識でしょう」
「芸術家である君には似つかわしくない科白だね。不徹底は君だよ。だれしも自分の都合で言葉を発しているだけだ。人間は自分を求めているだけなんだ」
「ねえ、なんなの。なにが気に食わないのよ」
「そんな気分的な問題じゃない。僕は無意味な惰性に疲れたんだ。全部が嘘じゃないか。全部がよどんだ滓、贅肉みたいなもんだ。直観に還りたい。事実だけのソリッドな自分に還りたい」
「なにをいっているの」
「なにも。なにもいえることなどない。いえれば幸せだ」
僕は幸福を求めている。人間の存在は幸福へのベクトルだ。それ以外の選択すしは実在しない。すべての問いは虚しい。
「ねえ、早蕨くん。落ち着いてくれない。あなたは」
「俠子、すべての人間は自分の球体のなかにいる。けして触れ合うことはない。互いの球のなかには入れない。だれもが世界のなかにあって相手を見ることも聞くこともできない。絶海の孤島だ。その球体のなかは永遠の迷宮なんだ。一つの刃しかない双頭の斧でわが身を切り裂きながらわが身を切り裂かれるんだ。だれもがそこから目を逸らし、愛や生活を夢見ている。そうでなければ生きられない。真実が堪えがたいからだ。人間の情愛も常識もすべて虚しい。だがなぜ虚しいのか。
ほんとうに無なら君がいったとおり虚しさもあるべきじゃない。虚しく感じるように創られているから虚しく感じられるんだ。そうとしか思えない。それ自体の本質として虚しさがあるのではなく、虚しさで染めるから虚しく見える。
コペルニクス的転回さ。天体が回っているんじゃなくて、自分たちがたっている大地が回っているんだ。だがそれがわかっても、わかるように創られてはいても人間は答を見いだせないように創られている。だから見いだせない。どこまでも同じさ。そう創られているからそうなる、あたりまえの論理だ、なにからなにまでこの調子さ。先に結論がありきで、全部が目的のための方便にすぎない、だからそうなんだよ。僕らは完全に閉じられた球のなかにいるんだ」
僕は電話を切った。
僕は考えた。
絶望の連鎖を脱却したい、と思わされ、さような希求があるからこそかくなる焦燥があり、連鎖する。ならばすべての望みを絶てばよい。だがだれにそんなことができようか。できるわけがない。希望は呼吸と同じだ。それなしで生きていけない。そういうふうに創られているからだ。
携帯電話が鳴った。
だが僕は自殺などするものかと思った。死を以てしてもこの問題からは遁れられない。希望を抱くから絶望がある。絶望があるうちは希望も捨てられていない。生きたいから絶望がある。生きたいと望む自分を殺してしまうことは痛ましい自虐であり、自己矛盾であり、連鎖の渦中ではないか。
生命に還りたいという切望がアメーバのように分裂し、繁殖した。黴のように広がった。苔や羊歯のように生えた。樹木のように枝を伸ばした。鮪や鰹のように海を泳いだ。龍のように蒼穹を遊弋した。蒼穹には燦然たる、青春なる永遠の夏、若き太陽神アポロンが爽炎たる姿に坐し、その車輛を牽く神馬らは前脚を高くし、歓にきわまったいななきを喇叭のごとく四方に響かせる。世界中の向日葵が一斉に仰ぐその瞬間、一面の黄色。その氾濫たるや。
生命とはなにか。
鳴り続けていた電話が止まった。
僕は自分がどうしてここにいるのかわからなかった。見慣れた部屋がはじめて見る場所ように奇異に存在していた。時間が止まったようにすべてが身動ぎもしない。むろん椅子やテーブルが足踏みするわけがない。それらはいつも止まっている。だが僕はそれらが静止していることがはっきりとわかっていた。
静寂が狂叫している。その凄まじい焦燥といったらなかった。それはまた無限に星辰の震え散る大宇宙を眺めたときにふと感じるあの畏怖、沈黙の轟音のようにも感じられた。
僕は。
僕はいつしか眠っていた。深い眠りのなかに陥り、深い夢を観た。
深更に降りだした雪は積もっていった。
やがて薄い曙光がカーテンの隙間から差す。
僕は毛布を払いのけ、窓を開ける。冷気。まだ暗く、雪だけが妙なまばゆさを放っていた。
ミンク・オイルを染ませた登山靴を穿き、僕は学校にいこうと思った。登山をしたなどはないが、重装備が好きだ。駅では電車の発着が時刻表と合っていなかった。マフラーにうずめていた鼻尖をだしてプラットホームのベンチに坐って缶コーヒーを飲んだ。人はあまりいない。九時一五分という時刻のせいもあるし、電車をあきらめた人もいるだろうし、もともとこの辺は鉄道利用者が少ない。僕の実家のある村ほどではないが田舎の部類に属するからだ。
こういう非日常的光景が好きだ。安全な冒険性があり、解放された気分にもなれる。
キャンパスに俠子の姿はなかった。全体に学生の数は少なかったが彼女が雪で休むとは思えない。携帯電話をつかんだが、その手をポケットにもどした。
休講があって次まで時間があったので昼食を外で摂ろうとする。歩いていると雪の抵抗感が爪尖にあった。さくさくした感触とその音とがある。いまここにいることの実在感だ。存在を了解することは行動していることそのものにほかならない。
これら情報が生じるから情態に襲われる。そして自分に気が附く。生きることは情報を造作することにはじまらなければならない。
だから存在了解が生じるためにはその製作者が僕よりか先にいなければならない。少なくともそういう様式を要する。
すべての存在はこのように約束上の時間性のうえに広がっている。ここでいう時間とは一秒間だの、午後一時三九分二秒だのということではない。いまより先に可能があるという様式だ。
よって僕らは期待や不安という情態として顕われる。未来への期待や不安によって現存の存在が顕われているかのように錯誤される。現段階の僕らにはそのようにしか考えられないのである。
一瞬後になにが見舞うかが不安であるため、不幸や災厄を避けるため、または望みうるものを獲得するために物事を認知しうるちからが備わったかのように僕らには映るのである。かのごとくにしか現状僕らの側からは考えられない。
小さな洋食屋に入った。俠子とよく来た店だ。彼女の姿はない。食後のコーヒーを飲んでいると俠子の不在が不思議に思われた。思い出が泛ぶからだ。過去とは(あたりまえのことだが)いまはもうないという感覚を伴う。未来も過去もともにいまに属する感覚であり、現存の存在の様式だ。
こういった様式のなかで僕らは幸福を求めている。時間性や存在の様式は幸福への志向を構築するためにあるかのごとくにある。
きのうの問いが髣髴された。
生命とは幸福へのベクトルによって律せられている。それが生命の法則、生命のロゴスなのではないか。
生命とはなにか。
俠子には逢えなかった。
このように同じ問いを再び問うたとき、僕はなにかしらの光明を感じた。
それになんとなくトルストイの論文『生命について』に近附いたような気がした。だがよく考えるとこういう類の符合を歓ぶことは、ほとんどがぶざまな結果に終わるものである。異なる文化背景の者が都合よく解釈し、悦に入るパターンだ。一番に思い泛ぶのは厭世哲学者のショーペンハウエルが仏教の古代賢者の叡智に近附いたと考えたことなどである。もっとも彼の主著の全訳本は昨今の日本の一般書店には置かれていない。僕が知るのも断片な知識でしかない。論に精密さはない。
だが僕が僕のウィルスから治癒しようとしている気がたしかにしていた。考えてみればウィルスとは恐ろしい奴だ。無生物のような生き物である。遺伝情報を宿した核酸とそのプロテクターであるタンパク質とでしかない。単独では生命の基本である自己増殖能力を持たず、寄生した細胞のタンパク質合成能やエネルギーを利用し、増殖する。寄生された生体には感染症状がでる。雌雄の別はウィルスに対抗して遺伝子を混ぜ合わせるためであるともいわれている。一つの種族が皆同じ遺伝因子の情報で設計されていたのではそれを直撃するウィルスがでたばあい、いっぺんにその種族全体が滅びてしまう畏れがあるというわけだ。生命の歴史にはウィルスとの戦いの歴史という一面がある。
すなわち生命は反動によって進展する。ヘラクレイトスがいう弓の調和だ。弓本体と弦とが異なる方向のちからによって調和するという喩のことである。僕の存在が、すなわち僕と全世界とが未来の可能として眼に見え、耳に聞こえ、常に僕を行動に駈る情態たらしめるのも同じなのだ。
観察というものが事実を正確に捉えられるか否かがどうあれ、現実存在としての僕らには原的にそう直観するしかない、(いまの人類の意識のレベルでは)そうとしか考えられないのではないか。
正しい結論がなくとも僕らは常時選択を迫られて生きているのだ。古代人らが正しい分子生物学や理論物理学の知識がなくともそうするしかなかったように僕らもいま可能の限りをする以外はない。
これが現実存在の宿命だ。
この捨てたような無骨さが生きることへの肯定でもあるような気がした。そう思うと冬空もどこか楽しげだ。生きるとは勇気そのものではないか。勇気を喪うならば生まれなかったほうがましだというゲーテの言葉は至言ではあるまいか。
生命とはなにか。
生命とは幸福へ向かう勇気だ。この意識以外のどこに僕の生命が考えられようか。
翌日、僕は海に向かって歩いた。
アパートから海岸までそれほどの距離ではない。
海など眺めて大悟するのがふさわしいように思えた。ピエロは芝居がかるのが当然の義務である。などと自身を嘲ってもみる。俠子のことがやや気がかりではあったが、個人的には愉快であった。
陽射しが暖かい日だった。
サーフボードや干物を吊るし干すための棹、アスファルトのすみに雪がたまっている。松から落ちる雪。錆びた軽トラック。色あせたサンプル品が傷だらけのプラスチック窓のなかに列する自動販売機。夜明かししたに違いない、シートを倒したプジョーが閉じた海の家の駐車場に停まっていた。
ガードレールをまたいで砂浜に下りる。冷たいが、穏やかな潮風だった。気温があがっていくのがわかる。海の青は微笑みかけるように暖かそうだった。
俠子の存在も僕の進化のための反動としての意味が僕にとってあったのだと思う。世界のあらゆるものが恐らくはそうなのだろう。僕の存在の不安はだから永遠に消えることはない。だからそれを肯定しない。幸福へ向かってあがき続けよう。花が散るように死があるのは条理だと思えるようになってやろう。
海辺の三毛猫が廃舟のうえで寝そべっている。三毛といったが、雑種だろう。野良猫には見えないし、三毛の飼い猫ならこんなふうにはさせないはずだ。しかし雑種だろうがなんだろうが丸々して毛なみがよく、細めた眼がいかにも満足そうである。日向さえあれば彼らは幸福なのであろう(むろん酸素や水分や餌や適温も必要であろうが。ああ、いやだ、いやだ。どうしてこう細かいのか、僕は)。少欲であれば幸福は近い。少欲の是非には人によって論議をよぶところでもあろうが、幸福が目的であると考えればかたちにこだわる一切の論は顚倒している。
かといっていまさら猫レベルにもどれないこともたしかではある。知ってしまった以上は過去にはもどれないのだ。かつての共産主義国家の国民が一人残らず資本主義国家の歓楽と贅沢、電化製品やスポーツカーにあこがれなかった、というわけにはいかなかったように。全労働者が一点の曇りもなく善良で少欲でない限りは共産主義の理想は実現しない。しかし我々は人間をブッシュマンにもどすことはできない。すべての文明を破壊する以外には。いや、そうしてさえも不可能だろう。古代の野蛮でちからだけが専横する世界が復活するだけだ。
愚かな欲望に囚われて人を踏みつけにする人種がいなくならない限り解決はないのか。だがそうしてさえ同じ欲望が構造化されている人類はなんどでも同じ轍を踏む人間を輩出するであろう。すべての人から保身の欲がなくならない限りは、特定の対象への矛盾する愛執がある限りは解決がえられない。
自分も同類だ。
僕は歎息した。
波は青くうねりながら息を吸うように盛りあがってたちまち落下する。白砕しながらも全体としては緩慢で春の兆しを想わせるのどかさであった。海藻があげ潮の打ち寄せた際に沿って線を描くように打ちひしがれたアリアドネの髪のように横たわっている。潮風を諸細胞らが深呼吸する。ともかくもよい日だ。しかし同じ空の下では数万人が餓死している。だがまた数千人の日本人がいい日和だと思っていることだろう。それは罪なのか。むろん罪だ。だが僕らと彼らとが逆転したとき、彼らは僕らのためになにを想ってくれるだろうか。いや、だから放って置いてよいというんじゃない。このどうにもならなさが多くの不幸を招いているといいたいのだ。他者の不幸を自分の不幸のように感じられないのはある意味生きる知恵だといえる。冷たいようだがたしかにそうだ。もし毎日数万もの人間の無辜の死をそのとおりに感じられたとすればその悲惨さに一秒だって生きてはいけまい。
しかしやはりそれが多くの不幸の源泉であることもまた事実なのである。
いったい僕はだれと闘えばよいのか。
多くの(あまりに多くの)問題を残しながらも僕は自分が生命にたち還ったような気がしていた。実際そうだったと思う。世界情勢などをちょいとばかしつまんで論じ、ロゴスに従う幸福への道を考える、余裕のあらわれだ。だれに遠慮する必要もない、ともかくも恢復への兆しなのだ。
よって僕は帰途に着くことにした。
プジョーのエンジンがかかる音に振り返る。それがUターンし、公道にでようとする刹那、助手席にいる女が俠子であることを僕は認めた。
その夜、彼女のアパートに向かっていた。ポケットには紐が丸められている。扉のまえで首をくくって縊死してやるつもりだった。階段をあがる。三つめが俠子の部屋だ。僕は紐をだした。涙はでない。自暴自棄だった。憤怒と恨みと表現し切れない訴えとの氾濫だった。自分を殺して彼女にショックを与えたい。そうして少しでも遺恨を晴らしたい。ただそれだけだった。
身勝手だとは考えた。ほんとうは彼女に愛され、自分の存在の礎をえて幸せにいたりたいがそれが阻害され、自己の肯定性が喪われ、逆上に襲われているだけだとはわかっていた。生物の基本条件として自分の存在が脅かされることに逆上しているだけなのである。だがそうとわかってどうにもなるものだろうか。そもそもこれは自己防衛や保身という概念のみでは到底理解できない。胸中を苛んでやまない憤懣に駈られ、自虐といってもよい矯激な行動を以て晴らそうとする。自己の肯定性の喪失は内面的には生死を賭けた状況に等しいのだろう。生存への妄執が自己を裂いてまでも状況を変えようと狂奔し、行動が動機に矛盾する。それほどまでに生存への意志とは強烈なのだ。それほどまでに僕らの敵は強靭なのである。なぜこれを敵というかといえばこの反動を克服できぬばあい、淘汰されてしまうからである。すなわち自殺行為によって滅んでしまうからだ。だがそうとは理解してはいてもそんな言葉どもは全部糞だった。
半ば愚かしいと意識のどこかで嘲りながらそれゆえに自虐的な逆上が止められない。紐をかかげ、かけようとする。都合よく紐をかけられるものなどどこにもなかった。頭が空白になってあ然とする。
なんでこんなことも考えなかったのだろう。なんどもここに来ているのに自分のことしかなかった。思いいたらなかった。自らを絞め殺したいような狂おしい哄笑が込みあがったとき、五つめの部屋のドアが開いた。
パーマ髪の乱れたおばさんが怪訝そうに僕を見る。財布を片手にしていたからコンビニエンス・ストアにでも買い物にいこうとしていたのだろう。僕はあわててきびすを返し、背を丸めて階段をなるべく自然な早足で降りた。どうして死を覚悟した人間があわてるのか。羞じて畏れ、すごすご引き返すのか。僕はなに者なんだ。なにも本気じゃないんだ。死ぬ気なんかなかったんだ。そう自分に心中で喚く。
自分で自分を振りちぎるように夜道を疾駆していた。ちぎれて舞い散りたかった。現実という奴に身も裂け砕けたかった。
斐娑野川まで来た。堤防に坐って両手に顔をうずめ続けた。風が強い。体が冷え切った。それでよい。現実、現実とはなにか。なぜ僕は問う。真実は身を切る風の冷たさ、それだけだ。世界にあふれる多くの不幸な人々に比べ、なんて僕は惨めだろうか。傷のように寒さが骨を徹る。このまま死んだほうがよいとも考えた。だが尿意をもよおし、用を足し、からだが震え、くしゃみをする。僕は午前三時ころに自分のアパートに歩き着いていた。
眼を覚ますと太陽は黄昏であった。半身を起こし、膝をたてた。思考は止まり、脳細胞が活動している。
さあ、『僕』とやら、どうか立場を換えて考えてみておくれ。
俠子は僕に冷たくされた。そんなときに彼女の感性に合うほかの男性が眼のまえにあらわれたとする(もっともいま考えれば根拠のない推測でまったく別の事情だったのかもしれない。しかしいずれにせよ、あのときの二人の状況は夜を明かした雰囲気だった。思いだすたびに甦るその感覚はいまでも変わらない)。どうなるだろうか。その人とともにあることが僕とともにあることよりも遙かに素敵だったとしたならばどうであろうか。過去の選択が誤りであり、新しい選択が真実だったとすれば真実に赴くのではないか。たとえ行動しなかったとしてもこころにはそれを想うであろう。僕だったらどうするか。それを想うことは絶対にたしかだ。こころにその想いを抱くならば既に行動したのと同じではあるまいか。
「ふん」
僕は演技っぽく頭を振り、自らを嘲る振りを気取る。
偽善だ、こんな考えは。善人ぶっているだけだ。そんな自分にうんざりだ。本音で語れよ。人間の本能の凄まじさを見たばかりではないか。
と思うこともなにか偽悪者ぶっているようで、なにか間接的の感がぬぐえない。
どんなふうに考えても空疎でリアリティがなかった。僕はただ苦しい。それしかない。なに一つ考えられなかった。脳細胞は片思いの人が同じカルタ占いを繰り返すように反芻し、一歩たりも進まなかった。
翌日僕は早起きし、講義に出席した。ノートも確実に取り、帰りには書店によって参考本を購入する。スーパーで晩飯の材料を仕入れ、机に向かいノートを整理した。なにもかも機械のように無感覚で行われ、僕は傍観者のようであった。なにも考えていなかったが、相変わらず思考は焦燥のようにリアリティなく反芻している。
生命の復活など望んでいなかった。哀しみたくもなかった。鬱憂が泛ぶとなにかしら行動に勤しんだ。忘れようとなどしなかった。思うまいなどとは考えなかった。むしろ執拗に思い返しては自らを寸断した。なにもかもが赦せずに妄執し、そこから離れたがらなかった。
だったら俠子に会えばよい、話せばよい、そうすればなんらかの結論はでる、という考えもあるにはあった。
だがそんなことはしたくなかった。この情態からでたくなかった。あのころをどういえばいいのだろうか。いまでこそ時を経て喉元をすぎ、整理された言葉になしてはいるが、当時はこんなものではなかった。もしそのころに自分を、その胸中を言葉で語れといわれたならば到底尋常な表現では収まらなかっただろう。
そうこうして俠子と連絡のない二週間が経過した。
僕は遺存していた。
まだ快癒にはほど遠かったが、最悪の状況を越え、その後さらに自分がどうやって冷静に返ったかを説明できない。結局は時間によって解決されるだけであり、なにも解決されはしないものなのだ。
僕はその『ある日』という日、俠子と向かい合ってカフェに坐っていた。大学の講義が終わってからどちらからとなく誘い、席に着いたのだ。その時期僕は既に彼女が榊原という同期の学生とデートしていたという学友の目撃情報を耳にしていた。
俠子はいう。
「ねえ、わたし、あきらめないよ。
早蕨くんとフィレンツェにいく。
あなたがどうするかはあなた自身が決めて。でもね、あなたの答がどんな答でもわたしの答は一つなの。
自分の気持ちがよくわからない。けれども関係ないわ。そうしたいんだもの、そうするのよ。理屈じゃないの。だから、これが真実なんだわ」
どうしてそんなことがいえるんだ。いや、それを理解しなくてはいけないんだ。これが人間の、生きた人間の生活世界なのだ。彼女には彼女の紆余曲折がこの短い間にあったのかもしれない。だが僕が選ばれたのだと楽観したくはない。人間の動機は常に複合的だし、本人にすら理解できないものなのだ。眼を逸らし、平然と『常識』に生きる、それが人間だ。遡って論及し、糾すべきではない。世間に融通する人になってやろう。僕の基準で俠子を義しいとはいいたくない。だがだれも義しくはない。人はただそのあたえられた生を生きているにすぎない。礫を投げる権利はだれにもない。これは叡智であろうか。
僕はランカスター・クリムゾンのスポード窯製コーヒーカップをかなり演技っぽく傾けたりもしてみる。
「そう。じゃあ、僕も努力するよ。
あらゆる意味においてね」
完