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< 9月20日 靄の考察>

 茨の道の中に子供を追いやっている、そう思えてならない。木津がそう思っているのは、かつての連続失踪事件、昨今起きている”出来事”と”出来高”の結果によって、嫌というより連想はできる、からだろう。

住吉は、そう木津の心境を推察した。

 年齢的にみても二回りは違う中高年である木津がいまだに現場に出ているのには理由がある。

 内閣府において特定分野の情報操作を行う分野に、情報部というのがある。もともとは内閣情報調査室であり、組織形態としても研究室という名目で動いていた。

 しかし、外国との折衝において、特に経済的なアドバンテージを失ったアジア圏においては、従来の様なお布施外交にも影が見え、自分たちで情報を集める必要があった。組織改編に次ぐ組織化は、巨大な一つの情報機関を公安とは別に保有するまでに成長していた。

 電子戦略の権威である朝比奈教授の招聘した多くの逸材は、現在では一級の捜査官であり、外交官としての資質に追加し、プログラマー、あるいは機械工学の権威として、第三勢力である《機械種》との交流にも力を入れている。

 欧米のうち、英国は先進的に日本に近似した施策をとっていたため、保守的な米国に変わり、お手本として多くの知識を取り入れている。

 眼前にあるのは小さいノート型の端末。技術がどの程度進化しても、利便性の規格というのはそう簡単には変わらない。ノートに書く、という行為は幼少期から青年期にかけて多くの時間を費やす行為だ。形状が変わったとしても、『書く』事と『描く』事は人間の本質として――あるいは本能的な欲求――残り続けるのだろう。

 住吉は、油でなでつけた髪の毛を右手一房つまんでねじる。閲覧しやすいように充電装置に立てかけた形状でおかれるタブレットノートには、チャーリー・デ・ルイスの略歴が表示されている。

 丁寧に映画俳優の様な流麗な姿を切り取ったプロマイドも添付されており、少し中年の住吉にはイラッとさせる。

「そもそもプロファイルした職員の趣味が反映される、というのはいかがなものですかね……」

 溜息をつくが、誰もほかに聞く者はいない。彼個人のプライベートスペースという職場環境は良くも悪くも孤独を感じる。がらんとした六畳ほどの大きさで、天井まで区切られる巨大なパーテーションは、彼ら内閣情報部の扱う情報の機密性を担保するための仕様である。

チャーリー・デ・ルイス。

 金持ち、というだけでは住吉には鼻持ちならない、やっかみの対象だった。

 自分の給料などたかが知れているし、自由になる時間すら手にすることはできない。

 二十四時間、三百六十五日が出勤日で、唯一、選挙により政変が起きた場合には異動に伴う手当――左遷による引っ越し――で二日程度取る事ができる。

 イギリスのブルジョア階級については、住吉はいい気分を持っていない。もともと労働階級と隔絶された『別世界』に住んでいる人間で、支配階級という言葉が正しい”紳士”、”淑女”の集まりだ。

 人間的に欠落した感情も持ち合わせ、体面と自尊心で塗り固められた存在を、簡単に好きになれやしなかった。

――しかし、日本は古来から差別を行っていたにも関わらず、どうしてこの様に金持ちにやっかみを持つのでしょうか……

 ふと思いだそうと思ってみても、これという決定打がない。

 日本全国では一揆に代表される、叛乱は存在する。

 しかし、政変を行うために用意された者は、一定の時期から停止し、むしろ生活を維持するための食料問題にすり替えられている。

――安定的な生活基盤を守ろうとする時代が長く、世代がその間で代われば、常識の形成もそれでされる、という事ですかね。

 とすると、

「江戸時代から明治時代に変わるにあたり、日本人の思考基盤作られ、その後、第二次世界大戦以降の世界で、さらに『敗戦国』としての卑屈さを与えたのかもしれないですね」

 だからといって、チャーリーを好きになる、という事は無いと住吉には断言できる。

 とにかく写真に写っている顔がウザイ。

 その一言に尽きる。いい男すぎる。

 絵に描かれる事を『あたりまえ』と思っているモデルの様な姿。

 金持ちらしい清潔感にあふれた服装に豪華な装飾品。

「……金持ちなんて嫌い、と言いたいところですが……」

 同盟国である事は事実、今は、チャーリーという『応援』よりも問題は《老人》の方だった。

 住吉の業務スペース内の壁一面には、多くのプリントアウトされたデータが張られていた。

 情報は、必要であるが紙にする必要は本来はない。しかし、可読性と、目に入れるという行為は関連性を導きだすための発想力を高めるには重要な行為だった。

 掲示されているほとんどが《Mouse》関連の情報で、公安が集めたと思われる資料の写しも茶色の段ボール箱に詰められて、テーブルの傍に控えていた。

 未だに警察は紙資料を完全に捨てられないでいる。この事は、こういった『問題』が起きた時には、非常に助かるというものだった。

 欲しい情報は『すべて』永年保存だ。電子的改竄もされず、当時のままの残り香の持っている。

「《老人》は本当になんでまた……こんな時に日本に来るというものなのでしょうね。金銭的な欲求を満たすための行為、というわけでもないでしょうし……」

 英国から提供されている資料の一つには、本来は絶対的に開示されない”銀行口座の動き”も含まれている。というのはあくまでも建前で、閲覧にとどまれば、金融機関は情報を提供する。

 特にICPOの要請を受ければ、国際的犯罪の抑止という観点と同時に、金融機関が非合法事業に手を貸した事による、見せしめ的に罰則は、一年の利益を簡単に超えるほどであったから、銀行の帳簿情報を、裁判の資料として利用しないことを担保に提供する事はままあった。

 そうでなくとも、銀行のプロテクトは強固とは言いづらい。

 根幹のプログラムには、同一のセキュリティが施されており、全体を入れ替えるにはあまりにもガラパゴス化していた事が要因だろう。すなわち、過去に同様のセキュリティを突破できたのであれば、同一手順で、『鍵』だけあれば簡単に侵入することはできる。

 このセキュリティを含めた根幹プログラムは、5世代ほど古い言語をいまだに使い構築されているのが常で、ネットワークの監視と不正アクセスを防護するための多重プログラムをミルフィーユの様にハリボテの様に積み上げた砂上の楼閣だった。

 現代のハッキング技術であれば、アタッカー側の計算速度は当然世界最速のコンピューターを用意するだろう。手軽に、容易に、安価に、量子コンピューターが量産された結果と言えるし、それに伴う機械工学の技術進歩と、生産技術の確立も太いに評価されるべきものだ。

 いかにプロテクト側が厳重に量子コンピューターで防壁を構築し、何重にも施錠されたとしても、結局は暗号鍵を利用して封鎖されているだけであるため、鍵を複製する事ができれば一時間とかからず解錠できてしまう。

 個人情報を保護するために第三の鍵として生体認証を取り入れがちではあるが、『電子化された生体認証』は電子データでしかない事を開発者側はすっかり忘れてしまっているようだった。

「いくら、固有振動を使ったり、静脈配置による情報を使ったり、遺伝子情報を利用しても、結局は同じ電子的にデータベース化されたデータとの突合という制御がかかるんですから、細分化すれば0と1の電子データでしかないというものですよ。

 そりゃぁ、1990年に始まったヒトゲノムの解析が13年かかりましたがね。それだけの”膨大”と言われたデータをもってしても、DNAの同定をするのに今や、お茶を沸かしている間にできてしまうわけですから、ただの配列判定を、総当たりで行ったとしてもたかだか60億ですよ?」

 苦笑するが、誰も聞いていない。それで、作業が進んでいない事を忘れようとする悲しいハードワーカーの姿だった。

 三段の袖机の中段から試験管の様な瓶詰のドリンクを取り出す。長さもほぼ試験管と同等で90mmとなっていた。コルクの蓋の下には、赤い板状の留めが存在し、試験管がプラスチック板を突き破っている様な様相をしていた。

 常温になっているにもかかわらず、住吉は気にした様子もなく、茶色の瓶の口を開ける。

少し甘酸っぱいような、それでも柑橘系というよりは”人工的に作られた”甘ったるい匂いを含んでいる液体を深い息で肺いっぱいに満たした。

 一口。

 ドロリとした形状が舌の上に転がり、すぐさまカフェインを濃縮したような覚醒する錯覚を彼に与えてくる。口いっぱいに広がる甘味はドロドロのピーチの様で、鼻を抜けるさわやかなフレーバーはレモンの様に。

 体は正直なものだ。

 一瞬にしてニコチンと同じように検知した、『毒』を体内に取り込まない様に血管を収縮させる。脳の中で、靄の様にかかっていたよどみが処理されているのが感じられる。

 スーッと血が頭から足へと落ちるような感覚と共に、短距離を走り終わった様に脳内に興奮状態訪れる。

 収縮した血管の圧を受けて、心臓が鼓動を本来は落ち着ける。しかし、この液体は逆の作用を及ぼした。

 心拍数が上り、脳内分泌が開始される。βエンドルフィンの分泌が活性化されると同時に、視界がクリアになる。

 

「――レッド・フローティーを好き好む奴は碌な人間じゃないよ」

 低音の声が住吉の鋭敏になった聴覚に届く。

 時計をちらりとみると、たった一瞬のはずが、三十分は落ちていたらしい。

 木津がいつの間にか住吉のスペースの中に来ていた。デスク一つと小さいキャビネットだけおかれたパーソナルスペースであるが、人が二、三人顔を突き合わせて打ち合わせをすることくらいはできる。

 木津の呆れた表情は苦言を直接的な訴えへと変えていく。

 だが、いつもの事で、毎度の一言でしかない事は、住吉もよくわかっていた。

 住吉は瓶を卓上に置き、茶化した様に言う。自身のトリップなど気にした様子なく。

「レッド・フローティーという名前がもうすでにやばいですよね。もともとラボ用品のフローティーを連想させる首元のプラスチックからの連想ですが」

「酔いはしないが、ドラッグと同じほどに内分泌系に異常が起きる。――今の様に意識が飛び出すなどの現実との乖離症状があるため、事故や傷害事件に発展するケースもある。

 常用している者では廃人になるといわれているが……、それでも使うのか?」

 顔をしかめる木津に、住吉は自嘲した。

「家族もない身ですよ? そんなの気にして仕事に命かけちゃぁいませんよ」

「……、ま、ほどほどにな」

 副作用について木津が言った通り、ただ眠気を吹き飛ばすだけの嗜好品、というわけでもない。

 強烈な人工甘味料の甘みでごまかしているが、人間の脳や内臓にかなりのダメージがあるのは事実。

 合成カチノンの様な腎臓へのダメージは高く、『合法品』か『脱法品』かは未だに議論されるものである。

 そのうえ、先ほど木津が言った様に事件へと発展するケースも見受けられ、、近年では脱法であるという見方が強い。

 THCに代表されるような向精神薬とは違い、どちらかというと、ガラナといった強壮剤に近いとは言われているが、脳への作用が強く、『本当にただの強壮剤なのか?』という疑問はある。

 効果自体はカンナビノイドと同じ作用になるが、血液循環に異常を来すなどの、亜硝酸エステル類と同等の副作用も保有している。

 快楽物質によって一度の摂取を行ってしまえば、抜け出す事は容易ではない、と言われている。

 こうまでして彼は仕事をする。

 単純なハードワーカーという言葉が適切ではない事くらい、住吉も十分に理解している。

 機械じみた仕事が必要な公務員だとしても、『二十四時間』仕事ができる訳ではない。機械の様に”休みなく”働く事はできなくても、”休みがない”状況になるのはいつもの事だ。

 パフォーマンスが下がろうとも、過労死寸前までに兵隊を酷使するのは、ヒロポンを兵士に支給していたころと何ら変わりはない。

 結局は兵隊など、国家にとって使い捨ての路傍の石でしかない、というのが住吉の考えだ。

 一兵卒の自分にとってみれば、『目的・目標』こそが重要で、それ以外の手段はフィンランドの軍人、アールネ・エドヴァルド・ユーティライネンの様に、潤沢な準備によって使える物を使って達成することが必要だと感じている。

――最も、そのためには最上の準備が必要ではありますが……

 それは、ここでは口にできない。

 こと《老人》に関しては後手もいいところだった。が、それを取り繕う必要もないだろう。

「機械の体であれば、いいのでしょうけどね」

 住吉は笑う。口元の笑みは弱く、呼気も覇気が感じられない。今の時点で住吉の活動時間は40時間を超えている。多少の仮眠を後でとるつもり、としていた時刻からは十分に経過していた。

 尤も先ほどのトリップを”休憩”換算するのであれば別であろうが。

「分かっている、頭数が増えてもネット上に存在しているデータの量は、人間で仕分けできる量を簡単に超えちまっている。《機械種》たちの動向を探るには、人間の姿で彼らと同じ働きをしなきゃならない。

 っていうのに、にっちもさっちも往かないというのが事実だけどなぁ。一日の時間がどれだけ伸びても処理速度というのはついて回る。住吉――少し休んでもいいんだぞ?」

 ははっ、と住吉は笑いながら端末の情報を彼の通常業務の画面に切り替える。

「《老人》の動向を探すには、全部総当たりで『違和感』を探さないといけないでしょう? 私だけでやっているわけではなくて、いつもの通りチームでの対応ですから」

「とはいえ、」木津はぐるりと見渡す。ただのパーテーションであるにもかかわらず、ネットワーク上には多くの『同僚』の姿が見える。

「簡単に行っている様には見えないがなぁ」

 遠隔地を映し出している映像には、机に両手折りたたんで突っ伏している職員も映している。中には椅子をフラットにして足を延ばし、天井を仰いでいる者もいる。

 誰も彼もが顔色が悪く、時間の概念を持っていない様に無心に働いている姿は異常であった。

 チームの人数はここに映っていない者も含めてたったの5人。

 全世界を相手にするには余りにも物量が足りなすぎるが、それを少数精鋭などと胡麻化して、警察や自衛隊のOBを引き抜いて『技術』だけで補おうとしている点はある。

 が、それにも限界は生じる。

「まぁ、いつも通りのデスマ状態ですよね。納期が――とは言いませんが、対象が活発になれば私たちに急速に情報が集まるというもので。

 一日に閲覧可能なデータは全部で60時間分といったところでしょう。3秒一コマに集約した映像を見ているわけですからね。対象地域に設置されている監視カメラの数だけでも頭痛がひどい」

「道路、信号、車載カメラ、携帯端末、防犯カメラ、店舗内カメラ、公共交通機関の内部に設置された者や、獣害対策用の捕獲機能付きカメラまであるわけだからな……。一平方キロ県内だけで考えても百や二百では聞かないだろう?」

「考えないようにしていますよ。順番に序列を合わせて同時に4画面で、この車がそっちにいって、あぁ、この人が自転車に乗ってこっちに来て……。

 頭が正常なのか、異常になっているのかわからないものですねぇ。映像処理をしてもいいんでしょうが、《老人》の様な手練れの場合、基本的には映像に映らない」

 そうだ、と木津は頷く。

「だからこそ映像処理された痕跡を探すんだ。例えば、――誰もいないはずなのに路面にある雑草が次の瞬間消えたり、一時停止線で一度止まった車が”居ない”者を避けるために少し長く止まっていたり、自動ドアの開閉、公共交通機関のチケット排出のカウンターの変化そういった歪を見つけるしかない」

 住吉は映像を停止させ、腕を伸ばす。「機械処理をかけて判別しようにも、違和感という物は整合性が取れている、と電子的には見えてしまうわけですよ。特に大量処理をかける場合、60フレームごとに確認していくわけでもないですから、機械的に『補正』が入ってしまう。

 映像処理で背景を自動生成するのと同じで、機械としては辻褄が合わないという事を辻褄が合うように作り出す機能を基本的に保有していますからね。自己矛盾の許容を行えるようになっているAIの弱点でもありますが」

 そうだなぁ、と木津は顎を撫でる。目頭を押さえた住吉はゴミ箱の中に試験管を放り投げる。細かい破砕音がしてプラスチックのゴミ箱の中でガラスが飛び散った。もともと幾本かの瓶の残骸が入っていたようだったが、木津は気にしない。

「区ごとに情報を洗っていても結局それを見つける事は……到底できない」

「そうですね。――ただそんな当たり前のことを言いに来たわけではないのでしょう?」

 疲れた笑みを浮かべて住吉は、含みのある木津を見た。

「直近で当時と同じ失踪が起きた。場所が関南郡第六区。――あの事件と同じ口火を切ったわけだ。朝比奈教授も腸が煮えくり返る思いだろうね」

「……?」住吉は眉を寄せて、いじわるな笑みを浮かべる木津の事を訝しんだ。

「なんだ、」木津は目をしぱしぱと瞬き、

「朝比奈先生の教え子も件の事件の被害者――という扱いになっている、っていうのは知らなかったのか?」

 ええとも、いいえとも。住吉はうなずかない。ゆっくりと横に首を振るうだけ。

「……朝比奈教授の教え子でな、田中・真央という生徒がいた。事件当時にはすでに学校は卒業していてな。第六区の駅周辺にある集合住宅に住んでいたようだ。

 俺は、その時まだ警察にいたからな。色々と情報は――まぁ得ていたよ。つっても一つの情報を探るためだったが……。中々そっちのほうも難しくてな」

「逆に、私は同時期に起きた別の事件の方が詳しいですね。本筋で無いので、木津さんはあまり絡んでないのでしょうが……。潜入捜査員による『長官暗殺未遂』があった時に、同時に『連続誘拐事件』が起きた、っていうのは、偶然がすぎると、本庁でも見ていたようですがね」

 あぁ、と木津はうなずく。

「『長官暗殺未遂』の犯人――そいつは今どうなってんのかなぁ……。

 結局行方知れずで、指名手配の写真すらシルエットしか残ってねぇ。確かに潜入捜査員として一流だったからな。プライベートを含めてすべての写真が存在しない。モンタージュで作成したものがあったが、過去の遺恨を考えて両親からの説得を加味して非公開扱いになってるからなぁ」

 重い溜息をついて、木津はパーテーションの入口付近にあるパイプ椅子を引っ張り出す。

 長い話になるんだろうなぁ、と他人事の様に住吉は思うと同時に、映像確認用のディスプレイをオフにした。

「話を戻すが、朝比奈教授の教え子の死因は、――自殺とされている。これは公式発表であり、今後も覆る事はない――が、一応リストには載ってんだよ。

 不思議だろう? 公式発表は済んでるが、『連続失踪事件』の被害者登録されているっていうのがさ」

「……何等かの証拠があって、失踪事件との関連があると判断したので? ですが、自殺なら……書類送検して終わりなのでは?」

「まぁ、書類送検はしていないんだ。公式に発表しただけで、『書類送検予定』のまま保留されている。

 理由の一つが、マトリクス型電子化像技術――ラーニングは人間の脳髄の情報を電子化する技術で、現在はすべての国で違法だ。この施術を受けていたであろう証拠が失踪事件の18名のうち2名分見つかったと、当時の新聞がすっぱ抜いた」

「あぁ、それならなんとなく覚えていますね。あぁー……、肉の塊みたいになった人間の写真をネット上に投稿した事で相当バッシングを受けていましたよね」

 木津は何度も小さく頷いた。

「実際、その写真とかは合成映像で、事実と一切関係がなかったんだが、ショッキングを演出するためには重要な要因になったわけだ。

 実際にはラーニングの施術とは断言できないまでも、多量の血液がその場に残っているのは確認できているからなぁ……。記者にとってみれば《機械種》が危険だと印象付けるには良い材料だと思ったんだろうよ。

 その事で内閣の方からも十分に長官も注意された様でなぁ。

 おかげで、警視庁も普段になくかなり躍起になって。長官の暗殺未遂の後にはこれかよ、とどの部局もてんやわんやだった。

 俺も正直定年間際で『またかよ』とため息が出るほどだったさ」

 すっと、木津は胸の中にある手帳を引っ張り出す。「今でもこれは規則違反だからやっちゃぁいけないけどな、捜査の情報を持ち出すっつーのはな。それでもあの時の事は俺は忘れらんねぇのよ」

 一枚の小さいフォトを取り出す。今では一切見る事のなくなった紙への印刷されたものだ。しかも裏面にはメーカーのロゴが入っているか、

「フィルム撮影ですか……相当年季の入ったものですね」

 まぁな、と木津は写真を裏返す。地面一面に広がる血の海。暗い駐車場の様な灰色の空間を背景にしている写真であった。

 住吉でもこの量は致死量だと一目見ただけでわかる痕跡だ。まるで子供が自宅で遊ぶ小さいビニールプールと同等の大きさに広がった血だまり。

 その中に、くっきりと血の枠ができてる。

――まるで車でもあったように思えますが……

 口にしないまでもその事実は木津なら十分考察済だろう。

 場所を推察するに、高所である事が背景のコンクリート壁の隙間から分かる。

 白線がひかれている事から、駐車場である事は推察できるが、立体駐車場はほとんどがものけの空だ。

 車という概念は、時代の変化と共に公共の物という認識が高い。

 個人で車を所有する、という好事家は少なく、ガソリン車に至ってはほぼ絶滅している。

 立体駐車場自体は、都内を中心に探せばいくらかは存在する。が、過去の遺産として立ち入り禁止を示すテープや、バリケードで覆われ、都市開発の順番待ちというのがほとんどだ。

 写真に写る立体駐車場もそういった時代の遺物の一つであるらしい。左右に張られた規制テープはあるものの、別の角度を含めて、一台も車が見えない。

「そいつは年代ものの立体駐車場で、酒匂川区の駅前に存在している、筑80年を超える鉄筋製だ。もともとは1978年に建てられたものを無理やり増築して、1982年に駅前ビルの改修に合わせて再整備されたものでな。

 当時は相当人が居たらしいが、――最近では稼働率がめっきりなく、再編対象になっているものの、構造物がでかすぎて解体費用の工面がネックになり放置されているのが現状だ」

「とすると、犯罪の温床にはもってこい……というところでしょうなぁ。――人の事は言えませんが、薬物や、賭博、場合によっては違法売春も行われているところもあるとか」

 まあな、と木津は頷く。

「とはいえ、酒匂川区においては住民の質がいいのか、あまりそういった下手な事はない。が、地元のヤンキーのたまり場になったり、中年の暴走族の隠れ蓑にはなっているらしい。

 この時にも何人かの目撃者は居るんだが……どれもあやふやでなぁ」

 悔しそうに木津はため息をついた。

「まぁ見て分かるだろう? これがネット上に流れたデータの――オリジナルの『写真』だ。俺が接収して、そのままくすねた」

「……」その行為だけで、厳罰になることは住吉でも良く分かっていた。場合によっては証拠改ざんの処分となり、証拠能力は失われる。それだけではなく、

「下手したら15年は食らいますよ?」

「まぁ、そうなったとしても、真実を知る事が出来りゃ安いもんだよ」

 木津は笑って見せる。

 そもそも写真を撮る事自体がかなり古い手法である。確かにデジタルデータよりは改竄がしにくいものの、フィルムという形状上、『上書き』による合成写真の作成など、まったくできない訳でもない。

 趣味で記録する分には良いのかもしれないが――、と住吉は頭によぎる。

「もしかし、隠し撮りをしたものでありますか?」

 木津は、にやりと笑って見せる。

「……管轄外の証拠を持っている、というのも――いやはや……」

 大胆なことをする、と住吉は舌を巻く。

「だが、、こいつが語るものも多い。当時の状況は俺でも詳しく理解できない不可解なものが多いんだ」

 木津は遠い目をする。

「――今でも、この現場の事は夢に見る。冷たい夜景の中に映し出されるどす黒い血液の塊は、一瞬誰かが水をこぼした様にも見えてな。

 目の前には駅、後ろには住宅街。周囲を多くの店舗で囲まれて、夜だっつーのに比較的うるさいもんさ。だいたい、……24時を回るまでは酒に酔いしれたリーマンの叫び声や、駅前で路上ライブをする大学生の歌声やら、裏路地をパルクールする奴もいるほどだしな。

 『第一の事件』は警視庁の長官暗殺未遂。この犯行も弾道計算によってこの立体駐車場のあたりである事は分かっている。仰角の完全な推測ができなかったのは、弾頭が随分柔らかい成分だったらしく、あっちこっちに飛び散ってな。ある程度まで分かったが……確定までは以下なったつーことだ。

 この立体駐車場も調べられたんだが――電気が通っているのも不思議な建物なのに、いまだに質の悪い青白い蛍光灯がついていたな。

 そういった――俺の記憶を呼び起こすには十分重要な物だ」

「しかし、その長官事件を含め、同時に起きた失踪事件には、当時でもかなりの人員を割いたにもかかわらず、結局大した成果はありませんでしたよね?

 《老人》――ジョージ・マケナリーを国際指名手配する事もできなかったわけで。今でももう風化されているという物でしょう」

だから、と住吉は口をへの字にした。

「結局今回でも”台風”でも来たような対応しかできないという事でしょう?」

 住吉はその辺を良くわきまえている。証拠がなければ立証ができず、立証ができなければ手配ができない。であれば、これは暴風と同じ災害なのだと。

「なぁ、住吉」

木津は視線を上げて写真をちらつかせる。

「なんでこの連続失踪事件の”前”に長官は暗殺されそうになった?」

「……?」問いたい内容が分からず、住吉は鼻の頭をくしくしと左手の親指と人差し指で揉んだ。

「さぁ? もともと長官に対して恨みでもあった――特定暴力団の差し金とかですか?」

 違う、と木津はゆっくりと首を横に動かす。

「そもそも、早川長官はタカ派であり、かなり内閣と強い結び付きがあった。政治家とのコネクションが多ければ暴力団は手を出す必要があまりない。旧自民党系議員との関係は公然の秘密だったし、移民排斥に力を入れていたのは事実だしな」

「だとすると、――宗教がらみですか?」

「違うよ。そうじゃない。いいか、」

 木津はもう一度写真をちらつかせる。

「長官暗殺未遂なんて事件の後にこれだけのショッキングな事件が起きたら、――警察はそっちを調べざる負えないだろう?」

 当然そうですね、と住吉は首肯する。

「だからといって、長官暗殺未遂なんて美味しいネタをジャーナリズムが簡単に手放すとは思えない。

ちなみに俺が独自に調べた範囲では、田中・真央は港新社という旧横浜にあった広告代理店に勤めていた。かなり追い詰められていた仕事の状況だったようだ。毎日始発に乗って会社に向かい、だいたい夜中の2時くらいに帰ってくる日々だったようだな」

「……」自分の方がひどいオーバーワークだけどと住吉は口にはしなかった。

「そのうえ、『見てはいけない』何かを見た、というのは事実の様だ。――彼女の足取りが、終電で駅に降り立った段階で、『消えていた』という事は確認されている」

「つまり――、ただの偶然?」

 木津はまっすぐに住吉を見た。

 視線は強く、揺るぎがない。

「いいか――『消えていた』んだ。二人の痕跡が。すべて。時間をさかのぼり、時間を追って、全部が『消えていた』んだ。

 田中・真央、そして、もう一人の失踪者、押領司・静流の二人の情報が。

 映像が。

 音声が。

 住吉、どれだけ調べても分からないほど、《老人》は自分の痕跡を消しているだろう? それと同じだけ、カメラは昔から存在する。自販機にもカメラとマイクは設置されているんだろう?

 それが、『すべて』だ」

 目を伏せ、木津は写真を翻す。自分の視界に写真を写し、当時の記憶を探る様に目を小さく細めながら見つめる。

「――ここからはまだ俺の推測だがな。

 最初の2名、押領司・静流および、田中・真央は完全に証拠隠滅だと思われる。その2人が本星だとばれないように残りの16名に関して言えば――まぁ生贄の様なものだろうとな」

 どうして、と住吉が訪ねる前に、木津は手で制した。

「長官暗殺未遂が起きたのが最初の事件発覚から3日後になる。

 発砲とされている長官暗殺未遂の凶器は、いまも見つかっていないが、おそらくレンジの長いライフルの類と考えられている。見つかった弾頭から7.62mmで日本で一番使われている実包と判断されているからな。まぁ、弾頭は随分と特殊だったが、質量計算からはそれが妥当という物だろうなぁ。

 長官が伊豆の保養所に向けて移動する前に立ち寄った酒匂川駅に降りたのも偶然ではない。前年も、その前の年も伊豆で開催されるとある議員が開催するパーティーに出席する予定で、アリバイを作るために一度酒匂川駅で降り、『変装』をして、翌日のパーティーに出席していた」

「そのパーティーって――どういう代物です?」

 くくっと木津は笑う。下卑た笑みから、住吉は何となく想像がついた。

「……ロータスクラブ系のパーティーですか……」

「そのとおり、」木津は嬉しそうに何度も頷いた。

「性的指向に人形――まぁ現在で言えばタイプBという無機へのリビドーを持っている変態の集まり、というかダッチワイフを何人もで輪姦する代物で、現在では規制の対象だがね」

 大きなため息をついて、住吉は項垂れた。

「あぁ、そういう事ですか。あぁ……。当時の機械種の多くはまだマーク・ヒルという支えを持っていない中でしたから、大多数の有象無象の機械種たちの考え方はピーターの様な過激な者を受け入れる事が多かったようですね」

「そう。その結果として、長官を――まぁ見せしめにするべきだという考えはあった様だ。その手先になったのが――警察で公安にいた星越・信之――俺の元部下だ」

「……」

 さっきはしれっと、『どうなったのか知らない』と言っていた容疑者を木津は知っている事実を開示した。

 住吉は、内心驚き表情を固める。しかし、口にはせず、木津の次の言葉を待った。

「そして、星越は暗殺を『失敗』した。――だが姿を見られた。そのはずみで彼が殺したのか――あるいは、星越を監視していた《老人》が殺したか。あるいは拉致をしたか。残留物が駅の真向かいのホテルと同じ高さにある立体駐車場であった事から、そう、俺は推測している」

 まだ、この事件の全容は靄をかぶっている。

 そう住吉には思えた。

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