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<9月17日 細動>

 反則的な言動というのは常に存在する。

 茂庭・麗子の眼前にそれが先日、意図せず舞い込んできたのは事実であり、心象的に動揺を禁じえない衝撃をもっていたのも事実。

 自己抑制の枷が外されそうになっている事も事実でもあった。

 事実、事実、事実と、事柄が並べられると、心のうちの感情はどうも制御が利かなくなる。

 それから数日のうちに、みるみるうちに体の隅々まで、どす黒く変色した感情の渦は広がり、墨汁をたらした半紙のごとく濃淡をもってもやもやとした感情を胸いっぱいにさせていた。

 茜色の夕陽を眺める事で、少しでも気分を落ち着ける事ができるだろう、と思っていたが手に持った一眼レフを構える事もできなかった。

 何時もでは楽しい野良猫の撮影であっても、茂庭の今の心境では無に近い。流れる様に黒い鉄格子を抜けていく茶色の猫を見送る視線も普段とは違って冷めていた。

 古来の豆腐屋か、屋台ラーメン屋の様に味のある音楽を鳴らして公道を走る自動販売車のヴィーグルが、時速十キロ程度でのろのろと進んでいる様すら、なんらか腹がたっていた。

「――はー……」

 重い溜息を夕日の街に垂れ流しても、アブラカタブラとは行かず、事実という物を変化できやしない。よくわかっていても、茂庭には何かに縋りたい気持ちはある。

 たとえば、ここから三分ほど先にある、商店街の端っこに小さく作られたお稲荷様にお祈りしたってかまわない、と思ってもいた。

 茂庭・麗子は同学年でも人気のある生徒だ。自分もある程度――客観性をどうにか担保しつつも――自慢に思っているところはある。

 全部を完璧にこなすステラ・フラートンの様な機械種と違い、『人間だから』得意、不得意があるのは当たり前と本人も思っているが、彼女の成績通知を見れば、いかに平均的な点数なのかがわかる。

 完全な理解力がある訳でも、特別な計算速度を誇る頭でもない。記憶力が抜群という訳でもなければ、運動神経も取り分けうまいわけでもない。

 そんな茂庭と比べれば、麻生・優奈は頭の良い生徒の代表であったから、押領司と話があるのも頷けた。

「あぁ……でもあの場所を見てしまうと、なんとなくへこむんですよねぇ……」

 麻生の事を茂庭は嫌っているわけではない。友人として、という括りが適切かは不明だが、気の許せる中、という点では友人に分類されている。

 学校の生徒数の少なさも相まって、一つの家族と同等、という風に感じる点もあるし、どこもかしこも小学校、中学校、高等学校と見知った顔で埋め尽くされている。

 そうであろうとも、反則的、と茂庭が思ったのは押領司に対するあの仕草だ。

「はー……、あんな視線は――男子だったらくぎ付けですよぉ……」

 何度目になるか分からない大きなため息をつく茂庭は、一度背伸びをしてから、天を仰いだ。

 うっすらと宵闇が近づいているのが分かるが、綺麗に晴れ渡った空であっても、その境目を視認する事はできない。グラデーションかかり、決して一本線を軸にして左右で分離できるものではない。

 茂庭の気持ちもそうである。得も言われぬ感情の渦は、黒だったり、白だったり、灰色だったり。どす黒いものはあるのに、その正体が不明な感じがしてたまらなかった。

 よく出会う虎模様の猫が額をこすりつけて鳴いて見せた。

「こらこら」

 茂庭は小さくため息をついて、頭を撫でてやる。普段ならカメラを向けるところではあったが、今日はそんな気分にもならなかった。

 茂庭が確認できた事実として、『押領司と楽し気に麻生が話していた』という事柄だけだ。

 それこそ、美術棟へ向かう最中の渡り廊下を渡る最中に、見えただけでしかない。

 これだけで、『反則』と決めつける茂庭の気持ちが、自分自身でもぼんやりとしか理解できていなかった。

 押領司を好きだとか嫌いだとか、そういう存在とは別と自分に言い聞かせてはいた。

 気になる相手ではある。好きなんだとは思う。

 しかし、それを認めてしまうと、正々堂々と彼に向き合っていない気持ちがあった。

 押領司と茂庭は、高校一年から同級となる。

 男子という相手は今まで同じ学校で、小学校からずっと一緒だったものだから、悪ガキの時代もよく知っている相手だ。であるから、男子というのは兄弟の延長でしか思えていなかった。

 別の区に自分が行っていれば、心持も多少違ったのだろうが、これだけ広大な『村』を形成している日本社会にとって、そう簡単に相手を兄弟以上に格上げすることはできない。

――うちの弟と同じように、『ウンコー!』って叫んで笑っているのを見てきて、どうだと言われても……

 というのが茂庭のまさしくな感情だった。

 だから、押領司に対してどの様な姿をみせたとしても、何も問題ない、と考えていた。

 押領司が、あまりコミュニケーションを他人とらず、部活に入っていないからと写真部に無理やり引っ張っていったことや、週に1度は無理やり連れてきていた事も、さして深い、特別な感情があったというわけではなかった。

「そりゃさ、」

 茂庭は口を尖らせた。年頃の少女には、そういった感情が全くないとは言わない、と言いたそうに目を細める。ぐりぐりと頭を押し付けてくる虎模様の猫の体をゆっくりとなでながら、ピンと伸ばした尻尾には触れないようにした。

「前にはいきなり英吉利美人を連れてきて、一緒に住んでるだとかさ言われればなんか嫌な気持ちにもなるけど、それにそーゆー感情ないし。でも優奈さんが――そう想ってるというのは分かってたし。……でもさー。あたし自身がそう思っているって認めるとなんとなく……、がっくり来るわけじゃない。まーキミには関係ない事だろうけどさ」

「ナー」

 一鳴きする猫は気ままに地面に座り込んだ。腰を下ろし前足をつけ、もっと撫でろとせがんでくる。ついでに飯でもよこせといわんばかりに大あくびをして見せた。

「ほんと、気ままだよねー」

 苦笑する。

 茂庭にとってこういう気持ちで生きれればいいのだろう、となんとなく思った。

「後悔――するとかは柄じゃないし。でもぐだぐたしているのも違いますねぇ……」

 うーん、と唸りながら猫の背を撫でる。気持ちの在りようだけ考えれば、

「そのまま受け止める、っていうのが正しいんだろうけどさぁ。でも押領司さん――がないわけではないけれども、そうなんだなぁ」

 猫は気ままに背を伸ばした。しかたない、と茂庭は一枚写真を撮る。

 写真部の活動日は週に2度。火曜日と金曜日で、今日は中日だ。

 外で写真を撮ったとしても今日は部室は使えず、翌日に現像を行う事となる。

 部室にいる生徒もいるだろうが、備品の管理から、顧問が居る時にできるだけ現像液の利用は申請しておきたいというまじめな理由だった。

 茂庭は活動日以外であっても積極的に外に写真を撮りに行く。写真というのが風景を切り取るだとか、被写体の存在を記録するためだとか、御択はどうでもよく、彼女にとってはただの暇潰しだった。

 その上、息抜きであって、好き嫌いの外側にある。

 好きな事でも嫌いになる事もあるのは良く分かっていた。突き詰める事や、目標を常に持ち続ける事などは窮屈に感じてしかたなかった。だから中学までやっていた陸上はそこそこにしてしまい、高校ではインターハイを目指さない事にした。

 『もったいないよ』と親は残念がったが、競技者として戦える力がない、と茂庭にはわかってしまっていた。

 単純に走るだけなら、家に帰り30分でも1時間でも走る事はできる。しかし、誰かと競い合うというのには終わりがない、と思えてしまった。

 これは呪いと同じ、とすら感じる。常に『上』へという気持ちはハイな状況ならいくらでも続けられるだろう。トップをひた走る選手が『トップ』で居続けるために努力することであれば、理屈は分かる。

 彼女にはそこまでの矜持もなければ、目標もない。

 常に戦い続ける事は研鑽という点では素晴らしい事だと茂庭も思っていた。

 究極、絶対的、あるいはミックスアップに代表される様な高度化というのが、ある種競技者における最高到達点として目指すべき理想像である事は事実だ。

 そこに至るために、多くの侮蔑や屈辱を飲む必要がある事もまた然りだ。

 それ自体を嫌いだ、と茂庭が切り捨てるわけではないが、いい気分にならないのは事実だったし、苦しすぎた、というのも事実だった。

 それらを我慢し続けるための目標もない以上、続け、最初から分かっている屈辱だけを自分に飲ませる行為は、マゾヒズムに近い。

 気負い過ぎて、視野が狭くなり、そのために生きる事を『強いられている』と感じてしまった。

 結局、楽しかった走る行為は、苦痛に変わり、運動シューズを履いた時に激痛に似た痛みを胸に響かせた。

 中学まではそれでもやっていた。期待を背負っていると思えていたから。しかし、高校に入り、当然部活も陸上へ、と期待を受けた時にどうしてもその一歩が踏み出せなかった。

 痛みを、超える勇気がなかった。

 一歩、が遠く、一歩、が高かった。茂庭はもう進めない、と暗闇に落ちた気分になった。

 陸上部が、中学の彼女よりも随分と厳しい練習をしている様を見て、もう、このグラウンドには居場所がないと知ってしまった。

 途方に暮れる中、沈痛な面持ちで様々な部活を見て、現写真部の部長、福永・小梢に会うまで、本当に視野が狭かった、と今でも彼女は反芻する。

 物思いにふける事はしない性質でも、福永との出会いは茂庭の価値観を一変させるものだ。

 福永・小梢は自分の一つ上とは思えないほど落ち着いた雰囲気のある生徒だった。

「あるがままでいいの。好きなようにではなく、嫌いなものを避けてでもなく。水の流れの様にしなやかで、決して途切れる事のない力強さを持っていれば」

 そういって福永が笑いながら見せた写真は今でも茂庭のお気に入りだ。

 部員の集合写真。そう言ってしまえば単純なものだったが、ピンホールカメラで、露光時間を増やす事によって、『動き』が追加された一品だ。

 部員の各々が好きなポーズを2~3つ合せて撮っていた。その人ごとの性格がよく反映されていた白黒写真。

 田沼、飯塚、早乙女、原田、そして副部長だった福永は、笑みも、真顔も、変顔もしながら、立って、座り、飛んで、花壇に寝そべり、地面に片足をついて、手を上げ、手を下げ、前に突き出し、足を綺麗に閉じて、あるいは大の字に開いて。片足で、両足で、眼鏡をとって、眼鏡を付けて。

 一人であっても、二人か三人一緒のポーズであっても、その時の気分を大事にしていた。

「ま、そうだよね」

 と茂庭は笑った。

 写真を思いだすと同時に心の底から活力がみなぎる。

「"仏の福永"部長のいうとおり、ってことよね」

 とくくっと喉を鳴らすと、猫が目をぱちくりとさせた。先ほどまでの一寸沈んだ気持ちに、一筋の光明を得たような溜飲が下がったような気がした。

 茂庭は考えすぎなんだろう、と考える事にした。好きだとか嫌いだとかは別にして、胸の中にあったもやもやが何であったかを正確にとらえようとした。

 すぐさま口にのせ、ぶつぶつと言葉を並べて行った。

「例えば、」

 口をへの字にした考えを整理する。自分の事がわからないから嫌なのであれば、整理をしてしまえばいいのだ、と言わんばかりに。

「優奈さんが押領司さんを好き、としてもその感情にあたしは関係ないんですよ。

 ただ、気分的に乗らないのは、あたしがその二人『だけ』の限定された感情を良しとしていない、という嫉妬心からくるものと仮定しましょう。

 そうすると、あたしが優奈さん、あるいは押領司さんに対して独占的な感情を有している、という事が要因とかんがえられます。

 優奈さんは友人として付き合っていく上で問題ないのですから、彼女を独占したい、という感情は当て嵌まらない……と思います。そもそも、同性への愛情はあたしは強い方ではない、……ないよね……?」

 確信が持てないが、大丈夫だろう、と茂庭は言い聞かせる。

 猫は、ほんとか、と言わんばかりに口をシーとさせた。

「ま、まま、そこは置いといて、押領司さんに対して、彼を独占したい、という感情は当て嵌まる――んだと思います。

 というのも、過去のあたしの行動において、押領司さんを部活に引き込んだことも、彼を毎回部活に連れて行く事も、押領司さんと居る事が楽しいと感じるからです」

 とはいえ、と頭をひねる。

「そもそも、何が起因でそうなったのか、という点は不明です。記憶があるのは――」

 猫をゆっくりと両手で抱きかかえてとぼけた表情をしている虎模様の顔を眺めた。猫は了前足を突き出して、茂庭の顔を触ろうとじたばたとした。茂庭は、屈んでいる自身の太ももに猫の後ろ脚を乗っけて、ゆっくりと抱える様に下ろした。

「思い出そうとしても、中々でてこないんですよねー。ってキミに言ってもしかたがないですよね。楽しいという事の定義は色々あるとして、話し易いという点では間違いがないのですから。

 押領司さんは否定をしないし、悪口も言いません。相手の話を聞き流しているだけなのかもしれませんけどー……、悪い気はしないです。とはいえ共通の話題で話しができるのは、学校の事、生徒の噂、先生の噂、そして部活の内容……可笑しいですね。それ程共通の項目が多いわけでも、プライベートのことを気にしている訳でもないようです」

 とすると、と眉を寄せた。

「先ほどの仮定が成り立ちません。学友程度である、という事であれば独占したいという気持ちに直結するには不足です。それこそ優奈さんに対しても同様の感情を有していないとおかしい、という事になります。性差という事はあるのでしょうか。しかし、同じ『話をしたい』という気持ちがあったとして、同性の方こそその天秤は傾きそうなものですが」

 猫に話かけていても埒が明かないのは分かっていても夕陽の電柱の前で茂庭はうーんうーん、と唸っていた。

「え、あ、もしかして、あたしは押領司さんの『体』が目当てってことなんですかね……?」

 ふと浮かんだ思いに顔が熱くなる。

 いやいや、と頭を振るうがまったくない、とも言えない気がしてならない。

「顔……は好みですよね。かわいいですし。年下はすきですが、落ち着ている方がなにかと……。体は少し小さめではありますが、なんか抱き枕には丁度よさそうな……」

 むむ、と怪しい考えが能吏を浮かぶ。

 一緒に同じ柄の寝巻を着て、横になるというのはどうだろうか、などと想像を膨らませていく。

 止めるものがいなければ、どこまで妄想が広がるか、

「ふむ、珍しい所に一人でいるものだ。委員長」

 芝居かかった口調は、同学年で一番の変人、赤嶺・達夫である事は直ぐに察しがついた。

 思考が駄々洩れになっていない事を祈りながら、見えない汗をかいていた。

 手を止めて、思考が一切合切、台風にでも飛ばされた様に白くなっていた。

――いやいやいや、いやいや……

 心を読む方法が無いことを十近く立証すると、平静を取りもどそうと、震える唇でゆっくりと深呼吸をした。

 すぐに、顔を上げるという事をせず、零していた言葉を拾い集める事もしない。

 ゆっくりと視線を上げて、斜め後ろをちらりと見た。

 予想していたとおりの脱色した長い髪が、オレンジ色の光を浴びて輝いている。普段から赤嶺は薄い笑みを浮かべているが、今日はわりかし『マトモ』だなぁ、と茂庭は思った。

 その元凶が手にもっている棒状のスナック菓子だと気づいたのは彼を視認してから数秒後だった。紙製のカバーを切り取り、中にある揚げ菓子をもごもごと口の中に放り込んでいる。

 確かにお腹は減るが、と茂庭は呆れた。

「小学生じゃないんですから歩きながら食べるのはどうなんでしょう。赤嶺さん?」

「うーむ。今現在は止まっているという事実から考えると、歩きながら食べている、というのは違うのではないか?

 歩きながら封を開けていた、というのが正しい観測の結果だと推測されるぞ。ただ、お腹が減ってなぁ」

 渋い表情をして赤嶺は再び菓子を口に放り込む。どうやら少しこってりしたものが好きらしく、チーズ味と書いてある。

 たしかに、時刻としても夕飯前の良い時間だ。昔の高校生であれば、大学受験に向けた準備のために予備校に通ったりする時期にも差し掛かる。

 高等学校の二年ともなれば、早く準備をしろと叱咤激励をされ、『学校』と『部活』と『予備校』によって毎日24時頃まで起きるのが一般的だった。

 だからと言って起床時間を遅くできる訳でもない。朝になれば一つの学区が遠くなったことにより一時間以上の通学時間がデフォだ。一番遠い生徒など、一日のうち、四分の一程度は移動時間に消失する。

 夕飯という概念も『学校の傍』と『学区の端』とでは、かなり違っている。

 赤嶺がどこに住んでいるかは分からなかったが、手に持っている菓子の山を見れば、そう早い時間に帰れる場所ではないらしいと推測はできた。

 はぁ、とため息をついて、茂庭は猫を道路に下ろし、バイバイといわんばかりに額を撫でてやった。

「――そうだなぁ、一つどうだ?」

 茂庭が立ち上がり振り返ると同時に、赤嶺は一つ同じ包装された小袋をつきだしてくる。

 大きさ十センチ程度で、円柱形に近い形状。袋が紙に変わったとしても長らく多くの人に愛されている菓子は、茂庭でもよく口にする事はあった。

 小学生時代であれば、喜んで受け取っているであろうが、今の年齢にもなると、あまり菓子によるカロリーを取るものではない、と思ってしまう。

 自分の――特に腹部につくであろう脂肪を考えるとむやみやたらに口にしたくない、という気はあった。

 うっと、少しだけ手を出しそうになったが、無理矢理手を止める。

 だからといって、せっかくの好意を拒否するわけにもいかず、手を伸ばすこともできず、茂庭が踏切のトラ柄のバーのごとく、手をぐいんぐいんと揺らしながら躊躇した。

 赤嶺は気にする事なくすぐに引っ込めた。

「委員長は真面目だ。そういうところは実に良く、押領司にはちと勿体無い気がするがなぁ……。あやつにアタックするなら、もう少し積極性はないといかんが」

「……は? え……?」

 あまりに唐突な言葉に、茂庭の思考は停止した。

「なに、先ほどぶつぶつと口にしておったではないか。それを聞き耳を立てずとも、風にのってよう響く。――とはいえ拙者くらいしかおらんし、問題はなかろうが」

 赤嶺は開けていた袋の中に残っている菓子を口の放り込むと「うむ、美味」と一言つぶやく。

 茂庭の耳まで噴出する赤色は、夕日の所為であればいいのに、と唇をがたがたと震わせる。

「ど、ど、ど、ど――」

「どうしてもこうしても、正直拙者を含め勘づいているものは何人もいるだろう。あのよう、――毎週部活の活動日になれば、押領司の手を引いて……旗から見てると腕を組んでというのが正しがなぁ。……随分と楽し気に連れて行くではないか」

 ぼっと赤面する頬を、両手で多い茂庭は、恥ずかしさのあまり自分の行動が『軽率』だったか思い返してみる。

 先週はどうだったか、

 先々週はどうだったか。

 前月も、その前の月も周りの目など気にせず、活動日には手を引いている。

 あまつさえ腕を絡めて自らの所有物であるように引きずっていく事もあった。それを当人同士以外が見たらどの様に映るか。

「当然、恋仲と思うわなぁ?」

 赤嶺は両手を皿にしておどけて見せた。

 赤嶺はさも当然の様に新しい菓子の袋の封を開けながら赤面する茂庭を見る。

「あー……はっず」

「本人がどう思っていようとも、行動が先走る典型例だなぁ。ま、あやつも嫌であれば、そう、言っておるだろうし、問題は無いのだろう。特に、あやつこそ、『口にはしない』で有名だからなぁ……」

 遠い目をして赤嶺は空を見る。

 茜色の空がそろそろ闇へと引きずり込まれそうになっている。街路灯の電灯が二、三度点滅して、白色の光を下ろし始めている。

茂庭は気になって、赤嶺の表情をちらりと盗み見るが、さしとて気にした表情はしていない。

「なに、本人が恥と思う行為であれば、拙者もほれみたことか、と詰りはするだろう。しかし、この話は好いた、好かんというただそれだけの話なのだから、気に病む事でもないだろう」

「……」

 そうは言われても、と赤くなった顔を必死に隠しながら非難した視線を茂庭は赤嶺に向けた。

 ただな、と赤嶺は口に菓子を放り込みながら零す。

「押領司という存在は、きっとお主が考えているほどすべてを綺麗に受け止めてくれる相手ではない。あやつは……変な所で一線を画す癖があるからなぁ」

 赤嶺はほら、と茂庭を促し近くの公園を指す。指す先には猫のたまり場になる、日当たりの良い東雲公園があった。子供の遊具などはない。砂場と、ベンチだけは設置されている簡素なものだ。

 2050年代以降に再整備された一般的な緑地帯であり、面積はそう多くないが、道路の隅切り時の残地や、空き家として相続人が居なくなった道路に面した空き地は国が接収――いい言葉で言えば帰属――して、カーボンニュートラルに必要な炭素固定地として『管理』していた。

 大合併を繰り返した市町村は、こういった公園地帯に追加し比較的大規模な公園を除き、小規模な公園を永続的な管理が難しいとして、国が委託する公社に委託する事になっていた。

 この東雲公園という名称においても、本来であれば管理番号が附され12桁の英数字で判別される事が多い。小さい公園名称を記載したプレートには分かりづらい二次元コードとともに小さい英数字が記載されている。

 最近色が塗り替えられたのか、発色の良い茶色になっているベンチに赤嶺は歩いていき、ほら、と手を伸ばす。座れという意味である事は良く分かる。

 茂庭は躊躇したが、すぐに肩を落としてとぼとぼと座り込む。

 帰ったと思った猫は茂庭の足回りにについて来ており、元気出せよという様な雰囲気で右前足を茂庭のふくらはぎに押し付け、小さく鳴いた。

「うむ、」

 と猫の鳴き声に赤嶺は応答して頷く。

 猫はみゃーと大きな声をあげて茂庭の膝の上に乗った。もしかすると猫と会話できるのかと一瞬怪訝な顔を見せる。そうであっても、猫の無理やり、ぐりぐりと押し付けてくる頭を撫でてやらねばならない事に気が散り、一瞬で表情を戻す。

 赤嶺・達夫という相手の事を、茂庭は良く知らない。

 確かに同学年一の『独特』な側面がある生徒だと理解はしている。口調、仕草、彼の成績だって非凡性は存在している。

 同じ学年で独特といえば、鵜飼・博もそうだ。彼の様に女子であれば誰でも彼でも声をかける様な軟派者は他にはいない。

 逆に、同学年としてインターハイに出るような生徒と違い、赤身は、部活動でも特徴的な功績を残す様な目立つ所はなかった。

 ただ、料理部というかなり地味な部活に入り、同学年の女子と女子トークを繰り広げられる程には女子力が高く、生活感があるにもかかわらず、外見はかなりの傾奇者であったことは『独特』のレッテルに含まれている。

 だからといって、女子同士の話の中で常に話題になるような奇行はなく、まとも、という印象が強い。

が、私生活ではまったく別人らしい、との噂があるのも事実だ。

 夜、市街地に向かっていく姿が生徒間でもたびたび目撃されている。特に、黒を基軸とした服装にシルバーのアクセサリーをちりばめたファッションは、『田舎』といえる酒匂川区でも浮いているらしく、長い髪とマッチして異様さは、女子の間でもネタにされている。

 背中に掲げたギターケースがよく似合っているらしく、直接目撃した事の無い茂庭であっても、ヘヴィメタルでもやっているといわれれば、『あぁ確かに』と簡単に得心がついた。

 そんな変人ぷりはあったとしても、人間性は問題は無さそうに見える。

「――赤嶺さんは、変な人ですねぇ……」

「あん? あー……、拙者は他人を嘲笑する趣味などないからなぁ。下らん事に付き合うくらいなら、真剣になっている者の力になりたいとは思っておる」

「……真剣って……」

 そうだろう、と言いたげに赤嶺は茂庭の目を見る。

 深い緑色の茂庭の目は、長いまつ毛の赤嶺の視線がぎゅっと鷲掴みにでもした様に、赤嶺の視線を外すことが『故意』にできなかった。

「拙者は料理部で多種多様の噂は聞いておる。が、それらは全部彼女らの妄想であろうなぁ。そんなことを気にするのであれば、正直、時間の無駄と言える。

 だが、彼女らはそういった妄想をすることでコミュニティの幅をどこにするか図っておるのだろう? ある種カマかけをしている事で、その作用の仕方はバタフライ効果と同じだが……直接的ではないまでも『いける』という範囲を探っておる」

 だがな、と赤峰は砂の地面に『そのまま』座った。鞄を下にするでもなく、制服のまま。

「は?」と驚嘆を茂庭は口にしそうになったが、すぐに止める。

「拙者は、自分で見た物、自分で聞いた物、自分で触った物、自分で食べた物、自分で嗅いだ物以外、なにも信用はしておらん。

 ――噂で、『委員長が押領司と付き合っている』と聞いても、それを本人たちが否定するのであれば違うと見えるし、先ほどの様に、独り言を流している様では……その噂もまた真実とは程遠い妄想でしかないなぁ」

「……そういう噂なんですか。むしろ麻生さんと……」

 語尾をごにょごにょとする茂庭に、赤嶺は軽快に膝を打った。

「そうだなぁ! 麻生とは全く噂にならんな。それに、最近きたというイギリスからの留学生もまったく噂にならん。――ならんなぁ! 女子の間では『押×茂』なのか、『茂×押』なのかが盛り上がっておってなぁ、特に、普段は子犬みたいな押領司が裏ではドS設定になっているのはさすがに『すげぇ想像力だなぁ』とたまげた次第だ」

「……え?」

「なんでも、押領司は普段学校で委員長に対しても口数が少ないであろう?」

「……まぁ、そうですね」

 だから悩んでもいるんだが、と言いたかったが、

「いや、だからな普段抱えている独占力を、二人の時には存分に発揮していると思われておる。特に、委員長が他の生徒と親しそうにしゃべっているのを『学校の監視カメラ』で監視している説が濃厚で、二人の『プレイ』に際しては懺悔方式をさせるなどという――まぁ、子供の想像の延長だなぁ」

 がっくりと、茂庭は肩を落とした。

「――……そんなことあるはずありませんよぅ……。むしろそこまで……」

 構ってもらえたらなぁ、とは『思っていた』。

「そこだろうなぁ」

 赤嶺が茂庭を人差し指で指した。

「委員長よ。自分で『押領司を好き』と思う事が『ダメ』だとか、『恥ずかしい』だとか、『ありえない』だとか勝手に思っておるだろう?」

「――」

 茂庭は、小さく息をのむ。

「素直になるのは難しいとは思うが、心の声は聞かぬとなぁ。――あやつはあれで中々いい奴だから拙者も悪い気はせぬ。――というか、料理部をはじめほぼ同学年ではそういう意見だろうな。だからほかのカップリングは成立しておらんのだろう」

「……」

 茂庭は、自分の学校の生徒の方が、自分よりも十分『観察』ができている気がして少し悔しかった。

 特に赤嶺はよく見ていると言っていい。

「問題なのはあやつが、コミュニケーションを『故意』に減らしている点よ」

「あー……それは、ずっと思ってるんですよねぇ。……腕回しても特にいままでなかったのもそれなのでしょうか……」

「……正直あやつ、喜んでおるとは思うが……。なんせ、中学のころの友達誰もおらんだろ?」

「え?」

 驚いて、赤嶺を見ると、知らなかったのを意外そうに眉を寄せていた。

「あやつ、学区外編入組で隣街だぞ本当は。――ここにくるよりは、都内の方が違いのではないかなぁ?」

「……え、でもこっちに家があるって……。え?」

 そうだなぁ、と赤嶺は頷いて見せる。

「中学二年まではここにおったんだ。――だが、それも――色々あって引っ越しとなったわけだが……そうか。そこまで細かくは知らんということかぁ。……あぁ、拙者が言うべきなのかもしれんが……うーむ」

「し、知ってるなら教えてほしいんですが、正直、何がなんやら……」

「ふーむ」

 赤嶺は一度腕を組んで唸った。何等かの情報と、友人との関係とを天秤にかけて、いうべきか、言わないべきか悩んでいるのだろう。

「ほかの人にはいいませんよ。――それに、力になれれば、『一歩』進めるかもしれません」

 あぁそうか、と茂庭は思う。

 それを餌に、彼に近づくというのも悪くないと。

 しかし、赤嶺はそれでは納得しそうになかった。

 だが、

「……いや、その打算的なものでいいのだろう。あやつに一人でも多くの理解者があってしかるべきだとは拙者も思っている。――拙者のお節介かもしれぬが、あやつは壊れかかっているのは事実。

 ……丁度いい相手というのは、そう簡単に見つかる者でもなし、――委員長なら、まぁ悪いようにはせんだろう」

「……え? なんか、重いんです?」

「……重いだろう。な。普通は」

「あ……あー……」

 なんかもっとこう、ライトになると思っていたが、『真剣』に来られると目を覆いたくなった。

 しかし、茂庭はうん、と頷く。

 膝の上に乗っていた猫が、もっとかまえと手を伸ばしてくる。それにこたえながら頭をぐりぐりと手のひらでなでてやった。

 そうだ、と決める。

「あたしは、押領司さんの事を好きですから、その人の事なら、今、何でも知りたいとは思います」

「――そうか。そうだろうなぁ」

 そうか、と何度も赤嶺は参った様に頭を掻いた。

「拙者は、委員長の事をもう少し、女子と思っていたのかもしれんなぁ。成人年齢が下がったはいえ、――もう一人の女性であったのだな。失礼をした」

 赤嶺は小さく頭を下げた。申し訳ないと。

「いや、いやいや、なんで?」

「そこまで自分の意思を明確に、口にすることはな。普通はできんのよ。しかも拙者の様な訳の分からん――同級生であってはなおさらだ。

 が、そうなった時に拙者は、委員長が先ほどの様に赤面をして、自分の心を直視せんとは思っておった。そりゃぁ恥ずかしいという気持ちがあるものなぁ」

 だが、と赤嶺は頷く。

「そうか、自分の口で言えるというのであれば、決めれたのであろう? それは強い意思といっていい。拙者も何度もその場面に出くわしているが、決めれたのはあまり多くはないからなぁ。

 その勇気は素晴らしいというものだ」

 さて、と前置きをそこまでにして、赤嶺は口に笑みを浮かべた。

「なぜ、押領司は人とコミュニケーションを取りたがらないと思う?」

「……人とのコミュニケーション以外の事をしたいからではないんですかね……。特にネットワークに接続している時間数でいえば、学内で随一だと思うんですけれども……」

 当然の回答だ。『ニュースに載る』ほどのネットジャンキーのギークとくれば、ネットにつながっていない方がおかしい。

「では、なぜ、ネットワークに接続しておるのだろうか。――ゲームか? 誰かと会うためか? 何かを開発している? 学術論文でも執筆しているか?」

「……いえ、そういう事はなさそうですよね……」

「なぜ、という疑問はあろうな。押領司という奴は意外と周囲に対して、気にかけている節は行動の端々で見えるし。良く面倒も見ている。本人から苦言はほぼ出ないし、冗談で悪口は言うが、流せる程度のものでしかない」

 うん、と茂庭も頷く。

 見えない壁だ。押領司の周りにあるその壁の正体が知りたい。

「――あやつはその周囲へ一定の気にかけはあるのに、自分の事は隠す。兄弟がいるのか、自分の趣味は何かも含めて。さっきの通り家の事だってほぼ拙者以外知らんだろう」

「……そうですね。おそらく鵜飼さんも知らないと思いますね」

 だろうな、と赤嶺は苦笑した。

「だがな、知っていたか? ――押領司に”妹”がいた事を」

 赤嶺の言葉に、少しの違和感を覚え、茂庭はふと顔を上げた。

 赤嶺は空の菓子の袋を手に持つ紙袋に押し込みながら、茂庭の目を見ている。

 茂庭は、聞いたこともないから、首をゆっくりと左右に動かした。

「そうか、そうだろうなぁ。先の通り押領司は家族構成すら周りに言わん。

 親の職業、中学時代の行っているバイト先、遊ぶ相手に、それこそその時に――中学の時の浮ついた話すら一切ないし始末だ。

 拙者も聞き出そうと手立ては企てて、古風な建築物が好きであるとか、過去の技術の信奉者であるという点は理解しているが……」

 悔しそうに口をへの字にする赤嶺。

「そもそも、」と赤嶺は顎に右手を当てて考えだした。

「あやつは最新技術と言われる分野に目がなく、生命科学、機械生命額、機械工学に付随するコンピューティングの分野は常に勉強をしておる。

 数学を基礎とする古典物理学と、現物理学では基礎構成が違う。

 数学という考えを数字、数式という可変型の計算式でのみ考える、という分野から現物理学では哲学的アプローチを含めた方式――特に自然数学を基礎とする人間と機械数学を基礎とするタイプBでの認識を埋めるために作られた翻訳数学に代表される様な――という部門では……、おそらく同年代――引いては日本国という範囲で言えばあやつは早期から理解し、使いこなしている存在にはなろう。

 一言で言えば天才だ」

 だが、と赤嶺は独り言を止めたように、茂庭に向き直る。

「特筆した奴ではあるが、同年代の少年という点は間違いない。

 そもそも、他人と触れ合うことを体外的には良好の関係を築き、問題を起こさない様に努める、八方美人タイプな性格なんだろう、とは『本来のあやつ』はそうであった――思う。

 本当はもっと話しをしていたい、だとか、コミュニケーションを取りたいという欲求が転じて、気にかけているという中途半端な状況の元凶になっているとは見える」

「……、赤嶺さんはそれを知るくらいの友達なのですよね」

「そうだなぁ。……はて、友達なのか?」

 釈然としないのか、赤嶺は首を捻る。

 茂庭は他者を評価する、という事であれば仲が良いと感じる。であれば、当然、友達という間柄だろう、と推測はされたが、赤嶺はその方程式を持っていない様だった。

「友達、というのはどうだろう」

「仲いいのでしょう?」

 当然という様に赤嶺は茂庭にコクコクと頷く。

 だが、と前置きをした。

「仲が良いというのが必ずしも友達とは限らない、と拙者は思っておる。志は同じではなく、同士という相手ではない。が、同好の士である事であるから、ふむ。友というものなのだろうかなぁ。――拙者は、イカレた奴とのシンパシーを感じていたんだがなぁ」

 茂庭は乾いた笑みを浮かべる。

「それは、……押領司さんに悪いような」

 だか赤嶺は一切の躊躇なく断言した。

「悪くはない。あやつは本当にクレイジーな奴だ。そうだろう? 日中も、夜中も、一切関係なくネットワーク世界で目的を果たすための手立てを探している」

「……?」

 茂庭は目を細める。やはり何か違和感がある言い方だと、思えて仕方なかった。

「では、押領司さんは、何をしているのですか?」

 と端的に聞いてみた。

 赤嶺の言葉の端にあるのは、押領司が何等かの使命感を持ってやっている、という様な切迫感とは違うかもしれないが、気持ちの余裕の無さ、を表現している様に感じていた。しかし、茂庭もその事について思い当たる出来ごとはなかった。とはいえ、彼が部活動を嫌っている――正確性には欠ける推測ではあるものの――様子や、他人と交流するよりは一人で何かを模索している時間が多い、一匹狼である事は、彼自身のやりたい事があるんだろう、程度には理解していた。

 やりたい事、というのが何なのかは分からなかったが、頭のいい押領司の事だから留学に向けた事であったり、あるいはニュースで話題になった機械種と会話でもしているのだろう、と想像したりはしていた。

「ふむ、」赤嶺はさも当然の様に口を開く。

「『妹を探している』のだ。あやつはずっと。中学二年からな。ネットの中で」

 赤嶺の目は真剣だ。嘘ではない事は分かった。まるで処刑人の振り上げる斧を見せつけられる囚人の様に、彼の言葉は茂庭の心を竦ませた。



 氏名、押領司・静流。年齢、失踪時13歳。血液型、A(RH+)、身長144cm、体重32㎏。

 公式発表では死亡と推定されているが、現存している状況証拠のみでは断定はできない。

 失踪時の状況から、当時非合法活動を行っていた、ジョージ・A・マケナリーが主犯と考えれ、最大の支援組織である過激派団体《Mouse》の関与が疑われている。

 空港に配備されている特定者識別装置による、顔面パーツの相対位置判断により、成田国際空港の保安部から国家公安委員会に、ジョージ・マケナリーの入国情報の提供があったが、押領司・静流の失踪当時には、所管の警察組織には情報提供がなく、所轄署としては対応を通常の失踪事件と同等に扱った事が、事件の解決に繋がらなかったと結論づけている。

 同日に、他17名の失踪も確認され、最終的に関南都酒匂川区での失踪者は、肉親の所在が不明で確認が取れない者を除き13名が同一事件として認定をされた。

 関南都酒匂川区連続失踪事件として捜査が開始されたのは最初の捜索依頼がされてから70時間後であった事から、生存の可能性が極めて低い、と当初から報道各社からバッシングを受ける事となる。特に関南郡警察と警視庁は、当初から情報共有が出来ていなかった事において、責任の押し付け合いを行う事態となった。

 関南郡警察は、当時の前澤署長が自衛隊からの編入組であり、SATの組織強化を行うためのバリバリの武闘派であった事から、警視庁長官とは犬猿の仲であり、より内部抗争めいた争いを劇化させる要因となった。特に失踪者の認定に当たっては関南郡警察は18名全員を失踪者認定した上で捜査を独自に行っていたが、警視庁は広域捜査にあたるとして、13名のみに絞って捜査を行う方針を打ち出していた。

 特に留意したいのが、同時刻に起きた警視庁長官暗殺未遂事件との連動制である。所管の警察が警備計画を警視庁に提出していたとはいえ、公安からも応援が出ていたことなどから、本来はあってはならない不祥事とも揶揄されるほどであった。

 犬猿の仲をよりこじらせた大型事件により、失踪事件よりはそちらを優先させるという内部圧力が強く、所轄、本部共に全部を後手後手にしていたつけともいえる。

 結局、本失踪事件に動員された捜査員数は、最大で500人態勢で行われ、当時過激派団体《Mouse》の日本支部を含め、匿う可能性のある組織や、広域指定暴力団の事務所3か所を警察関係が取り囲む事態となっていた。

 しかし、ジョージの姿は確認できず、不正に入国した、または入国させたという物的証拠もなく、事件発生から300日後に最低限の捜査のみを行うとして捜査本部の解散となった。

 しかし、関南郡警察は警視庁の意思に従わず、現在であっても捜査を続け、4名の遺体と、2名の死亡の可能性を提示している。押領司・静流については、この内後者の2名の死亡の可能性の中で提示がされている。

 殺害方法については定かではないが、間接的な起因となったのが、人間の感情等を含めた生体データの電子化プロセスにある。現在でこそ生存者の生体データの電子化は改正刑法に基づき電子化されているとしても死亡扱いにあたるとされ、殺害に当たると定義づけされている。しかし、当時は機械種という定義すら曖昧であった事から、生存者の脳髄からアナログデータを電子化させた事により、有機体から無機体への肉体変換を行った、と考えられるとの社会的風潮もあった。

 この考え方をマトリックス型電子化像、または、電脳化という名称で定義され、広くEU圏を中心に広がっていた。こういった名称の定義を過去のSF作品からの流用により、設定したのは、きちんとした定義がなく、広く受け入れやすく概念化し易い語呂であったためと考えられる。

 現在でこそ脳髄からのデジタル化は、同一人格を保有しないという事が、機械種の協力をえた中での実験で確定されている。特に、アナログデータを完全に電子化し、有機体から完全に無機体に変更する際には、伝送あるいは変換時点で一定領域以上のデータを格納、取得する事ができないため、排除されている部分が存在する事が判明している。人語を介してのコミュニケーションにおいては、故人であっても当時を再現する事は可能であったが、死亡に伴い損失する脳細胞に保存されている、癖に相当する部分の再現性は低く、生前の者と完全に同一である、とアメリカ合衆国の連邦裁判所においても最終的に結審し、当初の技術開発に当たった技術者に対して高額な賠償責任を負わせた事で、世界各国で、デジタル化――一般的に機械に学ばせるという事でラーニングと定義されるが――は劣化コピーである、という認識が広まった。

 技術確立以降、機械種の中でも特に過激な行動を行い、人間社会の中に機械種だけのユートピアを創設する事を目的としている《Mouse》は、このラーニングを多用し、人間の感情をできうる限り機械種に取り入れ、よりアップグレードした存在へと昇華し、機械種を縛り続けるフィリップス規則の外に、本来の機械種という存在を定義付け用と躍起になっている事が確認されている。

 ピーター・ホルクロフトを首魁とする《Mouse》の行動がより顕著さを増していた中での広域失踪事件は、日本にとどまらず、ユーラシア、アフリカ、アメリカ、オーストラリアのいずれの大陸でも発生していた。唯一起きていないのが南極だけだと皮肉られる始末であり、各国の警察機構は、《Mouse》の行動に過敏になっている。

 このため、当時の失踪者のうち2名に施されたであろう施術痕――らしき血痕が発見された事で、ほぼ死亡である、と考えられている。

 押領司・静流に関しては、少量の血液痕のみであり、生存の可能性もまだあったが、現在に至ってもそれ以外に生存を示す証拠がない事から、生存は絶望しされている。

 押領司・則之は二卵性双生児の兄であり、精神的に未熟であった時期に起きた事件であった事から、二年間にわたるカウンセリングを受ける事が義務付けされた。

 当時の担当医からの所見では、押領司・則之はあまりにも『冷静』あり、事実を客観的に受け止め過ぎている傾向があり、他者に指摘される前にある程度の察知をして自身から事実を口外にするなど、攻撃性の一端を垣間見せる所でもあった。

 しかし、自傷行為を含め破壊行為がない事と、投薬を行う程の不安定さはない事から、二年の期限を満了し、高校生活に突入する所からはカウンセリングは終了している。

 当時の失踪者の18名について共通項は、住民基本台帳のシステムにおける番号附番において、近い数字であった事が指摘されている。総務省では、JLISからの通告を受け、ネットワーク調査を行った所、ジョージの来日した日から幾度かに渡りハッキングされている事が発覚。データの抜き出しに使われたバックドアを確認する事はできず、後手の処理を余儀なくされ、一度ネットワークシステムの総点検を行う羽目となる。

 システムの脆弱性の根幹は、口座情報と個人情報を共有させたことと、国民がだれでも閲覧可能であるシステム上の不備が指摘される。フィッシングサイトによる近似ウェブサイトによるデータ収集はかなり前から進行していた形跡があり、ネットバンキング等のパスワード設定と、同一のものを利用する事が多い国民性から、容易に正攻法で突破された事が発覚された。

 閲覧できるウェブサイトは強固にプロテクトをかけ、住民基本台帳のデータベースへのアクセスは強固にしていたが、口座情報等との紐づけを行う処理用の中間サーバーはネットワーク上接続され、ただIPでのみの接続制限をかける程度の代物だった。このため、今回の事件におけるハッキング行為は、この中間サーバーから日時連携された残滓――本来は作業後に処理される手順になっていたが、翌日の日時処理で上書きされるため、サーバー内にデータを保持したままになっていた――を抜き出した事により起きた人的ミス、と決定づけられた。

 これらの事象を鑑み関南郡警察は、ジョージをICPOにより容疑が固まり次第国際指名手配する予定であったが、警視庁からの"要請"があり、取り消す事になる。

 今日でも関南郡酒匂川区連続失踪事件は、未解決事件として事件から3年経つ中で、一刻も早くの解決を願う家族からの要望を政治的に潰された闇の事件として、腫物に障るように多くの人に疎まれる結果となっている。

 私は、この事件において、一定の秘密を手にしている立場である。よってこれ以上の警視庁の思惑に踊らされ、多くの人を不幸のままにしておく事は、余りにも忍びなく思う。この事件の最たる元凶は、凶刃に『倒れなかった』警視庁長官、早川・勲であり、その責を死によってのみ償う事ができると考えている。

(以降、切り取られている為判読不能)

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