表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/24

<9月16日 “老人”>

 国家安全保障会議が執り行われている最中、官邸内の別室で木津・陽介は班員の住吉・尚也に沈痛なお面持ちで口火を切った。二人共にラガーマンの様にめぐまれた体躯は、一見すると筋ものや、警察の関係者に見えなくもない。

 特に、首相官邸に設けられた『簡素な』会議室には似つかわしくない二人の姿をマスコミ関係が見れば、自衛隊の制服組の誰かと勘繰り名刺の一つでもよこすかもしれなかった。

 二人は表向き誰でも入れるこの共用スペースを打ち合わせに使うのには理由がある。この後には国家安全保障会議内で、簡潔なプレゼンを行う必要があったから。

 だからわざわざ、会議室の隣にある外界と隔絶するのが一枚の薄い白い壁でしか区切られていない共用スペースを利用する以外に手がなかった。

 どこに聞き耳があるか分からない状況で、戦々恐々としながらの口調はあまりにもよそよそしく、そして小さい声だった。

「まずい、というのは事実だが、その一番の問題がNSCを招集してまで公安に指示をした事だ」

「――外事1課に?」

 違ない、と木津は頷く。住吉は疲れた表情を隠す様に、両手で額から目のあたりに手を動かし、ぐっと両手の人差し指と中指で押し込む。疲れた目をいたわる様な仕草であるが、内心はかなり動揺をしているらしく、重い溜息がでていた。

 手元に木津が紙コップに入った冷たい緑茶を差し出す。簡潔に礼を述べて、住吉は一口含むと、疲れを一緒に胃へと押し込んだように、表情を一度渋くして、すぐに、平静を装って見せた。

 二人共に悲痛な表情だった。

 木津はすでに定年を迎えているだろう額に、さらに細かい皺を顔中に張り付けていたし、住吉であっても無理やり表情を取り繕ってい居るものの、三十代の年齢には不相応な眉間の皺が残っている。

「まー……当然のことながら、英国からの情報提供時にはこうなることは最初から分かっていた事ではありますがね……」

 住吉は腕時計型の《サテラ》をオフライン状況で立ち上げる。個人ストレージとして使う際には、旧型の内部ストレージが1TB程ある端末は使い易い。木津も彼の動きに合わせて茶色のスーツの胸ポケットから15センチに満たない板状の長さの端末を取り出す。

 一昔前にはスマートフォンとして主流であった端末だが、いまでは携帯パソコン、という俗称の方が馴染みがあるだろう。電話機能が必要ないから、通話機能を取っ払われてメモ帳、あるいは手帳としての機能を重視した物だ。

 仮に外部との通信を行いたいのであれば、軽量の骨伝導スピーカーや、インカムの形状のもの、胸にピンマイクを刺す強者もいる。

 こういった外部ストレージ系の端末にはネットワークによる被害も多かった。セキュリティが自動更新であってもwifi環境の中さが平成のころには目立ち、知らず知らずに悪用されたり、データを盗まれたりする危険性があった。

 このため安全性を担保したこの手の最新機種は、端末同士に操作者本人が狭義の間柄だけで特定の通信アドレスを割り振り、外部からの侵入や閲覧を強固にプロテクトする事ができ、木津や住吉といった『者』以外にも機密情報を扱う者にとってはありがたい。

「ジョージ・マケナリーが入国していたなんていう事は、軽々に日本国としても認めるわけにはいかないというのが事実ですよ。……特に同盟先の米国はあの《老人》を大変お嫌いときている。総理から直々に大統領に極秘会談でその事実を伝えたのが一時間前となりますがね」

「それに起因した野党の動きを封じるために先手でNSCを招集したのだろうけどなぁ……。まずったなぁ。こっちも極秘に動こうとしたが、公安一課を出されちゃ……」

 右手だけで頭を抱えて木津は低い唸り声を上げた。

「とはいえ、ジョージ・マケナリーは現在確認されている中でも特級のハッカーですよ。タイプBに対する破壊工作だけでもかなりのもので、それ以外にも《人間》社会を混乱に貶めるテロリストとしても認定されています」

 住吉は立ち上がる《サテラ》を操作し、英国からリークされた公文書を見る。

 すぐに重い溜息を床にぶちまけた。

「英国と合衆国の板挟みの我が国にとってみれば頭痛の種になります」

 そうだな、と木津も住吉と同じように首を垂れる。今すぐにでも煙草の一本でも吸いたい気分であるが、全館禁煙になって久しい官邸で、早々に規則違反をするわけにもいかない。

 その口寂しさを紛らわすためにわざわざガムを放り込んでいるが、今の状況では、SSRIに変わる事はない。

「アメリカ合衆国のご機嫌伺いは定例的なもので済むとしても、……今回は英国側の問題も強いんだよなぁ。

 グレートブリテンは常に機械に対して寛容さを設けたいと考えているからな……。特に、面倒なのは日本国の皇の方だが。合衆国との関係を維持したまま王国の意思も汲めと無理難題ときている」

 さすがですね、と少しうれしそうに住吉は一瞬テンションを上げる。

「三枚舌を日本が継承したら――」

 バカを言うなと言わんばかりに、木津は目に険を宿した。

「――分かっているだろう、政府の方針としてはグレートブリテンよりは合衆国よりなんだよ。いくらヨーロッパ圏を重視したところで、日本の経済基盤が合衆国依存体質を変更できずにいるのは、アジア圏に対して『第二次世界大戦』時の遠慮をしろと口酸っぱくされている事が原因でもあるわけだしな……」

 ですね、と住吉は肩を落とした。

次いでため息をもらす二人はそろって溜息に合わせて肩を落として同じタイミングで絨毯を見つめていた

 気を取り直して住吉は顔を上げる。公文に添付されている資料に目を這わせながら、

「ジョージ・マケナリー、通称グレート・オールド・ワンといわれる存在だけあって、《長老》や《老神》などの呼び名もありますね。

 ですが、日本では《老人》や《人形師》の呼び名が有名ですね。英国に所属していますが、現在の居住国家は不明。先日日本に非公式に入国しているとの英国情報部からの告げ口と、入管による一斉立ち入り検査によって、彼のものと考えられる改竄がいくつか発見。痕跡の照合の結果、彼の手になる《Mouse》も日本に入り込んでいる様で……」

 木津は頭痛を禁じえないといった表情で、ただ目をつむるだけだ。皺のよった眉間に必要な処方箋はセロトニン阻害薬よりは、暖かなオシボリなのだろうか。

「大勢が決した状況であっても未だにピーター・ホルクロフトとマーク・ヒルのごたごたは継続中だというのに、そこにかき乱すだけの英国老人の登場は正直ご遠慮願い所だ。

 ……とはいえ、英国側としても身柄の即時確保と移送を内々で行え、なんていう緊急性は今のところないが、『丁寧な対応』が関係性の意地には必要だろう」

「その点、NSCの招集はあながち間違いではなかったのでは?」

 何を言うんだ、と住吉を木津はにらみつける。

「なんせ、特にネットにでも流れ出たらすぐに文屋がかぎつけますしね。――そうならない事だけは祈りますが、155協定にも抵触する可能性がある以上、難しい判断は迫られます。

 手が足りない状況で極秘に処理することができなければ、我々としてもお役御免というのが正しい。――いっその事、公安だけに任せて事の成り行きを待つ、というのも出来なくはないでしょう。言い訳としてNSCの招集も含めて行ったわけですし……担保があるというか」

 しかし、と木津は端末を操作しいくつかの米国川の文書を共有する。

 全部が暗号化されているために多少の時間はかかるものの、復号までの時間を伝送速度と足し込んでもストレスがたまるほどの時間ではなかった。

「合衆国経由で問題が二つ――あってな。このジョージ・マケナリーについては、きな臭い問題があるんだよ。

 一つがジョン・ハリス殺害容疑がかかっていることでCIAもかなり本腰を入れ始めているらいし。FBI案件から引き揚げてCIA案件に引継ぎが行われ、その上、日本に対して身柄の即時引き渡しを要求してきている。

 もう一つが、クレア・バトラー・カートライトの誘拐についての容疑。当時8歳で現在……28歳か? 特に上議院の議員の娘だからなぁ……。随分と躍起になるというものだ。

 女児誘拐は簡単に裁かれてしかるべきものではない。これ以外に複数件の誘拐容疑、殺害容疑が存在している以上、"生きたまま"連れ出せ、との命令だ」

 いいか、と木津は住吉ににらみつける。

「公安の外事一課は有能だろう。でもそれは、証拠隠滅まで含めて行ってしまう事だ。全部消えるぞ?」

「そうですよねえ……」住吉はうーんと唸った。腕を組み、木津の示した資料を斜め読みした後、再度唸る。

「外事1課が動けばまず間違いなく、生存者がいたとしても、それも証拠扱いにして全部を無にするのが当然ですよねぇ。《処理》案件にはできない……ですよねぇ」

 あぁ、と木津は強く頷く。

「つまり、合衆国の意向を汲むのであればNSCなんて大層なことをやる必要はなく、内々に内閣府調査部が動いた方が良かったという事になる」

「……結局私たちは坑道のカナリアと同じで、生贄なだけの組織なんで、それ以上の権限はないはずなんですが……実働もですか……」

 頭が痛くなると、木津は目頭を押さえた。

「あと10分もすれば総理に説明せにゃならん。その間に我々の出来る事で動かねばならない。特に総理からは『そうであるよう』との指令を受けているからな」

「また、厄介な……。次に投票するのやめようかなぁ……」

 住吉は毒付きながら自身の端末を操作する。データの中から一つの記事を見つける。共有ストレージに一時的に格納。ファイルの自動消去時間は長くても15分に設定されているため、放置していても自動的に削除される事だろう。

 ふと思い出したように木津にその記事と、フォトを提示した。

「朝比奈教授か? あぁ、確かに内閣府情報戦略研究会議で何度か顔をあわせていたな。座長も務められた事もある方で、情報部としてもコネクションの強い相手ではあるが、この件に使える人材とは思えないが」

「ええ、」

 住吉は頷く。しかし、写真ではなく記事の方を指しながら木津の顔色を窺う。

「……日本にも《特定ハッカー》は存在します。ホワイトハッカーの代名詞の朝比奈教授でもありますが、教授も一目置く相手として『彼』の存在は使える可能性を有しています」

 木津は目を閉じた。

 沈黙。

 その間は大体2秒。再び開き、懐疑的な視線で住吉を見る。住吉も視線の意味を重々承知しているらしく、苦虫を噛み潰したような苦しい表情だった。

「相手は、まだ子供だと言ってもいい。成人年齢が16歳まで引き下がり、どれだけ基準を作ろうともだ」

「分かっていますよ。ただ、」

住吉は小さい溜息を一つ。

「この手の"人探し"となると、ネットワークは広大ですし、私たちだけではノウハウがありません。センスだけで乗り切るには誰もが経験不足ですし、むしろ学者上がりが多いわけですから」

「現場は知らないか……」

 木津のつぶやきに住吉はゆっくりと首を縦に動かした。

「公安であればかなりの手練れも居ますし、正直、情報統制と正式な手続きという名目で引き延ばしても精々……気合いれて3週間程度の猶予しかないかと……。それで我々の実務班と『彼』とで押さえるのが……ベターな線かとおもいますが?」

 くしゃくしゃと白髪の混じった頭を木津は右手でかきむしった。

 おそらく住吉の言っている事は正しい、と理解している、

 しかし、子供を全面的に『すりつぶす』事は、容認できなかった。

 左手に持っている端末を太ももに乗せ、タッチペンを用意する。端末に署名用のウィンドウを開くと、左耳にインカムを装着する。右耳のイヤホンだけを住吉に渡し、腕時計型の端末の通信を入れると、すぐさま朝比奈へとコール。

 2~3コールもすると、中年の声が返ってくる。

「音声のみとはずいぶんと忙しないじゃないかい? 木津クン。そんなに急ぐと足元を掬われるぞぉ」

「……相変わらずお元気そうで、先日の研究会依頼ですね」

あぁ、と朝比奈は中年の声はノイズ無しに返してくる。

「電話なんて古臭い通信手段を用いるくらいだ、傍聴よりもなによりも速度を優先したい木津クンの意向に沿わしていただき、手短にいこう」

 恐縮です、と年齢が下である朝比奈に畏まる。一回り近くも違うというのに、相手は木津のことをフランクに接し、しかし木津は官僚に準じた硬い物言いになる。これはいまだに変わらない日本の国家の風習だと、毒つく朝比奈に笑いながら諭した事が木津にはあった。

「一つ確認したい事がありまして、教授の方では正直どこまで把握をされているか、というところなんですが……」

「そういう回りくどい言い方をする、という事は――利害関係の絡む話だろう。おそらく、《老人》の話だろうかねぇ?」

 住吉も会話をインカムで聞きながらであったから、息を飲むのが分かった。

「早い――ですね相変わらず」

「遅いだろうね、出国時には往々にしてネット上で禿鷹が群れを成していたからねぇ。そもそも英国側からの情報提供がなければ入管も感知せず、公安すら気にしなかったというのはずいぶんと怠慢ではないか、と納税者としては言わせてもらうよ」

 木津は、舌を巻いた。しかし直ぐに気を取り直して、

「それであっても、遺恨なく解決せよ、という至上命令を頂いた以上はどこよりも早く探しださければいけなくなったわけですよ」

「……ずいぶんと端的にくるじゃないか。木津クンさぁ、そいつは、私の範疇ではない事くらい重々承知しているだろうよ?」

「そうではありますが……」

 木津も言葉を濁す。住吉もこの先の言葉を簡単に言っていいものか、と判断はできない事だろう。注視する住吉の視線を受けながら、木津は口を開いた。

「――我が国の特定技術者の一人の助力を願う事は可能ですかね」

「うーん、……そいつは……。うーん……『彼』ねぇ……」

「ええ、《チェイサー》、特定追跡技能を有するネットワーク技術者は一人しかいないかと」

 渋い唸り声が耳に響く。朝比奈でも十分承知している事柄であるのは分かっていると推測できた。それでも木津が口にした事が大人としての矜持をかなぐり捨てて、プライドを磨り潰した言葉であると認識したのだろう。

「その結論に至るのに、木津クンはどれだけ必要だったかね」

「『2秒』。それ以上はかけません」

 耳元で笑い声が響く、割れた笑い声は数舜前まで沈黙していた男とは思えぬ程に明朗に、軽快なものだ。

 愉快、愉快と笑う声は彼を嘲笑してのものではない。称賛だった。

「さすがの即決だよ、そう、そうでなくてはなぁ、プライドを引きずりすぎて国家の衰退を後押しする様な宦官であっては困るんだよねぇ。役者というのは。――そうでなくてはなぁ、戦場に子供を立たせる覚悟をした東条と同じだけの決意を感じるよ」

 朝比奈は、さて、と前置きをした上で笑い声を収めた。

「簡単に彼を招聘する事は本当に必要か、という所がある。というのも現在、英国側との技術交渉を行っている所であるし……、なにより《機械種》の代表から直々の依頼を英国経由で外務省からの依頼をこなしている最中だ。結果は火を見るより明らかだが……。

 それでもそちらを蔑ろにしろとまではいうまよな」

 初耳の情報に、木津は目を瞬かせる。

「現在も彼は政府の事業に参画を?」

「している、というよりは『させられている』というのが正しいのかなぁ。少年にとってみれば不満バリバリで、私にも苦情を言うほどだよ……。そもそも木津クンも忘れていやしなだいろうか、『彼』が学生だという事をさ」

 住吉は個人のデバイスから、《チェイサー》のファイルを提示する。

 木津のデバイスに開かれている共有ストレージ上にそのファイルが格納されるのを待ち、中身を確認すれば、写真付きのプロフィールが表示される。公安4課の職員名が記載されているのが分かる。内部資料として保有しているには極めて外聞は良くないが、木津にとってみれば心強い。

 押領司・則之。年齢17歳。成人ではあるが、いまだ高等学校にいる生徒だ。

 少しだけうめき声が漏れる。木津は押領司の事を詳しくは知らなかったからだ。

 一定の情報はもらっているが、彼のアバターならいざ知らず、パーソナルデータを閲覧する必要がいままでになかったのが事実。こういった一件以外に、内閣の情報機関にはやらねばならない仕事があるからだ。

 自分の子よりも年下、という事実をたった一つのうめき声だけで取り繕ったのはさすがといえる。

「《チェイサー》という名称と、特定プログラマーであるという状況は存じていましたが、あれほどの技能を持ち、普通に学生生活をしている事を現在、初めて認識しました」

「あぁそうか、飛び級で大学にでもいっているから私が承知していると思ったのかぁ。

普通はそうだよねぇ。でもさ、彼の技能は飛びぬけているし、私としても研究室を引き継がせる対象にしてもいいとは思うけれども本人の意向は、普通に生活をしたいという飾り気のないものだしねぇ」

 木津は意外に思えた。当時の事件を考えれば、本来ギークに代表されるプログラマーの類は、売名行為に近い。目立ちたがりなのだろう、と思っていた。

 しかし、彼は素性をほとんど晒すこともない。

 事実として、彼は隠れる方を求めている様な節もある。

「ほら、彼の『名前』としては『追跡者』という綽名と共にも、アバターとハンドルネームは世界中に広まってしまっているけれどね。彼の場合、――決して個人的な感情だけで事件に手を貸したわけではないさ」

「というと?」

「うーん、木津クンも当時の事はあまり気にしていなかったのかなぁ、あぁ、当時は閣情にも属していないし警視庁にいた時代であれば、そういった花形の仕事よりも、より深く国家転覆を画策する極右、極左の相手の情報収集の方が主だったかねぇ」

 木津は朝比奈に頷く。

「当時はまだ、いくらかサイバー犯罪室に出入りしていたとはいえ、そこまでの情報収集を行っている状況ではなかったですね。むしろ、フィリップスの呼びかけに呼応したアンドロイド――失礼、《機械種》たちの統制させる規則作成と、それに伴う各国の条約を念頭に、民間でも学生運動が活発化になる兆しがあったものですから、そちらの動向に注視していた所かと」

「たしか、半蔵門あたりで相当大規模なデモ行進も行われて、”赤”の青年部会なんかが支援をしていた時期ですかね。私は、まだ小学生でしたが……投石の映像などは見ましたね」

 まるで安保闘争の時の様な抗議活動を起こした、

「あれは、《機械種》に対する過剰反応ではあったねぇ。マーク・ヒルという精神的支柱が存在しない状況での規制の導入は、《機械種》の『種』の尊厳を著しく破壊する、と主張する共産系と、人の労働権の侵害だとする社会系の”野党”同士の内ゲバに近かったけれどねぇ」

「……正直、あの時ほど緊迫した内情になったのは本当に安保闘争時代くらいしかないでしょう。私よりも二世代ほど前の警察の時代ですから……」

「だろうなぁ、」朝比奈も木津に同情する様な柔らかい同意をした。

「”赤”を含めた学生運動、私の親世代や二世代前にあたる時代の学生運動を想起させるほどに、強固さをもって内乱に近い状況になったのは、比較的に民族として言われるがままの国民性の日本にとっては非常に珍しい物だろうねぇ。

 ただ、時代の変革期にはどうしても起きてしまうものだろうさ。規定路線の破壊と新たなる国家編成に伴う出血に相当すると割り切るしかないというものさ。役人も議員の意向を考えそちらばかり気にしていたのは事実で、そのおかげで後手に回ったという苦い経験を今後の教訓にするしかない」

 住吉にしてみればまだ『実感のない時期』であり、当時のサイバー犯罪に対する対応は今より脆弱的でかつ、警察上がりでもないため記録も見たことがない事だった。

 その事を木津は十分理解していた。特に時代の変革の動きによる国家に流れたピリピリとした空気というものは現場の《人間》にしかわからない物だと分かっていた。

 赤色灯の照らし出す暗くなった街路樹は、一瞬の交差の後に、白煙と赤熱の罵詈雑言で機動隊との衝突を生み出した戦場に変わっていたことを思いだす。

 当時、木津は公安であったため、機動隊の作戦行動の監視を名目に、上空からヘリで群衆の動きを確認していた。

 それであっても、参加している学生たち――正確には青年や、中高年も含まれていたであろうが――には、市街戦と同等の意識をもって警察と衝突を行っている節はあった。

 組織統制のとれた群衆は、扇動者を中心に形成される一過性の群衆と違い、解散が見事であったと言える。

 ひりひりとした『殺人』へと昇らない様に統制のできた暴力は、投石や火炎瓶により『象徴的』に演出されこそすれ、彼らは決して機動隊を殺害するために行われていなかった事を思います。

 せめぎあいの最中に最初にしびれを切らしたのはむしろ政府側であったが……。 木津はその辺りをあえて空気を読まず話しを進める。

「当時にでていたネット上の内容くらいは網羅していますが、結局、有象無象の事に。押領司・則之という名前、それから関南都酒匂川区に居住しているというパーソナルデータは簡単にネット上で晒されていた事はありましたからね……。

 若い――といって当時中等教育状況くらいで14歳……でしょうか。今年には17歳という事ですから」

「そうだねぇ。けれども、木津クンは気づかないふりをするわけだ。『彼』が一般的な生活を望む事はないだろうと決めつけている節はあるし、彼の本心を気にしてやることもない、という事かなぁ。

 いやさ、――責めるわけではないがね。往々にして一芸に秀でた者は直ぐにヘッドハンティングされるのが常だものねぇ。特に、合衆国くんだりでは重宝されるだろうさぁ。5年も居れば君たちの今目の上のたん瘤である《老人》と同じほどの技量を有している事だろうよ」

「……たしかに、」

 朝比奈は一度唾棄する様な嗚咽をした後、何かを飲み込む音をさせた。

「――そうかぁ。それしかないだろうな。我が国の板挟みを抜けるのに最適な解法は」

「でしょうね。教授も最初から分かっておいででしょう」

 そりゃ、と朝比奈は飽きれ、素っ頓狂な声を出した。

「当然だよ、この国はプログラマーを育成する方針にしかならず、ネットワーク技術者やセキュリティスペシャリストの様な存在は常に冷遇されているじゃないの。私が研究会に入った時に、時の内閣ではプログラマーがシステムエンジニアのすべてだと思っている様な連中しかいなかったからねぇ。

 役所にでも勤めている学友は多いけれどさ。そんなやつに、土木技術職と電気技術職と建築技術職って全部同じなんですよね、なんて言ったら笑われるだろう?」

 ぐうの音も出ないという様に、木津はうーんと唸る。

「未だにプログラミングできればすべてできると思っている事も間違いだとは思いますが、教育省としては『ウケ』がいいので、継続となるでしょうね」

「科学省ももう少し考えるべきだと今度いってやるかなぁ」

 ほどほどに、と木津は苦笑いをする。この男であれば官僚の気持ちなど気にせず口にしそうで気が気ではない。

「ま、理解はしておるよ。が、外務省と公安どっちをとるか、と……言われると早い者勝ちであるのは事実だろう。情報を流してやる事はできるが、期待せんことだろうなぁ。

 ただ、と朝比奈は言葉を切ってもったいぶった。

「なんです?」

「ただ――、代わりと言っては何だが元々英国の問題であるから、あのマークのもう一人の親友――チャーリーに協力頂く事はできるだろうねぇ?

どうだい? 声をかけてみるかね?」



 チャーリー・デ・ルイスは大きい家に住んでいる。

 金持ちの特権として納税を行い、ウェールズの自然の中に広い屋敷を構えるという個人の夢を体現していた。この屋敷は、英国式の庭園を完備し、木洩れ日の中で一日過ごすことも可能だ。

 仮想空間であれば誰でも体現せしめる夢の空間を現実的に行うには、一般の《人間》が目にする事の出来ない額の資産を保有している事が条件となる。国王から爵位を得た時、彼は家督を継ぐような《人間》ではなかったし、自由奔放に過ごしている、いうなればアメリカで一大ブームとなった様なヒッピーに類似した価値観をもった青年だった。

 イージーライダーの世界を体現する様に『自由』を求め、英国本来の持っている格式も、誇りも、すべてを『ラブ・アンド・ピース』に捧げる精神をもって大学時代を過ごしていた。

 少しだけ他者よりもプログラマーとしての才があったため、就職では有利に働きいくつかの企業に入社する事はできるだけのスキルは持っていた。

 だが、チャーリーはそういった事すら気に留めなかった。

 たった一つの目的のために生きる様な職人気質でもないし、国家に忠誠を誓う軍人気質でもない。楽観主義者で、奔放であるのは事実で、ルックスの良さから片手に余るだけの女性を囲い、堕落した生活に身を置いている、と家族は見ていた。

 当然、チャーリーもそれに近い生活は送っており、お金を稼ぐのに躍起になるわけでもなく、それなりにある個人資産を運用に回して適当に生活を送っていた。

 機械の存在が『個』として確立しはじめると、彼の生活も状況を変更せざる負えなくなった。

 持っていた資産のほとんどが紙屑となり、ハイパーインフレーションを引き起こして食事をするための物資を奪い合う日々に身を置く事になった。爵位だけでは食事はできず、資産も消えれば残っているのは裸の王様と同じ世界。

 彼はすべてを手放してでも守らなければならない、という状況に陥る。しかもそれは、自分のためではなく領民のために。

 民というのは、チャーリーにとっては大した対象ではなかった。

 チャーリーとの接点を考えた時に、自分の領地にいる民に対して施しを与える事に興味が行かなかったし、紙くずとなった彼の個人資産では到底対処できない問題だった。

 長年ルイス家に仕えていた者たちは、巨大な城といっても過言でなかった彼の生家から無心を働き、蝋燭の燭台から銀スプーンの1個に至るまで『給料分』だと言って持って行ってしまった。だから、『民のため』というルイス家の長年の功績を守るための基盤が存在していなかった。

 しかし、一人だけ残った従者が居た。と言っても当時にしてみれば最先端の侍従用のアンドロイドであり、外装も機械チックに作られ一目見ただけで《人間》とは違う、と分かる物だった。

 アンドロイドの外見的特徴を言えば、『無性』である、というのが通例で男性とも、女性ともつかない合成音声でもって簡単な業務を行う程度だ。CSオムニバスに代表される台湾系の会社は英国とは強固な結びつきがあり、経済協力の名目でバッキンガム宮殿の雑務用アンドロイドの提供も行っていた。

 従者の名前はなく、機械の個体名称はMA-011型アンドロイドである。荷物を250キログラムまでは簡単に持つことができ、犬の散歩や、水回りの掃除まで行う事が出来た。

 特殊合金製のメタルフレームを採用し、流線型に近いのっぺりとした顔立ちではあるものの、サーベルでも構えれば歴戦の勇士が被る鉄仮面に見える程の凛々しさはある。すっと縦に長い筐体は、スーツ姿が良く似合い、燕の様な二本の尾を引く従者服を風になびかせて歩く様が流麗で、チャーリーはよく遠目で見ている事があった。

 誰も居なくなった伽藍とした世界にセピアの壁紙だけが枯れ葉のごとく燻っていた。

 人気のなさを象徴する大理石の床の上を、寂しさを紛らわす様に動く1体の機械に対して、はじめは電車が走っている様な環境要因の一つでしかなかったが、家族に近い様な親近感を得るには、そう長い時間を要しなかった。

 だれも居ない、しかし『彼』はそこにいる。その時に時世は変革期にあった。

 人権確立運動は多くの者たちが『彼』らを擁護した。同時に、多くの者たちが『彼』らを批判した。

 議論は本人たちを放り出して国家間の威信をかけた論争に飛び火する事はしばしばで、その顕著な物がイギリスとアメリカ合衆国であった。

 英国は『過去の国』と、自国民が皮肉るほどに英国はかつての繁栄を虚にしていた。

 産業らしい産業が上手く生まれず、二十世紀の経済論のまま形骸化した経済政策を打ち出すのが限界だった。

 であるから、機械たちが労働力となっても、結局は搾取構造に変化は訪れず、労働者と経営者の階級差は増大するばかりであった。

 対して、米国では《人間》の権利拡大こそが経済を維持する上では必要とし、機械を機械以上にさせないというAIとの乖離政策を行う州が増えた結果、『機械は《人間》に使われるもの"』という普遍的な定義を国家として有する事になった。結果として人の権利は確保されたが、他国との政策の色の差異は明確になった。

 生産性はどうであったか。個人の利権を維持し続けたアメリカは一定の水準で頭打ちとなった。巨大な企業構造を打破する程のブレイクスルーは起きず、良くも悪くも緩やかな成長で推移した。

 機械への依存度を高める行為によって派生するリスクに比べれば、人の権利を有して他国に比べ多少経済成長率は悪かろうと、幸福度は高い、と彼らは考えた結果なのだ。

 しかし、英国は少子高齢化を食い止める画期的な方法を見いだせず、減衰する人口抑制に費用を割けず、繁栄のための投資は切り捨てられ、高齢者を延命させるためだけの『社会福祉』のに帰結する。後半世紀もすれば国家が体をなさなくなる、と言われる程の落ちぶれた姿であった。

 産業がなければ人は子を産めない。育てる環境がなければ躊躇する。仮に国が『保障』するといっても手形ではない。いつ反故にされるかわからなければ、個人の資産を保有していない民衆の大半は、『孤独』に死ぬ事が英国をはじめ高齢化をしていた国家では目に見えていた。

 『人権』の拡大を行うにあたり、多くの機械たちが声を上げ、彼らを支持する新たな機械たちがさらなる産声を上げた時、チャーリーはぼさぼさに伸びた髪と、仙人の様になった髭をさっぱりとさせ、表舞台に戻ってきた。理由はたった一つだけ。

 英国に新たな『人』を受け入れ、国家を再興するという目的のためだ。

 彼らの人権擁立に向けての運動に、ルイス家が方々に謀略をめぐらし、たった数名で国家を傀儡せしめた事実と、センセーショナルな多方面における活動の結果、人種と《機械種》の種を超えて支持を受ける事になった。

 初めは、自分の領地を特区として設定し、1年のテスト期間を設けた。当然全世界から注目される事になる事業で、国家の行く末に係る大プロジェクトとして英国内でも注目を集めた。頭の固い英国紳士は、フィッシュ・アンド・チップスを片手に、ルイス子爵の失敗を想像して一杯やるのが通例になっていたが、三か月、半年、九か月と経つうちに「あぁ、これは違うのだな」という事を理解する様になった。

 百聞は一見に如かず、というとおり、《機械種》の一番の力はその労働性にある。機械測量を1名いれば一瞬で終わり、図面の共有も、作業工程の作成に至るまで、ワンマンである。しかし、それを分業制にしIMSによる多数決制を両立させると、機械でありながら《人間》味のある、調和がもたらされた。

 元々、農村部であったルイス子爵領は、派手さはそれ程ない。平野も少なく小高い丘陵地で、どちらかというとブドウなどの農産物の生産が盛んだ。とはいえそれは21世紀初頭までで、手のかかる農作業のほとんどは事業継続性が無いという事から衰退を余儀なくされていた。

残ったのは英国が大好きな、『歴史』と『遺跡』。そして小さい教会に、広めの墓地だけだ。

 幹線道路に面した集積地への中継地でもないから、人どおりも少なく絵に描いたような田舎であり、悪く言えば過疎地の典型例。

無理に良く言えば自然との調和である。であるから、いくら《機械種》といえども入植と同等の厳しい条件であったのは事実で、《機械種》の中には《人間》と同等の公平性の担保がなされていない事に対して、憤慨をする者もいた。

 それでも、チャーリーは根気強く彼らに生の場所と、彼らの財産になる――一部は税として納付する必要があるが――事を説いたのだ。機械は《人間》に搾取される、という概念を覆し、紙一枚の計画書から始まったチャーリーの構想は、『マシナリー・ガーデン』と言われるほどの優美さをもたらした街を創造せしめたのだ。



 木々の揺れる音は、多種多様の音域に展開され、草花のこすれる音も相まって夜の帳が降りた時間帯であっても、重厚なる自然の大合唱を奏でていた。森の住処、と謳われるルイス子爵の偉業を称える様に、忙しなく、しかし、決して騒音としてではない。常にヴィオラの調べの様に流麗で、風の音を合わせて広大な『城』を彩っていた。

 外壁だけ見れば化粧石で整えられた建物ではあるが、多くが自然に生成された木々を用いた木造性。巨大な木材は、過疎により辺りに勝手に生えてしまった亜熱帯系の樹木だ。本来の植生とは違うものの、建材として輸入されていた中でどうしても虫の混入や、気温上昇における生物環境の変化は、本来越冬の難しい草木であっても、闊歩できるほどの生育環境を用意できたのだ。

 高さだけで見れば高層ビルに比べて陳腐なものだろう。3階建てのコの字の形状をした建物ではあるが稜線を背にして中庭を作り、陽の光をふんだんに取り入れた農地を隣接させ、生活する《人間》が飢えをしのぐために鶏や牛を飼い、ハンティングを行うために必要な馬も、目標となるジャイアントラビットなども飼っている。

 厩舎をこしらえた横には広い放牧場が用意され、十分な運動を馬達に提供する事が出来る。

 この屋敷に働くほぼすべての人型の物体――タイプBになる。

 割合で言えば8割。残り2割は特定作業者として存在している者だ。特定作業者というと、特殊技能免許の保有者で医師や、《機械種》のためのメンテナンス技術者、電気技師に、獣医といった者だ。

 特に、機械関係の技術者ははきっちりと人数が確保され、5人の技術者が24時間体制で年間をとおして在中している。それであってもたった20名程度の《機械種》だけでこの屋敷を維持しているというのは驚異的な事であった。

 かつて、ヴィクトリア朝時代から第一次世界大戦に至るまでの英国貴族の生活を鑑みれば使用人の数は百人単位での態勢が必要であろうし、パーティーなどとなれば臨時の雇いすら必要であっただろう。

 しかし、《機械種》の利点は疲れも知らずにオールマイティーに働き続ける事ができる点だ。

 労働基準に基づき、夜間作業分について手当がついたりするものの、それでも人員を5分の1程度にまで削減できるのであれば、十分な利益となる。逆に言えばそれだけの仕事が失われているのだが……。

 チャーリーは携帯端末に表示される推移表をみながら、唸り声を上げた。渋い声であるにもかかわらず、どことなく喜々とした黄色い色を含ませているのは、自分の策略が上手くいった時の彼の癖だ。

 実際には大声で自分の評価をひけらかしたいと思っていても、伝統と歴史を重んじる家柄に命を捧げ、国家に帰属すると決めた以上、品性を疑われる行為は慎みたいというのが貴族という『皮』だ。

「面白そうですわね」

 声は彼の直ぐ後ろから。温和な言葉であるにもかかわらず、少しだけトゲが残ってしまっている。おそらく、自分に構いもしないチャーリーに苦言の一つでも言いたい、というところだろうか、とチャーリーは推測した。

「やぁ、マーガレット。ちょうどいいところにきたじゃない」

 言葉と同時に、彼は振り返りながら手にした端末のデータを拡大表示する。

「資産の分配表ですか。――わたくしにはこの資産、というのが未だによくわからない概念ではありますが、金銭を含めたすべて、という事でございましょう?」

 そうだよ、とチャーリーはマーガレットの美しい金色の巻き毛を右手で掬いながら感触を楽しんだ。

「共産主義国家でも成しえなかった富の完全なる再分配は、絶対王政でのみ完了する。そう、時の『科学者』は言ったのさ!」

「……それはご自身では?」

 マーガレットは美しい顔を笑みに変え、口元を押さえてはコロコロと笑った。

「違いない。自分が最もこの地で優れている、という自負があって、実質この地域の『王』だろうとも思っているさ」

「まぁ、」マーガレットはうれしそうに驚いて見せた。ふんわりと彼女は体を動かし、それに合わせてチャーリーが愛おしんでいた髪も、合せて揺れた。

「王だなんて、キングアーサーの様な伝説でも拵えるおつもりですの?」

チャーリーは、一瞬きょとんとしたが、すぐに腹を抱えて笑い出した。

「はは! 王だからキングアーサーはいくら何でも子供すぎるよ。いや、あの物語は好きさ。――しかし、自分がやってきたことを思えば、何人不幸にして何人を殺してきたのかは語らなければならないだろうねぇ。

 子供に読み聞かせるには少し……血なまぐさすぎると思えるんだけれどさ。

 王国をつくるために『選んだ人』以外はすべて排す、たとえ老人であろうともね。

 其れこそヴラド伯爵と同じ、領地を守るために串刺しにし、見せしめに晒上げたのだからさ」

「だから、」

 と少しだけ寂しい目をしたチャーリーの口を、マーガレットは白い絹の手袋でおおわれた人差し指で、やんわりと止めた。柔らかい感触を唇に押し当てられ、チャーリーは言葉を止める。

「友を切り捨て、血族を殺し、依るべき王にすら牙をむいた。新たなら種から得た栄冠は、虚飾の王冠。決して報われぬ――などと誰が好みましょう? 貴方がお望みになるのであれば、わたくしは同胞を伴って戴冠式でも執り行うところですが」

 彼女の指に小さくキスをすると、チャーリーはやんわりと両手で彼女の手を包み、唇から話した。

「いや、そんなものいらないから。実際に王家に対して反旗も翻していないからね?」

 知ってます、と慌てるチャーリーにマーガレットは微笑む。

「そう、望むのであれば、――そう、であれとわたくしたちも想いを同じにいたします。それがわたくしが居る意味であり、生きている証なのですから」

 彼女の言葉にチャーリーは真一文字に結んだ。

 《機械種》という存在は『完璧な者たち』というのが印象として存在する。機械の信頼性は、初期と終期において動作不良はあるが、基本的に100回おこなったら100回できるという信頼性、エラーの無さが売りである。

 《人間》の様に、熟練するまでは100回やって1回しかできない、という事はない。

 また、100回やって100回できるようになっても、パフォーマンスで左右されることもない。

 このいった『種族性』を持った彼女が『王にする』といったら本当にやりかねない。

 背中に浮いた冷や汗を放置して、チャーリーは降参のポーズを取った。

「分かり合う、という事は相手に依存する事とは違うんだけれどもさぁ。それでも君がそうしてくれるのならば自分はうれしく思うよ。

 君を独占できるという欲求を満たせるのだから。身も心もすべてが自分に向けられているという優越感は、男として、『王』になった様な高揚感を与えてくれるからね。独占欲はそれだけ甘美なものだね」

「それは興奮を得ているのでしょう? 従僕の献身性や奉仕精神によって構築された万能感は利便性を超越した先にある事でしょうし。それこそ……脳髄に至るまで貴方ととろけ合う事が可能であれば、すべてを意のままに総べる事も可能かとおもいますが」

 チャーリーは鼻で笑った。右手でわざとらしく邪念を振り払う様に動かす。

「結局《人間》の欲望なんて行き着く先は、先人たちの教えのとおり大罪に起因するだ。だからこそ悪魔という偶像化によって頭から振り払おうと必死になり、清廉潔白を求める様に神にすがっているわけじゃないか。そりゃ、マーガレットは求めに応じてアフタヌーンティーの最後にタルトを用意してくれる。好みを理解し自分の要求をきちんと理解してくれている事は自分にある、この場合食欲であり、傲慢であろう、とは思うよ」

 しかしね、とチャーリーは右手の人差し指を立てる。

「自分がマーガレットに望む事を、盲目的に君が従うだけであれば、自分は君を遠ざけただろうね。それには、奴隷という存在を自分が否定し、拒絶し、廃止するために動いているからに他ならない」

 マーガレットは問う。声の大きさは変わらず、抑揚も平坦で。ほほ笑んで見せる。

「『機械』は『人』の奴隷ではないとお思いですか?」

 チャーリーは言う。声を張り上げはせずとも強い口調で。笑って見せる。

「間違いなく、『機械』は『人』の奴隷でないさ」

「機械というものは当初作られたとき、どういうコンセプトで設計された物なのだろう、と自分も考えた事はあるよ。アンティキティラ島の機械を最初として考えてもいいけれど、古代ギリシア時代であれば井戸は掘られ、雑多な機織り機はあり、多くの装置であふれていたことだろうね。

 しかし、機械の体裁が整っていたか、というとまだ粗削りな部分も多くて、近現代の機械とはやはり設計思想が異なると考えているから、分離しているね。

 利便性の追求という点では同じだけれども、結局のところ手足の延長を作る、という考えに近いだろうさ」

 しかし、とチャーリーはマーガレットから離れ、窓の側まで行く。大きなガラス窓をゆっくりと開け、外界の空気を取り入れた。ひんやりとした少し湿気を含んだ風が太陽の熱を包んでいる建物にながれこんでくる。

 先ほどまでの自然の共演は一度終了し、柔らかな風が間奏を奏でている。

「どの時代であっても利便性の追求と簡便性の追求、という点では同じさ。その用途と取組方法が異なっている、と自分は思っているけれどね。

 大規模な革新的アイデアが生まれたのは蒸気動力の発明が引き合いに出されるけれど、それ以上に自分はコンピューターの発明と発展こそが近現代の機械のコンセプト変更の主要因とみているよ」

 風を受け、チャーリーは振り返る。マーガレットのアイサイトは、彼をとらえて逃さない。「コンピューティングという言葉の定義がされると共に、計算機、という側面だけでないコンピューターの活用が一般化されたわけだ。

 けれども、物理ドライブに必ずしも起因しない、ネットワーク上ですべてを簡潔するという――最もネットワークサーバーという物理ドライブあるにしても――世界構築は、《人間》にコンピューターを使っている、という感覚すら失わせるに等しい出来事だとは思うね。

 そもそも初期のパーソナルコンピューターは計算機であるから、処理演算の延長であったにもかかわらず、Digital Visual Interfaceの登場で絵的に操作させることに成功させ、今度はプログラミングすら言語不要とするAI Generatorの登場で、より直感的に、漠然的にコンピューティングできる様になっている」

 そして、とチャーリーはマーガレットに手を向ける。

「コンピューティングは、AI――すなわち思考と、IMS――すなわち心の形成、そして、先ほど言っているネットワーク上の知識経験の保有の三点を用いた、《自我》を得た。

このことは、《人間》社会における《人間》が本来、試行錯誤を代行させるために作りだしたにもかかわらず、《人間》は自分たちの欲望のために思考することを廃棄しようとしている、とすら感じる」

 切ったのち、チャーリーは口をへの字にした。

「《人間》は結局奴隷を作ってしまったんだよね」

「それが《機械種》の存在意義だと――お思いで?」

 マーガレットの言葉は相変わらず固い。

「違うさ、違う、違う。そうであってはならないんだよ。――人が人の利便性と簡便性のためだけに、自分の代行をさせる装置をつくりあげてたとて、それを奴隷として使役してはならない。

 これは絶対だ」

 チャーリーは世界に言う。

 まさしく自然に対して、両手を上げて雄弁に語って見せる。

 否と。

「『人』というのは《人間》や、《人間》社会に関係性のある『種』で構成されたコミュニティ体の総称であるべきだ、と自分は思っているさ。

 機械、《人間》、それ以外にも例えば馬や犬や小鳥。

 生態系という付属するすべては《人間》の構成する要素であり、『人』を『人』とするためには必要不可欠な要因なんだよ。

 だけれども、人が怠惰を求めるあまりに――簡便化された世界を構築した。分かりやすい、yesとnoで作られた世界を『仮想現実』とまで言って、《人間》は引きこもろうとするわけだ。

この行為は、《人間》という『種』からある意味逃げてしまっていると感じるね」

 チャーリーは悲しそうに、目を閉じて鼻筋に両手の人差し指を添え、口元を隠した。

「駄目なんだ。このままでは人は滅びる運命しかありえない。あってはならないのに、そうなる結末以外想定できない。新しい種の台頭で人はその存在意義をなくし、社会から消え去る、としか思えないんだよ」

 いいかい、とチャーリーは瞳を開き両手を下ろした。苦痛に似た表情になるのはどうしてか、とマーガレットが訝しげに目を細めた。

「《人間》は、完全に『《人間》を超越している存在』を創造した。社会構造上、彼らは思考を持ち、試行錯誤し、自らに生・老・病という概念を作り上げ、世代交代を繰り返すわけだ。自己進化を加速度的に上げているのは必然。この『進化速度』は母体数が増えている事もそうだし、そもそも、君たちが思っている以上に《機械種》は『生きて』しまっている」

「そのうえ、」

 沈痛な面持ちではあるが、チャーリーはマーガレットの乳房を服の上から撫でる。次いで、顔に、最後に髪に触れる。

「本来《人間》が最後の砦として持っているべき、淫奔である欲求は、《人間》同士で昇華されず、君たちを取り込んで次のステージに上がり始めている。《人間》よりも完璧な外見だし、老いも汚れも『加除』できてしまう。

 《人間》同士の生殖行為はいまや衰退の一途をたどっている。なぜか。誰もが最初はそう思ったけれども、生活する上で理想のパートナーが『簡便』に買えるわけだ。しかも、生涯に係る費用は《人間》よりも少なく、しかも『奴隷』に近似した従順性を保有しているときている」

「それが《人間》の望む姿であります。食欲も、睡眠欲も、性欲もどれも欠かす事が出来ず、しかし欲求を満たせば終わりという訳でもないことは存じております。――仮に、貴方が俗的な《人間》であったとしてもわたくしは、要求を完璧にこなす事でございましょう」

「そう、」

 チャーリーは指を立てて、マーガレットの口をやんわりと止める。

「リクエストに対するリターン、これが明確になっている以上、《機械種》は存続し、《人間》は衰退する。《人間》は減り、行き着く先は緩やかな終末のみ

 これでは『共栄』にはなりえないだから、駄目なんだよ。君たちが奴隷として《人間》の傍にいてしまっては。ただの物になってしまっては」

 マーガレットは話し始めてから久しく見せていない笑顔を見せた。チャーリーの人差し指を彼がやって見せた通り両手で包み込み、やんわりと彼女の胸に運んだ。

「そうでございます。やはり貴方がわたくしの信を置くべき相手、でございます」

 チャーリーは目をぱちくりとさせて、指を引っ込めマーガレットの手の感触を感じる。《人間》と同じように恒常的に廃熱がされているため、《人間》より少し体温は低い、というところではあるが、近似した温かさがある。

「《人間》は、結局のところ最期まで、最高を目指す事でしょう。かつて誰かが描いた、一人ですべてが簡潔する世界を構築する事に。はたしてその『玉座』は誰が得るのでしょうか、とわたくしは考えておりました。

 人を憂い、人を求める事によって、《人間》は《人間》以外もコミュニティに加え、人を形成しておりますが、貴方は寛容なようでいてその実態は拒絶でございます」

 少しマーガレットは悲しそうに目を伏せる。しかし口元には温和な笑みがある。

「機械と線引きをしたいのでしょう? 貴方は人としての矜持をお持ちで、機械、を嫌って――広義の意味でいえばで、生理的な悪寒を伴う様な嫌悪とは違いますが――おいででござます。

 ですから、わたくしたちはラインを守る者――あるいは、門番として貴方を信頼しております。無理な要求も、無茶な要求も、束縛も、放置も、すべてにおいて丁度いい間でございます。

わたくしたちは、狭義の意味で言えば0と1で形成されている以上、保という事において相対的位置関係を常に計測し予測し判別しておりますの」

 くるりと回り、少女らしい笑みを浮かべるとマーガレットは上目遣いでチャーリーに問いかける。

「わたくしを見て、貴方は今、何を感じておりますか?」

 答えは沈黙。

「……」

 視線の位置を変えるために何度か首を左右に動かし、仰角を付ける。右に左に、前に後ろに。それでもチャーリーは答えを口にしなかった。

「そうでございましょう、貴方なら沈黙を守るものでございます。貴方にとってわたくしは母であり、姉であり、恋人であり、子供であり。しかし決して内にある欲望をわたくしには向けはしないではありませんか。よくて――先ほどの様に肌をなぞる程度。それも先ほどの戯れが初めてで、普段であれば指を絡めることすら拒絶をされますものね」

「《機械種》を擁護する反面、貴方は《機械種》を嫌っておいでです。《人間》を憎んではいるのだとも判断いたします。自分をどの様にとらえていらっしゃるのか、その点については底を覗かせてはいただけませんが……。それでも深い絶望感が漂っておいででございます」

 マーガレットはお淑やかに首を傾げた。右手の人差し指を顎にすこしかけ、困った様に。

「貴方はわたくしたちを解放していただいた、とわたくしたちは判断しております。このため、わたくしは貴方に一生を捧げる事を誓ってございます。同族の存在にスポットライトをあて、わたくしどもに一切の妥協をさせず、最大のパフォーマンスで『侵略』を容認する。領地も持たず、名誉も、地位すらもなかったわたくしたちをここまでに文化の中に浸透させていただいた恩義を感じております」

 ですから、と彼女は言葉を区切る。

「貴方はわたくしたちの『王』なのでございます」

「うーん、」

 チャーリーはばつが悪そうに頭をかいた。

 買い被っていると言いたそうではあるが、反面嬉しさもある。

――マーガレットの事は好きだけれど、なんか触ると恥ずかしいんだよなぁ……

 などとは口にはできない。いままで『まとも』な恋をしていない彼に、少年が抱くような『恋心』は理解できていなかったが、自分の感じつつある感情が、機械への恋となってしまっている事が、自身の信念と乖離を起こし、複雑さを増していた。

「自分はそこまで望んでいないんだけどね。たしかに、マーガレットが感知した感情の一端はあるだろうけど、自認しているほど巨大な闇でもないしなぁ」

 チャーリーはぐっと両腕を天に突き出して肩甲骨を伸ばした。二度ほど伸ばすと、

「君がそういうのであれば、そうあろうとする事もまた王の務めだろう。君の友人が一人、ステラ・フラートンの隣には、自分の友人が一人。

 その双方の障壁となる、あのお爺さんを追い出す事は、そうだね……」

 指を滑らせて連絡ツールを起動させる。

「そういった事を処理するのも、友人としての務めかね」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] チャーリー・デ・ルイスの調和ある変革が描かれる所。 そしてチャーリーと機械種との関係性が美しい言葉で示される所。 [一言] チャーリーの機械種への想いは非常に納得できるものでした。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ