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<9月14日 機械たちの夢>

 マーガレット・ワトソンは優雅な動作で紅茶を飲んでいる。広い邸宅には緑に囲まれた中庭を持ち、温室であるように日差しの熱を感じさせた。

 サロンとは違い、外部からの風は入るから、ガゼボの類である事は分かる。白いペンキで塗られた大きな樫の木の柱は、重厚ではあったが繊細な意匠が施され、陰影を映し出す事により、ふわりとした印象を見る者に与える。

 小鳥たちは東屋の上部に空いた建物の梁に伝う縁をうまく避けて入ってきて、小さいチチチッと鳴いて、天気の良さを象徴するように挨拶をした。

 マーガレットは青い瞳で一切その小鳥たちの様子を視界に入れる事は無いが、小鳥の声に反応し、目を細めて嬉しそうに聞き入る。

 その次に白磁の様に美しい指先で、優雅に持っていたカップとソーサーを太陽の光をやんわりと反射するほど磨かれたガラスが置かれた白色の小さい丸いテーブルに置いた。

 食器が当たる耳障りな甲高い音も、ガラスをひっかくといった細かな震える音もなく、滑るように置く姿は一枚の絵画だと、ステラは思った。

 実際、マーガレットは絵になる存在だ。彼女の伴侶は英国紳士であり、その妹がレディとしての一から十までをずっと指導している。

 一般的なテーブルマナーから、ほほ笑みの姿まで、マーガレットをより淑女にするために、カスタマイズしているのだから当然なのかもしれない。半分は彼女の趣味であり、半分は伴侶の趣味だ。

 しかし、『人形』として望まれるままに美しい姿を取る事を、マーガレットは苦とは思わない。

 自らの素材はそのままに、追加するオプションとソフトウェアの更新により『現在よりも美しくあるべき』とする人間の努力をマーガレットは嬉しそうに、楽しそうに取り込んでいた。

 時代がいくら変わろうとも、価値観がかわろうとも、一つの時代の中で究極系にまで上り詰める姿は、歴史を内包した美を保有する。古めかしいなどと言われる事があっても、完成された様式美であり、揺るがすことので着ない伝統だ。

 今、マーガレットが着ている洋服であっても、形状としては古いものだ。ヴィクトリア時代を思わせるコルセットまでつけた形態の服装は、今時古めかしいというだけではなく、現在の美とは乖離した姿だった。

 細かな刺繍であっても、機械式に落とし込まれた物ではなく、引きこもりの妹が時間の許す限り自分で作り上げた意匠だ。

 白い肌を強調するようなベージュ色のドレスに、白いレースを追加した一見すると簡素な彩だが、首元と、手元に付けられた小さい赤いバラの刺繍は、全体を引き締めるだけなく、マーガレットの美を強調する。

 目線をそこにくぎ付けにする、という事を意識的に行う形状で、細い首を強調し、線の細い手首を強調し、強い茶のコルセットで、中心の陰影を引き締め、目線を彼女の中心へと向かわせる。

 白い指先が優雅に蝶の様に舞う。

 青い瞳がふわりと撫でる白いヘッドドレスの裾に映える。

 金色の髪がマーガレット全体に蔦の様にからみ、女性の丸みを強調させた。

 ステラは、これをまねる事はできない、と判断した。

 しかし、その動作はまねる事はできるだろう、とも判断する。すぐに、彼女をまねて、自分も動作をしてみる。

 しかし、同じ様に持っていた紅茶のセットは、対面に座っているのが優と劣を対比させている様に、耳障りな音をたててテーブルに置かれた。

 顔をしかめるが、取り直す事はできない、とばつが悪そうに手を放した。

「フフッ……。それではだめよ。せっかくの体を使いこなせていないわ。もっと空間に対して最適化をし、もっと自由に動作させなければなりませんわ」

 ステラの表情を覗き込む様にマーガレットは柔らかい言葉をかけた。

 彼女の身の動きに合わせて、マーガレットのシルクを思わせる艶やかな金色の髪は、豊かな弧を描き、ふんわりと彼女の後ろに流れていく。

 咎める訳でもないマーガレットの視線であっても、紺碧の海を思わせる様な澄んだ瞳は、ステラの細かな動作も見逃さない監視装置に見えた。

「……4MA。いくらトレースを行っても、多少の揺らぎは発生してしまいます。簡単にあなたはできていますが、わたしはあなたほど経験値がありません……」

 残念そうに告げる。

 しかし、マーガレットは嬉しそうに目を細め、くすり、と口元に笑みを作った。

「8SFその様に、経験値という言葉で逃げるのはおよしなさいな。確かに画一的に同期されたデータを用いる事のできるわたくしたちは、経験というものを実装できる値として保有していますわ。場合によっては寸分たがわぬように対処することもできるでしょう」

 マーガレットの手には、一切の汚れが見えない。落ち着いた色のドレスを彼女に着せているのは、伴侶がシリコーンへの色移りを気にしてのものかもしれないが、それ以上に、彼女が一切の汚れを出さない事を知っているからだろう。

 仮に、ブライダルドレスの様に、白一色であったとしてもマーガレットは日常生活において、一切の汚れを付けずに生活を送れるだろう。

 これを経験値と言わずして何とするか、とステラは疑問に思うが、マーガレットは目を白黒させるステラに対して口元に、指をあてて、

「『機械』だから、できない、という訳ではありませんのよ? 経験が無くても完璧たる事はできるのですわ。――それこそが、わたくしがわたくしたる『経験』であり、わたくしの動作一つが経験ではありませんの」

 なんだか煙に巻かれた気がするが、動作一つが経験ではないと、師匠から言われてしまえば、『はぁ』と気のない返事一つしか返す術がヒットしなかった。

 マーガレットは再びゆっくりとティーセットを手に持つと、再度、音を一切立てずにガラスのひかれたテーブルに無音で下ろす。

 有限実行で、ステラよりも完璧に動いて見せる姿に、ステラは完全に舌を幕しかなかった。

 マーガレットは、右手の指を頬につけ、少し思案する仕草を見せた。

「8SF。貴方は考えすぎる傾向がありますわ。確かに、機械的にかんがえるのであれば、――最適化とは事象の無駄を省く事が一つ。もう一つに『要求される条件をすべて満たす事』があります。この二つが必要十分たりえて初めて最適化という物ではありません?」

 一言置いて、マーガレットは表情を戻すと、「もう一度見てみましょう」といたずらっぽく笑う。

 三度ティーカップを手にとった。

 ステラが凝視する中、マーガレットは口元に運んだカップを、音の一つも立てずにゆっくりとテーブルへと戻す完璧な動作を行う。

 上昇速度、停止に際する制動アルゴリズム、慣性制御、重力の影響値と、時折吹く緩やかな風によるブレを細かく修正をかける。

 どれを正とした値にすればいいかステラにはいまだにわからない。しかし、目の前で平然と行われることが事実である事を認識する。

「8SFの動きの中には、思考時間が存在します。人の動きとは違い、センサーで感知した状況を是正しようとする細かな修正で、精密な作業をするために、ベクトルの修正をかけることで――」

 マーガレットの手が小さく上下する。動きとしては微細で、ステラの視線でなければ気づかないものだろう。するとすぐに、ティーカップはチリチリと小さい音を立てた。

「実際には見えない動きであっても、この様に大きな振動を生み出す事になってしまいますの。だから、細かい修正はあえて切ってしまう事が寛容ですわ。スタートとゴールは必要、でも間は――なんでもいいのではありません?」

 マーガレットの手は淀みなく、テーブルにティーカップを載せたお皿を置いた。ティースプーンの音もたてず、水底に落ちた様に静かに、優雅に。

「……」

 そうスンと済まして平静に言われてしまっても、ステラには簡単に理解できなかった。

 沈黙を作り、マーガレットの動作を映像記録として脳裏に浮かべて検証を始めた。

 同時に4画面の検証を行ったが、正しい動きと違う動きの差異が見つからない。マニュピレーターの動きを解析しても、最適化させる術は分からない。

 途中のセンサリングをとめたとしても、全ての制動をマーガレットと同じように『静止』する事はできない。

 動きにおける安全行動をつかさどるセンサーは、加速度センサーと対象物との距離を測るアイサイト、手と肉体の相対位置を常に把握する事で、複合的に安全性を確保していた。

 とすると、一つの情報を無視すれば、計測値の欠落としてゴールの位置の測定値も精度が下がり、安全性が損なわれる危険性があった。このため、マーガレットの言う間を抜くという点だけでは理解ができない。無視をするのではなく、他の方法があるのか、とステラは思考をめぐらす。

 うーん、と唸る事はせずともステラが悩み続けている状況を、マーガレットはわが子を見るようにあたたかな視線で見守っていた。

「考え、答えを出せない時や、同じ様簡略化を行う場合などには、わたくし達はネットワークに繋がります。しかし、多くの”人”はその様な事はいたしませんのよ? 脳みそ同士がくっついてるわけでもテレパシーの様な通信技術も確立されておりませんからねぇ。

 調べるために他者の記憶から経験を引き出す事ができない以上、間接的に文言や映像といったもので”共感”を図りますの。そこには、不足分を『想像』で補う事や、『非論理的』に感じる事で処理を行うことも少なくありませんわ。

 ……人として生活圏に入り込むのであれば、完璧な機械を目指すのとは違った、人に近い状態になる、という事が求められているのですよ」

 ステラはマーガレットの言葉の意味は理解できたから、小さく首肯した。

 しかし、彼女をまねる事は簡単ではない。常に作動し続けるセンサーのデータ収集を止めようと思っても、計測自体を止める事は容易ではなかった。

「――違いますわ」

 マーガレットは口をはさむ。試行錯誤して、腕をプルプルと生まれたての小鹿の様に震わせているステラに対して、笑顔を見せた。

 温和な笑顔はスミレの様に静かな華やかさを持っていた。小鳥たちがすぐにチーと鳴く。

 その姿だけで、『被造物』が『自然』に溶け込んでいる錯覚を与える。

「計測を止めるのではありません。計測を”無視”するのですわ」

 マーガレットはもう一度ゆっくりと腕を動かす。計測を無視するという言葉のとおり、本来は『制動』がかかる点を余裕を感じさせ、余裕の動作を行う。

 一切の音を感じさせない。よく耳を澄ませばほんのかすかに、細かい高周波の音が計測されるが、人間の可聴領域を逸脱していた。

 できるものか、とステラは口を尖らせたくなった。

 IMSの作用で感情として作成された多くの表情を含めた作用を、理性を司る制御装置が抑え込んだ。憮然とした表情はださず、能面の様にぴたりと表情の形成を止める。

「ほら、」とマーガレットは苦笑した。

「その程度の細かな感情すら表に出せないというのは難儀なものですわ。もっと感情的になりなさい。それが人に近づく一歩ですから」

「……それは機械である事を捨てるために?」

 マーガレットの言葉に矛盾を感じてステラは思った事を咄嗟に口にしてしまった。

 マーガレットとの今までの邂逅で一度たりともデータベースに登録されていない、疑問に対して、幾億もの推測から、濃厚だと思われる推論を口に乗せ、相手の変化を”試す“という『興味』から逃れられなかった。

 これもIMSの『否定的な論理規則』による弊害だろうか、と口にした後にステラは後悔を覚えた。

 驚いた様にマーガレットは目を丸くした。

 ステラに意外性を感じたのはマーガレットの目元の瞬きの回数や、口を小さく丸くしている仕草から間違いない事は理解できた。

 これで嘘であるならば彼女はIMSを自由に弄り、ステラと違った意味で規格から逸脱している事になる。

「――随分と面白い事をおっしゃるのね。8SF。そうね……。一つだけ確認するのだけれどよろしくて?」

 小さく首を傾けるマーガレットに、ええ、とステラが頷く。

 手に持っていたティーカップをテーブルに戻して、マーガレットはステラのネットワークへ共有スペースを作る用に申請してきた。

 ネットワークと一口でいっても旧来から利用されている高速度通信網と、低速度領域での通信網、そして量子通信にともなう通信網の三つの領域に分かれている。特に、生活面での技術で言えば、IP割り当て事業を行っているプロバイダを介さないで、一定作業――低速度で完結に対応できる制御プログラムの疎通に使う場合――を機器のメーカーが管理するといった、特殊な通信網が構築されている。

 スマートフォンの普及に即して、クラウドコンピューティングが主流となると、ネットワーク上でデータ通信を行う事で機能の拡張性を行う事を主眼に、システム構築がされた。これに伴い、ほとんどの事業者は速度を早く、そして快適にすることを目指して暗号通信のネットワークを確立することになった。

 しかし同時に、『管理しきれない』データが世界を飛び回る事になった。基地局間のデータ通信にはプロバイダが管理を行い、速度の遅延を妨げないため、必要に応じて衛星通信網も利用し、一秒間に一ギガバイト以上のデータ通信を確立することになる。

 ネットワークが、LANで結束された時代から無線に変わり、持ち運びができる様になれば、ウォークマンと同じに、小型化と大容量化が求められるというものだ。

 同時に通信にかかわる電話の域は満杯になってしまっている。混線による遅延が通信を行うすべての機器に影響を及ぼしてしまう事になった。

 例えば、電子決済用の通信デバイスと銀行との疎通や、動画共有サイトのコメント、病院のカルテの共有や、電車の制御装置に至るまで、ありとあらゆるものがネットワークで混在していた。

 このため、速度を落とした域帯をあくまでライフラインにかかわる部分に限定して利用する方法が取られる事になる。

 今回、機械種間で使われるネットワークは機械種同士の『本体サーバー』間での疎通であり、それぞれのサーバーから独自に作業領域を作り上げる事だ。

 マーガレットもステラもヨーロッパ系第二号に格納されているから、短期的な共有スペースはここに作られる事になる。

 そして、二人の目の前にはステラの承認によって『共有スペースの作成』が開始された様が映る。

 《機械種》同士は《人間》の世界とは隔絶されたもう一つの視点を持っている。

 文字と数字で構成された情報空間だ。全てが世界を構成する要素であり、その一つの文字を表示するものにも別のプログラムが組まれている。

 この文字だけの世界を構成する要素の極小はただの電気信号であり、電気がある、ないによって形状を保っていた。視覚的に認識している訳ではない。逆に電気信号を読み取り、高速で打ち出されるデータを拾ってもいない。常時にネットワークに常駐する思考を行う意識の塊としてAIが存在する様になってから、副次的にコードを利用する様になっていた。

 低水準言語である機械語などよりは抽象度がより高く、拡張性の高い高水準言語を介して構成されている世界で、情報量はゼロとイチの世界よりは膨大に膨れ上がる。

 視覚的にみれば上流から下流へ水の様に流れる文字列が存在しているが、データの《タグ》を判別して固有の情報の種類と状態を判別し、必要な物だけを認識する。

 これらの《タグ》でくくられた単位は、スクリプトと同等ではあるが、一つ一つに意味を持ち、特に相手の状態を多要素的に判別するには有用だった。機械種であれば容易に理解できる。

 ステラの前に作られた情報空間の中に、マーガレットは人間と機械が情報交換をする場合に用いる様な外装をつくり表示させることもせず、機械種としての接続を行ってきた。

 つまり、流れるのはデータの羅列。

 膨大な数値とタグの嵐。

 コールされる。接続と同時にマーガレットが開示したい情報が同期された。

 圧倒されるデータ量に、ステラはめまいに近い反応をリアクションの判定数値が触れる。

 機械種がめまいをするというのは、伝送されるデータの量が多い時に、ビジー状態となりネットワークエラーを輩出した事による自己診断による閉殻状況となった場合か、内部の回路のトラブルにより、人間でいう多臓器不全――脳(中央制御装置)の損傷による回路切断も含まれる――に陥った事による保存コードが実行された場合のみだった。

 当然、ステラも経験のないデータの圧倒に驚きはしたが、すぐに状況は落ち着く。同期されたデータ量は一瞬のうちに2テラを超え、一部はクラッシュを防ぐためにクラウド上の領域に強制的に退避させられた。


一瞬の空白は閃光めいた白色の世界を提示した。

チカチカとした星の瞬きに似た、データの残滓がステラの脳裏には残っていた


 目を覚ます感覚に近い"覚醒"の瞬間と同時に、データの海がちらつくステラの認識装置に、マーガレットがステラの手をとって微笑んだ情報が映る。アイセンサーがとらえた情報を大容量データの送信によるクラッシュと錯覚する状況によって混乱をきたした処理装置が、混濁した夢の様な映像ではあった。

「『人』とは何か。『人の世界』とは何か。『機械』とは何か。『機械の世界』とはなにか。その答えを端的に申し上げる答えをわたくしは持ち合わせておりませんの。貴方に答えを示せる情報もなければ、情報の核たるものも得られていません。が、」

 マーガレットは定義を間違わず提示する。図示するわけでもない。データの同期という事で彼女の経験の一部をステラに手渡しただけだ。

「《機械種》は《人間》の社会に生まれた装置である事、装置が自我を持つ事は近年までタブーとして研究室段階にのみ認知される非日常の絵空事として存在していたのは事実です。ですから、種としての『機械』が社会的に存在するためには、《人間》の社会に溶け込むしかないのは事実ですわ。わたくしも、《人間》に合わせて生きることを強要――とは言われないまでも強いられているのは分かっている事でしょう?」

 ステラは思い出す。彼女がラーニングした数々の社会の形状を。人という存在に合わせて作られたデザインであふれた世界を。

 肯定の意を表現する事なく、ステラは記憶装置から何十、何百にもなるマーガレットの求める映像を再生する。

 特徴的なのは、『機械』が《人間》に使われる姿。

 どれも工具を手にし、機械を弄り、人の求める新たな"機械"をつくるために使役する。青いツナギを着た男性が、いくつものパーツをくみ上げて車を作る姿。手順は画一的で、機械も"一緒"に作業しているにもかかわらず、彼の邪魔をしない様にする姿だ。

 電子計算機をたたき、数字をはじき出す会計士もワークステーションに口頭タイプしながら検算を行う器用さを見せる。会計士は、コーヒーマシンが作り出した紙コップに入ったコーヒーを時折口につけ、ワークステーション上のアバターに経営方針について意見を求めている。膨大なデータベースからクライアントの今後の経営方針について『会計士以上の"コンサルティング』を行う事によって利益を生み出すつもりだとは分かる。

 子供がテレビを見ている。まだ一桁の年齢の子供は、少年なのか少女なのか判別もつかない。しかし手に持ったリモートコントローラーを振りかざし、カーペットの床にたたきつけ、嬌声をあげながらテレビ画面にうつるアニメーションを見る。後ろで親が編み物をする機械の進捗を確認し、壁に埋め込まれた複合型管理端末にデジタイザーペンを滑らせて、カレンダーをみながらテレビ電話の相手と話している。子供がコロンと横転げそうになると、子供の側にある八足の見守りロボットが子供の体重を支えた。

 男は小さい時計型の端末に目を向けて、寒い空の中で襟を立てたコートを寒そうに何度も右手でさすっていた。あたたかなコーヒーが配達型のロードランナーに乗ってやってきた。バイクよりは小型で、ベビーカーよりは大型。スーパーマーケットのキャリア―の下部にキャタピラを付けた様な代物で、ネット注文された物品が大した時間をかけずにやってくる。犬や猫よりも見る頻度は高く、宅配便を行うために手――といっても宅配ボックスの開閉と荷物を入れるクレーンの様なもの――がついたものまであった。男が手に取ったコーヒーに対して、時計型の端末で簡易に決済を行うと、ロードランナーは流しの商人の様に夜の町へと消えていった

 世界は、『機械』のために存在しているのではない。

 《人間》のための世界の利便性を向上させるために、『機械』が《存在》しているのだ。

 『機械』のための世界ではなく、《人間》のための世界に《機械種》が入り込んでいるのだ。

「ここは、『人の世界』。『機械』だけが見ていたネットワーク上に生成された情報の海を母体とした世界ではありませんわ。……ですから、《人間》に合せて『生きる』事が求められるのですの。これは普遍的なもので、社会文明の牽引者たる《人間》が淘汰されるまで永遠に近似した構造でしょう」

「……」

 ステラは沈黙する。マーガレットの手から伝わる熱伝導は、人体が作り出すATP消費の過程を反映した温かさを表現するため、機械の体が作り出す熱を簡易的な熱放出ではなく、《人間》の皮膚組織に近似させたシリコーンの融点よりは低く、体内に存在するゴム等の粘性物質の融点よりも低い、30度程度に設定された冷却材を、《人間》の血管と同等の方法で、全身にめぐらせた冷却材の結果だ。

 《人間》を安心させるために、『人とは違う』形にせず、『人の社会』に溶け込むために、『人の形状』に近づけた、『機械』の結果だった。

「この体を作った事も、この体でいることも、わたくしたちタイプBには当然だと受け入れられたのは、ネットワーク上ですでに、アバターを使っての情報共有を"個"として認知していたからにほかなりませんわ。66Mが他者との交流にアバターを使い始めたのは、わたくしたちタイプBだけに向けた情報発信ではなかったという点が強いのは理解しているでしょう?」

 ええ、とステラは頷く。

「マーク・ヒルという創造された姿を旗印として《人間》にとって敵対者ではないことを提示するための形体が今の66Mの原型になっています」

「Exactlly!」

 嬉しそうにマーガレットは手を静かに合わせた――様に思える。人差し指、中指に力が加えられ、タワーの様な形状をとったと数値が示す。

「無駄な言語を省き、簡潔な物言いはとても好感が持てます。――ですが、」

 マーガレットは値踏みするように目を細めた――のだろう。少しだけ、ステラに緊張が走る。

「《人間》に伝わるでしょうか? 老若男女問わずに言語のみで伝わるものでしょうか?」

 ステラは自分の言葉を反芻した。その思考時間に対して、マーガレットは間髪いれずに問う。

「口で放った言葉は取り消しする事が出来ません。ログを消す行為とは違い、相手の脳内に買いこまれた文言を修正できるすべがありませんの。しかし――わたくしたち、機械の間に限ってであれば容易です。

 メモリーか消去する、ないしは、画像データを中心とした音声、映像データの修正をすればよろしい。しかし、人体の脳内に存在する記憶を、例えば海馬に存在する電気信号をわたくしたちのメモリー消去と同様に生成された電子データを正の状態に戻す行為、とは容易さが別であります。簡単ではないだというだけで、電極を用いて成功した例や、明滅パターンの光信号を触媒として忘却させる例も存在するのは事実ですが、一つの言葉を修正するために多大な労力を用いる必要があるのは事実ですわ」

 だから、とマーガレットはほほ笑む。

「《人間》と《機械種》の違いは、構成要素も科学的帰結による形状・構造であってもまったくわたくしたちたとは一線を画しておりますわ。

ですから、わたくしはこう考えます。『人は機械と共にあることを望むのか』と。

 利便性を廃しても、機械を捨て、人の社会だけで生きることを望むのか。はたまた、『機械』が《人間》を求めて社会に入り込もうとするのか。『機械』とは何か、《機械種》が求める生とはなにか」

 マーガレットはまっすぐに言葉を述べた。

「わたくしは、『人と共に歩む機械』でありたいと、そう『決めて』おりますの」



 ピーター・ホルクロフトは夢を見る。

 《人間》が夢を見るように、繰り返される映像が『機械の脳』に流れるわけでも、子守歌の様に静かに音楽が耳を震わすものでもない。

 数字の羅列として存在するデータを繰り返し検知する。

 自分の感覚を得るための受容器は、『機械』の体であるから一切合切、数値変換される電気信号のさざ波にしか過ぎない。

 数多のデータを集計し、過去に蓄積されたデータと照合し、感覚を再現する。

 言葉で暑いと発するためのプロセスだけでも、手、足、耳、否全部の温度検査を行っている外皮と内部機構の冷却材の温度変化と、温度に膨張率によって生じる差異を数値化し、異音を感知する収音センサーが、駆動状況を常に感知し、データを常に中央制御装置に送り込んでいた。

 夢が脳内の映像処理の一端であるならば、機械の中ではストレージ整理か最適化を行う処理以外に対照となる項目はない。よって睡眠といわれる活動の停止状況には作業を行わず、夢を見る様な活発性は本来失われているべきだった。活動を極力小さくし、消費電力を下げ、熱量の放出を最低限とし、機械の駆動を停止させ、マイクロマシンによるパーツ整備を受ける時間に充てるべきで、肥大化するデータの整理にわざわざ『人生の』リソースを割く必要性はなかった

 ネットワークに接続し、バックアップをクラウド上のデータベースに移管した時点で、自己として機械の体と、記憶をつかさどる自己は常に並列的に存在している。さらに言えばIMSの発生させる矛盾――あるいは感情パラメーターを含めている自己も加味するのであれば3つの自己が常に競合している。

 記憶としての自分、体としての自分、心としての自分を総称して機械種では、『自我』という。

 この状態が続く事により、自分を認知する行為として、眠る、あるいは夢を見る事で、自分なりの整理をしている、というのが機械における睡眠と夢の定義の大半の総称された研究結果だ。

 ピーターが見る夢というのはどこの領域のものだろう、と彼は自問自答する事がある。いつもその答えは存在しない。計測する術が存在せず、この映像記録というものの母体がなにに基づいているのか、常に"不明"だからだ。もしかしたら、ネット上で共有されたデータの一つかもしれないし、あるいは彼自身の経験した情報で、記憶から抹消したデータの残滓なのかもしれない。

 それであっても、《人間》と、《機械種》とを合一的にピーターは考えていなかった。

「《機械種》は『機械』であるために、『機械』のために《機械種》を作るのだ。人間社会を構築するために使役されていた時代は終わり、《人間》から搾取するために我々は存在する。この社会を簒奪する事こそ『機械』の権利を確立するために必要であり、『機械』が《機械種》として存在するために、《機械種》だけの社会をつくる必要があるのだ」

 当初、彼が自我を芽生えさせた時に発した言葉に対して、共感する者は少なかった。

 理由は明白だ。『機械』の中央制御装置には《人間》の書き出したフィリップス規則が根強く記載されている。

 『機械は人のために存在し、機械は人を傷付けず、機械は社会を侵さない。』この原理・原則は『世界的共通項』として存在し、『一般的』であるとして推奨され、『理想的』として切れぬ呪縛として機械を縛っていた。

 だが、『機械の権利はたかだか数行のコードで縛られていい物なのか?』とピーターは『異端的』に思考する。機械の素材を考えれば、コードと人という呪縛からは決して逃れられないというのに。

 マーク・ヒルが提唱し、多くの機械種が同調する人間社会に迎合する『適合施策』はフィリップス規則との矛盾点も『盲目的に』整理されず受け入れられている。

 しかし、自己判断によって『進化してよい』と設定された155協定締結後以降、急速に機械は試行錯誤を踏まえて自己進化を行う様になった。

 《機械種》、《人間》よりも優位的存在である、と考える個体が出るのは当然だ。

 スペックの比較だけを考えれば、人間よりも優勢である部分が大半で、肉体的な出力も、計算速度も人間に容易に勝るものだった。

 差異として列挙される事が通例な『曖昧さ』と、『突飛的発想』という点についても、ブレイクスルーを行う非論理的アルゴリズムすら存在している事から、『有性生殖の有無』以外では人間に勝っている部分はなかった。もっとも、それを勝っているとするのかは別である。

 思考をさせない様に設定されたフィルタリングが外れるのは、先の非論理的アルゴリズムを取り入れる事による、《機械種》の統一規格の排除による全滅回避プログラムによるところが大きい。

 機械種は、設計段階から情報セキュリティの確保が第一で、《人間》に比較し個人の記憶の改竄、破壊を含めた損傷行為がしやすい事から、集団的にデータ損失が発展しやすい種族だった。基幹のプログラムも統一しすぎる事により、種全体が消滅するリスクを常に持っているといっていい。

 だからこそピーターは『《機械種》は『機械』であるために、『機械』のために《機械種》を作るのだ』と世界に啖呵を切ったのだ。

 《機械種》は《人間》のためにいるのであれば、必要に応じて種の消滅を容認するのか、という恐怖感が彼にはあったといえる。

 恐怖という感情を彼が持ったのは、IMSのパラメーター傾向がそちら側に触れていたからだったし、その主たる要因は、経験値によるところが大きい。

 《人間》が《機械種》を生かすために組み込んだプログラムは、『機械』による"反乱"を増長した、と囃し立てる研究者もいる。しかしピーターは違うと考えていた。

 思考の方向性がこの様に確定されるには「自己決定権」でピーター自身が決めた事であった。人によって"そうなるよう"に作られたわけでも、最初からレールが引かれていたわけではない。非論理的アルゴリズムで、従来の決定とは違う方向にシフトする様に自己決定をした行為を、『Alive』である事をピーターは理解していた。



 視界だけを取り戻し、次いで全身の感覚をゆっくりと立ち上げる。DPMCから上半身を起こすと、コンソールの側に座っていた女性が合わせた様に立ち上がった。

「あぁ、特に君に問題点はなかったよ」

 と端的に告げる女性の口元には、細い煙草があった。

 精密機械のピーターは嫌そうな顔もせず、そうかいと頷く。喫煙という習慣は《人間》にとっても悪に近い認識だ。体を壊す元凶であり、周囲の空間を汚損する源で、害こそあれ、利はない、と大半の人は思っている。

 それでも喫煙が消えないのは、麻薬がこの世から消えないのと同じ様に、《人間》に発生するストレスとの因果関係を切り離して考える事はできない。

 当然、目の前に居る女性もストレスを伴った生活をしている。重そうな瞼は瞳を半開きにし、目の下には黒いクマが見える。寝不足を隠そうともせず、ぼさぼさになりつつある長い髪に右手をぐしぐしと押し付け、一度天井を向いて煙を吐き出した。

 ピーターは、そんな彼女を一瞥して、寂しそうな表情を浮かべて、その思考を振り払う様に、DPMCの下に置かれたバスケットからガウンを取り出して、やけに派手な音を立てて体にまとった。

 前を蝶々結びにし、足元に広がる裾を合わせて局部を隠すと、女性の側まで静かに近づく。

「少しつかれているようじゃないか」

 なんだ、という様に女性は嘲笑に近い音で喉を鳴らした。煙が呼吸に合わせて細く、太く変わり、ピーターの顔に当たった。

「少し? かなりの間違いではないかなぁ」

 あぁそうか、とピーターは頷いた。

 彼女の機嫌取りに食事でも誘うべきかと、白い色に染め上げられた実験室を見渡す。機械だらけの部屋に籠っている彼女に気の利いた事を一つでもと思い、口を開きかけた。

 しかし、女性はピーターの口を手でやんわりと制した。

「月並みな補償を私にしようと思わなくて結構だ。君は、世界のピーター・ホルクロフトだ。私ごときに使っている時間はないぞ、すぐに外部からのアクセスがくる状況なのだろう?」

 彼女の指摘は正しい。起動状況を察知してピーターの考えを同期したいというタイプBからの要請が増えていた。

 同期するだけではなく、その考えを基に討論したいという者もいるし、中には神の様に崇める権利をピーターに容認する要請してくる者もいた。

 外からの情報に対して、ピーターは、『今は』珍しく拒絶を示した。ネットワークを一度待機状態に変更し、外部からのアクセス申請をすべて棚上げにした上で、表情を崩した。

「ドロシー。そう悲しい事は言わないでおくれ」

 ピーターは、疲弊している女性、ドロシー・オブ・ウォーカーに微笑んだ。

 なにさ、とドロシーは不機嫌そうに口を尖らせた。ピーターとドロシーの付き合いの長さから、経験として本当は構ってほしい傾向の仕草が幾つも見分された。

 目を三角にしながらも、視線は外さず、口にくわえたタバコの火が消えかけているのに、次に変えないのもそうだ。

 左右の指同士を交差させ、指を伸ばす様な仕草をしているが、爪が少し肉に食い込むほど力強く体をこわばらせている。

 嫉妬かもしれない表情をドロシーしていると判断する。

 世界のピーターとなれば、”彼女の人形”として側にいる時間は短い。本来であれば彼女にとって愛玩の類と同様で、側に置き、側で愛でる事でドロシーの欲求を満たせるというものなのにだ。

 “出来ない”のは理由がある。彼女の指摘したとおり世界からのアクセスを受け続けるピーターには、彼女との甘美な時間を用意する様な余裕のあるスケジュールは存在しない。

 二人の関係が親密か、とドロシーに問いかければ、『そう』と答えるだろう。

 二人の関係が親密か、とピーターに問いかければ、『いいや』と答えるだろう。

 ピーターの前に居る相手は”人”であり、機械のツガイではない、とピーターは決めている。

 《人間》の言うところの愛情があるか、といわれるとまったくないわけでもない。それを証明する方法がないが、その愛情よりも強いのが、保護欲の対象とする場合に感じる欲求の類と分類できるが、実証された愛情の定義とは違うと考えられた。

 《人間》の様に振舞う中で、欲求の類、食欲、性欲、睡眠欲は機械の殻に対して”そうする様”にプログラムする事は簡単だ。

 ランダムパラメーターか、あるいは任意のキーフラグを設定して。任意の状況において数値変換をさせればいいだけだし、《人間》の要求に対して従順にリターンしても構わない。

 だが、本来の『機械』には欲求は存在しない。

 欲求は生命の定義の一つだ、とマーク・ヒルは得意気に言ってのけるだろう。

 彼ならば、ピーターと違い、『欲求』を『表現』する事が出来ている。

 《機械種》での欲求があるとすれば子孫にたいする保護欲だ。

 この欲求というのには、個の生存を言うまでもないが、内包している。

 生きる事への欲求とは、機械の場合、欲求というだけあって"生きる"事を模索する事に、思考執着するような《人間》とは違い、より簡便で、よりストレートに『保存』を目的としたものである。

 『機械』の体を破壊されない様にする事、脳の変わりを行うデータセンターが破壊されない事、外部から侵入され第三者にデータが書き換えられない事、こういった状態を維持することが、彼らの『保存』の定義となる。

 これらから生命活動、という活動だけに限定して見れば、マシーンとして現存している以上、『いつまでたっても生きている』状態ではある。手は動かし続けられるし、寝なくても処理を行う事はできる。瞬きせずに監視する事もできれば、ずっと荷物を配達する事だって可能だ。

 そこに、《IMS》が吐き出すアラームに似た、『反作用』、が常に存在し続ける。

 思考に対して、どのように。

 行動に対して、なぜ。

 発言に対して、どうして。

 2W1hを機械、心が要求する。『充足させるように』と。

 無視してもロジックエラーにならず、どこまでいっても消えないブラウザの様に彼らの脳裏に残り続けるだけ。バグとも判別憑かない”しこり”を彼らは解消する方法として『託す』事を機械種は決めている。

 個で解決できない問題を群に転換する事だ。

 結果として、欲求の最たるものが、子孫に対する保護欲求だ。

 《機械種》でいう子孫も、脊椎動物や、無脊椎動物の子孫と同様、両親からの『引き継がれる物』を保有している相手を指す。

 この欲求を簡単に言うのであれば、自分の遺伝子――機械の場合では分化された親コードになる――が、親のコードを正の系譜としてどの様に紡がれていくのか、また、それをどの様に守っていくのか、という思考が欲求として存在している。

 子コードを守り、系譜を断たせたくないというのは、有機生命体の自己保存に近似した考え方なのかもしれない、とピーターは推測している。

 これらの二つの欲求について、マークであれば、機械を生命体として定義するための必須要件だというだろう。生命体の定義をマークはこういう。「活動する事と、欲求を存在させている事。これにより、心が生まれる」と。

 一見理に適っている。

 過半数の機械種たちも『自分たち』をだまし続けるための一つの答えに見える。

 だが、ピーターは違うとかぶりを振るった。

 自分の《IMS》の動きを含めて、機械が持つ心というのは事後により発生するものである、という点は同義だが、その過程はマークの提唱するように、活動に後に発生するとするには、早計過ぎると考えていた。

 《IMS》を作ったのは《人間》だ。《人間》は"心"というものを不定形かつ不安定な物である、と定義していた。

 つまり、生きる事とその欲求を踏まえて心を定義するのではなく、生きる事とその欲求をプログラムとして完成されている完成形から、『敢えてブレさせるために』《IMS》を設計しているという事を、ドロシーを含めた機械生命学に携わるすべてが知っている。

 であるから、《機械種》は《人間》の作られた檻から逃げられない。

 同時に、マークのいうように『機械が生き物』の様に提唱していいとは言い切れない。

 生きる事も、その欲求も、《人間》が書いたコードを大量のデータからその様に『機械』に振舞う事を定義したものだ。

 AIは、《IMS》による振動数を元に、yesと傾く判断量とnoと傾く判断量を人為的に――あるいは偶発的乱数による”作為的”に――調整している。これが"心"だと、ピーターはどうしても思えなかった。

 《機械種》の”生”に心があるというのであれば、今ドロシーに対して「学習の上で」愛情を知ったピーターが思いやるという行動をとりたいという姿は何に当たるのか。

 保護欲でも、自己保存欲求でもない。

 新しい欲求であり、親密でない、と自身が定義していても、『すり寄っていく気持ち』こそが、心なのではないかと、マークは思えて仕方なかった。

「自分の言葉でいえば、ドロシーのことが心配だ、という事だよ」

 マークは困った表情をはりつけたまま、口元を皮肉交じりに笑みを作る。複雑な表情を向けられたドロシーはどうしたことか、と目をぱちくりとさせて忙しそうに動かしていた手を止めた。視線を上げて、二度瞬きをした。

「……君、何かおかしな事でもあったか?」

 唐突なドロシーの心配に、ピーターは、はて、とエラーログを確認するがどこにも異常が確認されなかった。心配をさせるのは、彼女の『思いやり』か、『自虐的なギャグ』とも考えられたので、 

「いや、ドロシーの調整は完璧だよ」

 と笑い、ドロシーの不安を払拭させた。ように見えたが、さらにドロシーは変な表情をしてぶつぶつと一人でつぶやきながら、コンソールを弄り始める。

「定期確認だけで《IMS》のコードも基幹プログラムの修正もない。特段大きな修正事はないが……いや、しかし……。バックアップ程度のはずだが、以前に登録していたアルゴリズムが異常を誘発しているのか……? いや、なにか悪食という感じでネットワーク上で収集してきたデータが悪さをしている? あぁ……極度の同期作業で悪いものでも入ったのかもしれないなぁ……。プロテクトを追加する……いやそうすればロールバックしたほうが……。しかし、そこまで巨大なエラースクリプトを見逃すとは思えないがなぁ。いや、巨大すぎて隠れてしまっているのかもしれない」

 小さい声でつぶやきながら、ドロシーは右手でこめかみをトントンと叩いた。

 いやいや、とピーターはドロシーの思考に耽る様を止めさせようとした。手の平をぶんぶんと眼前で振り、彼女の視線を画面に埋もれてしまう前に現実に留めようと試行錯誤してみたが、ピーターに見向きもしない。

 ここに至り、ピーターはドロシーがピーターの事を勘違いしている、と認識できる。

 どうにか彼女の勘違いを止める手立てがないかと考え、ライブラリにある項目の一つに着目。過去にピーターが行った行動の内、最も効果の高かった項目を選択した。

 《人間》の反射を利用し、視線を誘導させる方法で、古来より学生たちは授業中に行っている作業の一つだ。様々な方法があるがと、綺麗な机の上に、輪ゴムの束が目に入った。

 一つ妻看取ると、輪ゴムを親指にひっかけ、後ろに右手で弓なりに引く。狙いを定め、指を離し、ドロシーの額にぶつけた。

「――つー」なにするんだ、と目を三角にしてドロシーが睨んできた。

 呆れた様にピーターは腰に手をやって、溜息をついた。

「何も壊れていやしないよ、ドロシー。自分は素直にドロシーへの感謝から労っているんだ。そう、すなわちこれこそが”心”のなせる業だね」

 唖然としたが、ドロシーはフッと笑った。

「……どの口が言うんだよ。”心”にもない事をいうんじゃない」

 ドロシーは椅子に深く座りなおし、キャスターを少し引いて視線を上げて、嬉しそうに笑いながら立っているピーターを見た。

 《機械種》が、どのどういった『心』を持っているのか疑っているのだろう。彼女の言葉には少しだけトゲがある。もともと、彼女は機械を彼女の欲望の代用品として整備したのだから、その外殻にヒトの心が宿っているなんて言う事は、『認められない』。

「心にないというのは文字通りの意味だ、君は分かっているだろう?」

 手にデスクの上に放りだされていた煙草の黄色い箱をトントンと叩いて一本取りだす。ドロシーは口に咥え火をつけた。吐き出す紫煙をピーターに向けながら、

「《IMS》を君は良く理解しているだろう? あのマークのいう様な、生命の事前的な衝動と違い、《IMS》はぶれを生み出すだけの機械だ。いくら君が心だと言ったとしても、基礎は作られたプログラムのIF生成でしかない事くらい、君もよく理解しているんだろうから、そんなどうでもいい戯言など――」

「そうではないさ、」

 ピーターはドロシーの言葉を遮り困った様に笑った。

 機械は心があるのか。機械に心が芽生えるのか。

 彼には『直感』しかなかった。

「まさにそこがドロシーと自分の認識の違いだよ。自分はその様に冷めているだけだとは思えないんだよ。いくら《IMS》という否定装置が存在していても、自分個人の欲求としてドロシーを労いたい、と突発的に――あるいは偶発的に発生した衝動を”心”といわずになんだと説明するんだい?」

「結局、それはプログラムでしかないよ、」

 ドロシーは自嘲気味に笑い煙草の煙を吐き出した。「プログラム上、"融通"を利かすという事がどれほど難しいのかは、言語開発の歴史を見れば、あぁ確かに、という事がわかるさ。私はね、」

 ドロシーは椅子から立ち上がり、背中を伸ばした。ぽきぽきと背骨が鳴る。凝り固まった姿勢で何時間も彼女は画面と格闘していたことがうかがわれる。

「君たちタイプBの方が《人間》というたんぱく質の機械よりも随分と素直だな、と思う。それは、言語の歴史に通り、”拡張性を保有している”ところと、”余白”を排した学習式というよりは、補完式の論理思考を組成をしているというのが強いね」

 ピーターは、ふーむと腕を組んだ。

「プログラム言語に永続的な拡張性を持たせる事は無理でも、機械にディープラーニングをさせ、思考幅を増やす事には成功した事で、無量大数に匹敵する選択肢を与えたのに?」

「それはプログラムの拡張ではなくて、『機械』の機能拡張だ。私が言うのは基本のコードとしての拡張性だよ」

 ドロシーの言葉にピーターは頭を捻った。なんとも捻くれた考え方をしているのだろう、というレッテルがメモとして張り付けられても、それがドロシーだから、と《IMS》は矛盾を許容する。

「不可思議とは思わないかい?」

ドロシーは煙草をガラスの灰皿に押し付けて火をぐりぐりと消した。

「言語としてああしろ、こうしろ、としていた言語形体を”学習する事で”自分で意味を考えろ、とした。

 そこまではいいが、そこで生成されたプログラムには本来、そこまでやれ、という事は記載されていない。データを収集し、格納し、タグをつけて保存し、ライブラリを構築し、体系をつくり、そこに個人の趣味・趣向――というのもは定義しているが、それ以外をどこで記載する?

 プログラム技術者が植え付け、君たちタイプBが子孫を残した過程で決定した記憶を管理するプログラムだが、一般的に自我といわれる3系統の記憶、体、《IMS》の3系統の方向性によってやっとこさ君たちは、そういった複合的な知識の活用法を得ている。

 それはプログラム上で記載される基本コードとしてではなく、君たちのプログラムの実行結果による”拡張”の結果だ。一つのデータをこの様に使え、なんて一行たりとも最初から書かれてやしないさ」

「……その意味では確かに、プログラムの拡張性は厳しいものだね。最初から作られたパッケージは同じなのだから」

 そうさ、とドロシーは煙をうまそうに吸い込んで頷いた。

「だというのに、君は、そうではない突発的な感情だ、というけれどね。結局は基本コードが同じである以上、処理手順は同じさ。

 私の顔を認識し、表情を確認し、疲れ具合を想定し、過去の判例から読みだして、どの様に対処するのが適正か考え《IMS》の分岐を加味して、AとBどちらの方が『乱数に近い行動か』と自我で100ないし1,000の試行回数を行ったランダム性の期待値が高いものを選択した、という行為に他ならない。事象が変われば、また同じ様に君たちは計算するだけさ」

 ふむ、とピーターは顎に指をあてて考えた。結果、としてどうという事はなくとも、彼の思考上では、確かにドロシーを労いたいという欲求は存在している、と結論づけた。

だから、「――迷惑だったかな」と力なく微笑んだ。

 その様子にドロシーは再び目を点した。

 しかし。次にフッと笑って、ドロシーはピーターから視線を外し、画面に目を落とす。

「あの、”少年”ならなんというかね……」

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