< 9/29 《拒絶》の日>
23時40分。
ライブが始まる。
明日も仕事だったり、学校だったり。
誰もが『今日』だけを生きてはいない。
が、新宿駅の『前』だけは『今』を生きている。
煌々と照明が指す先は、急遽くみ上げられた鉄パイプ製の簡素なステージ。
学生の一団が占拠して行った『今』の出来事。
燃えるように、『今』だけを照らし上げる世界を、人は『青春』という。
〇
「随分と手が込んだね」
うれしそうに《老人》は言う。
「やっと顔を出したわけだ。インターネット老人会の代表」
皮肉を言う押領司は地面に腰を下ろしながら、投影された映像を見る。
ジョージの事なんどどうでもいいと思っている様だ。
「外のどんちゃん騒ぎは、どういう了見だ? そんなもので私が――」
「たかがゲリラライブに、《老人》が臆病さを隠さずに戦争に来たての新平みたいな悲痛な顔をして騒ぐなよ。こんな些細な事で俺が、勝ち誇った表情を浮かべても、”問題”は解決しないだろう?」
「……」
しかたない、と押領司はタブレット端末の一つを滑らしてジョージの足元へ放る。
「俺に、一度『侵入』しようとそっちのツールを使わせて、『彼女』に実行させたのはまずいね。
手足を奪った『彼女』を見つけ出す事ができないとでも思った?
――ハハッ、言っておくけどそれライブじゃないから、探知しても無駄なんで?」
画面には一人の少女が映る。随分と痩せこけているが、ジョージが知らないわけがなかった。
クレア・カートライトは保護されたという事実が映っている。
内閣から要請を受けた公安は彼女を保護し、現在はアメリカ大使館と折衝をしているらしい。
しかし、そのことまでジョージに開示してやる義理はない。
「なぁ、」
押領司は笑う。
地獄に行く覚悟をもって、押領司は手元のスイッチを押す。
「今、見えているのは『どちら』か分かるか?」
〇
つまりさ、とドロシーは煙草の煙を天井に向けて、チャーリーの嫌そうな顔に苦笑いを浮かべた。
「少年は、この世界を内包したもう一つの世界を作り上げたという事だ。理論的には”二つの観点”から彼は一定の『枠組み』を作っていたが、最後のパーツをどちらにするかは決めかねていたようだがね」
「量子化に伴う自己の『加速』は電子的に意識的のみのタイムトラベルとプラス方向のみで可能である、というのが論文としても決定づけられ、マイナス値にするには加速とは別のベクトルが必要、と考えられている。
減速のいきつく先が停止、停止状態が0だとするならば、マイナスはエントロピーとしては結局プラスに転じてしまう。
別のところにエントロピーが流れているだけだったとしても、『世界』としてマイナスにできていないため、理論的に『違う』と証明されてしまった訳だからねぇ」
「だから、少年は自己が『加速』したのではない事を理解したのだろう。妹の起きた状況と、その状況をみた友人から第二の状態の論理的不一致によって、――すなわち『世界』の軸がずれたと」
分かりづらいけれどね、とチャーリーは苦笑いする。
「同一空間内の”感覚情報”の改竄は、『居る』を『居ない』にせしめたわけだ。存在を0にする行為を《老人》は逃げるために好んでいるが、その技術のある種到達点はそこだ。
押領司・静流の肉体に存在していたナノマシンによる第二神経系は、ネットワークと『リンク』し、ネットワーク上にいるが、現実社会に『居ない』矛盾を生成し、余剰エネルギーを視界上の光点として、赤嶺という証言者に植え付ける」
この情報は、とドロシーは天井を見上げながら名刺サイズのディスプレイをチャーリーに投げ渡しながら渋い表情に変わる。
「あろうことか、『ヤツ』から来たわけだね」
「……あぁ」
納得しない気分を露骨にだすドロシーの口調に、小さくチャーリーはため息をつく。
「自分も、相応の対価をアレには必要だと思う訳だねぇ」
「そもそも、」
ドロシーは口の橋に煙草をくわえ反対の口の橋から天井に向けて煙を吐き出す。
「この状況を造ろうとしたのは、あの『くそったれ』の所為だというのは間違いないよ。誰もが、過去に共に生を得た相手に、少なからずの感情を抱く事はある」
皮肉る様に、チャーリーは、
「だからピーターを引き取って『植え付けた』んだろう?」
「……それは違いない。その時に手順が違うのかもしれないが……。それでも私の愛する相手の偶像としては今なお、存在してくれているからね。――だが、あの『くそったれ』は、世界中に『死者』を存在させようとしている訳だ。これは大きな違いだと思うがなぁ」
チャーリーは、小さく頷く。
感情の坩堝が堰を切れば、ドロシーの本当の内に思っている、苦々しい気持ちというのは抑えが利かない事も、チャーリーは理解している。
愛する者が死に、『機械にすれば助けられる』という悪魔のささやきを一瞬でも信じた『自分』に対してと、囁いた悪魔に対する憎悪は計り知れない。
「……自分もそこは同意しよう。君に対しての同情も感じよう。結果として、多くの死者を生んでしまった基盤を作った事の非難はあるけれどね」
「……」
右手でタバコを口から引っこ抜き、半分にした視線から睨む様にチャーリーに視線を向けた。ドロシーはそのまま手近な灰皿にぐりぐりとタバコを押し付けて火を消した。
すぐに新しいタバコを一本咥えると、チャーリーの視線など一切気にせず火をつける。
「同じ科学者として、自分は君を非難する。
しかし……、断罪する気はないね。君が警察組織に対して『知らなかった』と言えば証拠不十分で君は言い逃れる事もできるさ。
高度の暗号化されたピーターの内部情報を完全に把握し、司法の場で開示することは、《機械種》にとって人権侵害と同等になる訳だし、――仮に可能であれば、《人間》の脳みそを抽出して法廷でつまびらかにしなければならない。――解析して死のうが何しようが、正義をなす、という法律ができない限り無理だろうからね」
「分かってて口にする君は嫌いだね」
チャーリーは、「お互い様だよ」と言うと、すん、と鼻を鳴らした。
「技術的にタイムマシンというのができないことを知った時点で、《人間》は『別』の世界を作った方が『過去』と『現代』と『未来』を繋げる一つのツールになると分かっていたのだろうね。
だからこそ、『仮想現実』という空間を発展させて《人間》よりも複雑なネットワーク機構をネットワーク自体に『自我』を持たせて形成させて、運用させたわけだ。
結果としてできた、タイプBたちのネットワークは、『記録』も『現状分析』も『予測』も内包した……それこそ『アカシックレコード』に到達したと言ってもいいさ。
あぁ、だからこそ《人間》は最大の知識を手に入れて、死者蘇生をそちらで企てているわけだけれどもね。
そう考えると、衝動の起点となる”彼”と相手にはどういう因果が存在したのだろうね」
はっ、と鼻で笑ってドロシーは煙をチャーリーに吹き付けた。
「分かってて言ってるんだろう? 性根わるよなぁ、イギリス人は。皮肉屋である以上にブラックユーモアという美徳観念が本当にすっきりしないやつだよ。
少年はそのあたりも織り込み済みで進行するだろうが、まぁ、今回は君の用意した赦免状分くらいはきっちり働いてやるが……」
ドロシーは口をとがらせる。
しかしチャーリーは面白がった。目を細めて意地悪い笑みを浮かべて、
「そんなに邪見にしなくてもいいだろう。ねぇ、”先輩”」
一瞬何を言っているか分からなかったドロシーだったが、すぐに目に険を宿した。
「……はー、ふざけんなよ。同じ大学だったからって、私の方がぴちぴちだし?」
「――ピチピチ……死語だよそれ」
「……」
ドロシーは食ってかかる勢いだったが、すぐさま溜息を一つ。肩を落とした。
「もう、あいつの面影を追って15年もたっちまったよ。――すべての思い出をそこに居れたっていうのに、『模倣』する機械は、『彼』にはならなかった、……んだよなぁ」
「そういうものさ」
チャーリーは目を伏せて両手を小さく天に向ける。
「思い通りにならない、からこそ面白い。自分は、理想の女性を作るつもりはなかったが、『勝手に』そう演じるようになってしまった。――正直、毎日心がざわついてしまっている」
「……おい変態、人形に欲情するだけじゃなくて、本気になっているのか? 度し難いな」
「何をいう。変態であるのは君だろう? 自分は彼女に一度も手を出していないぞ」
「……え、……それって逆にやべぇんじゃ……?」
「え?」
だって、とドロシー信じられないというように口元を隠した。
「不能じゃねぇか……」
「……」
気まずそうに咳ばらいを一つ。
「とにかく、隠匿という手続きは、余剰エネルギーと周辺から干渉を最大限にかつ際限なく演算を行った場合、量子コンピューターで想定しうるすべての選択肢を排除するという荒業になったわけで、当時の老人の外部処理装置でも焼付を起こすほどだったのは事実だ。
今回、おそらく――彼は、それ以上の処理負荷を行う事を想定しているだろうから、一人の処理装置では足りないと判断している。
そこで、」
「……話をすり替えるなよ。――まぁいい、こっちの手伝いと、そっちの手伝い、それに少年の友人たちの並列処理を同期させて、一つの処理機構として利用する事になる。
このため、人をある程度集める必要があったわけだが……気づかないうちに外部装置を勝手に利用されてるとは思わないね。たかがライブに来ているだけだというに」
くくく、と喉を鳴らすドロシー。
「目標人数は80人だったけれど、現在で……200名か。いい滑り出しだねぇ。彼の友人の歌というのもこういう手伝いになるのだから、やはり、交友関係は必要だ」
うんうん、と頷くチャーリーに、ふと思い出した様にドロシーは尋ねる。
「そっちの手伝いはお前の”相棒”だとして、……あの機械の総意はどうした?」
〇
空間中に占めていた電気のすべてが落ちる。
光点一つも残らぬ闇の中で、一瞬ジョージは焦る。感覚器官のシャットダウンは彼にとって致命傷になるからだ。常時二十から、三十の処理をめぐらし、網目状に作られたカメラを交わすために演算を多重展開している。
プログラムの挙動だけをモニターすると、どのプログラムも処理は正常に行われており、スタックやアボートしている状況は見られない。この上、外部からの影響を監視するすべてのシグナルがグリーンだった。
――視界を奪う方法は物理的な演出か?
しかし、それでは空気を、外気を、嗅覚を、聴覚を、張り付く大気の水分一つに至る状況をモニターしている情報が停止している事が理解できない。
二軸展開。
正常となっている状況を保持したまま、内部で分化させた『自我』を強制的に再起動する。仮想環境でプログラムを再起動し、その動作を確認するための研究室的措置を”真性”のストレージ上で展開する。
自己の観測している状況が仮想現実か、現実か、虚飾された現実か、それを判断するための措置としてタイムラグなく個人の存在を”再構築”する。
ステータスバーが80%を迎えた時、外部干渉が発生している事に気づく。
それは些細な影響だろう。普通のプログラマーなら探知できない様な、あるいはホワイトハッカーであれば見落とす様な『型破り』な攻撃。
――ネットワーク遮断ではなく、隔離と来るか。あぁ、そうなれば確かにそうだ。確実に私を封じ込める事ができるだろう。
と同時にジョージは推理する。
――展開されているプログラム範囲からあまり広域をカバーすることはできない。人間一人の演算距離が概ね5メートル程度の空間であろうから、仮に20人いたところで100メートル。
手、足の動作を確認する。
パラメーター上では一切の問題は見いだせない。
自己の複製した演算を終了させ、今度は内部に存在しているジャイロ計を基にした力の計測をする。
垂直、水平、前、後に急激な動静。
加速度表記と地面の反撥状況を計測すると、地面との感圧状況はフラットとなるが、加速度表記と水平維持にかかわる補正機能は正しく動いている。
概ね1100メートルの空間を覆うプログラム群を突破し、そこのパラメータの”覆い”に物理的に突破することを試みる。
加速。
到底《人間》の動きでは出せないほどの急激な速度は、時速40キロを『最初』から発生させる。
脚部のアクチュエーターが良い音を立てているのを確認するが、それでもまだ十分に余力がある状況だ。
結果。
視界は変わらない。
視界だけではない。すべてのパラメーターがフラットのままだ。
ネットワーク診断を平行してい行っているが、埒が明かない。おそらく穴を見つけるよりも早く相手がふさいでいるのだろう。
防壁を最終領域から”内側”に増加させる。
ネットワーク遮断を行う事は可能であると判断し、強制的に外部通信を停止させる。
「……止まらない?」
なぜ、と頭で思う次には、物理的に破壊することとした。
物理的といっても砕くわけにもいかない。スイッチで制御はおこなっているわけでもないから、目覚まし時計の様にスイッチを押せばいいという訳でもない。しかし、プログラム上、コネクターカバーが外れた場合は、自己保存を優先するプログラムが組まれているから、現況維持を最優先し、接続が強制的は止まることを知っている。
苦い思いで通信ケーブルを集約してうる頸部の小さいカバーを緩める。
ブラックスクリーンにグリーンの文字で危険を知らせる文字が脳内いっぱいに広がるが、無視。
次いで再度カバーを押し込めれば、外部通信がリセットされる。
「……?」
しかし、されない。
……これは……。
〇
「《老人》からの攻撃を探知。
こちらの常時展開している防御プログラムだけでは演算速度の差から封じ込めが難しく、一部防壁に侵食が発生。予想よりも早いと判断いたします。
現在こちらの対処防御を自動に切り替え、攻撃手段の確認と解析を優先します。バックアップは――」
マーガレットは少し焦りを浮かべていた。
彼女の展開する空中スクリーンには、コメントを付したいくつもの共有掲示板が表示されている。
今この場にいる、三人以外にも新宿駅旧ローターリー前でライブを行っている赤嶺達とも共有されているらしく、多くの返信が瞬時に反映される。
中には応援の言葉すら張り出さられている。
「――やってる。予想よりも120秒ほど早い。中間層にネットワークを補完する疑似ラインを確認。外部疎通を遮断できない事を逆手に、第一防御群へ継続的な攻撃を仕掛けている
防壁の構造上、第9次まで存在するが、一つ抜かれると、論理的にはその9倍の時間で手詰まりとなるため、猶予は――それほど無いとみていい」
あぁ、と押領司は額に汗を浮かべてピーターの声に頷く。
汗の原因は《機械種》二人の排熱が熱いというのもあるが、それ以上に彼の”予測“の先の手を防ぐ事で手一杯であった焦りも原因だろう。
――さすがは『人類代表』の駒なだけあるね。
余裕は無くても、余裕を醸し出さなければならない。特に、――見られている状況では、それも戦略の一つだ。
押領司は汗を浮かべつつも笑って見せる。
「攻撃プログラムの断片の判別から、『ASAHI』製品特有のアルゴリズムを検知。間――違いありません。最新の防御プログラムのカウンタープログラムです。――実装されているのは」
「第八世代――理論上の産物で、ステラ・フラートンの二世代後になる予定ですね。あぁ……この体も第五世代の試作機ですから……処理が遅れています」
マーガレットは忌々しいと言わんばかりに、口をとがらせる。
隣で、「しかし、」とピーターは補正作業を行い続ける。
「現行予測だと最終防御――第9防衛を突破されるのは2時間はかかる。この状況が続いてくれれば、――と思うが。
先ほどの攻撃が指数関数的に手数を増やすことを考えると、二時間はおそらく、20分程度と予測するのが正しいだろうか」
さすがだなぁ、と押領司は笑みを浮かべる。
「――20分でも膠着が、まず必要な条件だ。その上で、ひり付いた『人類代表』が出てこなければ、こっちの負け。
隠遁を決め込まれると正直20分では無理だろうからなぁ。
釣り餌として《老人》一つでは弱すぎるね。だから」
押領司は、ベットを追加するための手を打つ。
二重に展開された攻撃用のフォームから、特定のアドレスを指定。
「ASAHI者の中枢サーバーへの戦略的クラッキングを同時に敢行する。
ピーターが先行。こっちがマーガレットの補助につくから存分にやっていい。俺がやっている処理は――保護した……いいや、『ハルカ』に任せよう」
ピーターが了解と言葉を述べる代わりに、防御補正を押領司に渡す。
いくら押領司がネットワーク上で操作できる、といってももともと使っていたのは演算速度が桁違いの《機械種》だ。《人間》では強烈なデータの波に飲まれ、制御すらままならないほどだろう。
しかし、押領司は必至に一秒間に20ページ以上の画面がスクロールする中で、対処を始めた。
ピーターは押領司の作業を一瞬だけ確認すると、攻撃への対処へ演算処理を全振りする。
攻撃プログラムはネットワーク上に滞留されていた、一時保管サーバーから信号をキャッチした瞬間に、インドに設置されたASAHI社のデータセンターへ『強制的』なアクセスを開始。
共有させる画像では、六重の輪で表示されるサーバーのプロテクトが、神社の鳥居を思わせるほどに強固に、『こちら』と『あちら』を隔てている。
幽世と現世を表す様に見えるが、それでも押領司は、『防御処理』を行いながら、『攻撃』へ参加する。
散開し、防御壁へ突撃していくプログラム達は、そのほとんどが光の粒となって即時に消失する。
「第一次の攻撃の二十パーセントが消滅。やはり、もともとプロテクトを『売り物』にしている総合企業であるだけあって最新式ほど駆除される」
「とはえい、最近の流行りだけが全てではない。――そうだろう?」
押領司は、ピーターの言葉に頷き、旧式のARF-ARF型を端末から呼び出す。
通常のプログラムは処理速度を上げ、より早くセキュリティホールを探知させる『探査性』と、より強固にセキュリティホールを確保する『防御性』と、通信情報の秘匿を担保するための『隠密性』をバランスよく上げる必要がある。
旧式になれば、演算速度が人間基準になる事もあり、60hz程度の演算規模が基本だった。
しかしARF-ARF型は一般的にコンピュータ―というのが普及する時点で存在し、『最初から』作られたコンピューターウィルスの原点だ。
通称、トロイの木馬と言われるIBMパソコンを対象にしたARF-ARFには二重構成になっている仕掛けが存在している。
通常の挙動では、周囲のプログラムと同様に『有用』であるとふるまいを行う。特に、ファイルアクセスを行う際に顕著で、ストレージの空を確保するためのソートを自動化させるプログラムに成りすます。現在ではストレージが肥大化し、ほぼ意味を持たないため逆に誰も気にしないプログラムとなる。
トロイの木馬であるから、バックドアを作成することや、収集したデータを勝手に消す事も可能で、それは最初にコンパイルする際に決めておけばよい。
――埋め込めればねぇ。
「やっぱりだ。融和率が45%を超える。古すぎて感知していないね。
このまま防壁に紛れ込ませてセキュリティサーバーを乗っ取れれれば、いけそうだなぁ。
よし、――ネットワーク確保がされた段階で、二次防壁が展開されるから、そちらからの侵食を作成されたバックドアを防御する形で再形成させてもらえる?」
ピーターが、最新式のプログラムで言うところの、『防御』と『隠密』を担当することになるため、処理の規模はかなり大きい。
《人間》には大仕事であっても、彼は一切表情のブレはなく涼しい顔だ。
「旧式のコードで書かれているとはいえ、文字記載であるから非常にプログラムが『肥大化』している。もっとスリム化して簡潔にするほうが美しい……」
「……コードみて難癖付けるのやめてもらっていいですか? 特に、マーガレットさんはいいとしてもピーターが言うと人の日記見られている気がして気持ち悪い」
「……心外だ。美の相違だけだというのに」
「わたくしたち《機械種》からすれば、肥大化したプログラムは非効率という図式になりますものね。《人間》でいう、整理整頓したくなる、というのと変わりませんわ」
押領司は、マーガレットの弁に苦笑する。
「融和完了。あぁ、ネットワークに30点近くホールがあるじゃない。2個だけで確立するから残りは後で必要なら使うか。――準備いい?」
「構わない」
押領司はセキュリティーサーバーを乗っとるための遠隔プログラムを起動する。
探査状態のプログラムが活性化し、外部と無理やりイントラネットをつなぐネットワークの侵入経路の2つを即時に構築して見せる。
瞬時、第一防御プログラムが非活性し、二次防御に移行が確認される。
「演算が切り替わった。モニターしてなくてもあまりにも如実だなぁ。これ、相手の演算装置は結構弱いぞ」
「違いますわよ。攻撃に、特化しているといってもいいですわ。こちらの……処理が追い付かなく……」
「大丈夫、本体だけ保持しておいて、ライブ会場は――どうにかなるから」
「どうにかって……」
難しい表情をするマーガレット。しかし、押領司を信じて防御を重点化させていく。
押領司から時折差し出されるネットワーク上のプレゼント――別のアルゴリズムで構成されたアプレットを展開しながら、戦術的に防御の弱くなっているところの攻撃を駆逐していく。
この時でも押領司は『攻撃』も行っている。
「二次防御が邪魔すぎる。くっそかてぇ!」
「しかたあるまい。それに――コード内容が変わった。《老人》から、『本体』がでたぞ」
してやったり、と押領司は笑う。
が、喚起の言葉はまだ先だ。設定された条件のまだ前段。
最後まで押領司は気を抜くことはない。
「ピーター。――展開。最初からの織り込み済みだ。『恨み持ちのお兄さん』に情報提供よろしく」
「……《人間》の表現がユニークすぎて、時折理解ができない。――これがアボートか……」
「止まってんなポンコツ。さっさとやれ!」
「まって、――『本体』が……あ、こちらに」
マーガレットが状況の変化を電掲にアップする。
あわてて、押領司がステータス画面を確認。
マーガレットが扱っている防御のうち、三次防壁まで突破されている箇所がある。
ライブ会場のネットワーク群に侵食が確認。バックアップ機構を排除して、こちらのリソースを食いつぶす気だという狙いはよく分かる。
「――こうなると、今からこっちが『本体』に手をだしても間に合わないね。――星越と彼女を信じるとしようか。
なーに、木津さんの話が本当なら……《老人》に埋め込まれたバックドアをつかってくれるさ」
〇
たかが、学生が開催したゲリラライブでしかない。
廃墟になる場所を利用した事もあり、警察は一応放置している。この場所に居るのはせいぜい三百人程度。
大規模な規制を行うには多すぎて、機動隊を呼び出して暴徒扱いにして、排除させるには人数が少ない。
集会か、といわれれば、そうだといわれて終わる程度。
中心で演奏する赤嶺のバンド『T‐Solder』はビジュアル系バンドではあるが、実力は高い方だ。とはいえ未だインディーズである事や、あくまでも学業の合間に行っている事もあり、認知度は低い。
それでも、この人数が集まったのは一つだけカンフル剤が存在していたからではある。
今、そのカンフル剤は、ネット上でのライブ配信も相まって聴衆の人数を増やしていた。
オンラインで見ている人数は1万人を超えている。
ミナミノ・ハルカ。
日本で一番有名な女優かもしれない。というのも、そもそも日本のテレビシーンにはほとんど出演してていないにもかかわらず、人気を博している。
日本の女優ではない、とする言葉もあるほどだが、その美貌は間違いない。
台湾映画のアクション系女優として、映画に初登場した彼女は、次いでボリウッド映画で人気に拍車がかかる事になる。
もともと運動神経のいい、アクションの絵面向きで、きっちりとした女性的なプロポーションも備えたアジア系の新進気鋭であった。
かわいい顔して大男を張り倒す、というギャップが欧米人に比べ身長の低い彼女の印象付けには一役買っていた。
ボリウッドでの細身の体から繰り出されるインド映画特有の妖艶なダンスに、さらなるギャップを追加することとなった。
幅広い役をこなせる事から、多くの海外ドラマに参加していた。
歌手としても才覚を持ち、海外ドラマでは自らの歌唱を引っ提げて1クールだけのキャラクターから、レギュラー扱いの人気までにのし上がるほどだ。
『――ハールーカー!』
追っかけの掛け声はきまって彼女のファーストネームのコール。
手を振り配信につくコメントに彼女は応えて見せる。
赤嶺はさすがだ、と思いながらも彼女のリードボーカルに合わせて弦を弾く。
赤嶺がバンドマンという事で、ロック中心の演奏が普段は多いとはいえ、世代の『代表的』な流行の曲をまったく聞いていない訳ではない。
必要があれば、コピーする事もできる技量はあるし、そこから新しい演奏方法を獲得する事もある。だからこそ、ハルカに提示された曲の全部をカバーできる。
完全なライブセッティングともなれば、コンタクト型のディスプレイにカンペを出したりすることもできるが、今の彼らの場合それは一切行わない。
ライブというのが客との一体化である、と考えるために配信している情報に合わせて『双方向』のライブ配信が可能である。
一員としてそこに溶け込む事ができるし、顔を出したくなければアバターを使っている仮想現実の客を各超現実上に配置する事もできる。
一人、一人に個別のスペースが割り当てられ、ライブの座席と変わらない状況となる。
一万ともなれば、彼らを中心にした映像を20台のカメラで常時同期させることが必要になるが、それらを可能にするのが、その場にいるスタッフと、来客者だ。
現実に足を運んでくれる客は、同じアプリケーションでライブを共有する。
ネットワークと、現実を一体化させるために、ライブ会場に設置された主催者側のカメラと自身が独自に持ち込んだデータをリンクさせることで、『全部』の映像を取得する権利を得られる。
後で見返したい時に別のアングルからも見る事ができるし、自分で思い思いに撮った情報を閲覧することもできる。それらを集中的に管理するアプリケーションはいくつも存在しているが、今回利用されているのはオープンソースで開発された『ドラゴンテイル』だ。
ほかのアプリケーションと違い、アドインが『少ない』という事が特徴で、環境依存にならないように『デフォルト』を多くすることをコンセプトに開発されている。特にアプリケーションの仕様がクラウドコンピューティングである事から、個々のプログラムはサテラの基幹プログラムと同様に、ネットワーク上に保存されており、利用者はブラウザーから閲覧するのと変わらないストレスレスの設計となっている。
自分のいる位置を設定するだけで、クラウド上の動画処理装置が同期を行う。
仮にライブ会場に居ながら、拡張現実あるいは仮想現実上で楽しみたいといった時には、現実社会との通信速度の差が存在してしまう事から、ラグが発生してしまうのがいままでではあった。
しかし、先ほど言った通り撮っている画像と同期を測るために作られたものであるから、量子コンピューターの『予測』により0.02msというストレスのないラグで作成されている。
それこそ野外ステージで端に居るよりもずれはない。
コンタクトされた《人間》たちが笑う中、常時モニターされている通信速度に負荷がかかる事を赤嶺は確認した。
同時に、ハルカも理解したようで、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
「みんなー!」なんだ、と演奏をつづけたまま、彼女の言葉を強調するように、ピアノに音量を下げる。
「速度が遅いよ! もっと、もっと!」
腕を上げてかわいらしい声であるが熱量をもってオーディエンスに発破をかける。
アバターが、ライブ会場の客が、スタッフが声を張り上げる。
――音は波だ。
少なくとも赤嶺はそう思っている。それを、ハルカも理解している。
チャットの自動翻訳言語が外国人が叫んでいるのも拾っている。
大きな波は、外部からの通信量を凌駕するほどにデータを送信する。外部から不正アクセスを行っている対象にたいして、『送り付けられる』攻撃となる。
ミナミノは一瞬の波形の量に満足する事は無い。
「まだまだ! もっとでるよ!」
マイクを向けてコールを求める。
『ハールーカー!』『ハールーカー!』
単一のデータであっても音声、文字列、画像、必要に応じてショートムービーでのコール、スタンプと多種多様。
表示できるデータが一瞬サーバー上限に引っ掛かりそうになった時、急激にその数値がマイナスに移転する。
その様子を嬉しそうに一度頷くハルカ。
技術的な事は分からなくても、赤嶺は『異常事態を正常化させる事』がどの程度の『力量』が必要か理解はしている。
一般的なプログラマーであっても授業の何倍もの知識を持っている。
プログラマーたちの仕事環境で言えば、判断する時間は秒単位に変化しない。
動かす事を主眼に考えれば、納期までに作り上げるための技術が重要視される。
今この時間、という定められた期間において、『作り』検証を除き、『動作』させるという事は、可能であろうか、と模索する。
《機械種》であればプログラム解析と同時に新たなプログラムを生成することは可能だ。とはいえ、この進行速度は異常と言える。
――最初から用意されている。
そうとしか赤嶺には思えない。何百、何千、何万とライブラリには登録された抗体プログラムとカウンタープログラムがある事だろう。
リストアップした状況から、プログラムの微修正を行い、動作するに必要なパラメーターを入力し、動作させる事はある種魔法じみている。
『ハールーカー!』『ハールーカー!』
赤嶺はコールに苦笑する。これが”彼女”の攻撃かと。
たった一つの音声言語。単語である情報に、配信される情報。付随するすべてのネットワーク負荷となるデータを『あえて』相手のサーバーに迂回させる。
送り付けるのではない。『相手のサーバー』を経由させることによって相手側の通信速度の制限をかけている。
いくらプロセッサがよくても伝送速度が無ければ実行までのプロセスは頭打ちになる。
それであったとしても人間には十分に対応できる時間ではない。
ミナミノ・ハルカに一つの噂が言われたことがある。
――彼女は《機械種》なのではないか、か……
共有されていたネットワーク速度が再び閾値に近づく。
これ以上に伸びればデータ通信量の影響を、会場側が受ける事になるだろう。
人数で一万人と三百人。
印は、――閾値に差し掛かる。
〇
「来た!」
押領司は叫ぶ。
第二撃の攻撃状況から一転。防御側に回される。
今回の作戦において、定点されたサーバーを設置しない事が必要である。というのも、定点サーバーである場合、かならず侵入の糸口を見つける事ができるからだ。
ネットワークは常に様々な通信を担保するサーバーを経由する。しかし大元のデータがクラッシュしてしまえば彼らの作戦は失敗になる。
であるから、三百人と一万人の『端末』を並列的に借用して、ASAHIのメインサーバーを破壊する事と、眼前のジョージ・マケナリーの封じ込めを同時に行う事となっていた。
ジョージを封じ込める方法は、彼のネットワークと、思考分離を行い、本体側の処理に限定することと、限定された脳髄と各部位のパラメーターを完全にずらす事。
一歩が百歩に、一度傾きが百八十度に、一の速度が百に。すべてをランダムに変更させる事だったが、その操作すら介入を気づかせてはいけない。
ASAHIのサーバーにしても同様だ。攻撃の糸口は作っているものの、どこから攻撃されているのかが特定されてしまえば、固有のアドレスのブロックで対処されてしまう。
すべてが三百と一万人分に合わせて行われる通信網にランダムに『相乗り』して行われている。
その攻撃を防ぐために、相手のメインプログラマーが『現地』に来て『通信阻害』を一部筒行い、『限定』させてきている。
電気技師が回路の通電を確認するのと同じで『通っている』ところ『通っていない』ところを順番にリストアップし、回路から除外していく。
「――リモート操作を切って、直接操作に来た以上、『人類代表』はこの場にいる!
ダミーが先につぶれるか、こっちが先に見つけるかだ!」
押領司は『準備』をしていたすべてを展開する。
「画像監視をしていますが、顔認証にヒットはありません」
「生画像の顔認証はあてにならないから、光学による陰影判定を軸に再構成した顔面画像を使った方がいい」
「……どれだけカメラをしかけていると思う? ――それすら書き換えるのか……」
押領司はピーターの苦言に苦笑した。
「その程度で済んでいるだけましだよ。必要なら、すべての《人間》の神経を焼き切るだけの準備だってできたはずだぜ?」
「……つくづく《人間》は感傷的な生き物なのだな。自分には、押領司や、”あの人”の考えは分からないが、それでも予想はできる。それはあくまでも利己的な考えだ」
当たり前だよ、と押領司は、喉を鳴らして笑った。
「《人間》は利己的な遺伝子の群体だ。好き勝手に増殖して、好き勝手にアポトーシスするわけだもの。最たるものが『自壊』だよ」
指がつっているらしい押領司の右腕は完全に停止している。神経の接合が切れていることが確認できるほどに力なく、萎れている。
先ほどまでの必要以上の運動量によって消費されたATPを確保するために、アミノ酸で作成されたナノマシンを肉体が分解してエネルギーと変換している事が窺えた。
このままでは彼の腕は使えなくなる。一生という重い障害になる事だろう。
腕だけであればまだいい。
最終的に懸念されるのは押領司の脳だ。
今はまだ影響は出ていないが、生命維持を優先させるのであれば、これ以上の作業をさせる訳にはいかない、とピーターは理解している。
それを、当の押領司も分かっていた。
しかし、ここの場ではマーガレットも、ピーターも止める事はしない。
「これは、俺の意地だ。最後まではやらせてくれ」
そう呟いて動く左手で唇にタッチペンを持って咥えさせる。
這いずる様に画面にへばりつき、操作を行う押領司の姿を見て、諦めた様にマーガレットはため息をついた。
きっと、と言葉を吐き、葉に落ちた夜露の様に消える小さい声で、何かを繋げていた。
押領司は気にしない。
落胆も、あきらめも、あるいは呆れすらも。
「妹の時に覚えた後悔を二回も欲しいとは思わない。
――最後の因子を抽出するために、委員長は今、生贄にされるんだと思う。
懸念はあったんだよ。は田中・真央の媒体となるために第六世代のテスト機としてステラ・フラートンが『作りだされた』時からさ。
イレギュラーだ。最初から壊されるために作られ『機械』なんて……俺は認められない。
そのうえ、『死人』を呼び出すためにあえて俺に同じ境遇にしようとしている。
そうすれば同調してくれるだろうってね。
……まったく、本当に、『人類代表』も『俺』も自分勝手だよなぁ」
「――わたくしは貴方を支援するように仰せつかっていますので。そこに口を出す事はいたしません。しかし……」
口に出さずとも、懸念がある事は分かる。
「まず処理を優先してくれ。――といっても相手は最強のハッカーなだけはあるから余裕はない。生存される科学者の中で、『一番の手練れ』とドロシーが言うだけある」
ピーターの言葉に、まったくだよ、と押領司は憎々しい表情をした。
「介入1分で、こっちの防御はほぼ紙屑だなぁ。……もって、あと4分、いや、3分だろう……20分予測が5分の1まで落ちたよ!」
誰も手を止めず『次』を考える。
ふと、押領司は思い出す。
「……リモートじゃない、とすると……相手は直接ラインに接続しているわけだから……、今、ステラと委員長を連れている事になる。――車両判定は?」
「……さすがに、近郊にはない、と判断しますが……。場合によっては近くの建物に?」
マーガレットは眉を顰める。
一台も車らしいものが『無い』事に。
「しかし、近くの建物で部屋状況となっているものを含めれば、二万はくだらないカメラが存在してる。全部を網羅できる監視網は構築できていない」
「ここに――来ているのなら相手の通信反応速度からみて半径50メートル程度と判断される。ジョージのネットワークにも影響が出ている事から――押領司の端末から半径39メートル。通信可能範囲における阻害物を考えると――」
「あぁ……なるほどね。――旧JRの車両が展示用に搬入されているんだ。そこのどこかだね。あぁ……。ちょうど、駅構内はこの真下か。成るほど。三次元的に隠れるつもりかい」
押領司は左手を止める。
プログラムを再編するためにライブラリから複数のプログラムの核を取り出して結合。パラメーターを修正し、微修正を行う。スクリプト上になっているものを結合するだけ。
青い画面を押領司は見つめる。
口で動かすタッチペンが画面をなぞる。すべての作業を完遂するために。
「――特定させる事は、――俺の得意分野なのにね」
「残りはライブ会場のAAAとこちらで対処できます――。どうぞご存分に」
マーガレットが笑う。
「手が足りなければ、要請しろ。ドロシーとの約束分くらいは手伝ってやる」
ピーターはへの字に口を曲げる。
『ウチを救ってくれたお礼に、会場は抑えるよ――ハルカは約束を守るんだもの』
AAAは『クレア』の様におどけて『ミナミノ・ハルカ』のウィンクをライブ会場から送った。
〇
「いっ――!」
朝比奈は画面に一瞬のラグら生じた事が確認した。
「あぁ、そうか」
分かっていたが、出てくることも想定済なのだろう。
こちらのプロセスは完成し、後二分三十秒でジョージ・マケナリーが再起動する。彼らがいかなるものであろうと、殺人マシーンとなった彼を止める事は容易ではない。
いくら朝比奈の位置が分かったとしても、捕まえる前に完遂する。
焦りはなかった。
向かいの席に座っている二人の少女を見つめる。
一人は《人間》の少女。おそらく媒介となるであろう。ナノマシンを注入し、『そちら』側の扉を開くための転写媒介。
ネットワークに《人間》の意思をすべて転写することは不可能だったが、媒介があればいいだけだと過去の実験で分かった。
しかし、不完全になった田中・真央を制御するためには、準備が足りなかった。
一定の成果はあったが、彼女の影となる『死』が存在していなかった。
ミナミノ・ハルカはそういった不確定状況を除いた殻であったが、クレアの影響をうけたのか、『表』に出ていた。
当時は苦虫を噛み締める勢いだったが、クレアが離反しないための『彼女のかりそめの青春』をさせる道具として使わせておけばよかった。
コピーは幾らでもあったし、フルコピーされた田中・真央のオリジナルデータは朝比奈が持っている。
ヘッドギアをつけられた茂庭の隣には、DPCMの巨大な筐体が組まれている。
DPCMを簡単に持ち歩く事はできないが、『ASAH』が解体にかかわるネットワーク監視のために、職員のバックアップを用意するために発注する、という形式で列車側に設置されている。
というのも、通電装置などを列車からとれば結構簡単に拡張できるだけの状況であったことや、解体時に最悪車両を動かせばいいという利点も存在していからだが、今回この様な使い方をするとは朝比奈は最初から予想してはいなかった。
この第六世代の体を使い、最終的には再び『田中・真央』を降臨させることができれば、その時点で彼の目的は完遂される。
――生きてほしかったんだろうね
後悔が強いのだろう。恋心があったわけでもない。ましてや肉体関係があったわけでもない。その第三者をここまで『愛している』事は朝比奈は驚いていた。
妻の事は愛している。
しかし、『生き死に』をここまで如実に考える相手ではない。
どうしてか、とは思ない。
同類だったんだろうか、とも考えるが、そこの答えに多くの意味があるとも思えないから、良く脳裏をかすめる際に、『それでいいんだ』と言い聞かせていた。
『そうやって、結局逃げるんだ?』
はっとなって朝比奈は肩をビクリとさせた。
周りを見渡す。押領司の声に驚いたが、その姿はない。
『――驚く事ではないでしょう。俺が”そこの住人”だって、センセが言ったんでしょう?』
「ネットワークに住んでいる、というのは――あくまでも比喩表現だったんだけれどねぇ」
卑屈に朝比奈は笑う。押領司の事を。
『たしかに、朝比奈センセイは世界で最高の技術を持つ技術者だろうね。
しかし、犯罪を行う事に関しては素人、だったみだい。――正直センセが、『人類代表』として抗っていたおかけで、多くの《人間》が死んだから、まったくの素人ではないとおもうけどさ。
でも――、俺の事はどうでもいいと思っているのかな?』
「アハ。押領司クンには私を止められる腕はないからねぇ。正直ここで話をするのが限界でしょう? 利き手も動かない、下手したら、死ぬよキミ」
知ってる、と押領司はぶっきらぼうに頷く。
『でも、俺の友人を勝手に攫っておいて、好きに使おうなんて気に食わなくてね?』
「そうかい、で……どうする?」
朝比奈は両手を皿にして回りを見渡す。
「キミのお手伝いの影一つも出ていないじゃないかぁ。あぁ、あと1分程度かな。そちらの”処理装置”が再起動するまで」
まったく、と朝比奈に感情をあらわにして押領司は唾棄するような仕草をした。
『そんなに、教え子が”好き”だったのか?』
「……そうではない――これは、私の生の変わりに彼女に生きてほしいと願う、自己中心的な願望でしかないよ」
『まったく、それを理解して馬鹿をする変態にはまじで、ほんと、マジで、つける薬はないなぁ。あぁ。そうかだからドロシーも嫌っているんだ。
いやさ、俺もセンセイの事をある程度は理解してるんだぜ? だって、俺の妹だって消えてしまったんだからさ。
もしかしたらネットの中にそのデータがあるかもしれないって『藁にも』だよ。
それでもあり得ないってわかったのは電子世界の引きこもり、マークを探し出した時に完全に理解したんだけれどもさ』
押領司はその場で胡坐をかいた。
あと、30秒、と朝比奈はカウントを脳裏で行う。
『そうなんだよなぁ。――朝比奈センセイ。
手に入んないんだよ。希望ってさ。
願望はさ、成就されないんだよ。
ただ、夢みているだけではさ。
パーツがある。それを組み立てる事ができる、そういう事を願うのであれば、意思が伴えばできるだろうけどね。最初から、光の粒になってしまっているもに、0と1の世界だけでは得られないんだよなぁ。
俺たちは、『有機体』を望んでいるんだ。
模倣者を求めているわけでもないんだよなぁ。
なぁ、センセイ。
『機械の隣人』たちはさ、すでに俺らの隣人なんだ。違う存在としている以上、俺たちの同位者だ。いうなれば、生存競争における、ホモ・ネアンデルターレンシスや、ホモ・ハイデンベルゲンシスのような存在だろう?
どっちが生き残るかはいまだにわからない。俺たちホモ・サピエンスがいつまでこの地上に居るのかすらもさ。
なぁ、センセイ。
何を見ている?
そのステラの姿を見てさ。《人間》を蘇らせる幻を『機械』に委ねちゃぁ、――飛沫になるぜ?』
〇
二人の影がある。
「あぁ、見えている。次は外さないさ」
「そうあってほしいものです。昇順補正については私の演算を用います。――時にあなたの訪ねたい」
マーク・ヒルの唐突な問いかけに、星越はふん、と鼻を鳴らす。
「この状況で私が関係すること、《人間》を殺めるために手を貸すこと、これは、『どういう意味があるのでしょうか』」
歯を見せて星越は言う。
「生存競争に、あいつが双方の脅威だと本能が言ったわけさ。だから、――これは、処理ではあるけれどな。――簡単に言えばそう、生きたいって本能でしかないだろう?」
なるほど、とマークは頷く。
となれば、とマークは感慨深く頷いた。
「《人間》という物は、生きる意思のみで『他』を脅威と見るのですね。であれば、確かに適応能力の高い《人間》が繁栄した理屈は理解できる。
だからといって、私はあなた達よりも利口かもしれません」
「どうして?」
星越は昇順を合わせながら、問う。
「依存先の《人間》が最大のコミュニティを存在し、彼らの依存する”利便さ”の世界を私たちが維持しているのですから、図らずも共依存関係になっているのですね」
「……ま、たしかにそれはそうだ」
視界の先に、照準器の点が暗闇から浮かびあがる影を見据える。
ジョージ・マケナリーは機械の食指を伸ばし、動き出そうとしていた。
「その話は後にしましょう。ぜひ、押領司・則之にも聞いてほしい」
「違いないね」
〇
「なぜ!」
DPCM装置の電源が停止している事に朝比奈は叫んだ。
左右の自らの《サテラ》の状況を確認する。オンラインを示すグリーンのランプはついたままであったが、反応が無いことに焦り、頭をくしゃくしゃにかきむしった。
ネットワークの停止だけではない。ブレーカーは落ちていないし、それ以外の操作を受け付けている状況なのはモニターできていた。
違和感は二つ。
一つは、ジョージのシグナルが完全に消えたこと。
一つは、目の前にあるDPCMの制御が利かないこと。
仮に、ジョージだけであればモニターできない状況という事も考えられる。相手にしているのはネットワーク上で反乱を企てたタカ派のピーター。それに合わせて穏健派の懐刀のタイプBが居るとなれば、こちらの監視を阻害するくらいはできるだろう。
しかし、制御下にあるはずの目の前の『機械』においては、理解できない。
『それはさ、『本人の意思』というのを蔑ろにするからじゃないかな』
押領司の冷たい声が朝比奈に冷静さの一端をもたらせた。
そもそも、と朝比奈は思う。
「……キミは、押領司クンは……ネットワークのマッピングが得意なだけだ」
押領司は頷き、顔の左側を釣り上げて半面で笑った。
『まったくもって、違いないね』
「なぜ、キミが私の視界にいる? ここは、各超現実世界を保持するようにできていない。――いや、サテラの機能は最大で、球状の投影を行っているから、――ポリゴンとして存在していもおかしくは……」
押領司は、目を閉じた。
『そこではないんだろう? センセイ。俺たちは何を相手にしている?』
「『機械』――を」
「そうだね。『機械』なんだよ。彼女はずっと眠っているのかい? 制御権を放棄し、センセイに全部を渡すと言ったのかい?」
「いや……。それは、」
彼女の基幹部の制御権は完全に奪ったはずだ。それは理論演算だけでなく、彼女という意識にかかわるすべての制御を――。
『《機械種》は、三つの構成からできている。
ネットワーク上と彼らの本体の一部のメモリに”経験”を。
ネットワーク上に彼らの基幹構成するプログラムと、集中制御を行う本体の”制御”を。
すべての制御に対して揺らぎをもたらす、本体に取り付けられた”心”を。
単純な事なんだよ。
センセイ。全部を止められやしない。
だって、基幹プログラムが停止のシグナルを出した時、アルゴリズム上、IMSはNoを返す。振幅は変わるけれど、『止められないんだよ』』
押領司は立ち上がった。
ゆっくりとベッド型の接続ツールのDPCMに近づき、横たわるステラ・フラートンを見降ろす。彼の方向からはその状況が”わかるはずがないにもかかわらず”だ。
双方向のカメラではない。こちら側を監視するツールをいつの間にか――、と考え、朝比奈否と思いつく可能性を拒絶する。
『彼女は今、『死』に対峙し、拒絶の心を理解した。彼女の抱えていた『死』へ向かうイメージの反対側の『生』への渇望と同時に、今までの機械種では持ちえなかった、生存という物への『正』と『否』の相反する動物的な感情だ。
これをなんというか、哀公十四年の獲麟と同じほどの天地をひっくるめた出来事だろうね。
近代では、これを総じて技術面に特化し、『シンギュラリティ』と総評しているが、『理論上』の特異点ではなく、『事物』として発現した今、これは『生命の創造』と同じだ』
背後で聞こえた声に朝比奈は振り返る。
一人の男がいる。ピーター・ホルクロフト。忌々しい《機械人形》が無表情にいる。
『同時に、”ステラ”さん、は機械という群体の楔から分化した、新たな種として認定することも可能ですわ。生存本能がわたくしたちとは根本的に違うのですから、論理演算方式が同じであったとしても、同族の他種として尊重しなければなりません。
進化論はわたくし、それほど――”信じて”はいないのですが、生存本能からの分化という事実を目の前にして、そういう可能性も素敵だと感じます』
麗しい姿を映し出すのはマーガレット・ワトソン。
チャーリーの片腕が優美に一礼をする。
『ま、どうであったとしても、ここにいるステラはすでに、センセイの手からはこぼれてるっていう事さ。――どうして、って未だに理解できないのであれば、……人を見る目がない、ってことかな?』
「……そうか、」朝比奈は落胆し、ゆっくりと首を垂れた。
「ステラ・フラートンの基幹プログラムへの侵入を演じて見せたのは、このための布石――という事かぁ。……アハ、随分と、まったく狸か、キツネの様な騙し方だねぇ。
あぁ、そうかい、そうかい。最初っから、キミは、私を――」
『疑っていたよ。そして、知っていたよ。――星越さんから話を聞いた時点で、配置できるすべてを『並べなおして』、妹を手にかけることができたのが、貴方だという事もね
木津さんが、《老人》にバックドアを仕込んだ時点で、そちらのログは漁らしてももらったものさ』
そうかい、と朝比奈はゆっくりと目をつむった。
――これでは、降参だ。
口に出さず、両手を上に挙げた。