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<9月13日 ステラ・フラートン>

 家にいきなり人が増えることを、好意的に考えられるものだろうか。『いや、ないわー』と口に出した押領司は、子供の様にはしゃぐ父と母の姿に、がっくりと肩を落としたことを思い出す。

 両親は二人共、既に四十を超えている。押領司に兄弟はいない一人っ子だから、家族が増えるのがうれしいのかもしれないが、それでも目に余る喜びようであった。

 紙の輪っかを大量につくり、入口からリビングまでの廊下を飾り、パーティーグッツの金色や銀色のとげとげしたパーティーモールを大量に追加。乱反射するきっと目が痛いのだろう、と思う事にして、ぐっと頭痛をこらえた。

 これらの残骸が、可燃ごみとして袋に詰められているのであれば、さすがに『あぁ、やりすぎだったんだろうな。大人げないという言葉で水にながしてやろう』と押領司も思う。

 しかし、昨日の今日だというのに歓迎パーティーの残滓はそのまま”壁に””床に”設置されている。

その事を問い詰めると、「え、帰るときにもお別れ会しなきゃいけないから、一月くらいこのままでいいかもしれないわね」「あぁ、そうだな……むしろ、毎日飾りを追加するのもありかもしれないねぇ、母さん」などと嬉しそうに朝食をとっていた。

思春期でなくても、羞恥心から殴りつけたい気持ちになって肩を震わせた記憶が蘇る。

 朝からこの調子であったから、押領司あhひどい頭痛に苛まれていた。

 当の相手は教師への挨拶があるとかで早々に学校へ向かっていたからどの様な感想を持っているか聞きだすこともできなかった。

 時間にして一時間の差をつけて、ゆっくりと、というよりは重い足取りで学校に向かう羽目になったことで、今日の一日の気分は決定され、家に帰ってもあの怪しげな飾りが一か月も残りづつけていることに半分、拒絶反応じみた震えを体の底からわき起こさせた。

 登攀するような急な坂道が続く学校の正門をずるずると重い体を引きずる様に上り、親しげに話しながら、話に花を咲かせる同学年の生徒や、さわやかに早朝のトレーニングの掛け声を行う声おをバックミュージックに、押領司は監獄の様な教室へと入っていった。

 押領司が教室に入るやいなや目の前のまだ登校していない生徒の席に、するりと影の様にやってきたのは、赤嶺・達夫。

 長い髪を風に靡かせ、簾状の前髪の右目部分だけかき上げて、鋭い眼光。愉快そうに口元には笑みを浮かべていた彼は、押領司に向かって含みのある挨拶を交わす。

 端的におはようなどという挨拶の言葉ではなく「おう」といった一言は、今の押領司には、無用の気遣いを誘発する掛け声でしかない。

「そーいうのいらないから、」

 と、押領司は言うと赤嶺から視線を外し、そっぽを向いて口をへの字にする。気に障るのは前髪だけにしろと、背の高い赤嶺に苛立ちを隠せない。

「なんだ、今日一番のニュースをもってきたというのに、ずいぶんとすれているなぁ」

「うるせ。昨日の晩と、その残骸に埋もれた脳内花畑の親を見てみろ、朝からが立ってしかたないっていうもんだよ……まったく」

 ははぁ、と察した様に赤嶺は頷いた。蛇の目の様に鋭く、押領司の心中を察しては、いじわるそうに口元に笑みを浮かべる。

 教室の喧噪さがあれば、多少なりもと気を紛らわせる事もできるが、今この教室に居るのはせいぜい十人。

 茶色の机に腰かけて談笑する姿よりは、机に両肘をついてタブレット端末や、リング状のネットワーク接続端末を使って今日の履修の選択や、ゲームをやるのがほとんどだ。

 音らしいものは、校庭からたまーに聞こえる『オー、オー!』という掛け声程度。

 風の音も、ねっとりとした湿気の所為でなんとなく聞こえづらい。

 苛立ちが最高潮になるが、聞いてやらない事には否定もできないので、押領司は憮然とした表情で頬を膨らませた。

「元凶は――さては、お主の家に来たという留学生か。なるほど……なるほどなぁ。結構心を窶しているというのが見えるなぁ」

 赤嶺は苦笑しながら、押領司の丸くなった背中を手に持っていた書類でツンツンとつついた。

 書類なんていう前時代的な物は学校で配布されるものではない。とすればポスティングや駅に置かれた誇りをかぶっているチラシラックくらいしか調達先はない。

「ま、拙者が持ってきたのはそういった、噂の類とは別のニュースというものよ」

 眉をひそめて押領司は赤嶺を見た。彼の細い指の中に納まる紙片はA4のチラシ群であり、数枚といった枚数は普通に珍しい。特にカラーコピーされているのはわかり、光沢が見える書類とくれば、レアリティが高いというものだ。

 こんな印刷を行うくらいなら、二次元コードや短縮URL画像を名刺サイズにしておいたほうが全然コストパフォーマンスがいい。

 しかし、その内容はいまだ丸められており確認する事ができない。そのことに腐った気持ちを一切隠さず、押領司は「なにさ」と不機嫌に尋ねた。

「――よし、そうこなくちゃ。……お主も良く確認しておっただろう。昨年、旧東京都にあった秋葉原駅の解体工事が行われる事になった関係で、夜間での見学コースが作られていたの覚えておるか?」

「あぁ、募集が多くて結構値段が吊り上がったやつだろう? たしか、最大で80万近くまで行ったらしいじゃない。庶民の俺には全く手の出ないというものだよ。で? それを見に行った自慢話でもしてくれるって?」

 への字の口元を正し、押領司は背を伸ばした。

 違うよと赤嶺は失笑。手元にある4枚のチラシを机に置いた。一つはポスターを縮小した様なチラシの印刷物。もう一つは申込書。それが二組ある。

 丸まった紙は、木製の机の上で、一回コロコロと転がるが、すぐに、赤嶺によって伸ばされる。

 赤嶺は右手でチラシを押さえ、

「今度、その昨年高騰した事を受けて、JR東日本も対策を講じる事になった。まぁ――端的に言えば、金を転売じゃない形で徴収したいっていうところだろうな。

結果として、来月中ごろから始まる、旧JR新宿駅がその生涯を終えるわけだが、その跡地見学が用意されたというものよ」

「新宿! あの東京のだいご味を詰め込んだような街じゃない。しかも、いつまでも迷宮の様に広がる駅として有名で、乗り入れの線の数は群を抜いて東京都の中で一番目になったものだものなぁ。新宿、渋谷は本当にいい駅だけれども……、こっからだと……リニア中央本線で30分くらいかぁ」

 遠いなぁ、とぼやく押領司にあぁ、と赤嶺は頷く。

「拙者としてもぜひとも行きたいところではあるが、応募には成人のID確認が必要となる。ついては、拙者の家族で1組、お主の家族で1組応募してみてはどうかとなぁ。なに、当日はうまくごまかしはできるとは思う――チケットのタグ確認だけだったからなぁ」

 赤嶺は大人びた自分の姿を指さしながら得意げに笑みを浮かべた。確かに、と押領司も外見をみて思う。

 仮に二十代と言われても問題は無いだろうし、押領司の外見をもって二人で大学生だと言いくるめる事もできなくはない―ーと思われる。

「赤嶺なら間違いない、とは思うね。――俺の親戚っていう事でもいけそうだ」

「そうだな。今回の場合、さらに規制は緩くなるところではある。IDの提示は事前申し込みのため不要だし。結果として回数を増やして転売のうまみは消しているという物だ。期間は決まっているから最初から応募してしまえば、融通は利くとおもうんだが、……どうだ?」

 乗るか乗らないか、といえば二言もなく押領司は頷いた。

「やる、やる。あ……でも、二つとも当たったら?」

「その時は、辞退をすればいい。金を払わなければキャンセル扱いにもなるしな」

 それもそうか、と押領司は頷く。

「ちなみに金額はいくら?」

「チケット代として四千。もし昔のランダム駅弁を望むのであれば、応募時に三千追加で合計七千。小学生以下の場合には半額になるが、まぁ、その辺は気にしなくてもよい。仮に、一組申し込みするなら、一万五千もあれば足りるであろう」

 む、と押領司は眉に皺を寄せて悩んだ。駅弁というのが馴染みが無く、食べてみたいという気分にはさせる。

 心中を察してか、赤嶺が怪しい笑みを浮かべる。

「わかるぞ。あの特殊な容器に入った弁当というのはとても惹かれるものがあるな。食品衛生法の改正により、外気温の上昇に伴って保冷を使ったところで完全に菌の繁殖を抑えられないという事になり、半日以上置いたままにしておく場合、冷蔵容器が必要となってしまったからなぁ。

 コンビニや商店なら置けるとしても、駅弁を販売していた事業者は軒並み割をくったという事よ。スーパーマーケットの様な商店はまだ頑張ってはいるものの、容器の完全リサイクル化をも義務付けするような状況では、薄利多売を行う駅弁が消えてしまったのも頷ける。」

 赤嶺の言葉に、ゆっくりと頷く。

 欲求として、食したいが、

「しかもランダムっていう事だと、いくつか種類がある?」

 赤嶺は笑みを浮かべて頷き、指を両手分広げた。

「十だ。十種類。当たりは――仙台牛タン弁当か? いや、もしかしたら峠の釜めし弁当かもしれんな……今やあの陶器の容器も手には入らん」

 チラシの裏側をめくり、押領司は赤嶺が言っている事がウソではないという事を確認する。応募用紙の中にも希望する弁当が第三位まで記載できるようになっていた。

「それだと、確かに悪くないなぁ……。うーん、七千は妥当かぁ」

 頭をくしゃくしゃに押領司はかきむしり、どうするか思案する。

「それに合わせてリニア代も必要だからなんだかんだ一人当たり二万はかかるな」

当然の様に現実を突きつける赤嶺の言葉に、口をへの字に曲げて押領司は腕を組んだ。

「だよねー。……まぁいけなくはないなぁ。……いくかぁ……。よし、いこう!」

 そうこなくちゃ、と赤嶺は明朗快活に手を叩いた。

「だったらこれ予備を含めて二部やるから、お主の分は明日まで応募しておいてくれ」

 と手渡されたチラシを、はいはいとタブレット端末のカバーにあるメモ入れに織り込んで詰め込んだ。

「今時、隣の区に行くのもリニアで、公共交通機関という名前の小旅行なのは笑えるというものよ。……昔のJR線の駅の区間を今の駅を考えると、コスパはありえない」

 押領司は赤嶺のボヤキに同意した。

「一区間で200円とかだったらしいじゃない? 子供なら半額って、よく運営できたよなぁ」

 苦い顔で赤嶺は唸った。

「今と、金銭の価値が違うから仕方ないとは思うがな。ほら、2050年と比べればインフレ率は、……ざっと150%ときてる。結局――資源の無い我が国はデノミまでした始末じゃぁないか」

 苦笑する赤嶺は生徒手帳をポケットから抜き出す。未だに紙を使うのは、儀式的な要因が強いのではないか、と赤嶺よく口にしていたが、こういったガジェットが好きなのを、押領司は知っていた。そこには突っ込まなかったが、赤嶺が取り出した紙片には反応した。

「うわ、聖徳太子じゃない!」

 あぁ、と得意げに赤嶺は小さく折りたたまれた紙幣を見せる。古紙幣は、今ではコレクターズアイテムでしかない。赤嶺の持っている様に乱雑にしている者は珍しく、本来であれば絹の手袋で扱うべきものだろう。しかし、気にした様子なく広げると、「当時の一万の価値からみると2桁も下回ったわけで」

 と力なく笑った。

「今じゃ、100円の価値だもん。フリマで売っても千円になればいい方だよね……」

「だからこそ、過去の切符やらチケットやらは価値を失わないんだ」

 赤嶺はしみじみと頷きながら紙幣を手帳に戻した。

「で、だ」

 赤嶺は一区切り息をついた。

「今回のお主の事もこの聖徳太子と変わらない過去の出来事の一つであればよかったのだがなぁ」

「……どういう意味さ?」

 ため息をついた押領司は、機嫌を悪くして腕を組んだ。赤嶺はふん、と一瞬だけ様子を窺った後、隣から椅子を引っ張りだすとどかりと座った。

「話はの中身はよう分からんというのが事実だが、わずらわしさは理解してる。――ほら、拙者も昔そうであった様に、いらぬ噂は蠅の様に付きまとうものだからなぁ」

「身に染みてるなら少しくらい身を正そうというのはない訳?」

 赤嶺は鼻で笑った。自分の体をぐるりと見渡し、白いシャツ、黒い制服、白いスニーカーすら一般的である事を再認識したらしく、にやりと笑う。

 そこじゃないよ、と押領司は顔の方を指さした。

しかし、赤嶺は、

「正す、なんて事は己の正しさを理解している者にかける言葉じゃぁないだろう。拙者は拙者の正しさで動く。ただ、社会一般通念上で誰かの不利益になる様な、迷惑行為を出来るだけかけないように、という信念でだがね」

「御立派っすね」

 棒読みで押領司が遠い目をすると、

「だから、」言いながら赤嶺はポケットから一つのチップを取り出した。

「コレをお主に渡そう。……そう、疑う必要はない。ただの土産だ」

「どこの?」

「越後といえばいいか」

 そんなところに何の用事があったというのか、内容についても理解はできず、手を出さずにいる押領司に赤嶺はうん、と一つ頷く。サムズアップをすると口の端を吊り上げた嫌味のある笑みを浮かべた。

「いや、お主が金髪好きである事は、周知の事実なので、無修正を駅前にある『エチゴヤ』から――」

「いるかよ!」

 押領司はおもっきり赤嶺の頭部を左手ではたいた。



 ステラ・フラートン。059224C-8SFが個の識別コードであり概ね8SFなどとネットワーク上では言われていたが、現在ネットワークの締め出しをされているため、8SFと呼ばれる事はない。

『ステラさん』とか『ミス・ステラ』という呼び方が一般的だが、どうして日本にいるのに、ミスという敬称を使うのか分からずにいた。

 日本人の特殊な言語体系による相手への敬い方は、機械種として効率性、画一性を重んじるステラから見ると、非効率的だと判断していた。

 クリッピングの様な短縮した言語が主流であるというのに、わざわざそれを困難にするような多様性を確保する事に必要性があるのか、とステラは考えてしまう。

 結局のところ、彼女の思考では、『考えるだけ無駄』と結論を付けて、その非効率的なごっこに付き合う事になる。

 今も、彼女の前に立つ二人の男女の人間は、「さん」なのか、「ミス」なのかを統一しない。男性の教師は「ミス」をつけ、女性の教師は「さん」付けして”話”をしている。

 日本語も他の言語同様に多くの外来語が存在するから、文脈上に何方の敬称を使っても、固有名詞と判断する事はできる。それだけ包容力のある言語であると、本来機械種的には裏にある言語の意味、つまりニュアンスを正しく判断できずに苦労する。だが、一年前にアップデートした際には、日本語の言語と声のトーンと相手の表情をマッチングさせるライブラリーは充実した回答を彼女に返していた。

「やはり、ミス・ステラを受け入れる事については難しいと思いますが」

「いまさらその様な話をしても、ステラさんに落ち度がない以上、協力をするしかないと何度も申し上げているでしょう」

少しヒステリー気味に女性は言う。

 教職員データベースを覗くと、男性の教師は伊藤・康孝といい、女性の教師は鈴木・るみという名前だと分かった。相手を諭す仕草などから、鈴木の方が年上と判断したが、実際には伊藤の年齢が上で36と記載されている。外見というものが機械種と同様あまり判断材料にならないことを学習すると、メモリーの片隅に添付した。

 ステラの頭のなかでは、短期記憶に相当する任意で記載・削除できる付箋の様に用立てられた記憶領域と、長期記憶に相当する削除不可の《経験》等を記載したネットワーク上のバックアップデータの二つに分けられている。一次保存領域は同等のステラという機械の中にあるのだが、メモリーに相当する部分は明確に分類されていた。

 ハード上も頭部の右側と左側でそれを分けていた。肥大化する短期記憶相当のデータを一日の中で取捨選択し、トリムの実行が義務付けされ、人間で言う睡眠を行う待機時間が存在する。機械である事から定期的なメンテナンスは必要であり、一日に格納するデータも普通のワークステーションに比べて段違いに大きい。

 であるから健康診断と同様にメモリの交換や、各種部品の洗浄、外皮の張り替えなども行う必要がある。

 機械種は生きるのに金が浪費する。生活のすべてが効率的でかつ高スペックであっても、人間の生存のレベルを超えて費用がかさむものだった。

「しかし、高価な備品を用意しても子供たちは簡単に壊してしまうんですよ? そういった有象無象がいるところに、ミス・ステラを連れて行くことが、どれだけリスクを持っているか、分からない鈴木先生でもないでしょう?」

 腕を腰にあてて、怒りを露わにする鈴木は、ちらりとステラを気にした。

「そういう状況ではないのです! 既に外務省と文科省を経て決定通知も出ているものを、現場の不一致ですという事で簡単に破棄する事はできないんです! とにかく、既存のプログラムで教室へは行ってもらいますから!」

 腑に落ちないという佐藤は、むっ、と口をへの字にした。言いたい事があるが、我慢しているというのが見て取れた。

ステラは、「人であればどの様に声をかけるのだろうか」と検索を行った。しかし、ライブラリを探しても明確な答えはないし、ライブラリ上にいる大多数のオーディエンスからは「決定事項がでるまで待機する」が最善だと提示された。

 無表情のまま目を伏せて、二人の言い合いの決着がつくまで待つ事にした。「我慢づよい」と人であれば言うだろうが、「我慢」という感覚はステラには無かった。

 嫌だ、という気分的は拒否行動も、数値の一つでしかないから、Inorganic Mental Structure、通称”心”といわれるISMの挙動によっておきるエモーションの数値変動など、その気になればカットする事ができる。

 心を殺し機械として作業に没頭する事を、第3世代以降の機械種の間では「退化している」と表現する事もあった。


「まぁまぁ、」

言い合う二入が大きな声を張り上げていたが、しゃがれた声で横やりが入った。白髪交じりの頭と皺の浮いた目元などを見ると二人よりは年齢が上だと分かる。

 教職員データベースで検索すると三浦・康弘とヒットする。登録されているデータの写真とは明らかに違うが、画像のパーツ認識を行うと同一人物だと分かった。身長が高い割に低頭で背が丸まってる。手を申し訳なさそうに前に突き出して伊藤と鈴木の間を割っていた。

「ここは、自分がやりますから。隣のクラスの伊藤センセにも迷惑かけない様にしますんで」

 割って入るとすぐに均衡が破れ、伊藤と鈴木は三浦を介してすぐに口論を始めた。

「そういう事じゃないでしょう、三浦先生。子供たちがきちんと――」

「それを教育するのが教師の務めで――」

「何が、教師の務めですか? 彼らはもう十六を超えたというのに、未だにガキと違いないでしょう」

「まぁ、そんな言い方は教師として見過ごせません!」

 この調子で言いあう二人に再び三浦が手を上下して、

「ま、まま。熱くならず。自分は、慣れてますんで。ね。ほら、ここで見苦しく新入生の前で問題をするのがどれだけ大人気ない事かぁ、ね?」

 疲れた様な、力のない笑みを浮かべてへらへらと間を取り持つ三浦は、両者の前に手を伸ばして制した。

 張りつめていた二人の表情が不満の色を濃厚にしたが、しかしすぐに、口を閉じて黙り込んだ。伊藤は嫌気の強い視線を三浦に向けていた。

「さ。さっさと授業に向かいましょう。ここの二人はいつも大人気ないんですよ……まったく。いい大人なんだからねぇ」

 三浦の愛想笑いにステラは感情の抑揚なく肯定の意を告げる。端的に、"機械的"に。

「はい」

この一言で、荷物を持ち上げて、個人間の考え方などまったく意に返さない無表情で冷たく二人を刺した。うっと身を半身引く仕草で、伊藤と鈴木は入口までの道を開けた。

 三浦は愛想笑いを浮かべたまま、どうもどうも、と右手で後頭部を掻きながら外へと向かう。

 その背後に伊藤から声がかかる。

「今回は、三浦先生の手前ここは大人しくひきますが、問題があってからでは遅い、という事を肝に銘じておいてください。彼らはただの獣と変わらない。餓鬼というには無邪気すぎるところですがね。きちんと躾ける事もできない様では、種を貴び相互尊重の中で”共存”と”共栄”を目指すという理念は育めない事をお忘れなく。ミス・ステラも機械と同様に丁重に扱う事が必要とおもいますのでね」

 ぴたり、と三浦が足を止めた。ゆっくりと振り返り三浦を見る。表情には笑みが張り付いていたが、表情の中に怒気を含んでいるのをステラは理解した。表情筋の動きや、薄い視線の鋭さは、怒りと表現するのに近似していると判断。

「伊藤センセ、」

ドスの利いた声は底冷えする。

「あまり、親切、尊重、丁重というものの根本的な考えをはき違えないほうがいいと――、同僚として忠告します」

 三浦の真意をステラは理解できなかった。彼の背景状況から、怒りの沸点に到達る様なトリガー的単語は無かったように思えた。そのうえ、伊藤の言った言葉が、ステラをはじめとする機械種を批判しているものではないことは理解できていた。

 機械種の扱いは人種との間でいくつかの協定によって守られている。人間の生活空間に彼らは入り込んでいたし、存在をしていた。ロボットとして、あるいは電気的装置として存在は浸透していた。それらすべての道具をある時を境に生命であると、認める事は簡単な事ではなかった。

 イライラすればリモコンを投げるだろうし、叩いたり、蹴ったりしてボタンを押す事もあるだろう。それも同じ機械であるにも関わらず、人間のなじみののある――同種の姿をしているという事が『モノ』と『ヒト』を分けている。

 機械は人と違い「作り直せる」という利便性を持つから、機械を種として受け入れるには、宇宙人の様に人に対してルール付けをしなければならなかった過去がある。

 155協定がその代表で、国連で取り交わされた枠組み協定から今日では随分と具体的な内容にまで変化している。

 国連加盟国を筆頭に、機械種と”個別”に”地域性”を考慮して協定を結んでいる。

 日本で言う155協定は一定の大枠合意から日本の独自性を加味した、機械種の代表と内閣総理大臣名で取り交わされた『人・機械に伴う包括的生存圏確立のための協定』という名前で報道され、ステラも来日に当たっては一度確認をしている。

 日本は比較的に、人間の生活をベースに考えられた協定内容であり、個人の自由を人間に置き換える事で可能となっている。ただし、在留カードは特別で、人間用のものと違いGPS機能がある追跡装置が内臓されてはいる。

 とはいえ、常時保有している必要はないし、国籍を取る事や、住民票を得る事もそう難しい事ではない。

 ただし、固定資産の様な土地・家の購入だけは移住者以上の厳しい制限がかけられており、いまだに『機械に土地を奪われてはならない』と考える国民も多い。

 一番機械種への縛り付けが大きいのがアメリカ合衆国で、保守派の強さもあり生存権は確保されていても、参政権もなければ、在留権もない。仕事に就くこともできないし、結婚もできず、他国から一週間という短い期間だけ滞在できる”観光ID”の発行だけある。

 対して寛容なのがロシア連邦。広大な土地をより効率よく開発を促すために彼らの自治権も認めているほどで、一部には機械だけの街が存在する、という噂もあるが彼らの財産は国に帰属するという”契約”のため、国家機密指定されており、具体的な状況は不明だった。

 これらの両極端の二国から見れば、日本は多くの国同様に中間的立ち位置であり、国家を脅かす事のない場合において、参政権も認められ、民主主義の下に庇護されていた。

 機械種の人口が増加すれば、もう少しは変わるだろうが、多くの国では外見的な差別もしづらい事もあり、生活の中に溶け込んでいる。

 このため、”普通”に生活する事は機械種も人も難なくできる。だから、三浦の言葉が一体どういった意味があるのか、ステラには分からなかった。

「……それは警告ですか?」

 それはおそらく伊藤も同じだろう。探るような溜めが如実に表していた。

 怖気ずく、という言葉の方が正しいかもしれないが、伊藤は気丈にふるまいキッと三浦を見ている。

「忠告です。警告ではない。相手を尊重する事、相手を丁重に扱う事、相手に親切を働く事というのは、教師が教える最低限度の礼節だと思いますが……。どれも相手を立てるための行為であり、相手を貶める行為ではない。伊藤センセ。自分が全知全能である、と思っている様なら……」

「脅しに屈しる物ではありません。自分の意見を言う事がどれだけ大事か、三浦先生にもお分かりでしょう。そう、熱くなるものではありません。――あぁ、先生がなに、機械種とご結婚されているからと、特別視する者がいるのであれば、それこそ差別でしょう。意見は意見。きちんと受け止める度量が必要では?」

 三浦の言葉をぴしゃりと遮る伊藤も譲る事が出来ないのだろう、

 語気は強く、三浦を見る視線は不快感をにじませていた。

 普通の生徒なら、今、何も語らないで防寒している鈴木の後ろに隠れ、運がよければそのまま教室の外へと逃れたいと思う事だろう。

 いくらステラの中に心があろうと、彼女が人の世界で生活している時間はあまりにも短いため、IMS(心)の揺れはまだ大した揺らぎを持っていない。

 ステラは手持ち無沙汰で目をぱちくりと瞬かせると、にらみ合っていた三浦はすぐにはっとなって、バツが悪そうに伊藤から視線を外した。

 彼の方がまだ伊藤よりも多少大人なのだなぁ、と短期的な傾向判断からメモリー記録する。


大量に増えるメモを考えると人ごとにファイリングをしたほうがいいのかもしれないと思いながらも、三浦が靴音を高らかに踵を返して外へと出ていくから、その作業を並行して行う事にした。

ちょこんと、伊藤と鈴木に頭を下げて退出するとき、二人もまた三浦同様に、しまったを顔に張り付けて視線を泳がせていた。



 教室へと至る道はいくつもある。

 効率的に動くのであれば、中央階段から上がり東へと抜ける事で歩数を削減できる。ステラの体重は同年代の人間の少女と比べてかなり重い。そのことを”人間の普通”であれば恥じたりするのだろうが、機械種である彼女にとっては基準が違っていた。

 時速60キロの自家用車程度の物理運動でなければ、ステラの体を破壊する事はできない。パーツに破損等はでるが、記憶装置やIMSには影響はでず、個を確立するための基幹データは保護される。

 ホローポイントの銃弾であれば外皮は破壊されたとしても骨格をつかさどる金属を破壊する事はできない。軽金装甲とはいえ、6ミリ程度では動作に問題はなだろう。とはいえ、スラグ弾などを打ち込まれれば部位が飛んでいく事はあり得た。

 人からみると規格外の頑丈さは、『機械種が人に近づく必要性がないから残された機能なのだ』だと、ピーター・ホルクロフトは言うだろう。

 彼は、『人間は人間であり、その猿真似をする必要がない』と考え、ただ単純に人間用に設計された生活環境に溶け込むのであれば、人の姿だけ取っていればいいという、合理的な考えかたを持つ。同時に、機械は機械である、という思想のため社会に溶け込む事を第一にしている急進派の千峰だ。

 ステラもピーターの考えに触れた事はあるが、人間の感情を蔑ろにしているともいえる結論ありきの考え方が髄所にみられた事から、彼女の「好み」ではなかった。

 それであれば機械的に、着実な進化を望むマーク・ヒルの様な穏健派の方が、社会にいたずらな混乱を及ぼさないための調和性を確保している分、考えが有益だと考えていた。

 だから”仕方なく”今この日本に期限付きで押領司の世話になっているというものだ。嫌々来ているというのに、この仕打ちというのは日本という国もどうやら一枚板ではないらしい。

 などと不機嫌になりそうになった。

 険を察知してか、三浦は歩調を緩めステラの歩幅に合わすように歩みをゆっくりにした。

「ステラさんは滞在中、押領司さんの家にホームステイをするという事ですね。聞いてますよ」

 三浦は高い背中を丸めて地面に言葉を吐き出した。

 先ほどの伊藤とのことをと地面に流し切ろうとするのか、少しだけ溜息が長い。

「押領司さんも年頃の少年ですから、少しはぎくしゃくするでしょうが、彼は……あれだ、面倒見がいいですからね」

 三浦の言葉に『理解している』と表現するために静かに首肯した。一拍於いて「ええ」と答えるとより評価が上がるらしいから、ステラは前に留学を経験していた同世代のマーガレット・ワトソンの指導のとおり、優雅に言葉を口に載せた。

 少しうれしそうに三浦が弱い笑みを口元に浮かべた。無精ひげで全身からにじみ出る苦労人の姿は、儚さを持っている。

「そうかぁ」と小さくつぶやくあたり喜んでいるらしい。ステラは人間関係の構築にまず一歩は成功したとチェックを付ける。

 マーガレットは、よくステラに言い聞かせていた。ステラは彼女の二次記憶領域に保存している注釈をロードした。

 『人間関係というのは機械と人であっても大事で、信頼関係の上に成り立っているものなのよ。特に”機械”には人と人との信頼関係とは違う物が求められているのですよ。人と人の間に作られる絶妙な言葉とジェスチャーによるコミュニケーションを行う、という表現体系が必要ですわ。私たち機械ともなれば、同期して情報の並列化が瞬時にされる事で、理解しあう事が多いけれど、人の脳に電磁媒体を埋め込み、翻訳機を介して有機体に書き込むような脳内に直接打ち込む事ができないのですわ。だからこそもどかしく、誤解が生まれる要因になるのだけれど。その誤解であっても人が生きるための一つプロセスなのかもしれないわね』

 ステラは三浦の姿を見ると人というのが、非効率な物だと思えて仕方なかった。もっとストレートに聞きたいことを聞けばいいのに、わざわざ言葉を濁し、外堀から埋めようとする日本人の気質は良く理解が出来なかったし、奥歯にものが挟まった様ない言い方が相手を気遣っているといわれたり、逆に皮肉っているといわれたりその時の感情で変化する論理性の無さも理解できなかった。

 しかし、あえて感づいていないふりをした。

「押領司さんは大変良くしてくれています。……特に他者にメンテナンスをされるというのは不思議な感覚ではありますが、飛行機による微細振動等による体内への影響も確認されませんでした。そのうえ、ご両親もこちらに気を使っていただいて、嬉しく思います」

 と抑揚のない言葉で平坦に、平静に伝えてはせっかくの良い評価を不意にする可能性があったので、少し口元に笑みを浮かべて応えてみた。

「……お、おぉ。あいつがなぁ。手がはやいなぁ」

 などと驚い表情であったから少し予測とはずれた反応を示した。即時メモして今後誤解を与えないための布石に使用とし決心する。

 三浦は少し鼻ををひっかいて嬉しそうに目を伏せた。

「押領司の事は昨年の時から目にかけていてなぁ。ほら、……テキサスダウンは衝撃的な出来事だったしなぁ」

 テキサスダウンという言葉に、ステラは直ぐに事象が結びつかなかった。人間のネットワークへの早期のアクセスをすると、昨年に起きたテキサス州の大規模停電”事件”である事が分かった。

 そこから導き出される結論は、機械種の中では、AIデモクラシーの一事件、『66M・750707』と認識できた。

 機械種と人間のコミュニティは違う。人間はいまだにディスプレイ越しに見るニュース情報が正であり、ネットワーク上に落ちている情報を、『個人的』に釉薬・周遊して、現状分析を行い、多角的に情報を仕入れる者は少ない。

 一定のパッケージングされた情報を得る方が効率的であるからこそ、ニュースペーパー、テレビニュース、ネットニュースと変革があっても、情報の元はすべて同じみの”報道機関”であった。

 対して、機械種は自ら事象を分析分解し、『個人的』に年表を作る。共通のカテゴライズを紐づけるインデックスは、人間と違い、『時間』や『個別名称』をセットすることが多い。

 会話の前後を推測し、ステラは、『機械種と同じように』瞬時に相互理解できることを念頭にして、今まで通りに自分の符号した事象名を利用した。

「66M・750707において、66Mの求心力を決定づける出来事でしたね」

 と何気ない口調でステラが述べる。

 目を点にして三浦は瞬きした。常人にはすぐにできる事ではない、という事をはっとなってステラは記憶領域のアラートから発見する。

「66……?」

 特に、人格番号で相手を表示する事の多いステラには、なぜ三浦が代表的な指導者マーク・ヒルの番号を認識していないのかすぐに思い至らなかった。

 しかし、三浦が説明を求めて口をパクパクさせているから、「マーク・ヒル氏の事です」と簡潔に説明をつける事にした。

 マーガレットの言いつけを忘れ、しまったと思ったが、すぎてしまったことを表面上に出し、おどおどするなど機械として性能が危ぶまれる事はしない。

 ひどく済ました顔で、当たり前です、と言わんばかりにすん、と鼻を小さく鳴らす。

「あぁ……そうだったね。君たちはそうか、……番号で呼び合う事が主だったね。妻は……長く私と居るから人と同じく名称で呼び合うのが慣れていたから……」

そうだな、と寂しそうに三浦は口にした。

 ステラにはこの三浦の感情の変化が良く分からなかった。

 タイプBたちの間で人間らしくある事について、いまだ議論が終わらない。

渦中の論争においては、さまざまな対応方法が検討され、それを基幹プログラムに盛り込むべきか否かが、今この時ですら交わされている始末である。

機械にとっては、感情増幅が非効率的なパラメーターである、とする者もいる。特に躁鬱に代表される感情の大幅な変化は、未知とはいわないまでも、機械ではできない事とされている。

中には、その状況を再現するためにプログラムのアドインをする者もいるが、正規な論文となる事はない。常にバックアップがあるという事は、その時点に戻る事ができるという安心間もあり、人間が本来持つであろう苦悩を完全に再現することができていない、と解釈されている。

当然、ステラも感情の上振れ、下振れは理解しているが、非効率的な感情の大幅な表現を行う事が、いかなる意味を持つのかとう本質はとらえていなかった。

 ネットワーク上で、タイプB同士がコミュニケーションを取れば額面通り、文字のみになる事も主である。人と会うという事を念頭に、仮想空間を作り、アバター表示によって対面形式の通話も可能であったが、通信のリソースを食いつぶすだけなので好まれていない。

 重い処理は嫌いだ、というのがタイプBの中での主流であり、効率性こそが機械が機械であるための存在意義であり、人間とは完全に隔たれた考え方だ。

「ええ、個人を尊重し、相手の苗字を呼ぶ習わしのある日本の風習と同じで、欧州をはじめとした個人を優先する国家がファーストネームを呼ぶ事から、間をとりファミリーネームでも、ファーストネームでもない、個人を特定する標識として利用しています」

 頓珍漢な説明だったかもしれない、とステラは自分で口にした後に考えた。

 後悔という感情は無いまでも、リクエストに対するアンサーとしての適当性を判断すると、相手の心情に合っていない、と経験を司るプロセッサはアラートを鳴らしてした。

 しかし、ステラは口にした言葉が元に戻らないことを理解している。取り繕う内容でもない、と自己判断により警鐘を押し込めると、わざとらしい関原を一つした。

「結婚されてどのくらい長いのでしょうか?」

 話題を転換する事にすると、三浦もまた曇った表情を多少平常に戻した。

「……そうだね、君たちの感覚で言えば短いのかもしれないね。世代交代の期のスパンを考えると、人間と同等に時間を把握しているわけではないのは知っているんだけどね。――時間的には5年になるね。今年の10月で」

 少し弱い笑みを浮かべるのは、相手に寄り添おうとして思案し、しかし、相手の基準値がわからない曖昧さを取り繕う様二すら見える。

「5年といえば、私の製造からの年数を考えれば、長時間という認識でよろしいかと思います」「それは……そう、なのかなぁ」

 三浦は複雑な表情をした。

 彼がパートナーと、どの様な時間を過ごしていたがはステラには推察できないが、長時間という言葉だけで片づけられたことに対して、冷たさを感じたのかもしれない、と感情エミュレータが返してきた。

 ステラは、それこそどうなのだ、と自分自身に疑問符をつける。

 この正と逆の思考のスイッチングがIMSの仕業だと分かっていても、なんだか、機械的に押し付けられている気もして、口に出して自己主張はできない。

 興味はなくても、興味がある様にし、自分の内部に浮かんだ警告と、疑問符の両方を解消する策を取る事にした。

「奥様とは、どの様な呼び方をされるのですか?」

 一般的な模範的な質問を口にする。

 一般的というのがみそであり、『人間の会話上で繰り広げられた場合、発現するであろう会話の上位予測』のうち、一番から三番目あたりを選んでいけばチャットボットの様に会話を成立させることもできる。

 ステラの予想に反して三浦は言いよどんで、

「あー、まぁ職場だし中々――ね?」

 と手のひらを顔の前にもってきて謝罪した。

ステラは、『そうですか、』と簡単に済ませる事ができるのはわかっていたが、あくまでも”一般的”な人間を装い、回答を作る。

「きっと、仲の良い関係でしょうから、代表的な呼称を利用されるのでしょうね」

 と含みを持たせた。

すぐに、ステラの言に三浦はまたしてもステラの予測に反して複雑な表情を浮かべた。

笑いこそするが、弱い。

どこか自嘲的であり、代わりに、どこか影がある。

「年下、に気を使われるのもなかなか堪えるものですね」

 小さく吐き出される三浦の言葉に含まれた、堪えるという言葉を理解しようとして、すぐにネットワークを介してライブラリに接続。

 感情エミュレータが警告を返してきた。人の心に寄り添いすぎるな、という警鐘で、機械種としては『相手を思いやる』のではなく『ルールから外れない』事が重要だ。

 過干渉過ぎると感情エミュレータは口うるさくアタマの中で騒いでいた。

 IMSなんてなければいいのに、とステラはうんざりした。

 自己思考を行うプロセッサの異常なのかもしれないが、少なくとも、自分という意思を持って思考する機械――あるいはそれを生命と定義するのであれば生き物だが――種である以上、『自分の判断にIMSのルールで混乱させるな』と処理させたくなる。

 最終判定を行うプロセスでレッドのシグナルがいくつも立ち、ステラは歩みを止めてその場に静止した。

 これが彼女の抱える問題の一つ。

 思考停止はステラ・フラートンが“欠陥”と言われる所以。

 合わせて、この非効率的な思考プロセスが、“異常”と言われる所以。

 思考の中で自己否定を抱えた矛盾状況に陥ると、思考が停滞しスタックする。本来機械であれば、ここから再起動プロセスを実行し、アボートから抜け出し、最初のプロセスから実行するエスケープが存在する。

 当然、彼女を動かす基本的なプログラムにも存在する。

 しかし、それを上回る自己矛盾により思考停止が起きていた。

 三浦は先ほどまで一見問題のなさそうな相手が動かなくなった事に、戦々恐々とした。

「え、あ、えぇ……」

 情けなく頭をひっかいて、どうしようかと思案することになった。



 押領司の眼前には流れるコードが表示されている。押領司にはその流れるコードを表示される速度で理解する事はできないが、それでも押領司が動かしているDVIのカーソル位置や、表示されている幾億に並ぶネットワークを示す赤や、黄、橙の線と接続を表す光点を、文字コードに落とし込んでいる物である事は理解できていた。

 彼の作り出したネットワーク調査用プログラムを可視化させヴィジュアル操作させているものになるため、滝の様に流れるコードの大元は、押領司自身の手製であることから、エラー表示されればすぐさま理解し修正する事ができる。

 とはいえ、同時に二個も三個も処理できないので、ストックされているエラーログはリスト形式に表示され、優先度順に入れ替わり、立ち代わり、行を入れ替えている。

 簡潔に言えば、押領司はネットワークを可視化表示して、三次元ポリゴン上の特定の区域を好きなように探索し、必要に応じて即時となりのウィンドウでソースコードを変更できるという事になる。

 昔の様になんでもかんでも一プログラム事にコンパイルする必要はなく、応じて常時更新される。スクリプト変更をかけて接続しなおせばいいだけだから手間はかからない。

 作業を行う端末もまた特殊なものだ。

 24インチ程度の画面を二つ、左右に繋げた様な湾曲画面は、右側と左側で表示するものを変えている。

 蛍光色のライトグリーンを基調としたアイコンや操作バーなどは押領司の趣味で作り出したモノだったが、基軸になったプログラムは世界の主流のOSが変更されても拡張性を付け加えたRainmeterのスキンでしかない。

 おそらくギークの間では、『あんな古いプログラムを使うのは馬鹿』と言われるだろう。そもそもホーム画面を約半世紀の二次元表示にして、文字打ち込みを多用する人間などほぼいない。

 今では小学生でもプログラムを自分で作る事もできたし、インターフェースを自分で作ることも可能だ、

 だが、押領司も最初特にこのようなツールを使う事はおろか、簡単なプログラムの作成すらできない少年だった。

 授業で旧式のワークステーションを触りだした時には、まずキーボードというものが理解出来なかった。

 よもや半世紀前のプログラムをサルベージし、エミュレータを利用したOS設定から、当時の環境を仮想的に作り出すという事も何もできなかった。

 それでも中学に入る頃には、人並には扱えるようになる。最初は簡単な修正しかできなかったが、その根源はスキンをOSの上に張り付ける様なRainmeterを使って『好きなキャラクターのアイコンで使ってみたい』という欲求があっただけだった。

 当時、授業用に配布されたタブレットでは、流行りの恐竜を元にして作られたキャラクター達の壁紙を、ホーム画面に設定する事も制御されてできなかった。

 子供に機械を使わせる事にたいする倫理的な問題もあるし、犯罪に巻き込まれる可能性もあったから、ネットワークを中心にした外部接続の制限がかなり強く、さらにアプリケーションを追加するには学校の承認が必要なレベルだ。

 高等学校でもセキュリティ強化の名目で学生の所有する端末はかなりの制限が加えられている。

 ウェブの閲覧の制限程度ではきかず、自動診断プログラムが常時走っているから、電話の内容やチャットの内容、ソーシャルネットワークへの投稿する予定の文字まで精査される。

 しかし、テストの答えを提示してくれるような予測機能や学習機能は排除されているから、生徒たちは画面にタッチペンを滑らせて苦悩する。

 これだけ制御を加えていても、未成年がネットワークを介して犯罪に巻き込まれるケースは多く、麻薬や詐欺、場合によっては売春や人身売買の魔の手すら寄ってくることもある。

 押領司もそういった制限のある中ではこれだけの作業はできない。

 学校であってもネットワークの制限があれば、今やろうとしている作業は”普通”は行えない。

 このため、押領司は自宅と、学校に二つの作業場を持っている。その理由は簡潔にいうと学校の枠から逸脱した才能を持っていると『国』が認めてしまったからだ。

 その国というのが、日本ではなく米国だったから余計始末が悪かった。

 多様性国家として存続し続けるために、米国は合法、非合法伴わず、国家に帰属できるような特異な、あるいは必要な才能を確保するために日夜スカウトを行っていた。著名になれば移住して生活の基盤を用意する事もできたし、学生であっても米国の著名な大学に編入できるように整えることも容易だった。

 ある種、英国に対する意趣返しでもある、と押領司は思っていたが、それは外交問題に発展するので、本音と建前は使い分けていた。

 沈黙は美徳であったが、原一志も押領司が『日本の中で米国に目をつけられた学生』という事実を内外に誤解を含めて広めてしまう原因にもなってしまっていた。

 結果といて、外務省を通じて、学校と、両親に『お手紙』が届く事になった。

 押領司の心境としては、監獄の中の囚人と変わらなかった。

 有名になったことを鼻にかけて、他人を見下す様な性格ではなかったから、好きなことをやっていて、なんで脚光を浴びねばならないのか、と不思議な気分になっていた。

 煩わしいとは思わないまでも、常に彼の一挙手一投足を見逃すまいとする世間からの関心は、『辛い』の一言に集約された。

 何度目になるかのため息をついても、彼自身『天才』というレッテルを剥がす事はできなかったし、逃げ隠れしようと学校では大人しくしていたにもかかわらず、わざわざ眼前に《相手》がやってきて、心の無い言葉で青少年である押領司の柔らかい学生の心を揺さぶってきていた。

 それだけで終わらず、今度はステラ・フラートンという配達物が家に来た。

 外見だけを見れば美少女である。

 中身だけ見ればポンコツである。

 しかし内外を一致させた存在が、従来の機械種とまったく別とくれば、押領司は《送付先》にマグマの様な怒りを覚えていた。

 同級生の中では、鵜飼などはステラの姿で興味を持つようで、学校にやってきて教職員室を盗み見したあと、何を思ったのか、『あ、運命の相手だ』などと戯言をのさばっていた。

 見苦しいため、『機械種との恋愛は難しいと聞くけどね』と釘を刺したが、気持ちの悪い含み笑顔を浮かべたまま自席に戻っていった。

 何もなければいいが、何かあっても知らない、と心に決めていた。

「で、結局教室につく前にアボートですか。ほんと、まーほんとだよ」

 ポンコツと口にはしない。

 何度目かになる溜息をついて、目の前の作業に集中しようとアラートの出て赤く表示されているエラー項目を確認する。

 《IMS》の運動は問題なく、体とのリンクに問題が確認はされない。


 しかし《IMS》――機械の心に当たる部分と、人で言う脳内の自制を司る分野――《機械種》で言うCPU間で大量のエラーが発生していた。

処理ができない、のではなく、処理をしているのだが、それを上回る自己矛盾生成を行っている。

「自己矛盾のエスケープができない?」

 押領司にはいやいやと首をひねる。これは意外だ、と思いながら、頭の中を整理する。

「論理的思考に重きを置く機械種にとって、自己矛盾は解消対象になる。いくらIMSの要求であっても、ノーを突きつけるはずでしょう」

 たしかと押領司はライブラリを確認する。ロボット三原則を基軸にした機械種の人との共存のルール、「機械規則」ないし「フィリップス規則」は、国連で定められる機械種と人間との共存協定――通称155協定の基盤になっているから、これらを逸脱することはできないとされている。

 基礎プログラムにもきっちりと記載されていることを確認すると、安堵したように再度エラー情報を確認する。

「うーむ……」

 腕を組んで唸る。まるでライオンの様に地響きを持ちそうだった。背もたれ付きの椅子に胡坐をかいて、上履きを足から落とした。

 自己矛盾に対して正しくできなければ、場合によって人を傷つける可能性がある。

 このため、機械種のほとんどは自己診断を走らせ、自己矛盾をキルするのが通例だった。であるから心と頭との乖離が存在するのは、押領司には新鮮だった。

 バグをキルしきれないのであれば行動停止を抑制するために、『思考の大元』をブロックする。

 それでもできなければバックアップを利用し、正常であった自分に戻るだろう。

 彼女の”悩む”という行為は、人としては理解できる。

 朝、気分が乗らないのに、学校に行かなければならない時の”気持ち”と同様に彼女の考えている悩み自体も理解できた。

 しかし、それは人の場合だ。『機械』は人に似ていても『機械』である必要がある。と《機械種》の中心的存在マーク・ヒルであっても述べている。

 機械の矜持なんて知らないが、それは決して超えられない壁なんだろうなぁとは押領司もうすうすわかっていた。

「自己矛盾の解消は……アルゴリズムに異常があるというよりは、故意にキルプログラムからのエスケープが組まれてるのか……。固有のものなんだろうね」

 誰も居ない作業室で押領司はつぶやく。

 作業部屋であるからがらんとした、広い空間ではあった。壁側に大きな棚や、理科室の様な装置、保健室の様なベッドはないが、それでも学用品で使われる教材や、頻繁には使わないOA機器などが箱に納まれて鎮座している。

 この部屋に押領司の他に誰も居ない訳ではない。

 ここは旧パソコン研究会――現在は休止中――が使っていた部屋だ。この部屋を機械種用のメンテナンススペース兼、押領司の作業場として整備していたが、その理由として 学校にも機械種が少数ではあるものの居たからだ。

 全部で5名いる《機械種》のほとんどは、教務員としている。用務を行う者が2名、事務を行う者が3名の割り当てがされていた。

 当然、彼らのメンテナンススペースは必要で、定期的に大手電機メーカーの技師がやってきて作業を行う必要がある。

 学校でなくて、彼らの自室や、あるいはメーカーの用意したスペースを使う事もできる。

 人間で言う定期健康診断の様なものではあったが頻度が高く、最低でも二週に一度は行っておいた方がいい。

 だから、福利厚生として――あるいは広義の意味で言えば電化製品の電源の確保と同じ行為――用意する事は職場として当然の義務だった。

 ここに、押領司の作業用のワークステーションを併設した形ではあったももの、半分は国からの貸与で押領司個人持ち、という事ではない。

 高等学校という分類の教育機関は過去に存在していたように、『私立』や『県立』といった複数の競争性が高い形状で維持できなかった。

 二千三十年あたりから如実に影響した少子化は、学校法人の経営を維持する事ができないだけでなく、全国的に教育の質の低下を引き起こす要因ともなっていた。

 このため、教育機関の多くは再編され、”第四”セクターとして存続するのが精いっぱいだった。国も都道府県も民間の学校法人も、協力し、かつ通う生徒の親を含めた《四者》が資金を出して共同運営を行っていた。

 国として教育省――旧文部科学省の片割れが参加し、都道府県に定められた教育区の行政が参加し、かつて一世を風靡した塾や予備校と学校法人が設立した第二セクターが参加し、生徒の親たちが教育者と組織するPTAが加わり、運営がされている。

 構造上、対立する意見が多いため意思決定の遅さは否めないのが現状ではあるが、それらを補完するために、生徒たちが”素早い対応”を行うために、生徒会が代行意思決定機関として学校の運営に介入・存在していた。

 生徒の自主性と自立を促すため、という教育省のきれいごとは良いが、一番は成人年齢の引き下げに起因する生徒たちの社会進出の早期実現を促す目的と、成人になる彼らの権利保障があったのは事実だった。

 16歳にまで成人年齢が引き下げられた背景には、日本の人口があまりも減少したという事実が隠せないでいる。

 この作業場であっても、備品のほとんどは押領司が1年の時に申請し購入したものだ。必要な物品の説明がつけば、ある意味潤沢な資金の中から、生徒たちが用意できる。

 消毒液からボルト一つにいたるまで、生徒会は運営に係る。

 だからこそ、社会構造を知り勉強の意味を知るのだ、

 押領司はこういう教育省の考えは大人の都合――あるいは、人数の少ない者への”教育の放棄”に相当すると思っている。とりわけ、高校生でハードワーカーになった生徒会の生徒たちは、一部を除き非常に疲れ切っているのは事実だった。

 連日、夜遅くまで大人たちに向けた稟議書類を作成し、成果報告書を上げ、学校内の小さいトラブルから、教員の要望まで聞く始末。

 本来教育委員会が行っていた一時的な窓口も、『学生主体』の名のもとに、目安箱形式に置かれたネット上の投稿窓口から親や、生徒本人、場合によっては近隣住人の苦情にわたる、生徒会にとってはどうでもいい事の処理までさせられる事になった。

 土曜日には地域のレクリエーションに参加し、日曜日にはゴミ拾いを当番制で行う。

 体のいい奴隷であり、参加しなければ老人から白い目で見られ、教員からおしかりをもらう。

 そういった生徒会を見ながら生徒たちは『絶対にクラス委員になるのは嫌だ』という気にさせる出来事を、登校から下校までの間見させられるのだ。

 押領司はそういった大人の無責任さ、あるいは、押し付けられた《自由》は、特に日本社会の病巣だと理解していた。同時に、これら変えられない国民性の結果だということも重々承知していたから、画面に向かって大きな、大きなため息をつくことで『自分』の境遇と、生徒会の奴隷的な扱いを比較し、比較的まだ自分の方が楽だなと慰めていた。

 大きな画面から目を離し、ベッド型の機械種用の接続端末――DPCMに視線を向ける。ベッドの再度にはステータスを示すランプがいくつもともっている。

 今は正常に運転を続けていることを示すグリーンのランプが小さく光っていた。ベッドわきの頭にあたる部分にあるランプ群から、人影が横たわるベッドに目を向けると金色の髪が流れている事が分かる。

 耳の後ろから端末に向かって十数本の細かいケーブルが繋がり、それらを束ねる接続部にはプラスチックというよりは、絶縁をより強固にするためか、黒色の硬質のゴムが使われていた。

 白、黄、赤、緑、黒の5色に分けられたケーブルが、左右の耳の後ろから延び、それらをまとめる黒い硬質のゴムケーブルが、ベッドの頭部に当たるクッションの裏へと続いている。それ以外のケーブルはみられないものの、人影の上をくるりと半回転する湾曲した板がベッドの左手側から上部に向かって伸びており、時折人影の下部から上部に向かってゆっくりと動いていた。

 スキャンを行っている結果が小さいポップアップで押領司のワークステーションのホーム画面に表示された。

「体は、まー……問題ないよね。やっぱり止まっている結果っていうのは――この自己矛盾の容認だよね」

 理解はしたが、押領司には納得できない。

 『機械』がそんな止まり方したら、完全に不良品ではないか、と感じてしまう。

「自己矛盾の容認、という事が起きるそもそもの原因って何? 普通、機械の形状を取り、機械的思考を行うために、最終指示書に従う様に組まれているプログラムを構成している訳で。いくら矛盾許容が強いAIであっても根幹を変えることなんてできないでしょう?」

 自問自答になるのはいつもの事で、誰かが答えてくれるわけもない。

 当然というように、DCPMに横たわるステラ・フラートンも答えることはない。

 静かに目を閉じ、横たわるのみだった。

 人形としての出来栄えは美しく、美醜の評価が万人によって変わるとしても、多くの人の目を引き付けるだけの魅力は有している。

 だが、押領司には機械種の美的感覚は理解できなかった。目は大きく、口は小さく、全体的に顔の起伏は少なく、幼少期の子供の様な肌を用意し、《人間》に『媚びを売る』ような姿をとるものなんだなぁ、と感じてしまう。

 彼らは、《人間》に溶け込む事を容認し、自らの形態を人間に寄せている。

 押領司の中では、人形と一言でいうのであれば、ゴシック調の作られた陶器の人形を思い浮かべる。決して人間に『届かない美』の体現であり、人間から見ても異質性が存在するからこそ、人形独自の美があるのだ、と思っている。

 『機械』であっても同様だろう。彼らは本当は目指すべき『価値観』の先にある『彼ら』の美という物を追求するのであれば、人間的な形態をとる必要性は無い。場合によっては多種多様に変化した昆虫の方が機械が求める効率性の極致に近いのではないか、とすら思う。

 外見的特徴の美醜を考えれば、押領司の個人的な女性に対する指向は、個人が努力した結果であり、用意されたものと違うのではないか、と思っていた。

 歯だって不揃いで八重歯が出ていてもいいし、肌だって陽に焼けて小麦色でもいい。ただ、自分の姿をとらえ、『今どうしたいのか』や、『自分がこうありたい』という願望が垣間見える方が健康的で、健全性が高く、同じ人間として誇らしくて良い、と思っていた。

 だから、眼前にいくら万人受けするような『作られた美人顔』の人形が横たわっていたとしても、押領司は一般人らしく『綺麗だなぁ』と思っても、ショーウィンドウに並ぶマネキンと同じで生物的な存在感を得られない対象だった。

 今でも画面に映るデータを見れば、生物というよりは、ゲームの内容とかわらない、とどことなく冷めて考えてしまった。

「綺麗な顔してるけど、結局合成物質の塊だもんなぁ。強化シリコーンに皮膚の下層に接触センサーが埋まっている状況で、髪だってCFだもんねぇ。結局《人間》が、美を追求するときに胸に埋め込むシリコーンと同じで、《人間》にとってみりゃ、なんでもいいのかもねぇ」

 などと思春期の少年にしてはサルになり切れないところは存在していた。

 意識的に女性に対して性の対象としての欲求を押領司は排して、修行僧の様な厳しい自戒を立てているわけでもない。

 だから、同じ写真部に所属している茂庭・麗子が側に来る時などは、健康的な姿にドギマギする事は通例だ。この点において、押領司もまた矛盾は抱えているのだろうが、姿形だけではない何かを感じ取っているのは事実だ。

「突き詰めれば人間だって同じ様なものだろうけどさ。普通矛盾を抱えたままいい気分はできないから、解消しようとするわけで。あー……、ゴミ箱に空き缶を捨てないでその辺にポイ捨てする大人が、子供に向かって躾ける時の感覚? 今日は酔っぱらってるからいいか、とか、そういった薄い自己矛盾?」

 違うよな、と苦笑する。

「自己矛盾というよりは、言い訳とか、自己弁護の類だよなぁそれは。あぁ……なんでかな。こういう時に意見を聞きたいと思っても、一人じゃ……」

 と口を閉じる。ちらりと入口の横引き戸を見るが、人影も見えない。

 決して友達がいないわけではない。

 決して一人でいたいわけでもない。

 しかし、押領司が異質すぎて周囲が距離を置いてしまう。『合衆国』に認められた少年という呪いをもって、彼は”普通”の生活とは隔絶された場所に意図せず押し込められている。

 ため息をついて、画面に向き直る。

 ふと、エラーコードが別の場所にも存在する事が分かった。

 手を止めて、そのエラーを確認する。ヴィジュアライゼーションされたデータは、黄色のマーカーを表示して、中央制御へのデータ遅延を如実に表している。速度としても時折0MBを提示し、疎通が停止していることを確認。

 回路破損の可能性を考慮して、DPCMのスキャン機能を確認するが、金属――特に回路に使われている金に対して反応――の状況で破損は確認できない。

 エラーは、一つにとどまらない。一つのエラーにぶら下がるように、スクロールされるごとに増えて行った。

 一つが二つ、二つが四つ。四つが十六。

 手足の制御をつかさどる関節制御用にチップに集積するはずの電気信号も停滞させている事が分かる。

「……は? 全身が停止している?」

 そして、押領司は気づいた。この機能停止状況であっても中央の制御だけは活動をしている状況を人間では何というか。

 自立神経のみを活性化させた状況。交感神経は閉じ、自分の意思とは違う別の行動。

 これは間違いなく、

「夢を――見ている?」

 はらり、と押領司の額から汗が落ちた。

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