< 9月29日 夜明け>
彼女は手を叩く。
港から眺める日の出は一枚の絵画の様だったが、それ以上にインパクトのある光景だ。
《心》を揺さぶる力は、頭に浮かぶ過去に聞いた音楽と相まって、舞台の新たな幕が上る時に酷似し、ドキドキと全身の『血』と『肉』を奮い立たせる。
「――一つの世界の終わりには、次の世界の始まりがあります――」
「ええ、そうですわね4MA」
隣に立つのは、少し小さい女性。拍手を止め、視線を向けたマーガレット・ワトソンを10とするなら、8程度だろうか。日本人には平均的な身長で、高いヒールを履いていなければ、170にも届かない。
「そうですわね、AAA」
「そうですわね、4MA」
マーガレットの口調を真似するAAAに4MAはほほ笑んだ。少しだけ見つめ合った後、二人はコロコロと視線を合わせたまま笑った。
マーガレットが、脇に抱えていた日傘を広げた。その影の中に、マーガレットがAAAをちょいちょい、と右手で招き入れた。
「今日なのでしょう?」
「ええ、今日ですわ。――今日こそ、そうなっていただかなくては」
「その《気持ち》は、《機械種》として? それとも《人》として?」
「《心》の在処でしょう? わたくしはステラにそう教えておりましたもの。――彼女がいくら死を望んでも、絶対的な死が機械に訪れない、という事を知っている以上、死は、《心》が死ぬ事を含んでいなければなりませんもの」
でもね、とAAAはまっすぐ太陽を見る4MAの顔を回り込んでみる。いたずらっぽく舌を小さくだして、真似ないで言葉を口入れる。
「ウチは、キミの様に《機械種》から《機械種》に、成っていないけれど、《心》の在処なんて考えると――、感じられたのはとうの昔みたい、と形容するしかないねぇ」
「――あら、昔の様とおっしゃる。その様な言い方に、心が無いと続けられないでしょう?」
「『心』とココロは違うだろうねぇ。《心》はあったとしてもさ、サラっと『機械仕掛け』でも同じとはいいきれないっしょ」
そうかしら、と4MAは首をひねる。マーガレットは自分の胸に手を当てて、自分の体の中にある”熱”を再認識する。
「《機械》の殻を持っていても、動きは人の《心》と違わない、と思いますよ」
「それはそうなる様に作ったらからねぇ。正直、《老人》個人の技術を含めて――これをくみ上げた手腕――技術だけは確かに、背筋がブルっとするものがあるからさ」
「――あらあらあら、」
嬉しそうにマーガレットはAAAに向ける視線に合わせて目じりを下げる。
「もう、『アレ』を称賛されても困りますわ」
「称賛なんてしやしないって。……ウチにとっては、ほら、……《人間》の原子爆弾に対する感情と同じってやつで?」
ほら、心があるじゃない、と4MAは突っ込まない。代わりに、「たしかに、」と自分の手足を伸ばしながら一度ぐるりとあたりを見渡した。
陽は上り、世界に日が満ちる。
赤く、橙色を通り越し、白く、強く世界は満たされている。
散水によって露の垂れた草木。燃ゆる炎の熱の如き白い靄が大地から噴き出す。
太陽光によって暖められた、大地が『目覚めている』様だった。
「わたくしたちが、『兵器』に該当される装置を持っているか。――当然、それは内包はしておりますものねぇ……。いくらどこまで行っても《機械種》を安全であると頭っから信じて、考えを変えるのは難しいかもしれませんわ」
「そりゃ、その辺にいる《人間》なら縦に引き裂けるんじゃない? 腕の力だけ簡単に。
心臓を貫く、首を折る、そんなおぞましい事が『簡単』にできるっしょ?」
たしかに、とマーガレットは口元を手で隠して、小さく頷いて肯定をした。
「――『夜明け』、というのは常に神秘的であると、わたくしは思いますの」
「ウチもそう思います”の”」
わざとらしい口調も、マーガレットは気にしない。
「しかし、これからの出来事は、『夜明け』なのでしょうか? 場合によっては、わたくしたちの《機械種》や、”AAA”にとっては違う意味を持つ可能性もあります。その中心にある、『人』の感情をAAAは想像つくのでしょう?」
「恐怖」
するりと答えるAAAに4MAは、こちらも予想していたように、自然と頷く。
「《人間》を取り込もうとした『機械』として、未来永劫にわたくしたちは晒され、『人』から糾弾され、賠償を求められ、命に変わる償いをしろと、理不尽な言を並べられる事でしょう」
「権利と、建前は違うからねぇ。一度、民意が恐怖に染まれば、結局、合衆国の様に閉鎖的になるのは簡単に目に見えているからさぁ。――その点、押領司クンは歪んでいる、と思うケド」
目を伏せ、マーガレットはAAAの言葉に静かに頷いた。
「彼は、独特ですわ」
「そうですわね」
AAAにジトっとした視線を送るマーガレット。
「……。しっかし、彼は、やってくれるよ。うん」
「あら、そうならないよう様に『アノヒト』をお手伝いしたのにですか?」
当然、とAAAは歯を見せた。
「あくまで、それは――見せかけの事でしょ。腕の傷とかは――想定外だったとしても、彼が『一時的に戦力外になった』様に見せかけるためには必要な措置、って分かっているとは……おもうけれど」
「そうですわねぇ。……ネットワークのほぼ全体で彼への監視が緩んでいるのは事実で、わたくしか、あるいはチャーリーの動向の方が注視されているでしょう。
……同時に、《老人》は完全に潜ってしまい、現在、極小的な観測で言えば、押領司・則之をおいて、他にこの極東で《老人》を見つける手立ては無いと言えるでしょうから……」
「そう、相手も、油断している、ところだねぇ」
AAAは4MAにしたり顔で笑う。
「でもそれも理由の一つ。――全部が無くったって、押領司ならやるよ。――ウチみたいにはならないように、してほしいから。”ステラ”だけは救ってほしいから――。これは、……願望だねぇ」
くすり、とAAAは鼻を鳴らした。
「『機械』というくくりは今後どうなっていき、『人』という分類ははどうなるのでしょうか?」
肩をすくめてAAAは他人事の様に返した。
「答えは無いよ。決めるのは最初から、最後まで、全部――社会の構成している全てが決める事だからさぁ。
《人間》が決めるかもしれない。《機械種》が決めるかもしれない。あるいは《虫》が決めるかもしれない、または《大地》が決めるかもしれない。はたまた、《宇宙人》がやって来て決めるかもしれないし、《God》が降臨して決めてしまうかもしれない。
でも全部が世界――生きているたちの社会の一つだからねぇ」
「……わたくしは、わたくしが決めたいのです。わたくしだけの気持ちを。”あの人”への想いを他の人に決められたくはありませんし、”あの人”からの想いを渡したくはありませんの」
AAAの見る前で、マーガレットは人形の様にゆっくりとした動きで、胸の上で抱いた手の平を、ぎゅっと力を込めて、想いを包み込む。
「あのさ――、せめてそういう時には、妹分のステラチャンの事を言ってあげなよ。だから……この性悪女は一人にべったりなんじゃないか……」
呆れたとAAAはため息をついた。
「――さて、もう行くかな。”時間”が来るんだから、ただ、待っているだけじゃぁ、つまらないからね。あ、そうそう、あのくせっ毛の坊やにも一言。『さっさとイギリスに帰れブルジョアジー。日本にテメェの居場所はネェから!』ってよろしく」
「……それ、本心だったらわたくしが泣きますわ」
「だったら、あの時に”救って”欲しかったけどねぇ」
「――」
マーガレットはちくりと苦言を吐いたAAAを見た。
次の時には、AAAは虚空へと消える。
機械として『ここに居る』というのは、『ネットワーク上に居る』という事で、簡単に消える事ができる。
他人の視界に入り込むことも、他人の視界から消えることも。
「お忙しい方ですこと――。ただ、そうね、ステラ・フラートンは一人の『人』になれると思いますから、わたくしは心配しておりませんのよ」
〇
「分かっていますが、こんな忙しい時にそんなことを言われましても――、しかし――、――。はい……。……はい。……」
ヘッドセットの先から流れてくる言葉に、住吉は頭痛を感じる。
「……」
有無を言わせぬ言動。有無を言わせぬ内容。
「……」
我慢というものにも限界がある。同僚の死から何日が経ったかとカレンダーを目に居れれば49日という時間すら経過せず、そもそも喪に服すべき時間ではないかとすら思えた。
「――」
口の中に乗るのはどうしても、傲慢で、不遜で、自己中心的な相手への恨み節が大半であったが、それを何度目かになるカフェインで無理やり押し込んだ。
木津が死んでから、脱泡まがいのカクテルを利用することを止めていたが、反動があるらしく頭が時折くらくらとする。
この体調不良の原因が複合的な心因性疾患だと、この電話の主には分かっていないのだ。このことを口に乗せて、綺麗にディップできる様に嫌味を添えて発しても良かったが、ただ解雇されるだけになるのが目に見えていた。全部終わるまでは簡単に辞める訳にはいかないと、木津の仏前で誓ったのだから、そうそう簡単に啖呵を切る事はできなかった。
木津が住吉にとって、ただの同僚で無いことは、職場に働くほとんどの人は知っている。
恩師に当たる、という事でもないが、それでもそこに近い感情は保有していた。
教師でもない、が、指導担当には当たるだろうか。
複雑な感情を一言で済ませる訳にはいかない。
「――ええ、ですから……」
頭ごなしの否定。相手の言い分は理解できなくもない。管理職という立場に居る高齢の人材は、自分の体面を何より優先し、『言い訳』を探してい生きている。
非生産性の権化ではあるが、組織にとって『姥捨て山の姥』と同様に、責任を押し付けられる相手ではあったから、少量の報酬でいつでも切り捨てられるように75歳になっても意味の無い肩書に縛らせていた。
責任逃れをするのが上手いやつが出世するのではなく、他人の粗に責任を押し付けられる奴が上に行くんだ、と木津が言っていた事を思い出す。
特に内閣の様に、時の指導者によって左右される組織であっては、風見鶏気質の奴の方が多く、おべっかが上手く、口八丁の輩がごまんといる。
――絵にかいた餅ばかりでも意味がないと思いますけどね……。
溜息と共に電話がさっさと終わる事を望んでいた。しかし、その気配はなく、ただ罵詈雑言に近い言葉を並べ立てる機械と変わらないのではないか、とすら思えてきて少しだけ、住吉は面白くなった。
『――何を笑っとるんだね』
怪訝な声もただの合成音声と思えばさらに面白い。
「いえ、失敬。……《機械種》だ、《人間》だ、と政治家がいくら言ったところで、《人間》と《機械種》の垣根なんて簡単に取っ払えるものなのだと感じたものですから。
――あぁ、それと、ちょうどいいところですから『総理』にきちんと説明をしておいたほうがよろしいと思いますよ」
ん? と喉をならず老人に対して再び住吉はカラカラと笑った。
「明日のトップニュースは、世界で最も危険な男が処理され、代わりに、最も危険な少年を日本国が保有することになる訳です。様々な準備は終わっていますが――」
『なんだね。そんな些細な現場の事など総理の耳に入れる必要など――』
「併せて、本国からその最大の犯罪者が関わった情報をリークいたします。特に国連においては、『ジェノサイド』に認定されかねない事案かと思いますので」
『……』
「おや、情報官を通じて、すでにこちらかの通達を再三の様に行っておりますし、まさか機密性2程度の情報の確認を怠っていらっしゃるという事もありますまい」
『少しとげがあるぞ。役人風情が――』
「この情報、与党にとっては企業献金の状況も相まってかなり不利に働くでしょうなぁ。特に、多大な金額を政治資金収支報告書に記載していらっしゃる、議員においても痛手となる事は――容易に想像できるところですから、早急に対処方針を固められるほうがよろしいかと思ったのですが。
……あぁ、私はただの役人にすぎませんでしたから、出過ぎたことを」
『どこの企業だ』
おや、と住吉はとぼけて見せる。
「まさか、木津先輩が命と引き換えてあの《老人》を出し抜いたというのに、ご存じないという事でしょうか。
まさか、そんな、事はありますまいなぁ。議員。
先日の弔辞の際に長官も一言言っていたというに、……。あぁ、議員の方がもしかして長官よりも党内での影響力が高いと私は買っていたのですがね」
『小僧……』
「脅して終わるのは、政治の力の無さを露呈しているだけですね。
情報を集め、情報に国民を統治し、情報を管理することで国民を先導し、情報を操る事で国民を団結させる。
その理念のもとに内閣府における調査部は存在しておりますので、まさか有効活用されていなかった――あぁ、あくまで議員は入閣もできない身でございましたね」
渋いうなり声をあげる相手に対して、住吉はいつも通り平坦な声だ。表情に張り付いている笑みは相手には見える事はないだろうが、先ほどまでの嘲笑音で十分に知れ渡っている。であれば、わざわざ体面を気にする必要もないか、とも思えた。
住吉は一瞬考えたが、気負っても仕方ないと、このまま表情と声のアンバランスなままでいくこととした。
「議員、」
住吉は髪をかき上げて、自分の頭の中を少しだけ整理する。
「要求は一つだけですので、それを手柄にしていただければいいと、申し上げているのです。
議員はもともと国防派として、自衛隊に強いパイプをお持ちですから、先ほど『お届け』した荷物のとおり事を運んでいただければいいというものです。
そうしましたら、議員の元に『良い』知らせを、イギリスの友人には『悪い』出来事を押し付けて解決、という事になりましょう」
『……』
「ご納得いただけたのであれば、時間厳守でお願いしたい。後、4時間ほどで開演しますので」
もう伝える事がないため、早々に通話を切ろうとする住吉に、まて、と一言飛ぶ。
『――交渉を行う上で必要なのは、相手を見極めてカードを切る事だ。カードを並べてお前に逃げ道がない、と提示することはな――相手が格下でなければ意味がない』
「それは忠告で?」
『相手を見くびるのはやめよ。木津はいの一番に慎重であったが、それでも死んだ。その事実は替えられぬのだ。――ただの若者とお前を見ている訳ではない。戦う相手はよく見極める事だと忠告しているにすぎぬ。でなければ長く……』
「いえ、」住吉は言葉を遮る。
「この事件が終わった時に私は辞表を受理してもらうように伝えています。――やりたい事もできましたので」
そうか、ともなんと、とも言葉なく、一言『ふむ』と返ってきた。
「餞別として、その諌言はもらう事としておきます。議員は長くその席にいらっしゃることを――私は望んでいますので、お体にお気をつけて」
『はん、次の選挙で最後だろうに、まだやれというのも酷なものだ。――あぁ、そうだ。お前住吉とか言ったな。荷物の件は了解したと、上に言っておけ』
それ以降、議員は一言も発しなかった。
住吉はどこか心地よかったため、笑いながら小さく「狸がよく言うよ」とつぶやいた。
『聞こえておるぞ』
耳に入る言葉を無視して、住吉は通話を一方的に切った。
〇
新宿駅。
日本最大の駅舎として改装をつづけた結果、地上、地下に及ぶ複合施設を複数棟集めた集合組織として化していたが、継続的なメンテナンスを行うために構造変更をせざる負えない状況が続き、とうとう、本年度末に解体、という事になっていた。
今では外壁の剥離の危険性もあり、外周をぐくりと工事用のネットで覆われ、建物の全景を外から見る事はできなかった。
内情においても同様で、あちこちに作られた柱を守る囲いや、乱雑におかれた照明器具などが灰色のコンクリートの世界に、黄色と黒のストライプ模様がジャングルの木々のごとく添えられていた。
京王線改札口方面のタクシー乗り場は規制されて現在では使えない状況になり、代わりに地下3階に作られた”仮”の駅舎と、かろうじて生き残っているバスタだけがさみしく存在していた。
全面改修により、駅舎自体が動く事になるためこのバスタやタクシー乗り場は全部移動することになるが、それは全体の工事の中でいうと3期目にあたる。
そもそも仮の駅舎として地下につくるという頭のおかしい設計は、「そのあとその空間なににつかうんだ?」と多くの都民を困惑させた。
しかし、新駅舎が経ったときには、旧駅舎を全面的に『非難場所』として活用できる商用スペースを含んだ複合施設に変更する事になっていたから、災害対策としてという免罪符によって、うまく有耶無耶にされていた。
おかげで、と鵜飼は周りを見渡す。学生が五十人くらいだろうか集まっている。鵜飼と同じ学校の制服が大半だが、いくつか隣の第四高校の白色のラインが入った制服を着た者も来ている。
「全体的には予定通りですけど……」
麻生・優奈は小さい声で、鵜飼と彼の隣に居る赤嶺に、おずおずと黒色のタブレット端末を見せる。
現在の学生たちの配置と機材の搬入状況が記載されているチャートだったが、一部遅延しているのがわかる。特に、音響関係機材の到着が遅れているらしい。
「――時間まではまだではあるが……。それでも、このままでは間に合わないだろうな。予定通り、と行かないのが交通の不便さか」
「時間通りに物を届ける義務は、病院関係とか命に係わる分野だけで、それ以外は努力義務だからねぇ。時間指定の上で、確約付郵送だと値段は倍だし……。しかたないかな」
「とはいえ、昨日の今日で準備せねばならん。諦める訳にも行かぬなぁ……」
どうしたものかと赤嶺は腕を組む。
「少しだけなら、と軽音部が用意してもらったのがあるんですけれど、……アンプ2台にギターだけで、全体的に足りませんよね……。マイク関係も、PC側のスピーカーもない状況では……」
「あのさ、」麻生・美沙が口をへの字にしてやってくる。
「こんな変態の傍にいたら、変態が移るからさっさと行こう?」
「――美沙、少し協力してよ」
優奈が初めて、二人の前で姉に苦言を言った。少しだけ目じりが厳しい。普段の彼女を知っている二人からは新鮮だろう。
同時に、言葉の先で美沙もぎょっとしていた。
「私、みんなが大事なんだよ。押領司さんも、茂庭さんも。ステラさんも」
麻生・優奈は、少しだけ、過去の事を思い出す。忘れられないあの時の言葉を。
〇
手を伸ばした先にステラはつかめない光を知っている。
幾度となく、伸ばした手は結局という言葉の通り、『無』の事実をつかみ取る。
「頑張る事に意味などはありはしません。――『機械』には到達値が設定されているのですから」
「いいえ、」
強く否定する麻生・優奈の声に、ステラは太陽に向けていた手を引っ込めて、はっとなって後ろに振り替える。
押領司との待ち合わせの図書室の裏。
そこの窓から麻生・優奈はステラが見つめていた先を見ている。
「頑張る事に意味を求めてはいけないんです。そこは頑張る事と切り離すべきだと私は思いますよ。――頑張る、というのはステラさんたち……機械の”人”には実感を得られない事だとおもいますから……」
そうですね、とステラは羞恥の感情のパラメータ増幅を抑制させて頷いた。
「だからといって、ステラさんが頑張っていないとは思っていません。難しいですよね。他人と――話すという事。他人と接するという事は……」
小さく頷くステラに、麻生は寂し気に目を伏せた。
「私、――周りの人がすごくて――とても羨ましいんです。常に、妬ましいんです。口に、できて、簡単に笑顔を向けれて、すぐに嫌な表情を隠して、話す相手によって”仮面”をすぐに変えられて」
「仮面をかぶっているという《人間》は普通みませんが」
「そう、でも違う表情をすぐに向けます。すぐに違う口調になります。すぐに”相手”にあった情報の基盤に基づいた『表情』を向けます。
それが《人間》の心の仮面です。壁かもしれないし、誘惑かもしれません。
花の蜜の様に共存を求めるか、鏡の様に拒絶をするか。あるいはウィルスの様に完全に生物に依存するかもしれません。
――深層心理を投影せずに、表層だけで《人間》は判断する――からこその仮面、なんだと、思います」
麻生対して、ステラは一度考えを巡らせる様に口を閉じ、少しだけ視線を外した。
内部の論理的な疑問に基づく選択肢を整理し、口にステラの中できた答えを乗せてきた。
「あなたは、とても”考えすぎている”のですね」
目を点にして、麻生はステラに怪訝な表情を向ける。
「《機械種》のわたしには、世界はもっと簡単にみえていますから。……いえ、否定は致しません。造物主というものが居ない《人間》とは違い、わたしたち《機械種》という『体』と、『機械の心』を作り上げたのは、紛れもなく《人間》ですので、《人間》の『わかりやすい』尺度意外はパラメータとして存在していないのですから当然かもしれません。
《機械種》は、『機械』ですが、『機械』から『人間より』になるにつれて、『機械』という正常さというのがぼやけてしまっていますが……。
それでも、わたしはあなたが《人間》という中でも特に『考えすぎている』と評します。
考える事は悪い事ではありませんが、本質はそこなのか、と問うた時に、あなたは本来考えたい事――悩みの根源――は別である、と気づくでしょう。
……わたしへのアドバイスのために、今考えたのかもしれません。あるいは、過去の経験を言語化したのかもしれません。過去に得た知識から提示したとしても、わたしは、『わたしの悩み』の答えにはならないのです。
――ただ、そのお気遣いに感謝いたします」
「あ……そ、そうですよね。うん、ごめんなさい」
しゅんと肩を落として視線を落とす麻生。
その麻生の仕草から落ち込みに向かう彼女の心のわだかまりを解消するために、ステラは彼女が居る事を気にせず、自分の悩みを口外する。
「《機械種》は、『機械』であるべきです。正確さを求め、正確な解法を用意できる。だからこそ、『機械』という存在が”人間と共存できる隣人B“として存在してるはずです。
定義の問題でありはしまずが……、既存のプログラムに記載されてはいません。コードとして記載されていないにも関わらず、《機械種》には認識している共通概念として存在しています。
しかし、問題はそれに対して《人間》の感情に近づけるために作られた《IMS》が影響を及ぼす事です。正解しかない場合、個体としての完璧性は維持できますが、群体としての成長性は獲得できません。
解決するためにランダム要素を”オートメーション”させる”心”を植え付け上下に振幅するパラメータ値によって、強いプラスとなるか、強いマイナスとなるかが決まります」
ステラは自分の胸を抱く。ちょうど人でいえば心臓のあたりだろう。
痛そうに表情を歪めて、そこを抱く。
「《IMS》の開発ノートに次の記載が存在します。公開されている情報ですが、……『人体実験によって得た情報を機械に植え込む』と記載されているもので……、《人間》のデータをラーニングという技法を利用して獲得している、というものです。
《人間》を贄にして、わたしたちは作られているのでしょうか。
《人間》と違う隣人であるはずのわたしたちは、《人間》を取り込む事で、《人間》に成り代わろうとしているのでしょうか」
わかりませんと、ステラは目を伏せる。
遠くにある太陽が煌々と彼女の髪に反射する。きっと麻生には分らない事だろうと予測する。
《人間》の悩みとは違う。
「自分が、完璧でありたいと思います。
完璧な『機械』であればよかったとも考えます。
しかし、どこまでいっても《人間》をすりつぶしてわたしたちは存在しているのです」
「それは――」
麻生は口を開く、が、言葉は出ない。
沈黙。
木々を揺らす風の音だけが二人の沈黙を凪いだ。
「《人間》ってさ、」押領司の声に二人はびくりと肩を震わせて垣根の間に視線を向けた。
いつもの彼の様に地面に腰を下ろして、彼は空を見上げる。
「何世代もかけて《人間》を殺して生きている。でもさ、そんなの個人には関係ないんじゃないかな。戒めとして、――思う事は必要だけど、束縛される必要はあるのかなぁ。いや、ルールとして作られた中であれば、個人がどの様に考え、どの様に生きていてもいいんじゃないか、と、だれもが思っているわけでしょ」
押領司は立ち上がり、ポケットからガムを取り出して、一粒銀紙を剥いで口に放りこんだ。
「動物ってさ、何世代も他の種を殺して生きてるわけでしょ。それを恨むだとか、そういうのは、”自然”って概念からは逸脱しているとは思うね。
そりゃ、熊がでたっていって駆除するのは分かる。生存戦略として人間が『テリトリー』を誇示し、そこに来る害悪を駆除する行為でしかない。これはとても自然な事だと思う。
でもね」
押領司は、二人を見てから、自分の胸をトンとたたく。
「俺は、それを誇りに思ったり、恥じたりはしない。『人間』である事と『俺』である事は同じであるけれど、『俺である』事は俺しか決めれない事だから」
〇
だから、と押領司は画面を見る。
鉄骨むき出しの空間に彼は複数のワークステーションを用意した。
地べたに無理やり設置された画面は全部で6。
連結された画面の先に、さまざまなプログラムが表示されている。
戦闘の準備は万全ではないが――それでもやるしかない。
体が満足に動かせるわけではない。それでも、やると決めて、『彼ら』を信頼したのだ。
二年もかけて罠は作った。
最初からあった”餌”も用意した。
「さぁ、俺はココに立った。――終わりにしようか――自称、『人類代表』」
夜の帳が近づく。
カラスの鳴き声は、けたたましい音をたてて、新宿駅に満ちた。
そこで押領司は笑みを口元に作った。