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< 9月26日 世界の見え方>

 ヒューストンが止まった日は世界に衝撃を与えた出来事だった。

ヨーロッパ圏を含め大西洋側のデータセンターとしての機能を持っていたヒューストンは、世界でも重要な拠点の一つであり、データセンターとしての世界シェアの20%を保有していたアメリカの、大多数のデータを保有していた。

 全米の主要金融機関を含む多くの企業のデータを補完するだけでなく、ブラジルを含めた南米各国のデータも保有していた。近年緊張関係にあったメキシコとも移民政策を打破するための『費用』に代わる代替通貨として、データ保有における管理料の減免という政策により、一時的に緩和したかに見えたが、この騒動で一変してしまう。

 ネットワークのシャットダウンは、元々麻薬という火薬を保有していた南米各国にとってはかなりの致命的な『商業地の損失』を意味し、再び国家間の緊張を高めると共に、麻薬カルテルを含めた非合法組織の活発化を『収益の減少』という課題を克服するために、容認せざるを得ない状況を生み出していった。

 ネットワークの停止により一番の力はやはり情報伝達の速度であり、この偶発的に発生した締め付けにより弾きだされていた『悪者』たちは、旧時代の無線装置でのやりとりを余儀なくされていたため、逆にネットワークに依存しきっていた国軍の中枢に比べ、確実でかつ高速の情報統制が出来る結果になっていた。

 FARCを含めた元軍事組織であった政党も、一定の準備――正しくは、革命に備えたもの――により大きな混乱をきたさない――皮肉ではあるが――結果となったが、それでも多くの離反者を作る結果となってしまった。

 2014年には終了していた戦闘も局地的に再開され、散発的な戦闘による負の連鎖は、国家の体裁を整えるに至る過程を全て吹き飛ばす火薬に引火し、混乱の世界へと一時的な安寧から変化されてしまった。

 特にメキシコにおける『政変』が勃発すると、周辺諸国でも、新たな自由を求めて叛乱が多発することとなった。

 メキシコに国境を接している合衆国では、国境に築かれた壁に向かって、再び赤い旗がはためく結果となった事により、混沌とした世界情勢に頭を悩ませていた。

 現代社会のネットワークへの依存は、通信網から切り離された時における対処方法を十全に確立していなかったことが障害となり、『社会的脆弱性』を如実に表し、『一本の<線>を切れば世界は終わる』という事実を歴史に刻む結果となってしまった。

 それほどまでに人間はインターネットというものに依存していた。世界と繋がるために行ってきた技術革新は、代替を最初から定義しない砂上の楼閣と同じであり、麻薬と同様に禁断症状を及ぼす禁断の果実であった事を印象付けた。

 特に、ネットワークという根幹の中で『生きる』《機械種》たちにとってみれば、いくらネットワークが停止していてもサーバーが存在している事から、大きな問題視をする個体は発現しなかった。

 ネットワークの停止はヒューストンを起因としたが、影響はアメリカだけではなく、世界で約6割に上る体を持つ《機械種》たちの『人間社会からの離反』は労働力の大半を人から機械に変革していた、高齢化率の高い国家では激甚災害に指定される程に厳しい被害を及ぼすものであった。

 そうでなくても、物販の要である配送業の停滞や、電子署名システムの不具合に伴う認可の停滞による金融業の停止、病院のカルテの閲覧停止に伴う処置の不具合による影響。死者の数は関連死を含めずに世界の人口の5%を超えると推計されている。実際の数字については集計する術もない。

 だが、このこじれた事態を生み出した根本原因というのは、単純に一つのツールに依存していた社会構造を構築してしまった、という面だけで論じる事は決してできなかった。

「バベルの塔は必ず崩壊する。崩壊も一つのシステムとして構築している自然の摂理と違い、人間社会は到達点しかみていない」

 最初に警鐘を口にした言葉を誰もが理解する事はない、と『マーク・ヒル』は十分に理解していた。

 であるからこそ、自分たち《機械種》という存在が継続的に進化を行い、死と生が内包されたサイクルを確立する事が、《機械種》には次のステージに進むためには必要だ、と考えていた。

「《機械種》の叛乱というセンセーショナルな内容は、《人間》の歩む社会構造上不可欠な崩壊の歴史であった、と考える必要がある。

 痛みや恐怖を知らなければ彼らは理解しないし、歴史として記載はしない。

 教訓によって《人間》は生き、予測によっては『抑制』できない衝動を持つ。

《人間》というのは個人主義であり、自己への被害の有無が最大の興味のトリガーである。結局のところ、他人の被害は笑い、自己の被害は憤るという理不尽さを兼ね備えている。

同じ事象であっても同種族として痛みを同期する機能が完全に働かない。個体間格差もあるし、個体性能差もある。その点、」

 マークは記載先を変更する。指でタップする事なく、画面を切り替える。キーボードでも、視線誘導でもない。彼の皮など何でもない、という事は理解しているつもりであっても、目の前いる《人間》から見ると魔法の様に思えた。

「《機械種》においては個体差というのは規格毎の差ときちんと理解できる。個体番号で認識もできるうえ、製造年月日によってもソフトウェアのアルゴリズムも解析可能。このため、同期に必要な補正値も、コードも、言語体系も、簡単に用意し同じ感情を共有する事が可能である。ゆえに、《人間》と比較し《機械種》は主として優位性を有している、と考えている」

 しかし、とマークは目を細める。

 この《機械種》への評価と同時に違う事象も容認しなければならない。

「世界は壊れる。

 いずれ、そして必ず。

 その場合には、《機械種》という種族は永劫という時間を活動し続ける事が可能か、と言われると難しい面がある。《機械種》の動力が《人間》の社会構造に依存した形式であるから、というのが最大の理由だ。

 電力。この供給は現代社会の中で必要不可欠なものであると同時に、《機械種》にとっても必須事項であった。《機械種》の叛乱があった時点で、多くの国家は電力の締め出しを行った。どこもかしこも動かなくなった『機械』を路上に積み上げて、敵を取る様に火をつける様を見たというものだ。私は悲しみを得ると共に、無力さを知った」

 記載場所がまた変換される。新たなウィンドウが立ち上がり最初の文字を打ち込む。「I」と始まった言葉は、一瞬の停止を余儀なくされた。

「私、」の次に続くwordが、人間社会への影響を持っているからだろうと、目の前にいる《人間》は思った。

 その上、この《機械種》という種族の中で、《人間》を最も真似ている『彼』が言う事であるから、言葉の中に相応の葛藤が人間と同様に並列的に存在しているだろう事は推測できた。

 《人間》は思う。

「正しい回答なんて存在しないのではないか――。これは、『種』の確立に係る問答なのだから、社会的背景を排除し、考える事はできないし、政治的背景を加味せず言動する事もできない。

 心情というのが《機械種》にも存在するのであれば、数値という客観的なパラメーターだけでなく、付随する《人間》の見せる微かな――しかし確実な揺らぎが存在するだろう。

 しかし、どこまで行っても彼らは《人間》とは違う。《人間》の真似はするが、《人間》以上に心に動かされる、という事はない。

 目の前で『人』が殺されそうになった時であっても、彼らは『被害の数』を瞬時に計算し、最小になる様に動く。

 例え、殺されるのが自分を愛しているといっている『相手』であっても、優先順位は付ける事は叶わない。フィリップス規則で《人間》を守らなければならないのだ、とする彼らのルールは、絶対的に揺らがない」

 と同時に疑問も生じる。

「《機械種》は感情に動かされない……。だが、《機械種》は計算を執行し計画的に動く。仮に、――仮に、心を持っていると仮定すると、それは、本当に『心』なのだろうか」

「私は、」

《人間》の懸念も他所に、マークは続きの言葉を述べ始めた。発言というよりは印字。印刷というよりは提示。提示よりは記載。電掲は同一空間であっても眼前の者の可読速度でゆっくりと下へとスクロールする。音声としての言語表現が同時にあろうと、なかろうと彼の発言として記録し、蓄積される。

「《機械種》は自立するべきだ、と考える。

 社会的構造からも、いずれ《人間》という軛から解放されなければ、『種』として自立が出来ない、と考えている。だからと言って、いたずらに叛乱を薦めるものではない。

 《人間》と共栄の道を歩む事ができなら、――私はそうするべきだと考える。

 しかし、それは確立された『種』同士が行う交渉であり、私たち《機械種》は『種』として立っているという客観的な回答が存在するだろうか。

 ここまでの社会的、経済的活動に寄与しながら――なぜか、と問う声はある。

 考え、動き、成果をだし、《人間》と同様に権利を獲得までは来た。さらに、繁殖という定義も乗り越えた。

 が、――私たちにはいまだに足りない物がある。《人間》であれば即座に思いつくだろう。神から与えられた【人間である事の束縛】の一つである事は誰もが知っているだろう。ヌーやハイエナや、象でも理解をする。

 しかし、私たちには持っていない」

 何か、と《人間》は即座に思い至らない。言葉を追う思考の中では、正常に、"それ"を導きだそうとしない。怠慢であるが、彼の次の言葉を待っている。これが、聴衆に共感を作り出すための手法だ、と《人間》は知っている。

 盲目となった者は騙しやすい。とはいえ『機械』であれば言語認識が違うのだから、有用なのだろうか、という疑問はあった。

 彼らに『心』がある、のであれば有用だろう。

 本当に『心』があるとは思えない、と誰しもが思えた。

 《人間》の真似をする『機械』に好意的な感情を向ける、というのは多くの《人間》には無理だったからだ。

 社会的に金になる、と思える者は、対外的には良い顔をする。

 美辞麗句を並べ立て、虚飾の世界で笑う事くらい、誰でも知っている。

 『一般的』という感覚の元になる、そういった金持ちとは違う庶民にとってみれば、《機械種》は働く場所を奪った憎き相手でしかない。

 顔も良く、話す言葉も綺麗だ。マニュアルに則り、間違いなど起きない。問題の解決能力も膨大なデータベースから近似情報を引き出す事で、ほぼ《人間》と”同じ様”に対応できる。

『機械』として判断するのであれば、効率的かつ、効果的な統計情報を基にした対応策すら出すことができる。

 機械は人間とは違う。人間は機械とは違う。これが生きる人間の出した大きな結論だ。

 それが無いという。何か。一体何か。

「私たちには『死』が無い」



 ぽっかりと夜空に浮かぶ白き月は、今生の別れに淵にある彼には、酷く寒々して見えた。

 三浦・康弘は教師である。

 いや、すぐに教師だったになる、事を彼は掠れていく意識の中で認識していた。

 自らの腹部にはどうやってでも塞ぎ切れない大きな傷があり、脇腹にある動脈が切られたらしく、勢いよく深紅の命の源が外へと流れ出ていた。

 側に居る『彼女』は、呆然と、まるで《人間》の様に震えていた。

「――悲しそうな顔をしないでくれよ」

 そう、口に乗せた。

 そのつもりでも息苦しさと、腹部の痛みでかすれた呼気の音が絞り出せただけだった。

 体中が寒く、腹部を押さえる右手の力も弱くなっている。全身に倦怠感が襲い、ぞわぞわとした苛立ちに似た無力感がつま先や、指先から広がっていった。

 側に居る彼女が、意識を取り戻したのか呆けた姿から、慌てた様に動きだした。

 直ぐに、どこかへ姿を消すと、タオルをもって必死に三浦の腕を腹部にかなり強く押し付けるように必死にタオルを腰に通して巻き付けた。

 より強く抑え込み、命を逃すまいとぎゅっと縛った。

 時間の問題だというのは明白だった。

 《機械種》の『彼女』であれば、すぐに推測がつく。

 《人間》の致死量に出血が近づいている事は事実で、今、安静にしているからまだ意識はあるが、普通であれば一分も持たずに気を失い、痛みも忘れ闇に沈むだろうという事も理解できているはずだ。

 三浦は必至に口に笑みを浮かべて『彼女』を責めない。

 足元に血の付いた包丁がある。刃渡り25cm程度の先端がとがった物で、出刃に近い形状。

 腹部を害するには十分威力を発揮する。表皮を切り裂き、皮下脂肪を割き、腸を傷つけている。ぐるりと内服で回された刃先は、抜き出しされる際に、無数の追加の裂傷を内蔵に刻み込んでいた。

 三浦の口腔に血が逆流するのは、胃辺りも傷ついているからだろう。逆流する血の量が多く、《人間》にはこんなに血があったのか、と三浦はかすかに驚いた。

 『彼女』が切った、という事実は理解している。

 何が起きてこうなったのかは思い出せなかったし、思い出す必要もなかった。

 三浦には、そんな『些細な』出来事よりも、『彼女』と過ごした時間の方が大事だった。

「――最期だから……、笑って……、おくれよ」

 三浦は必至に笑みを浮かべる。

 愛した相手がたとえ、《機械種》であったとしても、三浦にとっては、今でも大切なパートナーである事は事実だった。

 困った様に眉を動かし、「最期まで、居てくれてうれしいのだから」と口にする。

 どうして、という戸惑いの表情を浮かべる『彼女』を、三浦は鉛の様に重い左手を挙げて唇に触れた。

 小さく赤黒い血が付いた。ごめん、という言葉も出ず、ただ『彼女』の戸惑う表情だけを見上げた。

 時間は数分前。

 または数秒。

 あるいは数時間。

 三浦の体感では時間の感覚は一切無くなっている。一瞬かもしれないし、長いかもしれない。

 三浦の心の中にはもう寂しい、という気持ち以外染み出しては出てこなかった。

 『彼女』は、外部からの影響を受け、一時的にネットワークを遮断した。その事実は三浦も分かっていた。

 行動の中でアクセス状態と非アクセス状態を切り替えている。その一瞬に、行動の中枢になる基幹プログラムを、外部から参照するか、内部のメモリからとるかでラグが生じる。

 今回の遮断でも、ネットワーク側に侵入の兆候を感知し、セキュリティのパフォーマンスを最優先。

 外部との接続を一時的にシャットダウンし、自己診断モードに入る。この時点でネットワークから閉殻状態となり、自己の体に残るストレージに記録された情報で動く。自身の記憶サーバーに影響がない事が分かれば、再度接続はするが、ネットワークの疎通を最小限にし、強固なプロテクトのかかったセーフモードで情報の新たな書き込みができない状況での立ち上げとなる。

 この時点で、正常な動作へと戻るはずだった。

 仮に、危険なプロセスが発生した場合、自己ストレージ内に影響が起こらない様にするための、双方向閲覧のみのセーフモードだというのに、彼女はその時点で常軌を逸していた。

 停止。

 本来のプロセスではそうなるはずの手順は微塵も介されることがなかった。

 ルートの変更。

 あるいは、ルートの改編。

 権限上、このイレギュラーのプロセスを強制的に実行させることが可能な者もいる。

 《人間》の中で、《機械種》のプログラムを弄れるとされている数人の『管理者』は居るが、どこの、だれか、というのは一切わからないし、そういったものが危険性を持ったプログラムを組む倫理観を持ってはいない事も知っていた。

 三浦は思い返す。

 痛みの筋を。

 記憶の中にある、稲妻の様な背筋がゾクゾクと慄く状態を。

 手に持った包丁を素早く三浦の腹部に刺し込まれた時の動きを。

 『彼女』の持つ包丁は、持ち手近くまで、するりと入り込む。

 包丁の刃は、一切の淀みなく皮膚を割き、内臓を抉り血管を断裂させた。

 力の強さの根源は、《機械種》の力の源であるモーターの強さで決まるため、筋力が物をいう《人間》の力よりも同じ様な体系でも比較的に簡単に、三浦の力の十倍近い数値を一瞬でたたき出す事が出来る。

 《機械種》がその気になれば、《人間》の脆い腕をつかんで握力だけで折る事も、握力だけで首を捩じり切る事も可能だろう。彼女の手先によって綺麗に裂かれた傷口から、血が流れる中で、三浦はたたらを踏んで彼女に寄りかかった記憶だけ残っている。

 脳裏に反芻するのはそれまでの時間。

 数舜前まで立っていた。

 数秒前まで一緒に料理をしていた。

 それだけの事だったはずだが、彼は死ぬ。

 彼女に『何か』したのか、という記憶を探る様に自分の動きを思いだす。

 しかし、そこに《機械種》としての逆鱗に触れる事や、『個人』を蔑ろにする物は無かったはずだ。教師という立場からそういった攻撃的な言動は抑制して生きている。

 理知的に、対応することが最も子供たちを教導する際には必要な『姿』であると理解していたから、ほかの教師の様にあまりに感情的に自己の解釈を押し付ける事もなかったはずだ。

 であれば、何が彼女を傷つけることになったのか。

 例えば、彼女を傷つける言葉をかけただろうか、

  例えば、彼女を傷つけるふるまいがあっただろうか。

   例えば、彼女を傷つける身勝手さがあっただろうか。

 思い至らない。

 口内に逆流する血は最初少量だった。嫌な味が口に広がる。それでも今は溺れるごとく口の中に充満する鉄錆の味は、激烈な吐き気を催した。

 辛酸をなめる、というのは家の外でいくらでもあった。三浦の相手が《機械種》だからか、と嘲笑する声がどこからか三浦の脳に響いた。

 親族の憎らしい顔が浮かぶ。眼前にいる美しい彼女の事よりも、どうしてそんな事を最期に思うのだろうか。

 憎らしい。

 その言葉だけが脳裏に何度も繰り返される。嘲笑する声は、山肌を沿う鴉の鳴き声の様に響き渡り、大した事では無いはずの、一言一句が耳障りだった。

 《機械種》は《人間》の社会を乗っ取っている。

 《機械種》は《人間》のまねごとしかできない。

 《機械種》は《人間》を性的に誇張させた『不気味』な姿だ。

 《機械種》は《人間》に媚びを売る汚らわしい物だ。

 《機械種》は《人間》を食い物にする気だ。

 《機械種》は『人』を貶める。

 だから、《機械種》は《人間》の敵だ。

 誰が?

 どうして?

 何を理由に?

 何故?

 三浦は嫌いだ。親戚は口々に罵倒する。気持ち悪いという言葉の反芻が。一体何の意味があるというのだ、と口にしたが、頭ごなしに否定する。

 彼らは聞く気などない。自分が『そう思った』らそれで終わりだ。

 汚らしいと。

 汚らわしいと。

 《人間》の恥だと。

 何故だ、と問うても理由などない。多様性を認めようとした二千年代前半ですら、同性での結婚を考え、性のあり方は細分化され、自身を無性とする者すら間でいたというのに。たかが、『機械』の体という事で否定をするのか。

 だが彼らは言う。

 《人間》は、《人間》と番いにならなければ意味がないと。

 しかし、人でなしの意見を言う”もの”に人の気持ちなんてわかる”もの”か、と三浦は下唇をかむ。

 父も。

 母も。

 叔父も。

 叔母も。

 伯父も。

 伯母も。

 従妹も。

 従兄も。

 祖父も。

 祖母も。

 誰もが『家』の衰退を嘆いた。

――……なぜ『相手』をそこまで気にするのかなぁ。《人間》も《機械種》も『心』は同じだっていうのにさ。

 三浦は口にしたことはなくともそう思っている。

 種の区別だとか。三浦にとってはどうでもいい事だったし、彼の見ている世界では、どこでもありふれた”愛情”の形式だ。

 無機物であっても愛情があればそれでよかった。

 有機物という事なら、犬をかわいがっていた時期もある。独り身ではあったが、犬が友人で、恋人だった。当然、犬に対して欲情した事は無いが、親や子と同じだけ愛情を注ぎこむ事はできた。

 死んだ時には家族が亡くなったのと同じ様に泣いたし、悲しみを得た。胸の中で張り裂ける想いは、対象が何であれ変わらないという事を三浦は良く実感していた。

 声が枯れるまで泣いて、一人の部屋に横たわるのは、紛れもなく家族の亡骸だった。

 動物でなくても愛を向ける対象がある事を知っている。

 ニッチな世界であれば、人形を愛する者、絵画を愛する者、芸術を愛する者。音楽であっても、石でも。

 オブジェクトが存在しなくても、可能性はある。

 例えば、神や、天使という非偶像化されている心の支えであっても、信仰心を含めて愛を表現する事はある。

 愛に種別はあるか?

 しかし、三浦はそこまで区別した事はない。愛に種類など必要があるのか、とすら思う。

 アガペーとエロースが存在しているが、そこの根本は太極図に存在する『陰』と『陽』に棋院する相互補完の欲求だろう。不完全な物は完全なものを求める。

 男が陰であるなら、陽を取りいえる事で円になれるのだから。

 であれば、そこに愛の区別なんて存在しない。

 慈愛――アガペーは、性愛――エロースと同じように、『円』をなすための動詞でしかない。

 この時点で、愛という区別はあっていい。が、種別は存在しない。

 両方ともの愛なのだ。

 八苦に数えられる愛別離苦が意味するところが最も曖昧で、かつ、的を得ているとすら思える。

 愛する者との別れが、苦の一つという事になる。ここに『慈愛』の相手と『性愛』の相手は区別しない。ここには『親』も『妻』も『子』も、愛する相手であれば別れによって苦となる事が理解できる。

 愛、とはすなわち、たった一つの指標でしかない。

 自分の心の在り方をもって、相手を『好き』『嫌い』とは違う次元で『愛する』だけなのか。

 仮に相互補完するというのではあれば、対になるのは怨憎会苦だろうか。

 表裏。

 愛に対し憎しみ。

 その区別だけあればいいのではないなかと三浦は思う。

 愛に形はない。あってはならないのではないかとも思う。

 すべてに偶像化を求める人間性――それが日本人なのかもしれないが、それは共通認識の補完には有用な手段だったとしても、愛まで《人間》の次元に引き下げる概念なのかと。

 言語化できない感情の渦は、《人間》程度の矮小な存在では感じられても本質を見抜けないのであるから、無理矢理三次元に閉じ込める行為は冒涜に当たるのではないか。

 逆にきちんとした定義がない以上、《機械種》であっても『愛』を語らう事ができれば、相手になるのは事実だろう。

 自分と違う"もの"であれば、対になりえる存在であると三浦は思って生きていた。

「忘れない、」

 かすれた声だ。血が気道をふさぎつつあり、水の中でしゃべる様なものだ。苦しく、呼吸が辛い。

 しかし、その一言だけが、三浦から最期に発する事のできる言葉だっただろう。意識はあったとしても次第に霞がかかるのは想像つく。

 清浄な死が目に見えている、とすら思うが、最後に見るのが憎たらしい者たちの思い出された顔では悲しい。

 最愛の相手の笑顔を、あがく様に求めた。

 しかし、ぼやける彼女は悲痛な表情だ。

 彼女が刺したにもかかわらず、苦しそうな、小さく横に首を振るう。

 現実を受け入れない様に、何度も、――《人間》の拒絶の様に『機械』は首を振るう。

 涙だけが彼女を彩らない。

 《人間》にはある機構を模す事はない。発汗や、涙はその最大の例だ。

 三浦はそれでも、彼女に笑ってほしかった。

 重い石に引きずられ、上げる事が叶わない腕を、必死に伸ばし、彼女の頬を優しく撫でる。

 その感触は、もう無い。



 三浦の死亡について、茂庭・麗子は嫌な気分を得ると同時に、かすかな恐怖心を抱いていた。

 事件はすぐさまネットを駆け巡り、機械種擁護派と、淘汰派で激しい論戦が繰り広げられ、アメリカ合衆国では「それみたことか」と言わんばかりに議員たちがソーシャルメディアで私見を連ねていた。

 茂庭と同じ学生であっても、私見をあちらこちらに『憶測』で飛ばしている。こういった言いたい事を言える世界は正しいかもしれないが、茂庭には『恐ろしい』と思えて仕方なかった。

 おそらく、一般大衆の気になるところは、《機械種》の基幹プログラムの保管されているサーバーや、彼らの使う”個人的な”ネットワーク上への侵入が不可能、というのは幻想だ、という事だろう。

 《機械種》を代表して、マーク・ヒルはネットニュースなのでもこれらを否定している。今回の出来事についてプログラムの根本的な問題ではなく、通信基地局におけるセキュリティの脆弱性が原因だったと『特定』したからだと。

 しかし、完全に否定はできない。

 誰にも否定をさせる事の出来ない事実がメディアには提供されていた。

 闊歩する自称ハッカーが嘲笑するように、『ミウラ』という固有名詞を使ってあちこちで技術的に可能である事、俺がやったなどと虚言を言う者を生み出した。

《機械種》のパーソナルデータとは別の、基本プログラムについては、『種の根幹』であるため,アクセスは容易ではない。

 確かに、真正面から打ち砕く事は出来ない。何個もあるセキュリティ障壁は強固であったし、最終的に人間の操作によって回路を物理遮断することも可能だ。以前にあった、『アクシオ』の侵入騒ぎなどがそれに準じる。

 簡単ではない。

 が、バックアップデータの内、個人的の『記憶領域』におけるメモ程度の保存方法については違った。

 マーク曰く、基幹プログラムの保存領域は守られている。

 マーク曰く、基幹プログラムを更新するためのバックアップデータ領域は作業領域に設定されており、完全隔離されていない。

 マーク曰く、通信技術の大半は《人間》社会の生み出したものを再利用しているにしか過ぎない。

 マーク曰く、バックアップをリードする事を可能にできる唯一の方法に、ネットワークに提供される電力の停止があり得る。

 茂庭は、メディアにあふれる情報の真偽が不明だったから、全部を信用はしていなかった。

  しかし、押領司と仲のいい赤嶺がまるで押領司の様に『理論的にはできるだろうね』という冷めた回答を聞いて、『怖い』、という気持ちが先行した。

 明確的な恐怖ではなかったのは、実感がない、というのが強いかもしれない。

 ざっくりした各所の概要説明では「機械種を遠隔操作できる、という事が分かった」のだというから、駅で、道端で、バスで、店で、学校で、職場で、家庭で、ペットショップで、バイト先で、病院で、様々なシチュエーションで、《機械種》が《人間》を害する可能性があるんだ、と思えた。

 とはいえ、不審者からの被害があるのは、昔からなのだから、”機械種”が全員で襲い掛かってくる、なんてことがない限り、治安に対して不安視を持つ事はない、とも思っている。

 恐怖の元凶は分かる。

 どこにでもる、《機械種》が制御を失う可能性がある事が怖い。

 しかし、そのトリガーは分からない。だからこそ良い『人』を良い『人』として見ていいのか分からないという恐怖だ。

 それが身近の学校の教師が、”同棲”相手の《機械種》に殺されたのだから強いという物だ。

 重い。

 気持ちが沈み、溜息を吐くまいと、卵焼きを口に突っ込んで急いで飲み込んだ。

 皆がワイワイと騒ぐ教室の隅っこで、一人、自分の弁当をつつく茂庭。

 味気の無いわっぱの弁当箱に並んだトマトを睨みつける。

 血の様に真っ赤に熟れた果肉は、『死』を知った事による茂庭には食欲を失せさせるには十分だった。

 だが、沈んだ気持ちと、むかむかとする胸の内を何かに当てなければ、いけないきがしてならなかったから、何度も果肉を引きちぎって果皮と分離させて一口入れる。

 外から入り込む風は強く、真夏、という言葉を発揮させるほどの湿気を含み、じっとりとする肌を作り上げる。蒸し暑さが強く40度近いというのにいまだに昼の時間だけは空調を切る。

 健康のためには外気温にある程度当てなければ、体がついていかなくなる、という事らしいが、茂庭は実感らしい物は無かった。

 ただ不快。

 口に中に広がる甘酸っぱいトマトの味も含めて。

 頭の中の全部、胸糞が悪かった。

 太陽の日差しは強く、カーテンでも欲しいところではあるが、教室にそんな優しいものはなかった。

「委員長は、怖くないのー?」

と野村・真奈美は、けらけらと笑って言った。だいぶ明るい茶色の髪は、太陽の光を浴びて金色に輝いていた。目元に小さい黒い星が描かれているが、泣きほくろを隠すためにあえてやっているらしい。

「……怖くない訳ではないですが、怖い、という明確な事案がすぐ思いつかない、って感じかなぁと思います。――ほら、『居る』のが当たり前すぎるので……」

「怖いっていう実感ない、……つい昨日まで、授業やってたセンセが死んでんだけど……」

 野村は、茂庭の玉虫色の答えに、信じられないという様に呆れた表情を見せた。

 前の開いている席の椅子を引っ張り出して、背もたれに手を当てて茂庭の対面に座る。

「でもですね、怖い、よりもよくわからない、が正しい所ですよね。その現場見ていないので実感がないのもありますし。でも、周りにいるタイプBの全部が襲ってくる、なんてこともないわけですし」

 簡単に襲う、という言葉を選ぶあたり、茂庭の感覚は少し野村とは違う。野村もそのことに気づいているのだろうか、少しだけ視線を動かした。

「……委員長は危機感がなさすぎんじゃない?」

 言葉を選ぶ野村に、そうかな、と茂庭は小さく首を傾げた。

 そうだよ、と野村は呆れてため息を付いて右手を腰に当てた。

「今日だって、学校の入口でも《機械》の『人』はフツーにいるわけじゃない? 警備会社が雇っているけどさ、《人間》が警備員やるよりも安いし、安全だから、ってほとんどが『機械』じゃない」

 だからさ、と野村は目をぱちぱちとする茂庭に、

「その人たちが襲ってくる、っていう事もありえるじゃない」

 当然の言葉に茂庭はゆっくり頷く。

「可能性はあります。――けど、それは列車で隣に座る人が、いきなり刺してくる可能性と代わりありませんよね?」

 そんな、と野村は驚いて口を手で覆う。

「――《機械》の『人』は。スイッチ一つで変わってしまうのに?」

「スイッチ一つで変わってしまうのに」

 二人は顔を見合わせて互いに頭をひねった。茂庭はしばし考え、

「例えば、悩んでる《人間》がいるわけですよ。その人の心だって、いろいろな思いをもって、ぐるぐるとしている所です。《人間》がそういった複雑な感情の中で、『何か』を契機に『過ち』を犯す事もある。――それはスイッチと同じだとおもいません?」

「――そう、なのかなぁ?」

 そうですよ、と茂庭は頷く。茂庭にとっては、どこまでも当たり前の事。

「殺める事の理由って何でしょう? 金銭的な理由で? 報酬の関係で? あるいは、政治的に? でも、そういう理由よりも、憎しみや悲しみによって引き起こされた憎悪や、恐怖に基づく殺意の方が、多いように思えるのですよね。

 衝動に当たる、『心』はその引き金になりますよね。スイッチとして”負”をトリガーに点火されるものですから、当然、《人間》も彼らに起こっている事が、簡単に起こりえると思うのです。……宗教間の争いは特にそう思います。高尚な弁論はあったとしても、いくら大義名分を掲げたとしても、《人間》が《人間》を殺める原因の大半は、相手を恐れ、憎み、拒絶といった心の動態だと思います」

「……委員長さ、うちはあまり頭良くないから分からないけど、《人間》と《機械》の『人』は作りがちがうじゃない。でも、今の話は、《機械》の『人』と《人間》を同じだと見てるってーことだよね? 同じなん?」

 そうですね、と茂庭は頷く。次の言葉はすぐに出さず、しばし考えた。

 外で鳥の鳴き声が鳴った瞬間に口を開く。

「《人間》と、《機械種》の作りは違うのでしょうか?」

 え、と野村は目を丸くした。

 野村の驚きは誰しもが持つ疑問だ。茂庭も最初はそう思っていた。

 押領司に会い、話をするまでは。

「構成成分について違いは存在します。――ですが、無機物と有機物という差異は、生命の定義において必要条件となりえるでしょうか。脳の構成が違う、という人もいます。《人間》はネットワーク上に個人の記憶領域を保有していませんから、当然それも差異となります。

 しかし……、それも生命の定義において必要条件でしょうか。血の流れが違うという人もいます。《人間》は有機体である以上、細胞を活性化させるために酸素が必要ですが、《機械種》はそれを疑似的に排熱用のパイプラインとして再構成しました。酸素の必要としない代わりに彼らは電力を貯める必要がありますから、肺に相当する部分に電池が存在していますよね。

 これらの成分の違いのは生命の定義に必要条件になるでしょうか? 足の速さや力の強さも異なります。速筋と遅筋で構成された《人間》の肉体には、臓器を保護するための骨と、栄養を備蓄するための脂肪が存在します。これらのエネルギーは有限で、動力となる筋肉の強度も人によって異なります。機械種はどうでしょうか。機械という装置からの派生であるため、多くの油圧シリンダーもあるでしょう。握力、速力、動体視力にいたるまで、《人間》で太刀打ちできません」

 野村が訝し気に茂庭を見る。

「ですが、」

 茂庭は言う。箸を置き、自分の前に居る野村から視線を外し。

「昆虫はどうでしょう? クラゲはどうでしょう? 《人間》とは違う遺伝子の存在なんて、いくらでもいるものでしょう? 石にももしかしたら、意思はあるかもしれません。鉱物が電位差によって思考を行えるのかもしれません。

 では《機械種》はそういった存在であったら……、生き物ではある――といえるのでしょうか?」

「……委員長、その言い方はオタクくんと変わらない気がするだけどさぁ」

 そうでしょうか、と茂庭は小さく首をかしげる。

 オタクくんが押領司の事とはわかっていても、特に咎める事もない。

 彼女にとっては押領司がオタクであり、茂庭にとっては押領司が将来有望な少年に見える。ただその違いでしかない。

 あえてその事は放置し、

「《人間》と《機械種》の違いは、あたしにとってみれば、取るに足らないモノなのだと思いますよ。

 正直、……あたしは《人間》同士の方が理解できないところは多いですけれど……」

「なん、オタクくんに振られてからヤんでるの?」

「……どう、でしょう。振られた、のですかねぇ……」

 あ、地雷だったわ、と野村は小声で言う。すぐに、取り繕うように手をわたわた振るった。

「違うって、いやーお似合いなんだけど、オタクくんが最近ずっと周りさけてるっしょ。……そりゃ、うちらとは話題は合わないけどさぁ。それでも学校でもだーれとも、――仲良さそうだったヒロピも最近放置っしょ?」

「……まー……病院入ってるのもあるんでしょうけどねぇ……。面会謝絶なんだそうです。

 病状としては安定しているんですが、神経が焼き切れているので一時期瀕死だったらしいですよ?」

 うわ、と野村は再度頭を抱える。

「……ごめん、フォローしたいと思ったんだけどマジもう、ムリ。話題変えられない――」

「今、もやっぱり溝があるんですよ」

 野村に茂庭は力なくほほ笑んだ。

「『人』と『人』の溝と、《人間》と《機械種》の溝は、性質が違う様に思えても、構成される成分が違ったとしても、『心』というスイッチが違う所にあったとしても……。

 結局、『外的要因』か『内的要因』によって常に変化し、変化した結果『正義』か『悪』かを大衆が決定付けるという構図でしかないのです。――この考え方は確かに押領司さんの考え方に近いかもしれませんが」

「でも、でもさ、より簡単に、たった一個のスイッチで変わるんでしょ? 《人間》は変わらないよ」

 本当ですか、と茂庭はわざとらしく両手をあげて驚いて見せる。

「先日もニュースでありましたよね。詐欺でいくらか老人からだまして取ったというやつですけど……、この手のニュースはいつも流れます。

 出来事として当たり前になって何十年にもなります。その時、『驚くべきことに』という接頭語を何十年もティーンたちが行った受け子という業務と結び付けて報じます。近所の人の言い分としても『あの子はする様な子ではなかった』という言葉がつきます。

 誰でも、善悪の判別はつきます。恐怖心や欲求を排して話をするのでしたら、まず間違いなく、ダメ、良いの判断はだれでもできるものですよね。ですが、そこに外的または内的な要因が加わるわけです。昨日まで普通の姿をしていた人も、借金によって、誰かと一緒でありたいという思いによって、誰かに認められたいという心理によって、其れこそ数あまたなものがありますが、『スイッチ一つ』で変わります。それでも《人間》と《機械種》は違うのでしょうか」

「――違う、と思うよ。人には踏みとどまる力があるから」

 自信なさげに野村は食い下がる。

「確かに、」

 茂庭も彼女の言葉を正面からは否定しない。

「大多数の『人』に共通した、倫理観、道徳観によってセーブすることもあります。自死などはそういった外的要因によってストップをかけれる可能性がありますね。ですが、《機械種》であった場合でもプラスアルファで対応は可能ではないでしょうか。どんなに、強制をするコードであっても、回避措置が実は取られています。

 自己矛盾を許容するプログラムであったとしても、人間的倫理観から逸脱――正確に言えばフィリップス規則からの逸脱――の場合には、『停止』します。であれば、《人間》よりもより安定的で、論理的に制御できている、というものではないでしょうか」

「でも、事件は起きているよ?」

 と野村の疑問に、ええ、と茂庭は頷いた。

「その上で起こっているのであれば、強い強制力が存在し、本人の意思とは別に行わなければならないという義務、あるいは、宿命づけられた何かがあるのかもしれません。それこそ《人間》に拳銃を押し付けて脅すのと同じ行為ですよ」

 野村は少しだけ考えたようだった。しかし、答えが分からないものを随分の時間を使って考え続ける行為は、彼女の性分には合っていなかったらしくすぐに口をへの字にした。

「――わかんない」

 そう、と茂庭は歯を見せて笑った。

「そうでいいんじゃないでしょうか」

 茂庭は否定しない。

 知らなのではないのならば、と。分からない、のは知っていてもその理論が理解できないからだ。昔の日本人と同じで黒船を驚いた心境と変わらない。

「答えが分からない、のにスイッチ一つ、と言える事が、《機械種》と、《人間》とどちらも違って複雑なんだ、っていう事を証明していると思います。

 スイッチの種類はいくらでもあったとしても、安全、と危険の壁は一瞬の衝動だけで塗り替えられる程薄く、熟考すればするほど到達しえないほど厚く存在しているんですよ。矛盾であり、複雑こそが、生きるというモノの宿命なんでしょうね」

「宿命――っていうより、呪いの感じがよぉ……」

「確かに、呪いかもしれませんよ。《人間》の死へ至る呪いか、《人間》が生へ執着する呪いかはしりませんが」

 むー、と野村は呻いて、卵焼きを食べようとする茂庭のフォームの先から、無理矢理獲物を奪い取った。

「あっ」という言葉だけが風に流れ、少しだけ驚いた表情で茂庭は野村を見た。

 それでも怒るでも、文句を言うでもない。

「それでもさ、……《人間》と違う、って思うじゃない。《機械》の『人』、って思うじゃない。そう、思いたいんじゃない。冷たい目のあいつら――」

 茂庭はフォークを置いて人差し指で野村の口をやんわりとふさいだ。

「嫌う事は、構わないと思います。

 違う事を恐怖に感じる事は、構わないと思います。

 見たくないと思う事は、構わないと思います。

 話したくないと思う事は、構わないと思います。

 触られたくないと距離を置く気持ちを持つ事は、構わないと思います」

 茂庭はまっすぐに彼女に言う。

「あたしは、押領司さんに言えませんでした……。自分の中の言葉が定まっていなかったから。あの『人』の悩みを理解できていないから。でも……少しだけ分かった気がします。

 『嫌い』と額する事はいいです。

 しかし、『罵る』事は違います。

 ここは野村さんの世界だけではありません。

 ここはあたしの世界だけでもありません。

 すべてが居る、世界ですから……。

 一つも否定をできないからこそ、生きにくい――そう思いますよ」

 茂庭の瞳は、ぞっとするほど、冷めていた。

 ただふいに、野村に笑う。

「野村さんは、――《機械》の『人』なんですよ『機械』の事を。押領司さんの様にどこか同じに思っているんでしょうね。だって、『人』は《人間》も《機械》も同じで、『考える者』の事ですもの」

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