< 9月25日 廊下>
病院の廊下は白く、どこまでも統一的だ。
その事を朝比奈・孝幸は憂慮すべき事態だと感じていた。病院は老人たちのアスレチックだ。必ず来るべきところであり、『無機』と『清潔』を晒し並べる純白の壁は、それに相反する牢獄の様にしか見えなかった。
娯楽施設に入るのは、高齢化社会には必然であるから、より遊びとして楽しめる遊園地に変更しなければならないとも思う。たとえここが、牢獄であったとしても。
老人に片足を突っ込み始めている身には、空虚さと、悲しみだけがゆっくりと確実に押し寄せていた。
「もっとも、死というのはそういうものではなくてはねぇ……」
「……」
大柄の木津は身長の差のある、朝比奈を無言で見下ろした。唐突に口を開いた朝比奈に対して、少しだけ違和感を持っているのだろう、と怪訝な表情を向けてくる仕草で簡単に見て取れる。
視線を少しだけ顔からずらし、上下に軽く確認する。
朝比奈の手足の先までは見ずとも、体の揺れや、指先のいじり方から、何等かの情報を得ようとしているのは当事者の朝比奈であっても分かった。
「警察、というところにいると、意外に観察ばかりに気を取られ、本質を見過ごしてしまうんじゃぁないかなぁ?」
「教授、――今回の件について、警察でも対処を行うと話はでています。特に《老人》の件とも関係性がないとも言えないですから、政府としても対応を――」
「綺麗な言葉は結構だよ」
朝比奈は無表情のまま慣例的に手をひらひらと動かして、木津の言葉を遮った。
普段と同じようによれよれの茶色のスーツ。手をズボンのポケットに突っ込んで、窓の傍に歩き出す。
四歩あまりの歩みを、じっくりと時間をかけて進み、くるりと翻る。
「押領司クンの事は仕方なかった、というものさ。《老人》の動きに翻弄されるのは、昔からの事だからさぁ? 何年経っても電子ネットワークの老獪な技術者を簡単に捕まえるのはできない、というものだしねぇ……」
「ネットワーク以外の監視を強化しているが、結局のところ上手くはいかなかった、という失敗例なら結構です。……私はそういった警察が嫌いで定年で辞めたんですから」
そうだったね、朝比奈は笑う。年下であるはずの朝比奈だが、それでもまるで子供用に木津の事を面白がって見ていた。
「監視なんていくらでも可能であっても、同時に監視から抜ける事もいくらでもできるわけだよ。簡単に、と行かなくても、理論的にいくらでもふさぐ事ができるわけさぁ」
だからと、朝比奈は朝比奈自身が常にウォッチしているデータを提示した。白い壁に浮き出るネットワークの波は、朝比奈を中心とした円形で示される。
病院の中だからといってネットワークとの接続が切られているわけではない。当然電磁波を遮る必要がある場合もある。このため、特別病棟のみが隔絶された世界を可能にする。
しかし一般病棟であれば問題がない。
「今、この場所でも、監視カメラを含めて――常に5~10程度の監視が行われているわけだぁねぇ。私がさっき電話を受けてから、いまこの場にいるまでにその監視が途切れた事はないっていうものさぁ。”誰かが”見続けているし、そんなことなんて、誰も気にしないよねぇ」
でも、と朝比奈は画面を展開する。
「木津クンも分かっていると思うけれど、この監視の張本人は『国』じゃぁないわけだ。
ネットワークのどこかに仕掛けられた監視プログラムが常に”どこか”へ情報を送るわけさ。
とはいえ、その情報というのが何に使われているのか、何のパラメータを収集しているのか、全く不明ときている」
「本件とそれは関係が?」
木津に、朝比奈はないとは言えないと、顔をしかめた。
「ステラ・フラートンが日本に来た時、その要因は何だったかしっているかなぁ?」
たしか、と木津は記憶を探る。
住吉が以前探してくれた外務省のデータを頭の奥から引っ張りだし、記憶に投射した。
「《人間》と同じように《機械種》の中に『自死願望』を持ったモノが出てきたため、解析をお願いしたい、と、マーク・ヒルが申し出た事だと記憶しています」
朝比奈は腰に手をあててウンウンと頷く。
「そう、死にたい、という感情を持つ、というのは《機械種》の装置としての機械の中から、自然発生的に起きる事かねぇ?」
「……機械生命学として高名な先生の講釈をお願いしますよ」
苦笑する朝比奈は、悪い気がしていないように、
「そうだねぇ……。AIで『死』をどのように考えるかという実験は何度も行われたんだぁね。
生物の生と死を考える上では、仕方のないプロセスだったんだけれどもさぁ、『機械』はいわゆる”合理主義”なんだよねぇ。
とすると、《機械種》は死を便宜上考え、その異物を排除する事を考えるわけさ。なんでって、生き残るために――例えば、《人間》が必要と思えないからねぇ」
朝比奈は、投影しているデータを変更し、ネット上に掲載されている論文を映し出す。
「フィリップス規則を作成した時の国連に発表された論文だぁよ。《人間》に牙をむく可能性が高いと、機械を論じるための文書でねぇ、当時の頭の固い政治家たちを納得させるにはセンセーショナルな文言が必要だったわけさ。
《機械種》が《人間》を殺すため、核のスイッチを奪うぞ! ってね」
「馬鹿げた話で、片づけられないのが痛い……ところですな」
その通りさ、と朝比奈はけらけらと笑う。
「《機械種》にはなんでもできる、という思い上がりもおかしな話ではあると今だとおもうけれどねぇ。
でもそうすると、この核爆弾によって死滅する《人間》の死は、フィリップス規則に抵触しないのかい? ロボット三原則に基づき作られているわけだからさぁ、人間は傷つけてはいけないのだろうって、誰もが思う訳だ。
が、この論文ではそれを真っ向から否定したわけだぁね。
《機械種》が死を認知したとしても、《人間》の考え至る『死』と同じものではなかった、んじゃないかなぁってねぇ」
「タイプBは、死をという物を一応定義しているんでは?」
「しているさぁ。マーク・ヒルは『死』が『ネットワークの終了』、と考えているんじゃないかなぁ? 特に、ネットワークというのが機械種全体の母体となる中枢の記憶領域、というだけでなく、生活環境の基盤だ、と定義しているしねぇ。
対して、《人間》の『死』は、生命活動の停止ひいては肉体の損失、というのが主要因だろう?
《機械種》は本体が『体』ではないからねぇ、これは《人間》と《機械種》の定義不足による失敗になる、と警鐘したわけだぁね。
で、ステラ・フラートンの認知した『死』は多くの《機械種》が感じたこういったネットワークの終了という――死の定義と違ったからぁ、ま、異質だと感じたわけさぁ。
だから白羽の矢が立った。という事なんだけれどもさ、『死』って何だろうねぇ」
「……それは別の機会にしてほしいね。私も今の状況だけが知りたいんだ」
ハイハイ、とスイッチを押すように画面を切り替える。
「一番の問題は、押領司クンの接続していたネットワークに入り込んだ、という事ではなくて、彼の→の鼓膜が破裂し、一部頸椎に電気的ショックを受けた形跡がある点、そして、おそらく右手に雷に打たれた様な稲妻模様が浮かぶほどの電気製のショックを受けている点かなぁ
天候は良かったのだから、、雷なんてぇ、そんなぁ事はないよねぇ。とすると、彼の神経に入り込んだ”輩”がいたってぇことだ」
木津は目を丸くし、朝比奈は口を釣り上げて笑った。
「そんなこと……」
「できる、というよりはそれで生きてる《人間》が居た事に驚いた、ってぇところかなぁ。過去にヨーロッパで《老人》の手でラーニングに使われた”非検体”に似た外傷があったことが、あるわけさ。
その後、非人道的な研究を行っているとある国なんかも『実際』にやって見せたしねぇ」
画面が変わり3人の女性の姿をとらえた画像が投影される。
どれも腕から首筋、顔面に至るまで稲妻模様が出ている。
しかし、その模様の始点は、指の先、あるいは腕のから、とマチマチだった。
「始点が違うのは、当然現代に流行っている、――端末が違うから、という事ですか?」
「そうだ! いい視点だねぇ、始点だけに……あぁ、その顔は早く話せって事だねぇ……。
まぁいいや、ネットワーク端末――特に日本では《サテラ》を中心に現代端末の小型化は、一定のラインで止まっているってぇ事だけれども、よくも悪くも、そこに保有している電池が無線給電式の定電圧である事も問題なんだよねぇ。
という事は、《サテラ》単体ではこれだけの模様がでないんだよぉ!」
「何をすればこんなになる?」
「ここまで綺麗なリヒテンベルグ図形がでるのは、当然、雷だったりするんだろうけど、家庭用加圧機を応用しても可能だろうねぇ。あるいは、――《機械種》に存在している高圧のバッテリーなら、まぁ、できるだろうけれども……」
「……」
渋い顔をする木津に、朝比奈は慌てて手を振るう。
「今回の件で、ステラ・フラートン単体を疑うのは、違うんじゃないかなぁ? 《機械種》単体が自壊を気にしないで放電するなんて普通ないからねぇ! いくら自死願望があったとしても、”まだ”その期日になっていないじゃない。これは、合理的判断で、しないと確約できるやくそくなんだよねぇ」
木津は首を横に振るう。
「それでも《機械種》は『合理的』なんでしょう? ……本人がそうでありたいと、思ったらそういう事もあり得るのでは?」
「違う、違う、」
朝比奈は首をぶんぶん振るった。
「この三人もそうだけれどもね、簡単に言うと、《人間》の脳みそのデータを楽に取り出そうとした実験なんだよぉ。もともとは、ラーニング技術の向上を目的に、イギリスと中国の実験で提唱どまり、……実際は何回かあったみたけだけどぉ……、公式は提唱どまりなんだよ。
小型の金属ないし、アミノ産合成電気誘導式機械での脳の図形保存を行う方法はさぁ、結局脳を破壊するだけなわけ。だから、圧迫しない方法で脳にリンクできればいいんじゃないか、っていう提唱だったわけだけれどもね」
「実際に、まぁ表向き研究段階にもなっていない技術がどうして、完成しているんですか?」
そうだね、と朝比奈は首をひねる。
「提唱自体は結構前であってもさぁ、やっぱり実証ができないんだよね。だから技術的には未完成のままになった案はいっぱいあるんだよねぇ」
でもと、朝比奈は神妙な表情でいう。
「《Mouse》に代表される過激派は、一部そういう”データ”を手に入れて《機械種》のアップグレードに使っていた、――なんて噂もあるくらいだけれどね?
でも彼らにも言い分はあるんだよぅ。データの出どころは分からない、というのもあるしねぇ
でもパトロンが――《Mouse》なんて事はありえるだろう?
お金があれば、――まぁ、やる輩はいるってぇ話さ」
渋い顔をして、木津は腕を組んだ。
「……であれば、《老人》がどうしてそれを利用できるのか知らない、という事ですね?」
朝比奈はあっけらかんと、
「ま、知らないね。知りたくもないよ。《人間》の脳みそに入って、相手の考えを見るなんて、世界で一番安全な金庫の鍵を開けられてしまうというものじゃぁないか。
まー、自白剤よりも人道的かもね。あっちはもう後遺症が――あ、でもこっちも出るのかなぁ?
ね、押領司クンを検査してもいいと思わない?」
呆れた様に木津は腰に手をやって、
「――外科的な検査はすでに済んでいますが、右指の神経は飛んでいるみたいですから、簡易検査くらいしかできませんよ。さらにブレスレッド型であった彼の《サテラ》は完全にオシャカ」
「いいなぁ! それほしいんだけど……あぁ、だめね。まぁいいけれど」
子供の様に口を尖らす朝比奈に、木津は呆れていた。
「でもさぁ、技術的にいくら論理的整合性があったからって、それを使いこなせるとは限らないわけ。というのも、ハード、ソフトウェア、術者の三つがそろわなければならないからさぁ」
「ハードは《老人》が得意では?」
たしかに、と朝比奈は頷く。
木津も良く知っているが、ジョージ・マケナリーが大量に存在している監視カメラを逃れている最大の要因は、ハードウェアの弱点を熟知する技術者であったからだ。
「であれば、ソフトウェアは誰が?」
そうだね、と朝比奈な首をひねり、
「ドロシー・ウォーカーは一流のプログラマー”だった”かなぁ。今何やってるのかは知らないけどね」
知らない、という言葉に苦笑する木津。
「であれば、最後の一つ、それを扱うオペレーターは誰が?」
「そんなの最初から一人しかいやしないよ」
不敵に朝比奈は口を釣り上げた。木津の誰、という問いよりも早く、簡単に、簡潔に、教授は述べる。
「星越・信之クンじゃぁない」