⓪-1 追憶の朱は何を見て
現在改稿作業中になります。
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物語はフィクションです。実在の人物、団体、国とは一切関係がありません。
プロローグには、一部残酷な表現があります。ご注意ください。
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1936年12月、北部雪原。
目の前の光景を、誰が想像できただろうか。
雪原の白銀が朱色に染まることはなく、猛吹雪によって全てがかき消される。
嗚咽混じりの吐血も白銀に消え、そして白銀に染めゆく――――。
思い起こされるのは、全て白。
白銀に染まるあの光景だ。
血だらけの白肌、白い髪のアルビノの少年が鮮血を流している。少年は片目を負傷し、少女の手からは少年の流血が滴り落ちる。
(――どうして)
思考を繰り返した結果、至る結論はない。
それは、思考を繰り返した結果、全てを放棄したくなる自問自答に過ぎなかった。
(――どうしてこうなったの)
少年は微笑むと、朱色髪の少女を力強く抱きしめた。
少女の手は力なく項垂れたままだ。少年の瞳からは、鮮血が溢れ出続けている。
(―――どうすることも出来なかったの?)
◇◇◇
拠点がまともではないことは、十分理解していた。理解していたからこそ、奇襲に備えて万全の態勢を整えていた筈だった。
警報が鳴り響いた瞬間、朱色の髪を靡かせる少女ラーレは、姉と慕う女性レイスの元を訪れていた。レイスはラーレにとって、姉のような存在だ。金髪碧眼の美しい身なりの彼女は、ラーレにとって憧れだった。
レイスは事前に異変を捉えると、自室にロックを掛けた。そして自らの愛銃を手に、警戒に当たった。警報は尚もけたたましく、ラーレたちを逆なでした。
憧れの彼女がこちらを見ることはない。今現在も周囲の警戒に当たる瞳は、強く怒りと悲しみに満ちている。普段は優しく輝く青い瞳が、彼女の金髪と相まって美しいというのに。
「この警報……。なんでこんなに簡単に、侵入を許してしまったの?」
「……奇襲を受けたとみて間違いないでしょう。警戒を怠らないで下さい」
自身より小火器の扱いに長けている者、戦闘能力の高い者、先の大戦に参加していた者。拠点にいた全ての者が、それらに長けていた筈であった。
不意に警報が鳴り終わり、辺りは静寂という緊張の張りつめた空気が響く世界へと変貌した。
「警報が止まった……?」
「油断しないでください。奇襲は奇襲です。先の警報は、誤報ではないでしょう」
「殺気が幾つもあるわ……。周囲は、随分と静かね」
「皆、警戒が足りなかったのでしょう。日々の、甘えです」
レイスは自身にとって大きな存在であった。物心つくより以前から、レイスを主軸に全てを学んでいた。
言葉、勉学、衣食住の全てまで。母親であり、姉であるレイスはラーレにとっての全てだ。
隣に立てばよくわかるのだが、常に憧れていた存在は自身よりも少し背が低く、全てが華奢であった。
「油断しないで下さい、扉を開けます。静かすぎる。敵が部屋を襲撃する可能性があります」
普段から丁寧な口調の姉ではあるものの、その声色は非常に重く冷たい。このまま部屋にいたところで、待っているのは死であろう。ラーレは無言で頷くと、扉のロックを解除した。
恐る恐る顔を出したラーレを、レイスが慌てて引き留めた。
「誰も居ない……?」
「ラーレ、出てはダメ!」
パシュンと、サイレントの拳銃音が響き、ラーレを庇ったレイスは左肩から鮮血を流し出す。
レイスは怯むことなく、瞬時に狙撃手を打ち抜いた。早撃ちが得意のレイスによって、狙撃手はすぐに絶命しただろう。レイスの肩からは血が溢れ、腕を赤く彩った。溢れ出る血液は、ラーレの髪色と同じ朱色であり、部屋を朱色で染め上げてしまった。
「クッ……!!」
「レイス! 腕が、肩が!」
激痛から逃れようとレイスは歯を食いしばり、彼女の唇は赤く染まった。ラーレは慌てて部屋へ戻り、ガーゼを彼女の肩に巻き付けた。ガーゼは直ぐにレイスの鮮血で染まってしまった。
◇◇◇
辺りは人がいないかのようにシンとした静寂が支配している。敵意や殺意は溢れるほどだが、近くにはまだないようだった。
「敵は幸い、一人だったようですね」
「レイス、腕……、肩は大丈夫なの?」
「問題ありません。動かすことが出来ますので」
「そういう事じゃないわ。私は貴女を心配して……」
「屈んで!」
レイスは既に別の狙撃手を打ち抜いていた。負傷しようが片手で、利き手でなくとも敵を圧倒できる技術を持っている。そんな不意打ちに強い彼女を負傷させたのは、ラーレの油断からだ。ラーレは歯がゆく自分の張り裂ける思いを封じた。今は反省している場合ではない。それでも心配しているという意味で伝えたかったのだが、姉にとっては戦力になるかどうかの質問だったと判断されたのだろう。そういう人なのだ。
「行きましょう。ここはもうダメです」
「ダメって、皆は……」
「静かすぎます。皆もう、生きていないのでしょう」
「そんな」
最初こそ左肩を庇い、レイスは怪我のない右手で肩を掴んだ。そしてそのまま、歯を食いしばると、両手で銃を握りなおした。レイスの左肩が無事ではないことは、その出血量から理解できる。
「退避の通路を使いましょう。ここから出なければ」
その美しい金髪が風になびいた。光に輝く度に自身の髪色も金色であればと、ラーレは何度も思っていた。彼女に髪を伸ばすよう頼んだところ、その時はしばらく伸ばしてくれた。それが少し前になり、予告もなく短く切ってしまったのだ。ハサミで切り落とされたかのような、おかっぱの髪型。ラーレからみて、レイスには似合わなかった。
余計なことを考えていたラーレは首を振り、その雑念を振りほどいた。
(――ダメ。集中しなきゃ)
最後の角を曲がり、壁から隠し部屋へと入る。一本道で、裏口と繋がっている。この隠し通路は幹部クラスの者しかしらない。
「さすがに、誰もいないわよね」
「わかりません、拳銃は直ぐに撃てるように、構えたままで行きましょう」
レイスの短い髪は、噴き出た鮮血で染まっていた。またもや襲う雑念を振り払い、レイスを追って隠し通路へと向かった。
「他所事を考えている余裕はない筈です。現実逃避は辞めなさい。集中して」
見透かされていた。レイスの言葉にラーレは首を横に振ると、拳銃を構え直した。
拠点の銃撃戦は長時間に及ばず、すでに周辺の音も、生存者の鼓動も聞こえないほどの静寂を見せている。入念に計画された奇襲だったと見て取れる。
動ける者はラーレと、負傷したレイスだけであろう。
「まだ油断しないでください。いいですね」
「……わかったわ」
二人は、まだ鮮血で汚れていない、隠し通路を進んでいった。
◇◇◇
「ここまで来れば、敵はあの通路しか通らない……」
隠し通路まで逃げ込むことに成功したものの、レイスの出血は止まったわけではない。既に左腕はほとんど動作をする様子が無いのだ。
「残りの弾数は?」
「……ごめん。二、三発くらいしかないわ」
「弾数を正確に把握する必要があります。今確認なさい。私が警戒します」
血だらけのレイスは拳銃を構えたまま、後方を睨み続けていた。マリアはマガジンをグリップから外し、弾数を確認した。
「二発分ね」
「そう、次で最後ね」
最後。彼女の言う最後とは、次で決着をつけなければならないという事である。
襲撃者が何人であるのかも、不明だというのに。
「……あなた、足は問題ありませんよね」
「走れるかという事? それなら問題ないわ」
レイスは銃を下ろすと、自身に手渡そうとしている。
「私は先ほど込め直したので、四発あります。これを持って逃げなさい」
「冗談でしょ、やめて」
レイスとラーレの拳銃は別物だ。
レイスの拳銃は45口径モデルで1800年代後半のアメリカ西部で使用されたシングルアクションのリボルバーだ。片手でも撃てる、早撃ち用の拳銃である。
対して、ラーレの拳銃は最近でドイツで設計されたセミオートマチックであり、新しい方のピストルである。衝撃の少ないことを重視し、持たされている。
このどちらもが、この拠点で改良が施されており、一般で出回っているものよりも性能は上だ。
だからこそ、一般に出回っている拳銃よりも、レイスの拳銃は衝撃が大きく、ラーレには不向きである。
◇◇◇
扱う者、拳銃、その使用弾の性能ですら、レイスの方が遥かに上回っている。俊敏さ、戦闘技術。どれをとっても、ここから逃げ切れるのは自身ではない。
負傷していたとしても、レイスだけだろう。
「逃げるだけなら二発で十分だわ。でも、私は逃げたりしない。レイスはここで戦い続けるのでしょう」
「…………」
「どうせ足手まといだもの。それなら、私が残――」
レイスの気配が変わった。彼女の鋭い殺意と緊張感が、自身の感覚を冴え渡らせる。
二人いる。一人の殺気はほとんど感じられず、かなり無防備に見える。余程の腕があるのだろう。もう一方の殺意に至っては対照的で、隠す気が無いのであろう事がわかるほど、剥き出しの殺意だ。
拳銃の交換は済んではいない。ラーレは二発。レイスと共に一人ずつ、一発で仕留められれば問題無いだろう。だが、これだけの静寂の世界において、発砲音が響き渡ることは、他の襲撃者がここへ押し寄せることを意味する。
そもそも、隠し通路を知るものが襲撃者にいるとは思えない。裏切りの可能性があるのだろう。であるならば、この通路も安全ではないということだ。
「後ろの扉から出て東へ、通路を抜けなさい」
「本気で言ってるの?」
最後の扉を前に、レイスは後方に集中した。
「二発で逃げ切れるというのであれば、逃げ切りなさい。不慣れな銃の四発より、愛銃二発のほうが価値は高いかもしれません」
レイスはそう言いながら、片腕を庇っていた手を離した。片手で拳銃を構えると死地へ向かうかのような、凍るような笑みを露わにした。
「レイスが逃げるなら、私も逃げるわ。置いていくなんて出来ない」
「無駄にしんがりを引き受けるという意味ではありませんよ。私は大丈夫です。信じて下さい」
普段のように優しく穏やかな口調だ。それが余計に不安を煽った。それでも、彼女の勘が外れたことはほとんどなかった。この奇襲でさえ、最も早く気付いたのは彼女だった。レイスは何かを察知したのだろう。
ラーレだけでは今頃すでに肉塊となっていただろう。自分はあまりに非力で、戦力外だ。それが、堪らなく悔しい。
「お願い、落ち合う場所を指定して」
「北、海岸、公園、銀の塔」
「わかった。来なかったら許さないから」
「了解です、行きなさい」
レイスは来ないだろう。適当に言ったかのような、その言葉に思い当たる場所はない。
ラーレは振り向かずに奥の扉をしめると、そのまま東へ通路を抜けていく。
(――嘘つき。絶対に許さない)
(――――奴らを!)
◇◇◇
「!」
誰も来ていないはずの隠し通路だったはずだ。座り込んで動かない男が血だまりを作っている。見覚えのある服装の男は、既に絶命していた。確か、マイク・レイリーといったか。
「…………」
彼は逃げようとしたわけではないだろう。ここに至るという事は、襲撃者の一人として待ち伏せをしていたということを指すことは、ラーレでも予想がついた。しかし、彼はどうやって撃たれたのか。襲撃者の一員ならば、何故ここで息絶えているのだろうか。疑問は尽きない。
「本当に裏切りを……?」
左手の中には、ひしゃげた紙が握られていた。何かの書置きだと判断し、ラーレはゆっくりとその手から紙を取り出した。マイクの手は、まだ完全に固まっていない。血液が乾いていないことからも、まだ死んで時間が経っていないのがわかった。
ひしゃげた紙は写真だった。彼の妻が出産してすぐ撮った、娘の写真だ。妻は産後の影響が悪く、そのあとすぐに死んでしまった。彼は妻を亡くしたことで、抜け殻のようになっていた。そんなマイクを次に襲ったのは、娘の生まれつきの病だった。構成員だけではない、拠点の者たちが手を尽くしたが、娘は10日ほど前に亡くなってしまった。
マイクの右手に握られていた拳銃には覚えがある。使用弾は、自身の拳銃と同じものだ。拳銃の弾は、6発残っている。
「うそ、偶然、かな。……銃弾、もらうわよ」
ラーレの拳銃は満たされた。残った二発を胸ポケットにしまう。背後からの銃声音、戦闘音は聞こえない。レイスに逃げる気があれば、通るのはここだ。だが、彼女がここを通ることはないだろう。
「皆やレイスが居ない世界で、ひとり生きて、どうなるっていうの」
当たり前の事。それが現実であり、自身にとっての常識であった。突然耳鳴りのような、つんとした頭痛が頭を襲う。
「私だって逃げられないのよ、マイク。あなたがここで倒れようと、なにも終わらないのよ」
朱色の髪を靡かせ、少女は来た通路を戻る。先ほどよりも、足取りは重く、軽やかに動いた。
不慣れなのでお手柔らかにお願いします。。