(7)
夜明けとともに起床し、シルバの部屋に向かう。
地に降りるのは容易だった、この部屋の仕組みーー昇龍昇りでの上昇分を消費して物品交換するーーが利用できたから。つまり、透場の高度とは残高なのだ。昇った分を支払って酒肴、煙草などの嗜好品を得る。実際、吉次が念じると吉次のポケットは膨らみ、その中に、指定の物品が具現化している。そしてその分、透場は急落するーーただし、落下の衝撃はない。急落というより、脚下の大地が瞬間的に隆起する、それに近いからだ。吉次は各部屋それぞれに同様の仕組みがあるはずと言ったが、詳細は不明らしい。代価だとか、交換できる品目などなど、一切がなぞ。なぜ情報交換しない? 交易によって、発展が望めるかもしれないのに! しかし、ここに来て日はまだ浅い。奇習あるやも。様子見が最適、か。
上昇分をすべて水に換え、地に降りる。で、出入口まで戻って、引戸を開けて狭間を見る。絢爛たる星々の楽奏と、それを修飾する濃密なやみが、木の枠に仕切られて出現する。
吉次が先に出て、引戸に手を掛けたまま、戸口で待つ。僕が続く。やはり地のない場所に足を伸ばすのは緊張が走る。
吉次が戸を閉め、先だって歩きだす。上下四囲おなじ景観だから、吉次に先導してもらうしかない。後塵を拝す位置は癪だが、ま、しゃーない。
改めて天球を眺め渡す。色とりどり、大小様々 の光の燦爛が、夜の都市の衛生画像のように光のパノラマを作り出している。が、それは満遍ではない。星団には母集団ともいうべき群れが複数あり、各団の凝集点らしき場所には、ひときわ大きな星光が集まって、他を守護するように、また己を誇示するように、威光を輝かせている。が、光の旺たる芯から離れるにしたがって、まばらになり、ついには銀の明光をポツンと放つ星まで。ここが黄泉で、この光輝が人の魂と呼べるものなら、冥土にすら貧富が存在するってのか。が、それは何によってランク付けされる? 金銭、ではないはず、まさか功徳とかか? 功徳だと? それは現世では未考慮もいいとこだぞ。
「なあ吉次」後ろ手を組んで歩く吉次に話しかけた。「なぜ魂は遍在するんだ? 色や大小の違いは分かるんだ、個性だろうから。だが、集中したりあぶれたりするのはなんでなんだ?」
「んー?」興味なさそうな声。「知らないね、誰も追究しようとしないから。ま、気にしなくていいんじゃない?」
「いや、それはおかしい。なぜ研究しない? 普通興味持つだろ? 死ぬとき知的好奇心を抜かれでもするのか?」
「うーん、なんでだろう。シルバさんなんか知的好奇心の権化って感じだけど、この世界には食指が動かないみたいだし。まあ、死ぬときにそういった処置が施されていないという保証は、ないとはいえない」吉次は笑った。「なんか法曹家みたいな言い回しになっちゃったよ」
「そもそもなぜこんな世界がある? どんな必要があって? 現世との関連は……当然あるはず、なきゃ記憶があること自体おかしい……」
「あーあ、1人の世界に入っちゃったよ。ちゃんと付いてきてよ」
シルバの部屋ーー腐食のあるドアノブの前ーーに到着し、玄関戸らしき箇所にノックすると、気色の悪いかん高い男性声の応えがある。吉次がドアに手を掛け、暗闇がムカデのようにのたうつと、吉次の引き手に従って、空間がめくれて炭坑の休息地のような空間が出現する。視野左に暖炉の火、右に闇を蔵した坑道。
「シルバさーん!」吉次がドアをくぐり、声を張り上げた。すると、坑道の奥から「はーい」と小さい応え、なぜか戸外より微かだ。「やれやれ、これはだいぶ深そうだ」吉次が暖炉から火の付いた薪を取って坑道を進みだした。「君も持ってきなよ」助言通り薪を取って追随する。
シルバの部屋はピラミッドだった。玄関が最下層の一隅ーーどの方位かはわからないーーにあり、そこから坑道が対角に延びる。これが幹線。で、この幹線から左右に対称に居室が広がっているとのこと。
薪の火をたよりに冷え冷えとするほど深閑な坑道を進む。見通しは効かず、完全なる闇。なぜ灯光を使用しない? 不便など無関心といいたいのか? 床は歪曲した年季の入った板で、天井と壁は漆喰。それは視認できる。ただし、炬火の届く範囲はだ。次の瞬間には目を見開いた怪異の剥製や、朽ちた白骨、薬漬けの眼球や臓腑、そういったものが忽然と、揺れる松明にあぶり出されたっておかしくない。
が、あったのは叢書、古紙の束、それらが重なったタワー、掘削された書棚に詰め込まれた古書、そういったものばかり。
「シルバさーん!」「ここですよ!」この応酬が3回実施された、まるで潜水艦を探知するビーコンみたいに。その間、ぼくらは2回も階のつきあたりに到達し、上階に登って、ようやく視野の先に漏れでた燭光を発見した。ここまでおよそ2㎞。
「おお! シルバさん、ここでしたか!」シルバの居室に入るなり吉次はいった。しかしそこには、まさに感無量の響きがあった。で、理解した。先回の芝居じみた挨拶、あれは真に歓喜だった。
「遅かったじゃないですか! もう! 何度迎えに行こうと思ったか!」が、これには吉次も苦笑い。「あら、吉崎さん」部屋に入り、安楽椅子に座ったシルバと対面する。そこにはやはり、無機有機関係なくすべてのものを破砕し、吸引するような渦状の穴。それが回転しながら、しかし、方向を変えることなく、こちらを一心に見つめてくる。そして、鮮血色の薄ら笑いの口。が、迫力は前回より減衰していた。それは身体が一回り小さくなったから。四肢も胴も漆喰の角柱、しかし、その容積は先回の2割減、座高も40センチは低くなっていた。代わりに座椅子わきの小テーブルに古紙の山ーー印刷用紙のような密着具合で、全高1メートルはある。そうか、交換したんだな、用紙と。つまり、己が身体が対価か。が、同時に絶句もした。あの紙数、仮にすべてが白紙だとして、誰が、何を、これから記述するのか? そういえば手に薪があったなと思った。
「なにか分かりましたか?」と吉次。
「ええ。姿容を手がかりに蔵書を漁ってみましたら、150年前と、80年前に事例が見つかりました。いずれも近傍の住人からの記録です。1人目は月齢18くらいの月のような淡麗の輝きを持つ麗人で、右肩が欠けていたと。その方、月齢18さんとしましょうか、月齢18さんは報告者、これをAさんとしましょう、で、月齢18さんはAさんの部屋に1日滞在した、とあります。同じく2例目の方は月齢13くらいの青銅色の男児で、報告者Bさんの部屋に2日滞在した、とあります」
「それで、それはどなたで?」
「それは」と紙の山を軽く叩く。「ただで教える、とは、いかないでしょうね」渦が僕に向く。まぁそうだろうな。
「1日の滞在後」と僕は言った。「そのかたたちはどうなったんです? 消滅したんですか? 娑婆送りですか?」
「月齢18の方は記録されてません。Aさんが口述を拒んだので。Bさんの方は顛末がありますが、わたしが説明するより直接訪問なさった方が詳細が聞けると思います」
つまり、出向く必要があるわけだ。
「ちょっと聞きたいんですが」と僕。「シルバさんはその月齢のかたたちと直接会ってないんですか?」
「ええ、そうですけど」
「つまり、事が終結してからシルバさんに報告に来たと?」
「報告に来たんじゃありません、わ、た、し、が、情報を引き出したんです、直接足を運んで」
「で」と僕は言った。「その紙に何を書けば対価となるんです?」
「素晴らしい! 話が早くて助かります。まず朝起きるところからね。何によって目覚め、何をして日夕を過ごし、何によって眠るのか。1日のタイムスケジュールね。そのあとはそのスケジュールに出てくるワードを補記詳解していってもらえばOK」
ま、丸1日! それだけの時間、行動とそれにまつわる機器を詳述していったら、どれほどの労力か。
「シルバさん」と今度は吉次。「吉崎くんには自室がないみたいなんですが、先述の方々はどうでした? そもそも記録そのものが残ってないですかね?」
「自室が、ない? え、ちょっと待って」座右の叢書ーー用紙のインパクトで気づかなかったが、紙束の反対に古文書のようなしっかりした装丁の叢書が2冊あったーーを取り出し、折り目のページを開き「え、うそ、ない!」2冊目も確認する。「やっぱりない。そんな、でも、じゃあ、夜はどうやって?」
「僕の部屋で過ごしたんです」
「白鯨は?」
「回避しました」
「白鯨を、他人の部屋で回避した? え、そんなこと、だってーーちょっと待って」再度書物を引っ張りだし「ない! 夜の記載がない! ああ、なんてこと」両手で額をひっぱり上げるような仕草、で、痛嘆と自失「きっと、夜をひとの部屋で過ごすなんて発想がなかったのね、だから聞きもしなかった。ああ、完全にわたしの落ち度だわ」
「あともう1つ発見があるんですが」と吉次。「大きな発見が」
が、その言いようで直感した。これは交渉だ。が、続く一語で霧散した。「吉崎くんには僕らが人間に見えてないようなんです」いやいや吉次よ、なぜ今それを言う! 交渉カードだぞ!「僕なんか山羊ですって、山羊」そして高笑い。「ね? 吉崎くん」
「まあな」オツムも含めてな。「まあ、そうだ」
「え? 人間に、見えない?」シルバは吉次を見て、次に僕に渦を向け「吉次さんが山羊? 山羊って、あの動物の山羊? 四つん這いなの?」
「四つん這いではないです、頭だけ山羊。しかも、深紅のタキシードを着てるんですって」そして愉快そうに笑い「ね? 吉崎くん」
苦々しく頷いた。なぜ笑ってられるんだ、吉次め!
それからも吉次はシルバに僕の機密を開示していった。シルバがゴーレムであること、僕だけ星光を放射できないこと、僕の生家、来歴、死に際などすべて。その間、シルバは興奮ぎみにペンを走らせ続け、羽ペンのインク切れに悪態を付いたり、吉次の話の先走りを鋭く制止したり、質問したり。吉次は側の丸椅子で身振り手振りの御高説に、お得意の大笑い、シルバの書き散らした用紙の整理整頓までやっていた。で、僕はというと、部屋の入口付近の壁に背をつけ、腕組みのまま、横目にそれを眺めていた、なにか資産の目減りに歯嚙みするような心持ちで。
「まさかこんな興味深い話を聞けるなんて」話の終わりにシルバが言った。「こんなに楽しかったの、50年ぶり、いえ、100年ぶりぐらいかも!」
「楽しんでいただけて何よりです」と温顔の吉次。「それで相談なのですが、吉崎くんの件で、AさんとBさんを教えていただく対価、少し軽くなりませんか?」
「ええ、ええ、それはもちろん! これだけ貴重なお話しを聞かせてくださったんですから!」これは意外。
「では、吉崎くんの平素を今日ここで羅列していきますから、その中から2つ、詳述する項目をシルバさんに選んでもらう、でどうです?」
「2つ。2つ、ですか」と思案げなシルバの声音。不満なのだろう。「3つ、では、どうです?」
「いいですよ。吉崎くんも」こっちを向く。「それでいいかな?」
「ああ」
「では、これで手打ちってことで」
「ありがとうございます」
約束通り1日のスケジュールを列記し、そのなかの1項目をシルバに選んでもらった。明日それを補記するため再度シルバを訪問し、その記録をもって残り2項目をシルバに選んでもらう、で、明後日、それらを注解するため再々度訪問する、との流れになった。課題の提起→考案→成果物作成は、一気呵成より間断あった方がよい、それはチェックする側のシルバにとっても有益。そう結論したのだ。
Aさんは明日、Bさんは明後日教えてもらうことになった。
シルバに辞去を言いーー今回は部屋の入り口で別れたーー、坑道をたどっているとき僕は聞いた。
「こうなると分かっていたのか? シルバがあれほどの譲歩をすると」
「んー? まあ。まあね」
「なぜだ?」
「シルバさんが条理に通じた人だから」
「平時では、だろ。だが、今回もそうなるとは限らなかったはずだ。なのに、なぜ自分から利得を手放す真似をする?」
「んん? んっと、つまり、吉崎くんは僕がシルバさんに吉崎くんの秘密を無償で教えたのが気にくわなかったってこと?」
「気にくわないんじゃない、非常識だと言いたいんだ」
「ひ、非常識? どう非常識?」
「あのな、交渉事ってのは己の最大利益を提示し合うところから始まるんだ、法外な、決して容認できない暴利の提示からな。で、そこから互いに相手の譲歩を引き出し、両者容認できる得失で合意する、そういうもんだ」
「えぇ」なにか軽侮とも取れる瞳、嘆息。「それが吉崎くんの時代の常識なの? それはずいぶんだね。でも、それじゃ力量差のある者同士の場合、より強大な方が無理を押し通すことになるんじゃない?」
「まあな。が、それ含めて交渉だ」
「それは交渉じゃないよ。それじゃ弱い方に一方的に不満がたまる。不満は暴発するか、逃避先を見つけてそこに皺寄せがいく。皺寄せはさらに弱い方弱い方に押し付けられていって、結局は物言わぬモノが溜め込み続けることになる。まあ、通常は山とか、川とか、自然環境だね、卑賤民の場合もあるけど。でも、それらが限界を迎えて、さらに悪運が巡ると、もう人の方術では対処できない大禍となって、人世に、史上に、深い悔恨を刻むんだ。結果、お上も、中民も、下民も、皆一様に災禍を被る。誰もまぬかれない。だから、権勢を笠に着て自利をむさぼるのは、気分はいいんだろうけど、おすすめはしないよ。結局はつけを払うんだし、しかもそのとき、利子は悲痛なくらい、たっぷりと乗ってるんだから。それより、関係者も、それ以外も、すべてが納得いく方法を考えようよ。これこそ人のわざ、知恵さ。知恵を絞りあうのが交渉だよ」
「言ってることは分かるがな」所詮旧時の発想、熾烈な過当競争を生きる現代には安穏すぎる。それにこいつだって、スカイツリーからのたった一度の展望で、数理の神秘を、その具現の魔術性を、己の目、肌で、体感するはずだ。「現代を知らんおまえが言ってもな」
「響かなかったかな?」
「ザ・江戸民って感じだ」
「そりゃ残念。でも、行運は天地を貫く理だからさ。悪い目にも備えておいた方がいいよ」




