表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
輪廻の狭間  作者: 荒野銀
6/10

(6)

 昇龍を下船してーー吉次は龍の乗降場を「埠頭」と呼んだから、下船でよいはずーー、吉次に追従して小高い盛り土らしき丘陵地ーーもちろん不可視だがーーに腰を下ろす。腰を落ち着けてみれば、透場は地表よりいくぶん居心地がよかった。太陽は相変わらず3つ。が、天球を先駆けていた西の陽は、すでに衰勢を強め、西の地平に柔和な輝きを放っていたし、かつて天頂で燦をほしいままにしていた太陽は、その最盛を後継の東の陽に譲位していた。吉次によれば、太陽は5つあって、深夜2時ごろ最後の陽が落日し、5時に朝日が顔を出すまで、わずかな夜が来るらしい。とにかく、来訪時より陽光弱まり、地の照り返しもなくなった。高所に登ったことで気温もいささかダウンした。砂にもまみれない。落下の不安も解消されたーー透場の縁辺では足元から風が吹き込む、それで不可視の足場の有無が推察されるのだ。

 その夜ーーといっても、残照すさまじかったがーー、僕らは互いの身の上を話し合った。僕は現代の習俗を交え、出自を語った。父母や兄弟、家格、出身地、学歴職業など。

 簡潔に紹介すると、父母健在、年の離れた弟1人、家格は並み、新潟出身、都内中堅私大卒でIT系勤務7年目、29才独身。高位の技術者を目指すが、悲運にも本日没ーー死没はたぶんだ。

 で、吉次。

「ちらと言ったかもしれないけど」隣に片膝だけ立てて座る吉次が言った。西日で顎部の突出した山羊の輪郭が、明暗を作っている「君たちからは江戸時代と呼ばれる時分の人間さ。西暦でいうと何年になるかは分からないけど、1650年くらいじゃないかな、僕が13、4の頃に江戸で大火があって江戸城が焼け落ちたから。巣鴨の生まれでね、大火の夜は南の空が夜明けまで茜色に染まっていたのを覚えているよ。大人が騒然としていてね、謀反だの野盗が来るだの、父は村の大人衆と明け方まで大声上げて奔走していたし、母は僕ら兄弟と真っ暗な家で身を寄せあって、事態の趨勢に固唾を飲んでいた。鬼気迫る有り様だったよ、家の内外どこも。でも、恐怖体験ていうか、子供の頃の身もすくむ経験はそのくらいで、概ね平穏に暮らした。あ、いや、晩年富士が噴火したり飢饉が発生したり、難事はあったか。でも、とにかく江戸は拡大していく一方だったし、慢性的に人手不足で、運河を掘るにしろ田畑を拓くにしろ建築するにしろ、充足にはほど遠かった。つまり、食いっぱぐれなかったってこと。父も、僕ら兄弟も。特に僕は、賭博の才に恵まれたものだから、四宿の賭場に潜り込んでは、巨利でもなく薄利でもない金銭を得て、むしろ裕福だった。まあ、あまり勝ち続けると殺されるから、時々わざと大負けしたりもした。僕は5人兄弟だったけど、3人は、まあ、天寿を全うしたと思う。早世したうち1人ーー末弟は、幼少期熱病で、もう1人は」そこで吉次は言いよどんだ。帽子を取って頭を撫でた、なにかの準備みたいに。で、丁寧に帽子を被り直した。「もう1人ーー3男は、世間に敗北して死んだんだ。辰三といってね、辰三は、利発で進取的な子だった。それゆえ、新奇性がなくなるとすぐに物事を投げ出した。行商をしていたと思ったら、翌々年には職工になっていたり、実家の畑を手伝ったり、荷役したり。でも、そうしているうちに何か共通項を見出だした。さっきも言ったように、拡大していく江戸に人手は圧倒的に足りなかった。どうしても人足がいる。でも、人口の自然増を待っていたのでは、不足の不便が長期化する。だから、辰三は他国ーー吉崎くんの世でいう他県かな? 他県から働き手を誘致しようとした。口入屋ーー、なんだっけ? 人材斡旋業っていうのかな? そういうの。でも、これが破滅を招いた」

 第2の西日はちょうど沈みゆくところ。吉次は膝に腕を掛けた姿勢で、陽の入りをじっと眺めていた、その陽が円弧から直線、没して地平をほの照らす残光になるまで。

「商売は上々だった。他郷であぶれている人夫を募集し、村長を説得し、集まった人を村の開墾地で労働させる。そこで性情のよい者、土木算術職工など素養のある者を選抜し、人脈を使って斡旋していく。好評だったらしい。でも、失敗だったのは素養ない者の扱いだった。彼らは元々素行の褒められた人品でない。粗暴だったり、怠惰だったり、愚鈍だったり。それらが1箇所に集められた。当然の帰結として、彼らは徒党を組み、脱走して、極道化した。彼らは四宿に根を張ろうと過激化し、それゆえ既存の極道ともめるようになった。既に地縁と一体となって秩序の側にいた極道を、再び抗争の泥沼に引きずり込んだんだ。暗闘が始まり、それは次第に表世界の平穏にも亀裂を生じさせ始めた。だから、お上が動いた。脱走者一味は捕らえられ、首魁一統は死罪、他の脱走者と辰三は追放罪になった。辰三はその後に死んだよ、なんでも佐渡に渡って、金鉱の支柱を材木から固まる粘土、コンクリートっていうんだっけ? それに変更しようとして失敗したんだとか。仕方のないやつだ」

 身上話のだったはずだが、いつの間にか「辰三」の話になっていることに僕は気づいていた。そして、どうやらその辰三が、吉次にとっての悔恨であることも。

「心残りなのか?」僕は言った「弟さん、助けられなくて」

「ん? ああ、いや全く。辰三が進取的だといったけど、それが辰三らしさなんだ。それなくして辰三は、辰三たりえない。つまり、死因は事故死でも、それで寿命なんだ。言いたいことが分かるかな?」

「要は、どのような性質であれ、その性質を押し殺さず自由に発揮して生きられる期間が寿命、ということか? 例えば、大酒飲みが痛飲がゆえに寿命を短くしたとしても、その短くなった分も含めて寿命だ、みたいな」

「バッチリだよ。脱帽するね」それから一瞬おいて、ハットに手を掛け、垂直に持ち上げ「脱帽するね」脱帽をやり直した。

僕らは笑った。

「でも、悲しくはないのか? 弟さんのこと、気に入っていたんだろ?」

「悲しいさ。でも、非運も人生の1つだから」

「甘受すべきと?」

「いいや、愛すべきものの1つさ」

「愛すべきーー」その非運の一語の内実に、どれだけ残虐極まる悪業が上塗りされてきたか。惨憺たるものなんだぞ!「そうは思えんがな」

「君らしいね。でも、不運は避けられるものじゃない。行運の目から言っても」

「行運?」

「そう。易って、知ってるかい?」

「占いだろ。あの棒の束を両手に分けて、みたいな」

「そうそれ。ちなみに君の世代はあまりよろしくないね」

「俺らの世代? ほう? それで? 元農耕民だった吉次さん的には、どうよろしくないと?」

「そう煽らないでよ」吉次は笑った。「まあ、結論から言うと分裂の兆しだね。意気軒昂になった武の集団が、陰りに押されて分裂し、衝突しあうようになる。ちょうどそんな目だ。で、そのあとはーー、まあ、言わずもがなかな」

「だが占いだろう?」

「推量だよ」

「根拠かなにかあるのか?」

「僕の経験知さ」

「経験知かよ!」僕は笑った。「やっぱりただの占いじゃないか」

「占いじゃないさ。僕はね、行運が知覚できるんだ。そういう才がある。第一、君が乗ってきたあの龍、あれってなんだと思う? あれは行運そのものだよ? 運が現象となって昇降する場所なんだ、この部屋は」

 吉次の顔色ーーといっても山羊ヅラだがーー、微動だにしない鼻梁と真摯に結ばれた口唇、その上に、逆光に陰った骨型の黄色い虹彩が、揺れずにじっと、こちらを見つめている。冗談ではないのだと。

「なるほど。で、その易とやらは100%実現されるのか?」

「いーや。2ー3割り外れるね」

「外れるのかよ!」

「まあ、そう怒らないで」吉次が笑う。「でも、君の時代が退潮的なのは間違いないよ。自分でもそう感じない?

「まあな。俺は氷河期世代の生まれだからな」

「ひ、氷河期?」

「不遇の世代ってこった」

「ああ、うん。ま、そだろうねぇ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ