(3)
暖炉から薪のはぜる音がし、曇った格子の窓ガラスにほむらの揺らぎが映りこむ。窓の外は深い夜の色、そこに延々と降る紺の細かい粒状の物質。雪、だろうか。壁は書棚になっていて、古びた重厚なえんじ色の装丁の本がずらり。時おり暖炉の明かりで金糸のラベルがキラッと浮かぶ。なぜか皆異様に大きい。床にも書籍の小山。無造作に積まれて久しいらしく、床や小テーブルも放置されたというよりは放棄されたといった具合。その放置っぷりも年季が入っている。木製の床が砂っぽい。
「シルバさーん! どこですか、シルバさーん!」
山羊は口に手を添え暖炉と反対の方ーーそこには底知れぬ闇の洞が口を開けていたーーへ進んでいった。
「こっちでーす」その闇の奥に、半円の柔らかい灯火の明かりが上下した。「すみません、こっちに来ていただけませんか?」
気色悪い声だった。大の男が裏声で女口調で話しているかのような。
山羊は迷わず大胆に進んでいき、で、洞窟のまだ薄闇になっているあたりで右折した。
「おお、シルバさん、ここでしたか!」
なにか10数年振りの再会とでもいった口調。いぶかしみながら続く。
「すみませんね、ホントはお出迎えしたいんですが、最近体が重くって」
「いえいえ、ますますご立派になられて。虚弱になるよりはよいですよ」
そんな会話が聞こえてきて、部屋に入り、僕は見た。ほの暗いロウソクを逆光にして、横幅2メートルもある砂のロボットが、こちらを凝視している、薄笑いを浮かべて。が、そのロボットに顔はない、頭部らしき先細りの円柱ブロックが、首ーー細い管ーーを支柱に、四角い胴体と接合しているだけだ。でも、分かる。この何者かが、獲物を前に狂喜しているのが。なぜなら、この者には目鼻から額にかけての位置に、円弧が集中する黒い窪みがあり、それが、ゆっくり、視線を反らさず回り続けているからだ、まるでこちらを切り刻んで、己が一部とするその瞬間を、待望するかのように。そして、その渦の下には、ドラクエのスライムに似た薄笑いの口唇が、シールのように貼り付いている。
「話は聞いてるよ、君が新人くん?」
そのロボットは凝視も含みある微笑も全く同じに言った、渦の回転も同じに。
「そ、そうですが」
「あれ、変な声。くぐもって聞こえるね。それは最初から?」
「さあ? 分かりませんけど。自覚症状ないですから」
「自覚症状なしか。待って、メモ残すから」
そして構造物は動き出した。安楽椅子の手すりに掴まり、上体を起こす。その加重に耐えかねるかのように椅子が悲鳴のような軋みをあげる。しかし彼ーー彼女?ーーは構わず動作を続け、直立に近づくに連れ、ロウソクの逆光で巨大なシルエットが高くなってゆく。右腕、それは関節を境に指、掌、下腕、上腕と異なる太さの四角柱で連結しており、上下腕部はともに常人の胴周りはあろうかという太さ、肌はベージュで、漆喰のような粗のある砂。左腕は右腕に同じで、胴は胸部と腹部で別のブロックになっている。椅子から下ろした下肢も腰、脚、足の甲とそれぞれ別のブロックだ。それらが動く度、関節から砂がこぼれ、大きい粒は踏み砕かれ、椅子、床、テーブルの、至る所にベージュのベールを色濃くしていく。この床の砂っぽさ、これはこの人の垢だったか!
地揺れのような振動を起こしながらその巨躯は部屋を横切り、古文書のように古い紙の束と、羽ペンにインク瓶、分厚い盾のような書籍2冊を抜き取ってーーその部屋にも壁に埋め込むタイプの書棚があったーー、また地響きを発生させながら戻ってきた。
「話は聞いてるから。そこに座って」巨体は言った。
燭台のあるテーブルの近くに4脚椅子ーー人間サイズだーーがあり、そこに座る。
「まず自己紹介するね。私はシルヴィア。シルバって呼ばれてる。ここ、輪廻の狭間に来て……、600年くらい、になるかな。ここに来る前ーー、現世ではトルコの辺境町で、図書館の司書だった。本が好きで、あと、この辺にいる人達のことを記録してったらいつの間にか相談役みたいなものになってたってとこかな。あなたは? 現世の記憶はある?」
「あります」
「最期の記憶は?」
「横断歩道を歩行中に車、スポーツカーにはねられた……、が最期だと思います」
「横断歩道にスポーツカー……、それちょっと書いてみてくれない?」
そしてメモ帳とペンを押し付けられた。「書くって、何をです?」
「横断歩道と信号! それからスポーツカーも! 決まってるじゃない!」
どうして信号まで? が、逆らえなかった。僕と対峙する黒い渦、それが、先程より濃く速く渦巻いている、なにか重い駆動音を立てる巨大な粉砕機を思わせるように。そして、それがロウソクの揺らぎに陰影を濃くしながら、まっすぐにこちら見つめている。
僕は言われるがままに書いた。歩道のこと、アスファルトのこと、信号や押しボタン、ガソリン車にハイブリット、石油資源の情勢など、図示や解説文を添えて。その間、山羊は後ろ手に書棚を眺めたり、ハットを指で回したり、果てはとなりの椅子で頬杖ついてたりで、一向に助勢の気配はない。
「できた?」
「これ以上は僕の頭からは出ませんね」
「じゃ見せて」メモを手渡す。
シルバは検分し始めた。すると、渦が今までにない速度で回転し始め、紙から無数の黒い塵のようなものーー1つ1つ形が違うーーが剥落し、渦の中心へ、螺旋を描きながら吸い込まれていく。なんだあれは? シルバは1ページ目が終わると2ページ目、その次と、最後までそれを繰り返した、一言も発せず。そしてページをめくる度に、右肩の辺り、そのざらつく砂の表面に、霜柱のような樹状の突起が出現した。知識の増大が関連してる?
読了するとこちらを見た。
「ごめん、聞くの忘れた。これ西暦何年の話だっけ?」シルバが言った。
「僕の死んだ年、のことですか?」
「うん」
「2010年です」
「2010年!」
「君、2010年の人だったのかい?」と山羊まで吃驚したようで、つぶらな瞳のなかにぬめっとした眼球が見える。
「懶熟期中期の人! ねぇ、もっと話を聞かせて。人類が月に行ったってホント? コンピュータってどんなものなの?」
「つ、月に行ったってのは本当です。ただ、コンピュータを一言で説明するのはーー、ちょっと無理ですね。生活のあらゆるところに組み込まれていて、人類がそれをどう活用し、どう生活が変革したかまで説明しないと」
「じゃ説明してよ! 今すぐ! ここに書いて!」
「すごく長くなるんですよ、1週間はゆうにかかる」絶対やりたくない、機転を利かそう。「いや、下手すれば1ヶ月、いや1年かも」
「1年……」絶句が聞き取れた。が、「素晴らしい! 是非お願いね!」渦が加速する。シルバは指を組んだ、天を仰ぎ「ああ、神様、こんな素晴らしい出会いを運んで来てくださって、感謝いたします!」
「シルバさん」と山羊。「今日はここらでいったん切り上げませんか? 多分、イイ感じのところで夜が来ますよ。それに聞いた感じ、物資が足りなそうです。だから、ね? 今日は明日からを楽しむ準備ってことで」
シルバは痛苦を堪えるように小刻みに震え、座椅子の手すりを損壊させるほど握りしめた、で、脱力した。「わかった。そうしましょう」が、すぐに身を起こし「明日また来るんだよね?」
「もちろんですとも」
「必ずよ?」
「ええ、必ず」
そのあといくつかの難解な問診に答えーー違和感はと問われても、何をもって違和感とするのかーー、シルバは出入り口のドアまで見送ってくれた。が、その間も僕が明日来るかどうか、不安そうに尋ねてきた、ほぼ一歩ごと、会話に沈黙が発生するたびごとに。
僕らは宇宙空間に出て、並んでシルバさんの見送りを受けた。
「それじゃ、吉次さん。明日待ってる。朝早くから待ってるから」シルバは言った。それは山羊に向けられたもので、その視線が僕に向いた。「えっと、そういえばまだお名前聞いてなかったよね」
「吉崎です。吉崎啓司」




