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輪廻の狭間  作者: 荒野銀
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(2)

 一定の距離を取り、彼の後ろを歩くーー歩く、であってるはずだ。足裏の接地の感触はある、足先で地面を押す反発も。が、足元にはなにもない。次の1歩の足場さえ。周囲360度全て、永遠の闇とそれに打ち勝つ星々の輝きに満ちているだけだ。それに僕らの容姿ーー手の平の相を見た。主要な4線が、くっきり見える。続いて裏側。浮き出た血管の緑色まで明瞭だーーなぜこんなにはっきり見える? 満天に光輝満ちるとはいえ、この光量では不足のはず。なのに、かの山羊の背広さえ鮮やかに、深紅の格子の織り目まで、見てとれる。

「ちょっと……、聞いてもいいか?」僕は言った。

「ん? なにかな?」前後を交互に見つつ、山羊が言う。

「ここは……、いったいなんなんだ? 俺はどうなった? これは、夢、なのか?」

「ここは輪廻の狭間。ま、そう呼ばれているだけだけど」

「輪廻……」輪廻とは生死の循環。そして生の後にくるのはーー「死んだのか? 俺は」

「さあ? そうは見えないけど?」

「どういうことだ?」

「うーん、僕にも分かんないんだよねぇ」

 要領が得ない。つまり、この件は保留ってことだ。なら次。とにかく知らなくては。

「輪廻のはざま、だっけ? それはなんなんだ? 冥界ってことか?」

「冥界……、うん、まあ、近いっちゃ近い。ここは魂の安息所。死んだ者の魂が、次の生までの待機をする場所。ま、定説だけどね」

「定説、とは?」

「誰も生婆巡りの先を見たことがないから。ほら、君らだって死んだ後どうなるかなんて、誰も知らなかっただろう?」

「生婆巡りってのは、輪廻転生のことか?」

「え? ああ、うん、そう」

 話が見えてきた。つまり、ここは死界であり、異見あるものの、僕は死んだ可能性が高い。が、整合はある。宇宙空間で覚醒する前、最後に見た光景、それは走り去るスポーツカーらしき車のテールランプだ。薄暮の中、どす黒い6つの丸目が、爬虫類的無機質さでこちらを見つめていた。

「交通事故だな、おそらく」しかも、あんな見通しのよい直線でとは!「で、現在生死不明の状態になっている」

 嗤える話だ。あれほど昼夜休日問わず、コードが明示する業務ロジックとその背後に隠見する言語の通貫的概念ーー僕はシステムエンジニアだったーー、その解明と理解、応用に、心血を注いできたのに。その蓄積が、その唯一財産たる経験知が、なにもかも無に帰する。なんの結実も見ないまま、なんの継承も行われないまま。では、僕のやってきたこととはなんだったんだ?

 が、それ以上に胸裏を占めていたのは安堵だった。もう正体の分からない義務感に追い立てられなくていい、もう無限の進歩の螺旋をゆかなくていい、もう流れるまま、たゆたうまま、無我の極致に安らいでいい、加速する発展と競争の時節は終わったのだ。

「ど」こに向かっているんだ? そう羊に問いかけてやめた。まあ、どこだっていい、どこだって。変わらん。が、これだけは確かめておかねば。

「さっき輪廻の狭間と言ったが」多少改まった口調で言った、山羊に正確な回答を、させるために。「ここは死者が行き着く場所、それでいいんだな? 合ってるんだな?」

「うーん?」山羊はゆっくり首を回した「まあね、でも、さっきも言ったけど、定説だよ?」

「で、死者の世界にいるってことは、俺は死んだのか? 先ほどは義偽が残る、みたいな口ぶりだったが」

「うーん、君についてはね、なんていうか光度が低いっていうか、低すぎるっていうか、なんか幽霊をみてるみたいなんだよね」

「こうど?」

「そ、光度。魂は人それぞれ色大小さまざまだけど、皆一様に輝きを放つんだ、あんなふうに」で、腕を伸ばし羊毛で覆われた指でまっすぐ真横を指さした。虚空の闇に目映いばかりの光りの粒。

「ちょっと待て、あれが、あの星々の大海が、全部、魂? あの目映いばかりの光りの一粒一粒が?」

「そうだよ。あれ? 言ってなかったっけ? ゴメ~ン」羊はハットを取り、顔深く切り込んだ口を奥まで開き、歯茎をむき出しにさも可笑しそうに笑った。「でも、君はそうじゃないんだよ。まるで月みたい。自ら光りを発してない」

「俺には俺とあんたとで同じに見えるが」

「そりゃ今はチャネルを変更してるからね。でも、元に戻してやるとーー」

 山羊が指を立てた。そして、その指先が突如発光した。それは膨大な白色の奔流であり、あまりの眩しさに目をかばった腕の裏側まで白色で埋めてしまうほど、さらに言えば、周囲一帯の闇と言う闇を消し去り、輪郭という輪郭を解体し、時空も認識も白い無の静止で消し去ってしまうほど鮮烈な光の奔流だった。が、それは始まったときと同様に、突如として終息した。

「ね?」

 確かに僕にこんな芸当はできない。

「ともかく、ちょっと専門家のかたに診てもらおうと思うんだ。で、今その人のとこに向かってるとこ」山羊は再び歩きだした。道化るようにハットを取った「ま、もうちょっとさ」

 それから1~2キロ程度。

「着いたよ」

 見ればなにもない星と闇だけの空間に、ドアノブーーそれは古いマンションの一室にありそうな、所々メッキの剥がれているやつーーが、突如、なんの接続もなしに、いきなり生えている。

 山羊はドアノブの上辺りをノックしたーー固い金属音が返ってくるーー、そして応えがあった。山羊はドアノブに手をかけた。すると、闇が波打ち、白い境界線が現れ、それはドアノブを引き出していくに連れ断層を作り、明かりのある奥の空間を開いていく。開ききるとそれは潜水艦の蓋のように分厚くて、泥のジェルが絶えず沸き、絶えず垂れ続ける2メートル高のドアになった。

「お邪魔するよー」山羊がハットをかばいながらしゃがみ、くぐった。

 どうする? 追従していいのか? 死したとはいえ痛覚はありそうだ、この先にあるのが拷問椅子だったらーー。いや、そもそも山羊の目的が分かっていない。山羊は僕が幽霊のようだと言っていた。もしかしたらその異様さがレアリティとなり、この先で、奴隷のように売却されたらーー。そして汚辱に、苦役に、困窮に、そんな未来が待っていたらーー。

 いや。もういい。もう死んでる、もう終わったんだ。生前とは違う、諾々と受け入れればいい。

 僕は大股でドアをくぐった。

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