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輪廻の狭間  作者: 荒野銀
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 全方位真っ白、四肢はーーある、着衣ーー不変か。が、接地の感覚がない。にも関わらず直立の姿勢を保っており、シャツとスラックスは、動作により張りついたり旗めいたり。無重力、なのか。

「さて、吉崎くん」吉次の声が脳内でし、そちらを見る。後ろ手組んで起立の姿勢。モーニングの裾がエイの遊泳のように緩やかに波打っている。「蘇生まで1日ってところだよ」で、くびすを返し「こっちの方角、東が現世への近道。まあ、ここで待ってても問題ないよ、ちゃんと戻れるから。ただ退屈地獄にはなるけど。どうする? 一緒に行く? 僕はここが嫌いだから行くけど」

 信用できるのか? いや、吉次は同道をこちらに委ねているのだ、つまり、現況で復活は達成可能、なのか? 命運が、またしても他人の手中にあるとは!

 が、ジャンは僕の帰還を計画の一旦と言っていた、つまり、現世に戻れるのだ、おそらく。なら「早い」というこの妖異の言を、今は信じてみたっていい。

 僕は首肯した。

「お! ついてくるか。けっこう、けっこう」

 で、吉次が歩きだしーー足を出す動作のみだが距離がひらいたーー、僕も足を前に出してみる。足裏に感覚なし。が、距離は開かなくなった。つまり、進んでいる、のか。

「たぶん、君は話せないと思うんだ、白鯨に慣れていないから。だから一方的に話を聞く立場になるだろうけど、不快なときはジェスチャーなりで教えてくれればいいから。おそらく、1時間、てところかな、娑婆送りまで。色々聞きたいことがあると思うんだ、なんで君を連れ回したのかとか、そもそもこの狭間とはなんなのか、とか。いや僕も知らないんだけど。ただ、君が4日前、あの場所に現れるのは行運から予知していた。それで、ある種のツアーを用意させてもらったんだ、君のための。おそらく、君は陰りを深くして現れる、そして実際に、暗澹たる陰影を帯びて現れた、砂漠地帯のテレビ中継みたいにかすれ、消滅しそうな状態で。なぜ予見できたかって? 実際見たからだよ。失礼ながら現世での君を覗かせてもらった。どうやってか? 白鯨が見せてくれるんだ、こんな風に」

 そして吉次の側面に楕円の定点映像が映写されて、仏間の鐘の音と同様の余韻、リズムで透け、次第に希薄になっていく。そして、写っていたのはデスクに向かう難しい顔をした男。

「たぶんだけど」吉次は続ける。「白鯨は現世に魂を運ぶ連絡船なんだ。対象者を徴集しながら、西から東に就航する魂の送還船。だから東端では現世が垣間見えるんだ、と思う。まぁ、んなこたぁどうだっていい。それより見てみなよ、このざまを」

 そしてまた投影されては寂寞と影を薄くしていく映像群。今度はギャラリーのように左右1列に、しかも1歩ごとに新しい映像が灯っては、余韻を残し透過していく。影像はどれも同じ主体だ。

 歯を磨きながら、朝のニュースに「皆さんどうですか」と語りかけられる男。

 雑踏の改札を通り抜け、電車を待つスーツの集団の一色として取り込まれる男。

 職場に着いて無機質な挨拶をしつつ、デスクに並ぶPCのペア機みたいに機能していく男。

 社食に並び、進んでは提供される皿にただ手を伸ばす男。

 帰宅ラッシュに急く人の奔流、靴音に、あっという間にかき消されていく男。

 休日、満員のカフェで、ノートPCを前に何もせず、ポケットに手を突っ込んだまま漠然と通りを眺める男。

 そして盆が過ぎ、年始を祝ったかと思えば、また同様の行動と情景が繰り返されていく、延々と、疑義を呈されることなく、自動的に。

 そう、これは僕だ。根幹にあったのは普通から逸脱する恐怖。そしてこれは、僕の軟弱さゆえ薄弱さゆえの光景なのだ。

「君はこの有り様になんの疑問も感じなかったのかい? 君が君じゃなかったら、君のした成功も失敗も、君のものじゃなくなってしまう。それは誰かの成功であり誰かの失敗であり、誰かの幸福、誰かの絶望なんだよ。借り物の顛末なんだ。君自身が君本来の特性で成敗を経験しなければ、なんの意義もない。大体、人生の終局に、その一生が成否いずれにしろ、これこそ自分が己一個の意思力量で、艱難辛苦の大舞台を生き抜いた結果なんだって、どうして言いはれる? この狭間の星々に比肩するほどの輝きを、君はその借り物の人生に見いだせると思うのかい? どうなんだ辰三、いや吉崎くん!」

 僕はそっぽを向きーー、胸裏の中でも黙っていた。視線を合わせない、それが精一杯の抵抗だったのだ。心奥を震わす残響が消えるころ、数度小さく頷いた、含意をすべて受領した、その意味を込めて。

「珍しく熱くなっちゃったよ」笑う山羊。いつものやつだ。「行こう。もう少しで東端だ」

 我々は歩きだした。

「もう分かってると思うけど」と吉次。「今回のツアーって、実は説教ツアーなんだ。余りにも不甲斐ないからね。それにしても君たちの世ってのは、喜びが薄いんだね。ないわけじゃないけど薄い。あんなに繁栄してるのに、すごくチグハグだ。ま、いいや。でも覚えておいて。喜びは集中のなかにある、それも己の使命、役割といったものを、まっとうする中に。さて、最後だ。前にも言ったけど君たちの世は荒れる。すぐにではないよ、でも緩やかな下降線をたどって、ある一定ラインを下回ったあと、さらに乱気の極大期を向かえるとタガが外れて瀑布のように落ちていく。崩落、といえるかもしれない。でも混乱で済むかも。運気とは季節、つまり期間なんだ、だからその期間、賢明を堅持できるなら混乱で、でなければ荒廃だ。どちらかは決まってない、決まっているのは悪運の巡り、それだけさ。そして、君たちはまだ、結末を選択できる時節にある。おそらく牙を剥くのは弱者、物言わぬ者たちだ、つまり、卑賤民や大地、彼らだよ、彼らに気を配ってあげて。君ならできるはずだ、取り巻く環境の神秘性や壮麗さ、新奇性を、進取の心持ちでもって見る君なら、それらの社会善への活用を、真に希求する君ならばだ。命を賭し、人生を賭し、己の使命をまっとうするんだよ。ああ、そろそろ時合だ」

 吉次が足元から手先から、光の粒となって消えていく、それも乳白色の中でも、それと分かる鮮明な光輝の粒となって。そして、頭頂からまばゆい明光の一縷となって、天へ天へと運ばれていく。

「君は結婚するよ、そして男子を授かる、たぶん、勘が鋭くて楽天的で、なんて言うか、胆力に欠けた子だ。君はきっと、不満を持つはず。でも、あんまり厳しく躾ないでやってくれよ。それじゃ、また」

 そして、すべて光の粒子となり、その下端が、上空高く不可視の領域に昇っていった。

 吉次は消えた。1人取り残されーーすると強烈な睡魔に見舞われ、膝を折る間もなく視界がにじみ、意識を失った。


 ーー4ビットゲーム機が発するような電子音があちこちから聞こえ、最も近い音源はすぐ右隣。視界はウグイス色のカーテンで波打つ四角に遮られている。ここはーーと思うと頭部右側に突き刺すような痛み。首を上げれない代わりに、左右の腕を上げる。右肘の内側に管とテープ、皮膚がひきつる感覚もある。左腕はギプス、二頭筋から手首までくの字に固定されている。これではまるでなんらかの事故後。どうなっている? 最後の記憶ーー、あの山羊野郎、好き勝手言いやがって、だ。山羊だと? 記憶が混濁してるのか?

 しばらくするとカーテンが空き母が入ってきた。

「あれ。起きたの。じゃあ先生呼んでくるからね。ちょっと待ってて」で、出ていく。

 暫時あり、白衣の中年男性が看護師を連れて入ってきた。母は影を消すようにベッドの末端に控えている。男性は医師。交通事故の概説があり、問診、外傷の説明がありーー頭部、左肘ともにひびだーー、治療の方針、快復までの期間が理路整然と展開された。こういうとき思う、やはり医師は知能が高い。治療への合意が取れると医師は出ていった。

「ビックリしたねっか。でも80キロで轢かれてひびで済むなんて」と母。「頭固くて、いかったねぇ」

 分かる。ダブルミーニングだ。「親父のゲンコツで鍛えられたんだろうさ」

 加害者はラリった薬中で、僕を轢いたあと、車は交差点を曲がりきれず横転、停止、既に逮捕されているとのこと。車は盗難車で、犯人は走行中の車道に飛び出て止め、そのままナイフで脅して奪取したとか。

「それよりも。心配させんなや!」

「俺に言われてもな」が、重傷のせいか、このときばかりは情が動いた、珍しく。「ま、看病の礼だ。退院したら何か孝行してやろう。なにがいい?」

「それより早く元気になって。結婚して安心させてって言ってんねっかや」

「あと孫、か?」

「そう!」

「って言っても相手がなーー」平時なら却下だ、キャリアの計算が狂う。が、このときばかりは不思議と家庭に、そんな将来に、夢想が膨らんだのだ。お父さん。そう呼ばれたい。しかもなぜか、男児に。そもそもキャリアとは? 代替可能な人的部品のグレードを上げる、そのキャリアとやらにいったいどんな価値が?

「まあちょっと、探してはみるさ、真剣に」

「あら! どうしたの、頭、おかしくなっちゃったんじゃない? 先生呼ぼうか?」

 少し笑い、顔をしかめる。「笑かすな、頭が痛むだろ」

 しかし男児ーー、どんな子になるだろう、聡明でおとなしい子? 怠惰で愚鈍、手のかかる劣等生だろうか? いや分かる。予感がする。きっと軟弱で、気味の悪い予言めいたことをぬかす、しかし陽気で、情愛の深い良い男だ。「これはーー、厳しく躾てやらんとな」

「ん? なに?」

「いや、なんでも。母さん。俺、会社辞めるよ」

「えぇ。やっぱり打ち所が悪かったんじゃねえ、ちゃんと手術してもらう?」

「手術はこの世に行うさ」

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